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【蒼空に架ける橋】第2話 愛された記憶

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【蒼空に架ける橋】第2話 愛された記憶

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 同じ弐ノ島行きの船には、やはりツク・ヨ・ミが弐ノ島へ向かったことを聞きつけてナ・ムチ(な・むち)スク・ナ(すく・な)の2人も乗船していた。
 そしてそこにはドクター・ハデス(どくたー・はです)の姿もある。

「フハハハ! 我が名は世界征服を企む悪の秘密結社オリュンポスの大幹部、天才科学者ドクター・ハデス!
 スク・ナとナ・ムチよ! おまえたちの目的に協力しようではないか!」

 昨日捕まりそうになっていたスク・ナを救ったハデスは、ナ・ムチと合流早々胸を張り、腰に手をあてていつもの高笑いと口上を述べた。
 地上の事情は一切知らないナ・ムチだったが、話半分に聞いても『世界征服』だの『悪の秘密結社』というのは信憑性に乏しく、それを真顔で、しかも誇らしげに言い放つ男の存在はうさんくさいことこの上なく。
「いえ、結構です」
 と即答しかけたのだが、スク・ナは違った。
「うわーすげー! メガネのおにいちゃん、そんな偉い人だったの!?」
 興奮に目をキラキラさせて、ハデスを見上げている。
 まるで戦隊ヒーローショーでヒーローを見る子どもの反応そっくりだ。その姿に、脇から見ていたデメテールが何かを思いついたような光を目に浮かべると、ぽんと肩をたたいた。
「そうよ。だからこの人に力になってもらいましょうねー。――あ、これあげる」
 壱ノ島のケーキショップで購入してきた山盛りの駄菓子が入った紙袋を手渡す。
「うわああああ、これ、食べていいの!? おねーちゃん!」
 紙袋からはみ出す勢いで突っ込まれている駄菓子を、おおおおお……とまるで神々しい物でも見るような目で見つめたスク・ナは、そのままその目をデメテールに向けた。さっきまでハデスを見ていた目より、さらに上の存在を見る目である。間違いなくこのとき、スク・ナのなかではデメテール > > > > ハデスになっていた。
「いーわよ。もう知らない仲じゃないでしょ?」
「うん!」
 答えた口には早くも麩菓子の棒が突っ込まれている。
「これでデメテールたちは仲間ね。あそこのハデスおにいちゃんの言うこと聞いて、力になってもらうのよー?」
「うんっ」
 もぐもぐ、もぐもぐ。
「……スク・ナ……」
 後ろでナ・ムチが、頭痛がすると言うように頭に手を添えていた。
「とゆーわけであとよろしくー」
 デメテールは後ろ手を振りつつ、すたすたどこかへ消えていった。働いたら負けと思っているフシのあるニート悪魔だ、「やれやれ。これで解放された」と、きっとどこかで羽を伸ばしていたに違いない。この船にも一緒に乗ったが「弐ノ島に着くまでどうせ何もないんでしょ」と船室へ入ったきり一歩も出てこない。
 なので、スク・ナの相手はもっぱらハデスが務めていた。
 左舷デッキで、スク・ナは以前ナ・ムチからもらったスリングショットを取り出し、雲海の向こうを撃っている。
「何を狙ってるんだ?」
「あれ。あそこ」
 スク・ナが指さす雲海には、かすかに小さな影らしきものが見える。
「雲海の魔物か?」
「うん。でもあれはおとなしいヤツだよ。オレたちも獲って食べてる」
 ギリ、と引き絞られた玉が次の瞬間まっすぐ飛んで行く。が、魔物の影に影響は見られなかった。
「当たらなかったのか?」
「あはは! 届いてないよー。距離ありすぎ。ひまつぶしのまとにしてるだけー。
 見てて」
 次にスク・ナは別の小さめの雲を狙った。飛んだ玉は動いている船からだというのに狙い違わずど真ん中を射抜き、パッと散らす。
「あそこまでがせいぜいかな。狙うことはできるけど、たぶん、あれ以上だと届かないし、散らせない」
「ふむ」
 ハデスは考え込み、提案をした。
「ではスク・ナよ、おまえに武器をつくってやろう」
「え? ほんと? どんなの?」
「そこは見てからのお楽しみとして、あわてず待っていろ」
「わーい! 約束したよ! 楽しみにしてるからね、ハデスのおにーちゃん!」
 満面の笑顔でにぱっと笑うと、スク・ナは再び雲を狙う遊びに戻っていった。デッキを走って、狙いやすい場所を陣取るとスリングショットをかまえる。
「夢中になって身を乗り出したりして、落ちないように気をつけなさい」
 ハデスの横まで歩を進めたナ・ムチからの注意に「はーいっ」と元気よく返事が返ってきた。
 次にナ・ムチはハデスを見る。
「先ほど、スク・ナに武器を、と言っていたようですが」
 少々きつめの視線は、あきらかにおどしだ。たった2歳の差ではあるが、スク・ナの保護者を自称しているナ・ムチには、彼が武器を持つことに反対なのだろう。スリングショットは小さなころからパチンコで遊んでいたスク・ナにぴったりだと思って持たせた物だが、銃より殺傷力がないという理由からでもある。
「なに、心配するな」ナ・ムチが何を心配しているかを見抜いて、ハデスは言う。「そういう武器ではない。中・近距離用で、相手を無効化する物だ。スリングショットは威力はあるが、ツク・ヨ・ミ捕獲には役に立たんだろう」
「そうですか」
「なにしろ天才科学者ドクター・ハデスのつくる武器だからな! 武器にしてよし、護身用としてよし、なおかつ捕獲用としてもお役立ちの優れモノだ! まあおまえも楽しみに待っていろ!」
 まるでTVショッピングの謳い文句のようなことを口にして、ふははははははっ! と高笑いをすると、ハデスは船室へ続くドアを開き、降りて行った。沸いたインスピレーションに、さっそく手がけるつもりなのだろう。
 ナ・ムチはふうと息を吐くと柵に背を預ける。
 まさかコト・サカさまが殺されるとは。
(――キ・サカは、今度のことをどう受け止めたでしょうか)
 ふと、そんなことを思った。
 彼女は父親を誇りに思い、崇拝していた。その死は相当ショックだったはずだ。
 ツク・ヨ・ミが犯人でないことは分かっている。彼女はコト・サカをとても慕っていたし、人殺しができる女性じゃない。だがきっとキ・サカはそうは思わないだろう。彼女は昔から父親の愛を独占したがっていて、二分するツク・ヨ・ミを目の敵にしていた……。
(コト・サカさまを殺害した犯人は、おそらく――)
 そのとき、はっきりと剣げきと分かる音がして、ナ・ムチは音につられるように前甲板の方へ目を向けた。
 そこでは刀真がウァールに剣を教えている真っ最中だった。何を話しているかまでは聞こえなかったが、ひととおりかまえの基本を教え終えたあとの打ち合いで、刃と刃が当たる音が風に乗って小さく聞こえてきた。しかし、それよりずっと周囲に集まりだした者たちが上げる野次や笑い声の方が大きく、騒々しい。
 ウァールはいかにも動きが素人で、ナイフの扱いに苦労しているが、楽しそうだ。彼に剣を教えている青年に集中しながらも、ときどき野次に言い返している。
 ナ・ムチはウァールを覚えていた。
 ツク・ヨ・ミが連れてきた地上人だ。
『お願いよ。助けてほしいの。おじいちゃんの力になってくれたように、わたしの力になってほしいの』
(ツク・ヨ・ミ……)
「あいつは捕えないのか?」
 背後から、あきらかに彼に向けてと分かる声が飛んできて、ナ・ムチは下げてあった警戒の壁を引き上げてから振り向く。そこにいたのは千返 かつみ(ちがえ・かつみ)で、その後ろにはエドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)千返 ナオ(ちがえ・なお)の姿もあった。
 ナ・ムチたちに有無を言わせず捕らえられ、殺害までにおわされたのはつい昨日の出来事である。彼が警戒と敵意の混じった冷たい目でナ・ムチを見るのは当然だろう。
 そのことにナ・ムチとしては言い分がないわけでもなかったが、今はそれを口にする気も起きず、無表情でかつみを見返す。
 かつみは返答を待っていたのだけれど、ナ・ムチが何も返す様子がないのを見て、少々イラつきながらもさらに一歩踏み込んだ。
「あいつもおまえにとって邪魔者なんだろ。例のツク・ヨ・ミって少女と一緒にいたそうじゃないか」
 あのときはまったく意味が分からなかったが、あのあと、合流した仲間たちから大体の事情は聞かされていて、かつみも今ではナ・ムチがあのときした「逃亡した犯罪者を捕えて警備隊へ引き渡そうとしている」という返答が間違っていなかったことは知っている。手段はかなり乱暴だったけれども、それを邪魔しようとしたかつみたちが捕らわれたのも――だからといってエドゥアルトとナオの殺害をにおわされたことは絶対許せないが、あれを口にしたのはナ・ムチではなかったのだし――一定の理解はできた。
 理解できたからこそ、こうして話してみようと考えられたのだ。でなかったら、そういう危険なやつとして頭から切り捨てている。
 かつみとしては、ある意味加害者に弁明の機会を与えているようなものだった。だがナ・ムチは無表情で、あくまで会話をする意思はなさそうに見える。
「――黙ってないで、なんとか言えよ!」
「かつみ」
 声に苛立ちがにじみ、とげとげしくなったのを感じとって、後ろからエドゥアルトが自重を求めるようにそっと呼ぶ。
「人目がある。抑えろ。私たちは話をするために来たんだ。ケンカするためじゃない」
 意味ありげに目線が肩越しに横へ流れて、こちらへ駆け戻ってくるスク・ナの姿を捉えていた。どうやら風に乗って飛んできた言葉を耳にしたか、あるいはナ・ムチといる彼らを見るかして、不安に駆られたらしい。
「ナ・ムチ、どうかしたの?」
「なんでもありませんよ」
 かつみたちのことを覚えているスク・ナは、ちらちらと3人に警戒の視線を飛ばす。
 どうとでも考えればいいと言うように歩み寄りを見せないナ・ムチとエドゥアルトにいさめられながらもナ・ムチの態度に苛立ちを捨てきれないかつみ。抜け道がなく、両者の間の空間が緊張に張りつめたときだった。

「ま、待つのですわー!!」

 かわいらしい少女のあせりまくった声が右手の方で高くあがったと思った次の瞬間、ナ・ムチとかつみの間の空間に、ちまっこくてふわっふわの、ウサ耳ネコ耳をした大勢のミニっ子たちが「きゃーーーっ」と楽しそうに飛び込んできた。
「な、なんです!? これっ」
 驚くかつみやエドゥアルト、ナオたちを盾にするように、後ろに回り込んだり、よじのぼったりする。突然の出来事に目を丸くしているナオの背中をよじのぼって、肩口からひょこっとミニいこにゃが顔を出して、にゃあと鳴いた。
「うわっ!」
 反射的ビクッとなった肩からぽろっとミニいこにゃがこぼれて、そのまま落下しそうになるのをあわてて両手をお椀にして受け止める。甲板に頭から落ちずにすんでほっとしたとき。
「うちの子たちがご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ないですのっ……!」
 今まさに両手に乗せているミニキャラが巨大化したような少女イコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)がぱたぱた走り込んできて、あわてて頭を下げた。
 その両手にもミニいこにゃミニうさティーが握られていて、うさうさにゃあにゃあ上機嫌で鳴いている。
「今すぐ捕まえますからっ。
 さああなたたち、もう十分追いかけっこは堪能したんですから、戻――って、あなた!」
「あー、昨日の」
 ミニいこにゃとたわむれていたスク・ナが同時にイコナに気づいて、そろって声をあげた。
「あなたたちも弐ノ島へ行かれるんですの?」
 横のナ・ムチをちらと盗み見て言う。
 その後ろから、源 鉄心(みなもと・てっしん)ティー・ティー(てぃー・てぃー)が歩いてきた。
「捕まりましたか? イコナちゃん」
 にこにこと笑顔でティーがイコナに問いかけるが、当然ながらスク・ナやナ・ムチを含め、場の状況は大体把握しているという顔である。それは鉄心も同じだった。
「こんにちは、ナ・ムチさん、スク・ナさん。またお会いしましたね」
 親しげにナ・ムチに話しかけたあと、かつみたちにも視線を流して全員にあいさつをすると、鉄心はにこやかに提案した。
「後ろの甲板の方でいくらか席に空きがあります。そちらに場を移してはどうでしょう? ここだと往来の邪魔になりますので」



 大人数になってしまったので、テーブルを2つ寄せて全員席についたものの、だれが話の口火を切るか、そしてその内容は、と、まるで腹の探り合いのような沈黙が場に落ちていた。平然としているのは空気が読めないのか、無視しているのかのスク・ナと、鉄面皮のような無表情で一切内側を読ませないナ・ムチぐらいである。
 鉄心はまず軽い話題として、浮遊島での土産は何がいいかと訊くことにした。
「知り合いにも何人か酒好きがいますし、私はお酒でいい銘柄があればと思っているのですが」
「――おれはまだ16ですから、酒はたしなんだことはありません」
 どこか突き放すような感じで、それで終わるかと思いきや、ナ・ムチは「ですが」と続けて、伍ノ島の社交の場で耳にした大人たちの会話から、いくつかの酒蔵と銘柄を教えた。
「参ノ島太守のミツ・ハさまは無類の酒好きな方で、呼び寄せた職人たちに蔵を開かせています。そこでは特に八塩折之酒(やしおりのさけ)という銘酒が造られています。それなどがよろしいかと思います」
「そうか。ありがとう」
「私は、何かおいしいお菓子があるといいなと思っているのです!」
 次にティーが訊く。
「失敗しないで、ガッカリされないような。よく空港とか港とかの売店で売ってるような、いかにもお土産品っていう物じゃなくて、でもこちらの名産と分かるような」
「菓子ですか。おれは甘すぎる物は苦手で。甘味を抑えた物でよければ、香菓(かぐのこのみ)という干した果物を練り込んで作られた菓子などはどうでしょうか。少し値段は張りますが、島のデパートで手に入ります。手配をしておけば帰国の際に壱ノ島のホテルで受け取ることもできるでしょう」
 ナ・ムチは無駄口を開かず、自分から話をしようとはしないが、2人から質問されればきちんと返答をする。
(無視は俺の質問だけかよ)
 またも軽くイラっときているかつみの横で、エドゥアルトがナオに目線で合図を出した。
 前もって打ち合わせてあったのだろう、ナオは「分かりました」と言うように小さくうなずくと、ナ・ムチの横にいるスク・ナと視線を合わせ、少しためらうような間をとったあと切り出す。
「スク・ナさん」
「ん?」
「俺、あのあといろいろ考えたんですけど……スク・ナさんと少しでも仲良くなれたら、と思って……。歳も近いみたいだし。それで、壱ノ島で買ってきたお菓子とか、あるんです。向こうで一緒に食べながら、お話ししませんか」
「え? でも……」
 スク・ナはちらとナ・ムチを見上げる。ナオは早口で続けた。
「あ、知らない人から物もらっちゃダメですよね。俺も以前、かつみさんから言われました……。
 えっと、俺、千返ナオっていいます。歳は……この前12になりました」
「オレ14」
 おそらく先のナ・ムチの16発言と同様に、ほぼ全員内心「ええ?」と思ったに違いない。スク・ナはどう見ても12より上には見えない。実際言葉に出さないものの表情に現れているのが何人かいたが、自分が歳を言ったときの反応に慣れているスク・ナは気にしなかった。
「と、年上の方だったんですか……」
「なあナ・ムチ、いい?」
「ただお呼ばれするのも悪いですから、飲み物をきみが買ってお出ししなさい」
「うん、分かった。
 ナオ、行こーぜ」
 ぴょん、と椅子から飛び出しそのまま走って行こうとして、ふと思い出したように振り返る。
「イコナちゃんも行こう!」
「えっ?」
「行きましょう、イコナちゃん。誘ってくださってるんですから」
「そ、そうですわね」
 イコナも立ち上がって、待ってくれているスク・ナやナオの元へティーと一緒に歩いて行った。
「ティーおねーちゃんも来るの?」
「はい。この子たちに何か食べさせてあげないと、またあちこち散らばってご迷惑かけることになるかもしれませんから」
 にこにこ笑って、ティーは肩に乗っているミニうさティーたちを指さした。
 そのやりとりにイコナはちょっと引っかかるものを感じる。
「……わたくしは「ちゃん」で、ティーは「おねえさん」ですの」
 わたくしの方がはるかに年上ですのに。
 外見で判断してそう言っているのだというのは分かっても、なんだかちょっと釈然としない。
 考えていると、スク・ナがその手をとって引っ張った。
「ほら! ここで立ち止まってないで、さっさと行こう!」
「わっ、分かりました! 分かりましたから、そんなに引っ張らないでくださいですのーっ」
 ぐいぐい引っ張って、笑って走って行くスク・ナたちをかつみや鉄心、ナ・ムチたちは見送った。
「さて、ナ・ムチさん」
 鉄心の切り出しに、きたか、とナ・ムチは内心身構える。
「なんでしょうか」
 彼らがこの先の会話をスク・ナには聞かせない配慮をしてくれたのは分かっていた。それはありがたかったが、ナ・ムチには何も話す気はない。
 すべては身内のことであり、重犯罪者のヒノ・コと通じていたなどと、その嫌疑をかけられただけで致命的な醜聞になり得るからだ。
 内心身構えたナ・ムチに、しかし鉄心は思いがけないことを口にした。
「……そう警戒しなくとも、話したくないことであれば無理に聞こうとは思ってませんよ」
 そして苦笑する。
「私たちはまだまだこの浮遊島群について何も知りません。こちらに悪意がなくても結果として薮蛇になったり余計な世話ということはいくらもあるでしょうし、国の保安に関わるような秘密などは他所者が興味本位で首を突っ込んで良い領域ではないでしょうから。
 ただ、今度の観光客受け入れでは、それなりの数のコントラクターが入ってきてるようですし、どうなるやら…」
「コントラクター?」
 聞きなれない言葉にナ・ムチは思わず訊き返していた。
「地球からやってきて、このパラミタの人たちと契約をした者たちのことです。
 全体的にフリーダムと言うか、法や常識に縛られない者も多いので、先ほど言ったように、ここのきまりが分からないまま動いて、わりと騒動や混乱を助長してしまうケースも少なくないかもしれません。
 しかし、お節介な方も多いかもしれませんが、逆境にもたくましいと言うか、世話好きで、味方にすればこれほど頼もしい者はいないと思いますよ」
 そう言う鉄心自身、そのうちの1人なのだが、終始他人事のように話すと、それとなくかつみやエドゥアルトに視線を向けた。
 彼らもそうだと、暗にナ・ムチに伝えているのだろう。
 間を置いたが、しかしナ・ムチはやはり口を開く様子を見せなかった。少し視線がテーブルに落ちたところを見ると、一考してはいるように見える。
「まぁ、何かあれば相談くらいには乗りますよ。どれだけ賢い人間であっても、常に正しい判断を下せるとは限らないのですから」
「――何も、相談することはありません」
 本当に何も言う気がないのでは、と思われるくらい時を置いて、ナ・ムチはゆっくりと話し始めた。
「ツク・ヨ・ミが逃亡犯であるのは、今ではあなたたちもご存じでしょう。おれたちは彼女を捕まえて、元の場所に戻したいと思っているだけです」
「でもそれはなにも、あなたがすることではないのでは? 島の警備を担当されているキンシたちに任せておけばよいのではないでしょうか」
「……ツク・ヨ・ミを捜しているのはおれたちだけではありません」
「ああ。彼女には賞金がかかっていると言っていましたね」
「彼女はあのヒノ・コの孫です。それだけで人々の恨みを買うには十分です。だからこそ、監獄島へも送られず、太守の館にあるはなれに住むことを特別に許されていたのですから。なかには手足を失っても生きていればいい、と考える輩もいます。
 まだおれたちは紳士的な方です。なるべくけがをさせずに捕えようとしているのですから」
「……エドゥたちのことは殺そうとしたくせにか?」
 我慢できず、かつみは口にした。かつみがどうしても引っかかっている、ナ・ムチを許せない点はそこだった。
「するわけがないでしょう。あれはただのおどしです。なぜ犯罪者を捕える者がその過程で犯罪を犯さないといけないんですか。
 あのとき、あの者たちは「おどしはしても決してほかの者に危害を加えない」と確約したから手を借りただけです。有効そうな策でしたからね。
 もし首尾よくツク・ヨ・ミを捕えることができていたら、2人は眠らせてあそこへ残していく算段でした」
 しかしそうはならず、ツク・ヨ・ミを捕えることはできなかった。
 逃げた彼女を追って行った先で、どうにかこの起動キーだけは取り戻すことができたが……。
『もしかして、ナ・ムチ……? あなた、ナ・ムチね?』
 テーブルの下でそっと取り出した起動キーに、あのときのツク・ヨ・ミの姿が重なる。
 まさか彼女が覚えているとは思わなかった。あれはもう10年も前で、当時自分たちは言葉さえかわさなかったのに。
 だがたとえ彼女でも、これだけは許さない。
 橋を架けるのにふさわしい者はヒノ・コでもツク・ヨ・ミでもない。
 それは人生を捨ててまでヒノ・コを守り、支え、援助してきた祖母だ。



 そのとき、ナ・ムチの表情がわずかに変化したのを感じ取れたのは、別テーブルを囲っていたスク・ナだけだった。
「何か考え込まれているのですか?」
 スク・ナの食べる速度が落ちたのを見て、ティーが下から覗き込むようにして問う。
「悩み事でもあるのですか? よかったら私たちに話してみませんか? 私たちも、まだスク・ナさんのために何ができるか分かりませんけど、でも、お友達のお話を聞いたりするくらいはできるのですよ」
 やさしいティーの問いかけはスク・ナの心を動かしたか、もそもそ食べながら、スク・ナはいつになく真面目な声で話した。
「……オレ、さ。ほんとは、ツク・ヨ・ミを捕えるのなんか、どうでもいいんだ」
 突然の爆弾発言に、イコナとナオはそろって固まる。
 菓子をつまもうとしていた手を引き戻し、居住まいを正すとイコナはスク・ナを正面に見た。
「懸賞金が、ほしいんじゃ、なかったんですの……?」
 それまでじっと見つめていたナ・ムチから目線をはずして、スク・ナは1口サイズの菓子をぱくぱく口のなかに放り込む。
「うん。そおゆーの、何だっけ? えーと、濡れ……濡れ手にコメ?」
「粟ですの」
「それかな? んーと、母ちゃんたち、ほかにも難しいことよく言ってたんだよなあ。イッカクセンキンは駄目だとか、地道が一番とか、ケンジツに一歩ずつ、とか、あく……あくせ……」
「悪銭?」
「それ。悪銭は身につかないから、とか。漁師は雲海で魚を獲って、それで生活するもんだ、それが身の丈に合った暮らしというもので、食べて寝る所があればいいんだよ、っていつも言ってる」
「じゃあどうして……昨日、あんなことをしたんですか?」
 どこか毒気を抜かれた気分でナオは訊いた。後ろからいきなり鈍器で殴られたとしても、これほど驚くかどうか……。
「ああ言わないと、ナ・ムチ、絶対オレを連れてってくれないと思ったから。
 ナ・ムチさあ、港へ向かってたんだよね。ツク・ヨ・ミが逃亡の際に地上へ降りたらしいのはうわさになってたし、上がってくるとしたら、えーと、レシェフってとこからの船で壱ノ島にでしょ? あのときナ・ムチは壱ノ島へ行こうとしてたんだと思う」
「ナ・ムチさんは、どうしてそんなことをしようとしたんですの? やっぱり捕えるためですの?」
「伍ノ島にいてツク・ヨ・ミが会いに来るの待ってるより、壱ノ島へ自分が行った方が早いじゃん」
「ちょ、ちょっと待って! ……ちょっと待ってください……ちょっと待って……」
 理解が追いつかない。
 ナオは混乱しかけた頭で手を振ってスク・ナたちの会話を止めると、あらためて昨日のことやさっきのスク・ナの言葉の意味について頭のなかを整理してみた。
「どうしてナ・ムチさんが会いに行くんですか? ツク・ヨ・ミさんは重犯罪者のお孫さんで、ずっとご両親と一緒に軟禁されていたんでしょう?」
「うん。コト・サカさまの館のはなれでね」
 そしてスク・ナは飲み終えたジュースをテーブルに置いて、眉をひそめた。
「あのさ、これから話すこと、オレが言ってたってナ・ムチに言わないでね? ほとんどオレの想像だし、はずれてたら恥ずかしいもん。ナ・ムチのやつ、絶対怒るから」
「ええ」
「分かりました」
 イコナが無言でうなずいたのを見て、3人がはっきり約束してくれたのを確認すると、スク・ナはうなずき、話を続けた。
「ナ・ムチは親戚連中のなかで一番のコト・サカさまのお気に入りで、もう何年も家族同然にあの館に出入りしてるんだ。ほかの人たちは、両親がいなくて小さなころからおばあさんと暮らしてるナ・ムチはきっとコト・サカさまを父親のように慕ってるからだとか、娘のキ・サカに会いに行ってるんだ、とかいろいろ言ってたけど、でもオレ、ナ・ムチはツク・ヨ・ミに会いに行ってたんじゃないかなー? って思ってる」
「ええ!?」
「だって、キ・サカのこと、ナ・ムチは全然好きじゃないんだもん。勝手にナ・ムチのこと、恋人だー婚約者だーって言ってくっついてって。ばっかみてぇ。げーっ、だ」
 吐く真似をして、スク・ナは本当に嫌そうに顔をしかめて見せた。
「それでもナ・ムチがなんにも言わないでご機嫌とってたのは、やっぱり館へ行くためだったんじゃないかなぁ」
「……でも、網で捕まえるなんてあんな乱暴なことしていたのに、ナ・ムチさんは何も言わなかったんでしょう?」
「うん。だからオレもよく分かんない。ああいうこと言ってたらオレのこと止めようとしたり、いろいろ話してくれるかな? とか思ってたんだけど、全然だったし。
 ……それとも、やっぱりオレの考え違いだったのかな。ナ・ムチが港へ向かってたと思ったのはオレの勘違いで、ナ・ムチはツク・ヨ・ミを捕まえたいって言ったオレにつきあってくれてるのかも。
 オレ、ばかだからよく分かんないや」
 にぱっ、とあかるく笑うスク・ナに、すかさずイコナが言い返す。
「スク・ナさんはおばかさんじゃないですの! 素直ないい子というだけですの!」
「ぅ、うん……」
 剣幕に押されるように後ろへ背をそらしたあと。スク・ナは本当に怒っているらしいイコナを見て、ますますうれしそうに笑う。
「笑いごとじゃないんですの! 自分でそんなことを言ってはいけないのですわ!」
「うん。ありがと」
 うなずきながらも、やっぱりうれしそうに笑って。
 笑顔のまま、3人に言った。
「だからね、オレ、ナ・ムチとツク・ヨ・ミを会わせてあげたいんだ。ツク・ヨ・ミがだれかに捕まる前に」
 ツク・ヨ・ミが捕まるのは間違いなかった。天津罪刑に処されている者に島の者はまず手を貸さない。そうなると、逃げ続けるにも限界がある。
 どうせだれかが捕まえるのだ、それならオレが捕まえて、伍ノ島へ連れ戻すにしてもその前にナ・ムチに会わせてあげたい――そういったことを、スク・ナは言う。
 イコナやティーは同情的にスク・ナを見て、あれこれ話しかけていたが、ナオは昨日のナ・ムチの冷酷な一面を思い出していた。
 スク・ナが嘘をついているようには見えない。きっとスク・ナは本当にそう信じているのだろう。昔からナ・ムチを知っている彼だから、それも正しいのだろうが、本当にそれだけだろうか? 彼にはスク・ナが知らない何かがあるんじゃないか。そう疑問に思わずにいられなかった。