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【蒼空に架ける橋】第2話 愛された記憶

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【蒼空に架ける橋】第2話 愛された記憶

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■第16章


 ホテルのフロントでチェックアウトをすませ、そのままロビーを横切って出発しようとしていたJJとパルジファルは、ソファから立ち上がり、あきらかに2人を目指して近づいてくる人影に気づいて立ち止まった。
「おはようございます、JJさんにバルジさん」
 かなり緊張した面持ちのフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)がJJの前で足を止める。
「早朝よりお部屋をお訪ねするのもどうかと思いました故、こちらで待たせていただきました」
「……おはよう」
 気負い、緊張するあまりテンションが上がりまくっているフレンディスとは対照的に、無表情、無感情な声でJJが応じる。
 フレンディスは30分も前からここに待機していて、口のなかで繰り返しずっとつぶやいていたセリフを一気にまくしたてた。
「おふたりをお待ちしていましたのには訳がございまして! まことに勝手ながら、おふたりに1つお願いがございます。私、僭越ながらこの度の任務のお手伝いを致したく……私は忍者さんであり賞金稼ぎさんではありませぬが、互いに似て異なるお仕事、学ぶべき事もありますし」
 JJの反応をうかがうようにそこで一度言葉を切ったが、JJは変わらず無表情で、何も口にする様子は見せない。だがフレンディスを無視して横をすり抜けようともせず、フレンディスと視線を合わせたままだ。
「あ! 無論私の我が儘故、報酬は結構です! 寧ろ勉強代をお支払い致したく――」
「……そんなもの、いらないわ」
「あ……あの……。えぇと……、と、とにかく足手纏いにはなりませぬので! 実力を認めて頂く必要が御座いましたら、お手合わせも致します!! お願いします!!」
 ぶんっと音がしそうなくらいの勢いで頭を下げる。
 そんなフレンディスを見て、ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)はソファの背もたれから身を起こし、はーっと息を吐き出した。フレンディスがあの女性に一生懸命なのは分かるが、はたしてそれでいいのか? という気がしないでもない。そうして捕まえる相手は、どうやらほかのコントラクターたちが守ろうとしている少女――
「――っと」
 そのとき、腕時計型携帯電話がブルブルっと震えた。送信者はだ。
 その名前を見た瞬間、いやな予感がした。
『ベルク』
 声を聞いて、さらにそれが強まった。
「陣か。あー……ちょいタンマ。厭な予感すっから念のため、ワン公にこの会話を傍受されねぇようにする。話を聴くのはそのあとだ。
 というわけで、ワン公」
「――は? なんです? エロ吸血鬼」
 ソファに転がりノートパソコン−POCHI−を操作していた忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)が不機嫌そうな声で振り返る。
「ちょっくら情報錯乱頼むわ」
「はあ? なんでこんなとこで――」
 おもむろにベルクが取り出した『ほねっぽん』に目が釘付けになり、ポチの助はそれ以上続けることができなくなってしまった。
「し、仕方ありませんね」
 こほ、と空咳をして請け負う。しかし体裁が整えたのはそこまでで、ポチの助はいともたやすくベルクがポイッと投げた『ほねっぽん』に、目をハートマークにしながら飛びついたのだった。
「これでよし、と。
 待たせたな。で、何の用だ?」
『おまえ、今日伍ノ島太守の館へ行くって言ってたろ?』
「あー、俺っつーかフレイがな。それがどうした」
『あれ、まだ変わってないか?』
「まぁな。ほぼ行くのが確定したみたいだ」
 フレンディスの方に視線を戻して、JJと話している表情が明るいところから察しをつけた。どうやら同行の許可をもらえたらしい。
『じゃあちょっと頼みたいことがあるんだが――』
 電話の向こうの陣が格段に声をひそめる。聞き取りづらいなと位置を調節したベルクは、次の瞬間目をむいて叫んでいた。
「なんだと!?」



(ったく。無茶言いやがるぜ、あいつ)
 伍ノ島太守の館の待合室でベルクはまたもや今朝方の陣とのやりとりを思い出し、フンとソファの上で腕を組む。
 よりによって、この館の見取り図や警備についての情報を流せとは。
(俺たちにスパイさせて犯罪の片棒担がせるつもりか)
 ただでさえ、ここの主人は昨日殺害されたばかりだ。その犯人が捕まっていない今の状況でそんなことをしたと発覚すれば、ベルクたちこそその犯人、あるいは共犯者とみなされるに決まっている。つまりはフレンディスも。
『たとえそうなってもおまえたちを巻き込んだりしない』
 と陣は言ったが……。
(どう考えても巻き込まれるに決まってるだろ! てめぇの知り合いでここ入ったの、俺たちしかいねーじゃねーか! 調査らしい調査しなくても即容疑者扱いされるわ!)
 もちろんベルクとしては何がなんでもシラを切りとおすつもりだが、この島の統治者の殺害容疑だ、それですむとは到底思えなかった。
 ここは他国だ。シャンバラの法は通用しないし、ハイナに連絡をとれば動いてくれるかもしれないが、要人殺害の嫌疑となればそれもどこまで通用するか……。
 おかげで朝から胃が痛みっぱなしである。愛用の胃薬をガブ飲みしているが、今回ばかりは効いている気がしない。
 おかげで普段以上に口数少なく、顔色も悪かったのだが、フレンディスの意識はJJ1人に集中していて、彼女に認めてもらおうと必死なあまり、ベルクの不調にはまったく気付けていなかった。
 それはそれで恋人としてはかなり複雑だが、まあ、今回はそれでいい。
「……おいバカ犬、まだか?」
 室内が静かなのも耳に痛く感じるほど緊張して、イライラと落ち着きなく足を組み替えながらこそっとポチの助に催促する。
「急いては事を仕損じるのですよ。エロ吸血鬼は黙ってそこでアホのようにふんぞり返って待っていればいいんです」
 ノパソの液晶画面から目を離さず。打キーの速度も緩めず、ポチの助は答えた。
 口の脇からは、報酬の前渡し分として受け取った『ほねっぽん』が飛び出していて、声が少しもごもごしている。
「何十分かけてんだ。たかが図面引っ張り出すのに遅すぎだろ」
「島のシステムが地上とは違うというのを頭に入れてないんですね」
 これだからエロ吸血鬼は、という言葉を視線にこめて、チラと一瞬だけベルクに視線を投げる。
「それに、直接抜いたらバレますよ。
 島のシステムには入れました。今、いくつかここと関連の深い所を回って、そこのにおいをペタペタ貼りつけて偽装してるとこです。ここの防衛システムに侵入するのはこの爪先の跡も分からないように完璧に汚してからですよ」
「犬特有のマーキングか」
「失礼な! マーキングとは違います! 僕が今しているのはそれと正反対の――ああ、出ました」
 ピーと最小音量で鳴って、黒かった画面に線画が現れ始める。
「これに今日の警備の人たちの位置とルートを重ねて、と。全員色分けした方がいいんですよね? それとも時間帯で色を分けた方がいいですか?」
 問われても、陣が何をするつもりかあえて訊かなかったベルクには判断のしようがない。だが陣に連絡をとっている暇はないだろうし。
「……時間帯で分けてくれ」
「了解、と。ハイ、転送完了」
 エンターキーを押して画面をとじる。
「フフフ。この程度のことなど、超(略)忍犬の僕にかかれば朝飯前。まあたしかにはなれの方の図面を引き出すのに若干手間取りましたが、もし僕でなければ1日2日はかかったでしょうね。
 でもこれ、何に使うんです? もし侵入とかでしたなら、これだと全然中途半端――」
「よくやった」
 ほらよ、と残りの報酬『ほねっぽん』を投げられた瞬間、ポチの助の頭から疑問はきれいさっぱり消えた。シッポをちぎれんばかりに振りながら『ほねっぽん』にむしゃぶりつく。
 これでようやっと肩の荷が下りたと、精神的に疲れ切ってソファに背中を預けたベルクは、ふと向かいの壁にかかった時計を見てつぶやいた。
「にしても、本当に遅いな……。一体何十分待たせるつもりだ?」




 伍ノ島太守の館は閑静な郊外の高台にあった。
 黒い鉄柵に囲まれた広大な敷地には前庭、中庭、裏庭があり、5階建ての館は中央の本館のほか、翼を思わせるシンメトリーで西と東の2棟に分かれている。2つの館はそれぞれ本館に1階と3階の渡り廊下でつながっていて、西の棟だけ廊下のどちら側にも扉があり、鍵がかかっているのが常だった。
 館で生活する者は完全に分かれている。本館と東には太守の家族とそれに仕える家政婦たちが住み、西にはヒノ・コとその娘夫婦を見張る武装した数十名の警備員と数名の世話係が住んでいる。
 本館と東の棟は活気にあふれ、西の棟は冷たい秩序立った静寂に支配されているのが通常だったが、その日は違った。太守コト・サカの悲報が届いた瞬間から、館内は西も東もなく嵐のただなかにいるかのような衝撃に包まれていた。館に雷が直撃したとしても、ここまでにはならなかっただろう。
 コト・サカが死んだ。
『クク・ノ・チの発案でね、地上人たちの第1便を太守全員で出迎えようということになったんだ。そうすればどれだけ今度の国交回復をわたしたちがうれしく思っているか、また大切に考えているかがひと目で彼ら全員に伝わるだろうから、と。なかなか粋なことを思いついたものだ。
 ちょっと壱ノ島まで行ってくるよ。なに、すぐ戻る。みんな、それまで娘のことをよろしく頼んだよ』
 7000年ぶりの地上人か……どんな者たちかな、と楽しそうに言って、自ら車イスを動かして。出かけていったのはまだほんの数日前で、見送っただれの目にもそのときのコト・サカの姿が焼きついている。
 ほがらかで、やさしい気質のおちついた男性だった。何十年来の友達、館に仕える者のだれも、彼が声を荒げるのを聞いたことがない。いつもにこにこと笑って、家族を大切にし、目立つことを好まず、堅実に生きてきた。趣味は園芸。自室から見える庭で薔薇を育て、もっぱら庭師を話し相手に品種改良について研究していたという。
 敵をつくらず、みんなから愛される太守だった。
 そんな彼を、だれが殺すというのか?

「ツク・ヨ・ミ!! あの恩知らずの小娘!!」

 キ・サカは泣きながら、声の限りに叫んだ。目についた花瓶を掴み、壁にたたきつける。
「ひっ……!」
 壁際に控えていたメイドが飛んできた破片に思わず手でかばう。
「キ・サカお嬢さま、どうかお鎮まりください……!」
 別のメイドが神に祈るように手をあわせてお願いするが、キ・サカの耳に入っている様子はなかった。
 ヒステリーを起こしたキ・サカによって、部屋はまるで内側で台風が吹き荒れたような惨憺たるありさまである。陶器製の物はすべて割れて転がり、本は破れて散乱し、水差しや花瓶の水で床はびしょ濡れ。しかしそれでもキ・サカの怒り、悲しみは治まらない。
 目につくもの、手に触れる物があれば、すべてたたきつけた。
「どうして!? どうしてお父さまにそんなことができたの!? あんなに良くしてもらいながら……!」
 答えを求めるかのように、怒りに燃えた目でメイドをにらむ。
 鬼のごとき形相の彼女の怒りに震えあがり、メイドはガタガタ震えながら必死に答えた。
「わ、わたくしにも分かりません、お嬢さま……。コト・サカさまは日ごろから、ツク・ヨ・ミさまをご自分の娘のようにかわいがられて――」
「あ、ばかっ」
 脇から小さな声で別のメイドが口走るも、もう遅い。それを聞いたキ・サカは烈火のごとく怒りを増大させ、叫んだ。
「お父さまの娘はあたしだけよ!! あんな犯罪者と一緒にしないで!!」
「ひいっ! 申し訳ございませんーーーっ!」
 飛んできた皿に、メイドは頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。壁に当たって割れた皿の破片がパラパラと降ってくる。
 直後、カチャッとドアノブが回る音がして、ここで一番年長のメイド長が入ってきた。彼女は、キ・サカを怖がってしゃがみ込んだまま泣き出しているメイドを見下ろし、次にその目を部屋の中央で怒りに震えているキ・サカへ向けて、おもむろに告げた。
「お嬢さま、お気持ちは分かりますが、お心をお鎮めになってください。この館の今の主はお嬢さまなのです。いいえ、コト・サカさまがお亡くなりになられた今では、唯一の主です。そのお嬢さまがこんなにも取り乱していては、館の者はどうすればいいでしょう」
「何を言うの! お父さまは――」
「お亡くなりになりました。どうかお認めください。そして、一刻も早く元のお嬢さまにお戻りください。お嬢さまを訪ねてこられた方々が東の棟でお待ちになっていらっしゃいます。コト・サカさまとご交友のありました、島の有力な方々です。本当に親しかったご友人方は落ち着いたあとにとご配慮いただけているようですが。
 お嬢さまは次の太守として、これから何日も、何十人ものご弔問を受けることになります。その方々にそのような乱れた頼りないお姿をお見せするつもりですか?」
 毅然としたメイド長の言葉を聞くうちに、だんだんキ・サカの怒りは鎮まっていったようだった。先までの猛烈な怒りの反動がきたのか、がくりと両肩が落ち、手から力が抜けて、掴んでいた人形が床に転がる。そしてかわりに、今度はおびえきった表情が浮かんだ。
「だめよ……あ、会えないわ……無理よ、そんなの……」
「お客さま方にはもう少しお待ちいただくか、日をあらためて出直していただけないか訊いてみましょう。お嬢さまはできるだけ早く気持ちを落ち着けになり、お支度をなさってください。
 おまえたち、何をしているの。いつまでもそんなところで固まっていないで、洗面器に氷水を張って持ってきなさい。わたくしたちのお嬢さまをあのようなお姿で人前に立たせるつもりですか?」
 メイド長はすがるように伸ばされた手を、視線で突き放すように見ると一礼し、最後に部屋つきのメイドたちを厳しく叱責してから部屋を出て行った。
 残された2人のメイドは、またキ・サカの怒りが再燃するのではないかとびくびくしながらも1人は浴室へ飛び込み、1人はワードローブにとびついて、あたふたと準備を始める。
「…………ナ・ムチ、どこにいるの……? あたし怖い……。ここにきて、あたしを抱き締めて……」
 震える口元に両手をあて、ぎゅっと目をつぶる。ひりひりと痛むほおを涙が伝って足元に落ちた。