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【蒼空に架ける橋】第3話 忘れられない約束

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【蒼空に架ける橋】第3話 忘れられない約束

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 ヨモツヒラサカは一条の光もなく、ひんやりとしていた。
 空気は乾いて埃っぽく、なんとも言えないさまざまなものが入り混じったひどい悪臭もしていたけれど、これは7000年間閉ざされていたからだろう。扉は開いているのでそこから新しい空気と換気されているはずだが、入れ替わるには時間がかかる。
「なんだか階段がぬるぬるしてるように感じるのは、僕の気のせい?」
 光術で光の玉を打ち上げて周囲を照らしているティエンが、ぽつっとつぶやいた。
 周囲は耳が痛いほど静まりかえっている上、反響して、小さな声で十分みんなの耳に届く。答えたのは義仲だった。
「いや、ぬめってるな。それに、中央がすり減っている」
「うん。昔、ここをたくさんの人が往復してたって証拠? かな?」
「かもしれん」
 ここはもともとは神殿だったのだから、それもあり得る話だった。しかし微妙なすり鉢状ですり減っている階段は、人の足がつけたというよりも、何か巨体が這ったあとのように見える。
「2人とも、足元に注意してすべらないようにしろよ。こりゃヘタすると一番下まですべり台状態になるぞ」
 陣の注意に「はーい」と2人の返事が重なった。
 その後ろで、グラキエスがぽつっとつぶやく。
「……やはりどうも俺には、彼はうさんくさく思える」
「彼とは?」
 すぐとなりを歩いていたエルデネスト・ヴァッサゴー(えるでねすと・う゛ぁっさごー)が聞きつけて問いを返す。
 帰路のことを考えてマッピングしていた手を一時止めて、グラキエスを見た。
「あのご老人ですか?」
 ヒノ・コは外見上は老人には見えなかった。たしかに50代にも見えるし、それは初老と言えるかもしれないが、中肉高背の均整の取れた体つきやまっすぐ伸びた背筋などに老いは感じない。しかし、半分垂れた重そうなまぶたの奥の目の暗さや、何もかもを包んで隠すような無表情の笑みは、彼の長すぎる人生における途方もない疲れと老いを見る者に感じさせるのだった。
「……僕、そんなことないと思うな……」
 反対意見を唱えることに遠慮がちにぽつっと、しかしはっきりと、ティエンは自分の意見を口にする。
「おじいちゃん、眉の色、薄茶色だったよ? 気づいた? もともとはあんな真っ白な髪じゃなかったんだ。大罪人だって言われてたっていうけど、それってきっと、髪の毛が真っ白になるくらい、つらい事だったんだよ……」
 もちろん、かつてつらい経験をしたからいい人、とは言い切れない。それはイコールでつながらないし、それで異常をきたしおかしくなった人はいくらもいる。だけどあんなふうに優しい声で自分にほほ笑みかけてくれた人を、悪くとりたくはなかった。
(こいつは性善説で人を見るきらいがあるからな)
 それがティエンのいいところでもあるし、それによって最善の結果につながったこともある、と陣は何も言わなかった。
 そしてグラキエスにはグラキエスなりの判断に至った考えがある。
「彼はマフツノカガミが必要だと言った。そして肆ノ島太守に渡すなと。
 では彼はそのカガミを何に用いるつもりなんだ? どうして必要としている?」
「ああ、なるほど」
「大丈夫です、主よ!」
 周囲に反響するくらい、声を張ったのはアウレウス・アルゲンテウス(あうれうす・あるげんてうす)だ。
「あなたがご心配するにおよびません! 何が起きようともこの俺が、あなたを完璧に守ってみせます! たとえこの命を引き換えにしようとも!」
「……いや、そうじゃなくて」
 彼らしい、いつもながらの暑苦しいまでの病的な忠誠心に、グラキエスは苦笑しつつ語尾を濁す。
 アウレウスの返答はある意味正しい。たとえヒノ・コの策略に巻き込まれていたとしても、グラキエスが命の危険を感じる必要はないのだと言っているのだから。
「グラキエスさまがご懸念なさっていらっしゃるのは、この巻き込まれた道の先がオオワタツミにつながっているのではないか、ということでしょう。カガミはかつてオオワタツミを封じるために用いられた神器ですから」
「……ということは、龍の化け物とあいまみえることになるのでしょうか。それは一考の余地がありますね」
 エルデネスト・ヴァッサゴー(えるでねすと・う゛ぁっさごー)の言葉に、ぼんやりとした無表情と無気力な声ながらも枝々咲 色花(ししざき・しきか)はふむりと考え込む様子を見せる。
「おいおい。考えたってしゃーねえだろ。相手はこの浮遊島群を雲海で囲って、しかも魔物もバンバン従えてるようなやからだぜ? 俺ら人間とはスケールが違ぇよ。そういうときは逃げの一手に限るって」
 考える必要なんかなし。八草 唐(やぐさ・から)をちらと見て、色花はこくっとうなずいた。
「そうですね。ではもしものときは、天照から借りてきたこのアイテム……『奇跡のダンボール』、これの出番です!」
 めずらしく、キリッとした表情で色花が取り出したダンボールを見た瞬間、唐はバコーンとそれをはたき落とした。
「ああ、せっかくの奥の手が。何をするんです、八草」
「おまえ、それ本気で言ってんの……?」
 冗談だよね? 冗談と言え、という意味を過分に込めて、唐はずいっと身を乗り出して無言の圧をかける。しかし色花はどこ吹く風で、足元に落ちたダンボールを拾い上げ、ついた汚れをパッパッと手で払うしぐさをした。
「八草。あなたはまだこのダンボールの持つすごさを理解していないようですね。これは手触りはもちろん、強度、使い心地はダンボールのなかでも最高級と、あの吹雪も唸らせるほどの逸品なのですよ? 天照の栽培した完全無農薬の木材を用いて作られたクラフトパルプで作られていて、いざというときは黄金色に輝き、そしてその黄金の輝きは邪悪を払うとまで言われていて――」
「あー、はいはい」
(いざとなったらこのアホをおとりにして逃げよう)
 そう思い、唐は背中を向けた。
「そんな態度だと、いざというとき「入れて」と泣きついてきても入れてあげませんよ、八草」
 背中を向けてさっさと歩いて行く唐に、嘆息をついたときだった。
 殺気看破で周囲の警戒を怠らなかったアウレウスが真っ先に異変に気づき、色花の背後の闇へスカージを飛ばす。光はそこにいた物にぶつかって、四方に弾け散る一瞬、焼けただれたような肌と棒切れのような手足を持ち、異様に膨らんだ下腹を持つ奇怪な化け物を皆の眼前にさらけ出した。
 化け物は、まさか光を受けるとは思わなかったのか「ギャア!」としわがれた老婆のような悲鳴を上げ、あわてて暗がりへ四つん這いで逃げ込んでいく。
「なんだ? あれは……」
 だれもが息を飲むなか。
「全員戦闘体勢をとれ!」アウレウスが咆哮する。「囲まれているぞ」
 ギリ、と奥歯を噛む。彼の言葉どおり、光術の届かない闇のなかで、ざわりと複数の何かがうごめく気配が起きた。




 同刻。
 先行する彼らよりかなり後方の闇のなかで、やはりヒダルという名の餓鬼と戦っている者たちがいた。
 足場の悪さを気にかけながらも、剣士らしい動きで身軽にシュトラールをふるうティアン・メイ(てぃあん・めい)。水晶の剣は彼女がふるうたび、エナジーコンセントレーションで光らせている右腕の光を反射させ、まるで内側から光を放っているようなきらめきの筋をうす闇に走らせる。そしてまるで紙でも斬るようにやすやすとヒダルたちを一刀両断していたが、ヒダルたちは仲間が斬られているのを見ても警戒する様子も見せず、闇雲に彼女めがけ飛びかかってきていた。
 1体1体は弱く、攻撃も単調で、敵というより虫のようだと思った。力ないものは群れで対抗し、他を圧倒しようとする。まさにその典型のようだ。
「わずらわしいな」
 まとわりつくハエを見るような目を向けた高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)は、マジックブラストが弾いた1体の頭を爆炎掌で掴み、燃え上がらせる。
 ギャアギャア悲鳴を上げて掴んだ手をはずさせようと必死に暴れるヒダルを見て、面白くなさそうにフンと鼻を鳴らすと、壁一面を這って飛びかかる機会をうかがっているうちの1体へと投げつけた。
 燃える火の明るさを忌避するように、その一瞬だけヒダルはパッと散る。そして燃えたヒダルが壁にぶつかって落ちたあと、再びカサカサと音をたててその空間を埋め、玄秀を見つめてよだれを垂らした。
「キリがないわね。シュウ、下がって」
 ティアンは小分けにして持ってきていた袋の口を開け、なかに詰まっていた干し肉を1か所に撒く。そして鼻をひくつかせたヒダルが生ゴミに群がるゴキブリのように大挙して押し寄せてきたところですばやくその場から飛びずさり、夢中になって食べている後ろからライトブリンガーで斬り捨てていった。
「始末はついた。行くぞ、ティア」
 玄秀は、彼らには何も――嫌悪を感じるほどにすらも興味が持てないといった様子で階段を下りていく。
 その姿にティアンは眉をひそめた。
「まだ思い切れないでいるの? たしかに本来の目的は達しなかったけれど人助けはした、それでいいじゃない」
「あいにく僕は慈善家じゃないんでね。そういうのは有り余るほど持ち合わせているやつに譲るよ。そういう手合いはいくらもいる。僕まで末席に加わる必要はない」
「機嫌が悪いのね」
 やれやれと、あからさまに息を吐くティアンに玄秀は答えなかった。
 機嫌が悪いのはたしかだが……その後ろ姿に、話すのは今しかないような気がした。ティアンは一度ためらい、けれど勇気を出して、あのときは言えなかった言葉をかける。
「シュウ、もうこんなことは終わりにしない?」
 その言葉、というよりも、声に含まれた感情に、玄秀は足を止める。
「――何をばかなことを」
「あなたの考えていることくらい分かるわ。あなたが今さら生き方を変えられないと思っていることも。たしかにあなたのしてきたことのなかには、取り返しのつかないこともいくつかあったと思う。それをされた人のなかには、今さらあなたが生き方を変えるなど傲慢だと思い、幸せになることなど許せないと思う人もいるかもしれない。それでも……私は、幸せになってほしいと思う。そのために私はここにいるのよ。
 あなたを一番近くで、一番見つめてきたのは私よ。ほかのだれでもなく、彼らでもない。本当のあなたをだれよりも分かってる。
 あなたも本当は気づいているんでしょう? 賢い人だもの。今のあなた、迷っているわ。私と会ったころには迷いなんかなかった。それがあなたにとっての『普通』だったもの。
 あなたは信じていたわね、失うものがなければ、迷い、恐れることもない。あのころのあなたには、それが真実だった。でも、今は迷っている」
 さあ、言うのよティアン。
 ティアンは己を叱咤し、すうっと息を吸い込んだ。
「あの日……ううん。あれは夢だったかもしれないけれど、でもあの日、あなたが私の手をとってくれたとき、私は決めたの。決してそばを離れない、たとえ何年かかっても、あなたを幸せにするって。
 ふふっ。これでもうぬぼれているのよ。あなたに私は必要とされているんだって。こんな言い方、いやな女だと自分でも思うけれど……それでも!
 ね……今からでもいい。違う生き方ができると思えない? あなたの復讐は、もう終わっているのよ」
 言葉を終え、いくら返事を待っても、玄秀はひと言もしゃべらなかった。
 振り返ってティアンを見ることもしない。
「――話はそれで終わりか? なら、さっさと行くぞ。やつらに追いつけなくなる」
 沈黙ののち。吐き捨てるようにそれだけを口にして再び歩き出した玄秀に、ティアンは彼に自分の言葉が届かなかったことを悟って胸を痛めた。
(でも……最後まで聞いてくれたわ) 
 まずはそこからだと、沈みかけた気分を振り払って後ろに続く。今日かけたこの言葉が、彼のなかに染み込んで、いつか心に届くことを願って。
 そんな、楽天的とも思えるティアンの考えを感じとり、玄秀はいら立ちにも似た落ち着かない感覚を感じずにいられなかった。
(何を今さら……。この生き方しか知らない。今まで何人も手に掛けてきたのに、幸せを掴みたいなら改心しろ……だと。そんなこと、僕に殺された亡者どもが聞いたらさぞかし嘲るだろうよ。
 すでに血塗られた道じゃないか。この先も、どこまで行っても血塗られているさ。終点が地獄以外にあるというのか。
 幸せだって? 人からその幸せになる機会を奪ってきた僕がそんなものを求めること自体、おこがましいにもほどがあると思わないのか)
 声に出して言いたい、罵りたいとの衝動が走ったが、なぜかできなかった。
 ただ、背中を向けていてよかったと思った。
 もしも本当に考えが分かるというのなら、今の顔を、ティアンに見られたくはない……。