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【蒼空に架ける橋】第3話 忘れられない約束

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【蒼空に架ける橋】第3話 忘れられない約束

リアクション

 ぴく、と傍らのヤタガラスが跳ねるように震えたのを視界の隅で感じて、ツク・ヨ・ミ(つく・よみ)は床ばかり見つめていた目を上げてそちらを向いた。
 ゆらゆらと揺れる体についた小さな頭部は先までより少し上を向いていて、天井というよりずっと上の階を見上げているように見える。
 巨大なヤタガラスだった。頭の方が天井につかえそうになっていて、少し猫背気味になっている。
「どうかしたの?」
 訊いたけれど、訊く前から分かっていたように、ヤタガラスは何の返事も返さなかった。これでも目を覚ました当初はツク・ヨ・ミの質問にある程度は答えてくれていて――もちろん、答えてくれない方が圧倒的に多かったが――このヤタガラスが自分をさらったのだと知っていた。あと、触ってはいけないということも。
「これに触れれば浸食されて、また意識を失うことになるぞ。わたしはどちらでもかまわないが、それはおまえの望むところでもないだろう」
 ごうごうと、洞窟を通り抜ける風のような、地の底から響いてくるような不気味な声だった。相変わらず聞いているだけで気力が消耗しそうな声。
 自分のことを「これ」と言うところからして、やはりこのヤタガラス自身がしゃべっているのではないのだろう。どこかにいる何者かがヤタガラスを通してしゃべっているのだ。
「あなたはだれ?」
 との問いには、少し笑いを含んだ声で「じきに分かる」とだけ答えた。
 しかしツク・ヨ・ミは彼に会うつもりは毛頭なかった。どうにかここを抜け出して、ウァールやみんなの元へ帰りたい。それに、ナ・ムチとももう一度会って、話がしたかった。このまま彼に憎まれているなんて嫌だ。やっぱり、分かってもらいたい。
「……何か、あったの?」
 再度傍らのヤタガラスに話しかけてみる。が、やはりヤタガラスは答えない。
 もしかして声の主は今、席をはずしているとか眠っているとか何かして、答えられない状態にいるのではないか――ツク・ヨ・ミはそれをたしかめるように、おそるおそるイスの上でお尻をずりずりさせて身を揺らし、床に足をつける。ゆっくり立ち上がり、ドアへ向かおうとしたところで、ドアのノブがガチャガチャと回った。
 ドアの向こうでかすかに会話しているような声が聞こえて、人がいると分かる。
「ここだ。位置的に見て、この部屋だよ」
「ほんとに?」
「さっき上から床抜けを試してみて、できなかったんだ。今もほら、壁抜けができない。ここに霊的な結界か何かが張られてる」
「ツク・ヨ・ミ! ここにいるの?」
 今度ははっきり聞こえた。
「ウァール? あなたなの?」
 ドアへ駆け出して行こうとして、いつの間にか前に立ちふさがっていたヤタガラスの背中にぶつかりそうになってたたらを踏む。
「下がりなさい」
 ヤタガラスの言葉が降ってきて、ああ、彼は答えられない状態になっていたのではなかったのだと、ぎゅっと心臓が縮む思いで目をつぶる。
「ウァール! 入って来ちゃだめ! ここにあの影がいるの!」
 必死に叫んで知らせたが、聞こえなかったのか、それとももうすでに知っていて覚悟の上なのか、ツク・ヨ・ミの語尾に重なってドアは内側に向かって弾けるように開いた。
 部屋のなかへ飛び込んできたのはウァールだけではなかった。その左右を守るように樹月 刀真(きづき・とうま)と、そしてフェンリルハイドとアサシンマスクを着けた何者かが剣をかまえて油断なく部屋のあちこちへ視線を走らせている。そしてその後ろにはナ・ムチやスク・ナもいて、さらには物音を聞きつけて駆けつけてくる者はいないか、見張るように左右の廊下へ目を配するかつみや鉄心たちの姿があった。
「どうやらここにいるのはこのヤタガラスのみのようだな」
 刀真は愛刀の片刃剣『黒の剣』をかまえた腕の下から盗み見るように少し下がった位置にいるウァールへと視線を走らせる。それに気づいたウァールは、小さくこくっとうなずいて、刀真に分かっていると伝えた。何が分かっているかといえば、この船に突入前、刀真に言われたことだ。
(よし)
 と目線でうなずき返して。刀真はタイミングを計るようにフッと短く息を吐き出すや、真っ向からヤタガラスに向かって行った。
 ヤタガラスはすでに腕の先を剣の形に変えており、振り下ろす剣が刀真の鞘走らせた刀と真っ向から激突する。闇の剣に触れた瞬間光条兵器は科学反応でも起こしたかのように接触した一点で光を弾き、さながらかち合う鋼同士のように光を散らす。それは、熱い火花のようにも見えた。
「……く」
 相手は影。鋭い剣捌きで沸き起こる剣風にすら容易に散る、霧のような集合体でありながら、振り上げた剣を切り下ろす力はその巨体にふさわしい怪力である。ぎりりと鍔迫り合いをするも、拮抗すれば、上から押す力の方が下から切り上げようとする力よりも分があるのは否めない。
「……っ、はあぁっ!!」
 刀の下に肩を入れ、体ごと押し上げた。刀真の力が上回った瞬間、ヤタガラスの剣ははじかれ、腕ごと高く上がる。がら空きとなった脇に深々と刀を入れ、影を削りとった。
「ウァール!」
 突入のタイミングを読み、刀真は鋭く名前を呼んでそれと知らせる。
「うん!」
 答えたとき、ウァールはすでに反対側の脇へ走り込んでいた。
 ヤタガラスは刀真の方に重心を傾けており、脇をえぐられたこともあって、人間であればまず対処できないタイミングと角度だったのだが、そこはやはり影ということで、あり得ない場所からにゅるりと腕を生やすと同時に先端を剣に変えて、ウァールを串刺しにしようと突き込んでくる。それだけに限らず、肩の所から生やした腕がやはり剣を振り下ろしてくるという二段構えだ。
「ウァール!」
 ヤタガラス越しにそれを目撃したツク・ヨ・ミが悲鳴を上げる。
 ウァールが最初の突きをナイフを用いて剣の腹を弾くことで退けると同時に、振り下ろされた剣はアサシンマスクをつけた男が受け止め、はじき飛ばした。
「そうだウァール、常に相手の武器から目をそらすな!」
 円を描いて戻ってきた剣と切り結びながら、刀真は助言を飛ばす。
「正面から以外の攻撃はすべて俺たちが止めてやる。船での訓練を思い出せ、腕から余計な力は抜け、敵の威力は柔軟さで受け止めて止め切れない分は流せ。ナイフは手の延長として考えろ」
「うんっ」
(そしてむやみに突き込まず、敵の大振りを待て、だっけ)
 それが一番難しかった。ツク・ヨ・ミは身を乗り出して手を伸ばせば届きそうな位置にいて、緊張のあまり血の気を失った面で硬直してしまっている。大丈夫だと、早く安心させてあげたかった。
 ヤタガラスは相対する3人のうち、未熟なウァールを攻めやすいと見て、集中的に狙ってきた。そうなると見越していた刀真たちが左右をそれぞれ受け持って攻撃を光で散らす。もちろんナ・ムチやスク・ナも傍観しているわけではなく、それぞれ銃とスリングショットでできる限りカバーする。そのほかにも、なぜかウァールをねらった剣や腕が、彼らの攻撃が届かない、不自然な所で弾けることが一度ならずたびたびあった。
 ヤタガラスは影で、いくら散らされてもすぐさま再生し、体のどこからでも自在に腕を生やして剣に変え、攻撃ができる。がしかし、人間の体を傷つけるには相応の大きさと密度、質量が必要で、それ以下にはできないということから、生み出す剣の数にも上限はあった。そのすべてを止められ、わずかずつでも光で削られていることで、さすがにあせりが生じたか。ついに待っていた機会がきた。
「いまだ、やれ!」
 刀真の合図で、ウァールは隠し玉――宵一から事前に渡されていたニルヴァーサル・ボールをウエストポーチから取り出して、大振りした腕の根元に生じたスポットへ向けて投球する。すかさず宵一がキーワードを唱え、瞬間割れたニルヴァーサル・ボールから爆発的な勢いで放たれた強烈なスカージの光は大きくヤタガラスの体をえぐり、3分の1ほどをパッと散らした。
「ツク・ヨ・ミ! こっちへ!!」
 伸ばされたウァールの手に向かってツク・ヨ・ミが伸ばした腕を掴み、ぐいっと強引に引っ張り寄せる。勢いが強すぎて後ろにそっくり返ったウァールの体ごとナ・ムチが2人を受け止めて、床に頭をぶつけないようにした。
「やった!」
 仰向けになった自分の上にツク・ヨ・ミの体が乗っているのを見たウァールは、ついに取り戻したと顔を輝かせる。
 なぜかヤタガラスは閃光弾で丸くえぐられた体を修復しようともせず、動きを止めて立っていた。その意図が読めず、次の動向を見守る者たちの前、ククク、と笑声がヤタガラスから聞こえてくる。
「なるほど。これがきさまたちの力というわけか、地上人」
「なに?」
「捨て置いてやることも考えないではなかったのだがな。やはりきさまたちは排除せねばならないようだ」
 その言葉を宣告ととり、さらなる苛烈な攻撃が来ると読んで身構えた彼らの前、なぜかヤタガラスの輪郭線が徐々に薄れ始めた。それは止まらず、部屋のどこかで穴をふさいで集束するわけでもなく、まるで水に溶ける砂のように目に見えない塵となって彼らの前から姿を消してしまう。
「一体、今のはどういう意味でふか? リーダー」
 ウァールを影ながら補助するためにしていた隠れ身を解き、姿を現したリイム・クローバー(りいむ・くろーばー)がアサシンマスクをつけた男を見上げる。
「さあな」
 と答えたその背後に、ヨルディアが壁を抜けて戻ってきた。
「準備は完了しました。タイマーは10分でセットしましたから、あと8分ほどでこの船は爆発しますわ」
「よし。やつの捨てゼリフについて考えるのはあとだ。ツク・ヨ・ミを取り戻した以上、もうここに用はない。とっととずらかるとしよう」




 船の爆発は、船の大きさに比べると些細なものだった。
 爆発した瞬間船は揺れたが、どこか目に見えて吹っ飛んだというわけでもなく、小さな黒煙が薄く立ち上っているのが見えるだけだ。
「ヨルディア?」
 もう少し派手なものを期待していたんだが、という目で問いかけられて、ヨルディアは肩を竦めて見せる。
「せっかくご協力いただきましたんですもの、派手に炎上させて、こちらの方にご迷惑をおかけするわけにはいきませんわ。機関室が動かなくなるだけで十分でしょう」
「そうでふね」
 とリイムもその考えに理解を示す。
 船内に残してきた誘拐犯たちはこのために雇われただけの傭兵たちで、敵につながる情報は出てこないだろう。尋問したところで時間の無駄だ。
「とりあえず、太守の屋敷にでも戻るとしようか」
 港に背を向けて歩き出した直後。
 聞こえてきた笑い声に、彼らはすっかり忘れていた存在を思い出して、思わず顔を覆った。

「フハハハ! よくぞツク・ヨ・ミを連れ戻った! ご苦労だったな!!」

「……ハデスか……」
 疲れ切った彼らと対照的に、ここで彼らが出てくるのを待っていたドクター・ハデス(どくたー・はです)は元気はつらつだ。
 それもまた、ハデスの立てた計画の一部でもあった。
「浮遊島群征服のため、この娘はわれらがいただいていくぞ!
 行け、戦闘員およびデメテールよ!!」
 白衣をひるがえし、高く掲げていた腕をコントラクターたちに向かってビシッと突きつける。
 ハデスの命令を受けて、オリュンポス特戦隊の戦闘員たちが飛び出して行った。
「ナ・ムチにスク・ナ。ここはデメテールに任せて、先に行って!」
 デメテール・テスモポリス(でめてーる・てすもぽりす)は2人の脇をすり抜けて、抜いた龍神刀を手に一番手近にいた相手、ウァールに斬りかかる。
「わっ!」
「ウァール!」
 とっさにナイフで受け止めたものの、はじき飛ばされたウァールをかばって刀真が間に入り、デメテールの霞斬りを受け止めたが、こちらもまた疲労から動きが鈍い。
 デメテールはもともと倒すことが目的でなく、彼らの足止めが目的であったため、数度斬りつけるだけで後退し、疾風迅雷でほかの者たちの間を風のようにすり抜けながら刀を強く打ち合わせて弾き飛ばし、あるいは腕を引っ張り、足をかけるなどしてバランスを崩させていく。
 そうして戦闘員たちとデメテールがひっかき回しているなか、ハデスはナ・ムチたちに「こっちだ」と手を振った。「船は向こうに用意してある」と。
 ナ・ムチはツク・ヨ・ミを振り返る。
 彼女を取り返しに船へ乗り込むまでは、伍ノ島の太守の館へ彼女を連れ戻すことが一番だと思っていた。居場所がだれの目にもはっきりしていて、肆ノ島太守でもおいそれと手を出せない場所として、伍ノ島太守の館は最適だった。コト・サカは全島民の尊敬を集めており、その庇護下であればツク・ヨ・ミは安全に暮らせるのだと。コト・サカは亡くなったが、まだ世間への体裁がある。祖母はああ言ったが、自分からも頼めば、キ・サカは伍ノ島太守の力でクク・ノ・チから守ってくれるのではないか、という考えもあった。
 だが、地上人たちの力を見て、その考えが少し変化していた。
 もしかしたら彼らなら、ツク・ヨ・ミを安全に守ってくれるのではないか……。
「ナ・ムチ?」
 動きを止め、自分を見つめるばかりで何も言おうとしないナ・ムチの様子に、ツク・ヨ・ミはためらいがちに名を呼ぶ。
「ツク・ヨ・ミ。あなたは地上へ下りた方がいい」
 天津罪刑などない、そんなことで差別されることのない、地上へ。
「……え?」
「橋のことも、浮遊島のことも一切忘れて、ウァールたちと一緒に地上で暮らすんです。そうすれば、あなたは幸せになれる。
 行きますよ、スク・ナ」
「どういうこと!? ナ・ムチ!! わたしは――」
 ためらいがちに振り返ってツク・ヨ・ミとナ・ムチを交互に見るスク・ナと違い、ナ・ムチは振り返らなかった。ツク・ヨ・ミは混乱したままその背中に向かって言葉を投げつける。
 そのときだった。


『その光!! 見つけたぞ!! いまいましいヒガタノカガミめ!!』


 はるか上空を渡っていたタタリが、憎き神器の1つを見出したことに我を忘れて、落雷のような激しさで地上目がけて降下した。
 だんだんと大きくなる影に気づいてふり仰いだ面々は、そこにあり得ない存在を見て硬直し、すべての動きを止める。
 まばたきも忘れて立ちすくむ彼らの前、体から次々と呪符がはがれ落ちていくのも意に介さずに怒涛のごとき勢いで迫ると、タタリは耳近くまで裂けた巨大な口でツク・ヨ・ミを地面ごとえぐり取って飲み込んだ。
 あまりに人知を超える、想像外の出来事すぎて、その場にいただれ1人として反応することができなかった。
 一瞬遅れてきた衝撃波が彼らを襲い、吹き飛ばし、翻弄して地面へとたたきつける。
 痛む体をかばいつつ、身を起こしても、だれも、何も、武器をかまえるどころか己の目こそ疑う思いで、ただひたすらに降りてきたものを見上げ続けることしかできない。
 そこには、もはや人としてのタタリの姿はどこにもなく。
 炎を吹きだして燃える数百枚の呪符がひらりひらりと舞い散るただなかに、とてつもなく巨大な龍が身を置いていた。
「…………雲海の、龍……」
 沈黙ののち、かすれた声で切れ切れにウァールはどうにかそれだけをつぶやく。
 その姿は、彼が長年あこがれて見上げ、空想していたような神々しいものではなかった。
 体のうねりに合わせて動く白銀に輝くうろこは、遠目に見れば美しく映るだろう。しかし間近で見れば、1枚1枚に人の顔のような影がにじみ出て、怨嗟の声を発しているのが分かる。さらにはその下には頭がい骨があり、数千、数万と思える頭がい骨の1つ1つから黒いもやのようなものが大気に放出しているのだった。
 あまりに醜いがゆえに圧倒されるその姿。
 闇が渦を巻いている両眼の中央には赤黒い点がかすかに光り、地上の者たちを睥睨する。彼らが動揺を隠せず、恐怖の色濃く自分を見つめていることに満足そうな嗤いを浮かべると、オオワタツミはゆっくりと地上を離れ始めた。
「ツク・ヨ・ミをかえせ!! オオワタツミ!!」
 われを忘れて叫び、銃をかまえるナ・ムチ。しかしオオワタツミの腹部が一部透けて、その奥に膝を抱いて丸くなったツク・ヨ・ミの姿がかすかに見えたことで、撃とうとする動きを止めた。
 ツク・ヨ・ミは目を閉じていて、意識があるのかどうかも分からない。ただ、内側から発する光に包まれていて、その光に守られているかのようだった。
「あれは……カガミ?」
 一体いつの間にツク・ヨ・ミは神器を手に入れていたのか。
 とまどっているうちにオオワタツミはだれの手も届かない域へ達していた。そこで悠然と体の向きを変え、オオワタツミはマガツヒたちを従えて弐ノ島を去って行く。
 ツク・ヨ・ミを腹に入れたままに……。