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【蒼空に架ける橋】最終話 蒼空に架ける橋

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【蒼空に架ける橋】最終話 蒼空に架ける橋

リアクション



■第46章


 進む前から嫌な予感はしていた。

 深い谷をつなぐ、ロープでできた吊り橋。どちら側からも丸見えで、敵の襲撃を受けるのは間違いないように思えた。自分が敵側だったら絶対にそうする、と吊り橋を見た全員がその考えで一致したぐらいだ。――「冒険なのー!」と鼻歌まじりに楽しげに歩いている及川 翠(おいかわ・みどり)だけは、ちょっとあやしく思えたが。
「でも、ここしかないんでしょ?」
 小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)の言葉に、コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)は重い表情のままうなずく。
「左右のどっちも見てきたけど、大分前に壊れちゃってるのしか見つからなかった」
「じゃあ進むしかないよね」
 一番考えられるのは挟み撃ちだ。だから先頭を美羽が、しんがりをリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が行くことにして、谷底から吹き上がってくる冷たい風にギシギシと揺れる不安定な足場に、だれもが緊張しながら吊り橋を渡った。
 あかりはコハクの後ろをローザ・シェーントイフェル(ろーざ・しぇーんといふぇる)が、リカインの前をミカ・ヴォルテール(みか・う゛ぉるてーる)が行くことで、それぞれの光精の指輪が出力を絞って互いを補える範囲を照らす。
 事が起きたのは、ちょうど中間地点を少しすぎたあたりだった。
「うわー、すごい。ダークビジョン使っても、真っ暗で底が見えないよ」
 真下を覗き込む美羽の丸まった背中越しに見えた向こう側で、何かが揺れる。
「あれ? 今何か、影が動かなかった?」
「え?」
 コハクがダークビジョンの目を細めて、そこを注視しようとしたときだった。
 突然、体が浮くような感覚がした。驚きに目を瞠るコハクの前、美羽の足元から突然床板が消える。掴んでいた左右のロープがたわみ、体を支える機能を失った。
「きゃあ!」
「美羽!」
 何が起きているのかも分からないまま、2人はとっさに互いに伸ばし合った手で互いを掴む。
 その一連の光景は、最後尾近くを歩く三笠 のぞみ(みかさ・のぞみ)たちからはよく見えていた。左右に張られていたロープが何の前触れもなく切れて、谷底へ落下したのだ。
「美羽さん! ――あっ」
 反射的な動作で前へ出ようとしたのぞみだったが、のぞみと先頭を行く美羽までの間には10人近くの人がいて無理だった。しかも、のぞみ自身同じ橋の上にいるのだ。床板は大きく前に傾き、ねじれながら谷底へ落ちていこうとする。突然の出来事に、全員とっさに左右どちらかのロープにしがみついたけれど、そのロープ自身が落ちているのだった。
 ゲゲッ、ゲッ、ゲゲッと、ダミ声のカエルか何かが何匹か、楽しげに鳴く声が聞こえていたが、その出所を探るどころではなかった。
「のぞみ、絶対ロープを離すなよ!
 くそっ。ロビン、なんとかしろ!」
 ミカの言葉に、ロビン・ジジュ(ろびん・じじゅ)は空捕えのツタのことを思い出して使った。ツタはロープに巻きつきながら前方の者たちの足元を走り抜け、さらに宙へ伸び広がって、向こう側にあるロープがもともと巻きついてあった木の杭へと巻きつく。そして何重にも互いに絡み合いながら本数を増やすことで、ツタは太く、柔軟で、切れないロープとなってつなげた。
「ロビン、すごい!」
 のぞみが絶賛する声に重なって、ゲゲッ、ゲッと、またも向こう側の闇から鳴き声がする。今度は驚いているような声だ。
「あれ何?」
 新たなツタの橋が完成しきるのも待たず、ゴッドスピードで走り抜けた美羽はきょろきょろと周囲を見渡したが、それらしい生き物は見つけられなかった。
「ヘビがいるんです。カエルがいてもおかしくはないでしょう」
 答えたのは女闇医者の希新・閻魔(新風 燕馬(にいかぜ・えんま))だった。
「はいはーい。私知ってるー。それ、食物連鎖って言うのよねー」
 さっき一瞬とはいえ、死にかけたばかりだとはとても思えない軽い声でローザ・シェーントイフェル(ろーざ・しぇーんといふぇる)が言う。じーっと見つめてくる閻魔に「なに?」と首を傾けて見せると、閻魔は「……なんでもありません。そのとおりです」と言って、さっさと歩き出してしまった。
「先の船上で、少しは感情を見せるようになったと思ったら、また元の愛想なしに戻ってしまいましたね。
 まあ、その方が護衛する側としては助かるのですが」
 ふっと小さくため息をついて、サツキ・シャルフリヒター(さつき・しゃるふりひたー)が後ろにつく。
(うーーん。でもあれはそう見えてるだけだと思うなあ)
 一度上がった沸点は少々下がったところでまた似たようなことがあればすぐにぶり返す。そしてそういったときの揺り返しというのは結構大きいものだ。
(ふふっ。サツキちゃんがいるのに、かなり化けの皮がはがれてきてるんじゃなーい?)
 この究極のとき、サツキちゃんに正体がバレたりしたらちょっと面白いかも、とニヨニヨ笑いながら、ローザは軽い足取りで「待ってー、サツキちゃんっ」とサツキのあとを追いかける。
 ローザと対照的なのがミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)だ。
「し、死ぬかと思った……っ」
 まだ足元が抜ける感覚が抜け切らない、蒼白した面で翠を小脇に抱えて立ち尽くしている。その翠はといえば、怖くて泣いているのかと思えば、ガチガチに固まっているミリアに抱えられたまま、きゃっきゃと無邪気に笑っていた。
「すっごくスリルあったのーー!」
 冒険に、手に汗握るスリルはつきもの。胸のわくわくはさらにふくらんだらしい。そんな2人の様子に、スノゥ・ホワイトノート(すのぅ・ほわいとのーと)はほおに手を添えて「あらあら」と思うとミリアに話しかけた。
「とりあえず、もう下ろしたらどうですかねぇ〜? 吊り橋は渡り終えたんですから〜」
「――はっ。
 あ、そ、そう、ね……」
 腕に触れたスノゥの手から伝わるぬくもりに、ミリアはだんだんと自分を取り戻して翠を地面に下ろす。
 そしてその近くでは、橋を渡り切ったのぞみがあらためてロビンに例を言っていた。
「ロビン、ありがとう。お手柄だねっ」
 のぞみに褒められて、ロビンは赤らんだ顔を俯いて隠しつつ「いえ、そんな……。そんなこと、ないです」と小さく答える。そんなロビンに重ねて何かを言おうとしたところで、のぞみはロビンの足元で谷底の方を向いてしゃがみ込んでいるミカに気づいた。
「どうかしたの? ミカ」
「んー……」
 木の杭に片方を巻きつかせて谷底へ垂れているロープを引っ張り上げたミカは、先端を鼻先まで持ち上げてうなる。
「どうやらこれは、老朽化して切れたってわけじゃなさそうだな」
「ええっ?」
「しっ。
 ほら、斜めにすっぱりと切れてるだろ。刃物で切られた跡だよ、これは」
「……ほんとだ」
 のぞみとロビンに見せたあと、ミカはまたそれを谷底へポイと投げた。そして立ち上がってズボンからほこりを払う。
「今まで出会ったヘビの魔物たちにこういう芸当はできないだろうから、少なくとも刃物が扱えるだけの知能を持ったやつがここにはいて、俺たちの様子をうかがってるってことだ」
「そうだね」
「気を引き締めて進もうぜ」
「うん」
 のぞみがうなずいて離れたあと、同じく離れようとしていたロビンのえりに指を引っかけて引き寄せたミカは、こそっとささやく。
「まぁのぞみはああいうやつだからな。いざとなれば、おまえが守るんだぞ」
 そしてさっさとのぞみの後ろについて歩いて行くミカと、2人を見やって、ロビンは静かに決意を秘めた目をしてうなずいたのだった。


 はたしてミカの考えるとおり、そこから先はあきらかに自然的には不自然な、人工的な罠が続いていた。
 毒ヘビだらけの落とし穴や上からとがった木の槍を組んで作られた戸板のような物が降ってきたり、鋼糸で編まれた網が落ちてきたりといった場所が続く。もちろんその間にも、緩急をつけてヘビの魔物たちが彼らを襲った。
 先のおり、こうしたヘビの1体によってのぞみが毒に侵されたことを気に病んでいるロビンは、今度こそのぞみの周囲には近づかせたりしないとの強い思いからヒプノシスを飛ばす。眠りに落ちればよし、眠りに落ちないまでも動きの鈍ったヘビたちは、ローザやサツキが斬り払った。
「どんどん湧いてきて、キリがないわねえ」
 真っ二つにしたばかりのヘビの魔物の死骸を見て、「どこから湧いてきてるのかしら、こいつら」とローザがため息をついたときだった。
 カチッと後方でスイッチが入ったような音がかすかにしたのを聞きつけて振り返ったローザの目に、今自分たちが通っている通路にピッタリのサイズの巨大な岩がごろごろ転がってくる姿が入る。
「ちょーーーーーーーっ!? あんなの、来るときなかったじゃないー!?」
 ローザの悲鳴で前を行く全員が迫る岩に気づいた。
「いいからいつまでも見てないで走れっ!」
 閻魔が腕を引っ張って、走り出そうとしたところで突然閻魔は足の間にもぐり込んでくる何かを感じた。それは巧みに閻魔を宙に浮かせて頭や肩をくぐらせると、閻魔を背中に乗せる。
「うお?」
 バランスを崩すまいと思わずついた手のひらに、あたたかな獣毛が触れた。
「そのままおとなしく守られていてくださいね。あなたに何かあると、燕馬に申し訳が立たないので」
 前を行くサツキが言う。閻魔が乗っているのは、サツキが呼び出した影に潜むものだった。影に潜むものは閻魔を乗せて、足場の悪さもものともせず走り出す。それを追うように、サツキやローザも走った。
 悪いことに、今彼らが歩いている通路は下に向かう坂道になっていた。何トンという岩が加速度をつけて転がってくるのを背後にひしひしと感じつつ、早く出口が開けてほしいと願いながら彼らは洞窟のような通路をひたすら走る。
「すごいのー! 映画みたいなのー!」
 きゃっきゃと翠だけが無邪気に楽しげで、そこだけまるでテーマパークのアトラクションにでも参加している雰囲気だ。
「うーん。これは翠ちゃん、完全に本来の目的を忘れてるようですねぇ〜」
 でも泣き出されたりするよりマシかもしれない、とすぐ後ろを走りながらスノゥは考える。
 それに、翠もただそうして喜んでいるだけではなかった。罠を仕掛けた相手は彼らが押しつぶされてくれないのに業を煮やしてか、左右の隠し通路のドアを開け、そこからさらに同じように岩を転がしてくる。それを見た翠はデビルハンマーを両手でフルスイングして、元の通路へはじき戻していた。
「かきーーーんっ」
 と口にしているあたり、これもまた、翠にとってはアトラクションの1つ的な感覚なのかもしれなかったが。
「……カバたちを連れてこなくて正解だったかしら」
 走りながらリカインはふとそんなことを考える。彼女のパートナー禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)は、今思えばかなり最初の方で魔物に石化を受けて脱落していた。石化自体は閻魔が石化解除薬を用いて治療してくれたおかげですぐに解除されたが、なぜか意識が戻らなかったのだ。
「まいったわね」
 魔物の襲撃を受けている船に連れ帰るのは危険だし、時間的にもロスだ。かといってこの先の危険を思えば、リカインが背負って行ったりすればとも倒れ必至。みんなの足を引っ張るわけにもいかない。
「これしかない、か」
 考えられる手のなかで最もマシな選択肢として、リカインは、これだけは避けたかったというため息を深々とついたあと、自宅警備員悪魔のウェイン・エヴァーアージェ(うぇいん・えう゛ぁーあーじぇ)を召喚したのだった。
 カウチポテトでもしていたのか、腕枕で横になったポーズで現れたウェインはまず驚き、
「てめーの仕業かリカイン! この怪力バカ女! こっちの都合もきかずに何勝手に召喚なんかしてくれやがんだよ!」
 と、女性的な外見に見合わぬ口の悪さでひととおりリカインに対して悪態をつくことで満足したのか、ウェインはリカインの「ここにいて、カバを見守っていてほしい」という願いに鷹揚にうなずいて見せた。
「言っとくけど、本当に見てるだけだからなっ。さっさと戻ってきて、俺を連れ帰れよ!」
 リカインとしても、それ以上のことはほとんど期待していなかった。ただ、いないよりはマシ程度の安心感を得るためにしたことだ。それに、自堕落なニート悪魔だが、いくらなんでも自衛のためなら動くだろうし。そのついでで河馬吸虎も守られるかも――そう思ったリカインの前、ウェインは「ったく、ここどこだよ。ヘビくせーな」とぶつぶつ不満をつぶやきながら、適当な場所にごろりと横になって、影に潜む大猫だの、影に潜む猫だの、影に潜む群れだの、影に潜む猫の手だの、影に潜む蝙蝠だので、がっちり自分の身の安全だけを固めてしまった。
 ――だめだ、こいつマジ使えねえ……。
 最後、そう思ったことまで思い出し、リカインはやっぱり今あの2人がここにいなくてよかったと思った。ちょっと風が吹いただけでびくついてうじうじとべそをかく河馬吸虎に加えてあの口の悪い悪魔の相手などしていられない。
(ああ駄目。なんだか最近マイナス思考というか、自分で腹の立つことを考えている気がする……。もうちょっと建設的なことを考えなくちゃ。
 建設的……そういえば内部構造的に気にしてなかったけど、ここの魔物って飛べるのかしら? 飛べるわよね。羽の生えたヘビだっていたんだし)
 そんなことを考えていると。
「見えた! 出口だよ、みんな!」
 先頭を走っていた美羽が、そのとき前方の光を指して叫んだ。そこはたしかに出口で、開けた場所へ到達した彼らは岩の進路からパッと身をどける。一番後ろを走っていた閻魔、ローザの2人が出たところでリカインが転がってくる大岩を待ち受けて、アブソービンググラブで思い切り殴りつけた。
「まったくもおっ!」
 先までの回想のせいで、うっぷん晴らしの意味がこもっていたのはたしかだろう。
 殴りつけられ、横へ逸れてゴロゴロ転がっていく大岩を、腰に手をあてて見送るリカインの後ろで、ようやく息をつけたミリアが、新しい場所に入ってさっそくマッピングをしている翠に向かい
「え〜と、翠。私たちがここへ来た目的、分かってる……?」
 と訊いていた。翠はきょとんとした顔でミリアを見返している。その顔だけで十分翠が何を考えているか、察しがついた。
「……あー、うん。いいわ、分かった。マッピング続けて……」
「うんっ」
「……絶対忘れてるわね、この子」
 そもそも最初から理解できていたのか本気であやしいわ、とマッピングに戻った翠の背中を懐疑的にじーっと見たミリアは、はーっと息を吐き出した。
「……まぁ、地図が埋まること自体は悪いことじゃないでしょうけど……」
 つぶやくミリアの背中を、慰めるようにスノゥがぽんぽんたたく。
 ほかの者たちは、その間も周囲を見渡して観察していた。そして、今いる場所はどうやらこれまで通ってきたような単なる通路でなく、広間をつなぐ回廊のような場所らしいとの見当をつける。
 入ってきた通路の正面にあたる場所には、不自然に巨大な岩が落下していた。隠れて見えないが、この先へと続く通路がこの後ろに隠されているのは間違いないだろう。
「ここは私に任せてください。あと、崩落があるかもしれませんから、一応上に気を配っていてください」
 サツキが前に出て、機晶爆弾による破壊工作で岩を吹き飛ばした。重い地響きが周囲に反響しながら上へ伸びていき、パラパラと小石程度の崩落があったものの、あの岩のような巨石が剥落する様子はないことにほっとする。爆発で飛び散った粉塵による煙幕が晴れるのを待つ彼らの耳に、また例の、カエルの鳴き声のような声が聞こえてきた。今度は前ほどの距離はなく、その分はっきりと、煙幕の向こうでその声はしている。