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「どう? 似合うかしら」
 土産物屋に置いてあった帽子を取り上げたターラ・ラプティス(たーら・らぷてぃす)は、それを見事な銀髪の上にかぶせてみせた。
 大振りの花がついた派手な帽子は、異国情緒あふれる服や、ターラの美貌があいまってよく似合っている。
「あ、ああ、いいんじゃないか」
「えーと、はい。そうですね」
 照れる男二人の反応に気をよくしたターラは、にっこりと微笑んで帽子を会計に持っていった。
 そんなターラの後ろ姿を見送りながら、和佐六・積方(わさろく・せきかた)は小さな声でジェイク・コールソン(じぇいく・こーるそん)に話しかける。
「あの……。ターラさんて、ほんとに記憶を失ってるんですか?」
「くっ……言わないでくれ」
 意図せず痛いところをついてしまったらしい。
「あ、……いや、その、なんかすみません」
 積方は反射的に謝ってしまう。
「いや、いいんだ。こちらこそ付き合ってもらっているのにすまない」
 いえ、そんな、すみません。と、積方は口癖のようにまた謝った。
 確かにターラの様子はいつもと変わらず、とても記憶を失っているようには見えない。
 なにしろ記憶を失ったことをジェイクが説明し終わった後、発した第一声が
「え? アナタが私のパートナー? ん〜……まぁ、そう言われると記憶喪失になってるっぽいわねぇ。ココがどこだかイマイチ分からないし。自分が記憶喪失になるなんて貴重な体験ね〜」
 だった。動じないにもほどがある、と泣きたいのはむしろ、すっぱり忘れ去られたジェイクのほうだ。
 これ以上この話題を続けてはいけない気がした積方は話題を変えた。
「えー、あっと、すみません、どこかあてはないんですか? 思い出せそうな場所に」
「あるにはあるんだが……」
 心なしか気の乗らない様子のジェイクを、めずらしく積極的な積方が後押しする形で三人は観覧車の前にやってきた。
 まずターラが乗り、ジェイクが乗りこもうとしたところで積方がそっとジェイクに耳打ちする。
「自分も同じです。パートナーにいつも振り回されてばかりで」
 がんばってくださいね、ジェイクさん、そう言うと積方は一緒には乗らずに扉を閉めた。
 ゆるゆると上がっていく観覧車がちょうど真上あたりに来た所でジェイクは決心した。
 ターラに初めて会った場所も遠くを見渡せた。場所は違うが思い切ってジェイクは初めて会った時に彼女に言った台詞を言う。
「初めて会っていきなりと思うかもしれないけど……俺のパートナーになって一緒に来て欲しい」
 これで思い出してもらえなかったら――と不安になるジェイクにターラは微笑みかけた。
「いいわよ。あら? そういえば、こう応えるのは二回目ね?」

 記憶を失って別人のようになってしまったパートナーに、日野 晶(ひの・あきら)は根気強く話しかけていた。が、観覧車の中ではいかんせん話のたねがなく、間がもたない。
 しかも荒巻 さけ(あらまき・さけ)は必死の話題づくりの甲斐もなく、「はぁ」とか「へぇ」とか気のない返事しか返さない。
 正確に言えば、さけは別人のようになってしまった訳ではない。昔に戻ってしまっただけだ。晶と出会う前の無気力な頃に。
 目を合わせようとせず、外の景色ばかり見ているさけを見て、晶は心の中でため息をつく。
 しかし当のさけは、晶の言葉を聞き流しながらまったく別のことを考えていた。
(世界は変わってしまった。――あっけなく。
 それまで自分が信じてきた常識はもろくも崩れ去り、
 だが、新しい「世界」に順応することができなければ置き去りにされてしまう。
 そして私は周りの変化についていけない。もう、
 ――なにもかもがどうでもいい)
「観覧車に乗るとあなたとでかけた遊園地を思い出すわね。ねぇ? 聞いてるの?」
「え、あ、はい。私が日野さんのパートナーだって話ですよね」
(嘘だ。
自分が今、目の前にいる相手のパートナーだとか、記憶を失っているだとか、パラミタとかいう異大陸にいるだとか、そんな……夢のような作り話)
「……本当だったら素敵な話ね」
 はっと、さけはあわてて口をつぐんだ。
「……」
 晶はいきなり立ち上がった。狭い観覧車の中では身をかがめることになる。
 座席の取っ手を掴むと足を振り上げて――、
 観覧車のドアを蹴り破った。
「荒療治が必要みたいね」
 あ然とするさけの手を掴んで、あろうことかそのままさけを観覧車の外へと宙吊りにする。
「ちょ、ちょっと! あなた何するのよ!」
「この一年、貴方は変わった。再度、聞くわ。私と契約して可能性を見出すか、落ちて未来を失くすか」
「頭おかしいんじゃないの!? 中にいれてよ!」
「私と契約するか――」
「するわ! すればいいんでしょ!」

「ねえ、あれ!」
 さけが宙吊りになっているのを地上から見たミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)は、考えるより先に体が動いていた。
 百合園の陸上部員であり、「運動だけなら誰にも負けない」を自認する彼女である。
 しかし、走り出した矢先に違和感を感じる。何かがおかしい、いや欠けている気がした。
(そうだ。いつもあたしの側にいてくれる人がいない)
 ミルディアの胸が激しい喪失感で痛む。
(なんだろ、この気持ち)
「たいへんですわ! どうしましょう……」
 パニックに陥りかけたミルディアの心を現実に引き戻したのは和泉 真奈(いずみ・まな)の怯えた声だった。
 ミルディアは見ず知らずの女の子であるはずの真奈を叱咤した。
「しっかりして! あたしたちがあの人を助けなきゃ!」
「え、あ、はい」
 一方真奈も、ミルディアに声をかけられて不思議に心が落ち着くのを感じた。
(なんでしょう、この感じ。すごく慣れ親しんだような)
 さけに向かって「跳べ!」と言った晶が、さけの手を離すと同時に、「至れり尽くせり」を発動させたミルディアはその手元にテーブルクロスをよびよせた。
 一振りして広げると、「真奈、いくわよ」とうながす。
 さけは空中でバーストダッシュを使い、落下の勢いを殺そうとしていた。けれどいかんせん高さがありすぎたせいで、落下の速度を落としきれていない。まだかなりのスピードを残したまま、さけが硬い地面へ落下する、
「せー……のっ!」
 その瞬間、ミルディアと真奈が息を合わせてクロスを引っ張った。ぴんと張ったクロスの上に落ちて、さけの身体がぽんと跳ね上がる。 そのままどさっと植え込みに突っ込んださけは、無傷とは言い難かったものの、
「まっ……たく! 出会った頃とちーっともかわりませんわ! 毎度毎度むちゃくちゃなことばかりして!」
 降りてきた晶に悪態をつきまくるだけの元気はあるようだった。
「ちょっとはわたくしの身にも……ちょっと、なんて顔をしてるんです?」
 事態を釈明した晶と共にさけを医務室に送っていき、ミルティアと真奈は一息ついた。
 自分たちが記憶を失っていたらしいことなど、どこかへ吹き飛んでしまった。思わぬハプニングのおかげで記憶を取り戻すことができたのだが。
「ぅ〜、ひどい目にあった〜。でも解決してよかったぁ〜」
「大切な記憶を失うと言うのは、こんなにも辛く痛いものだったんですね」
 真奈は心臓のある辺りに手を当てて感慨深げに呟いた。
「でも、解決した今となってはいい経験と思えるのも、人間の強さなのでしょうね」

「今、誰か落ちた!」
 とっさに観覧車の扉に飛びついて外へ飛び出そうとした羽入 勇(はにゅう・いさみ)を、ラルフ・アンガー(らるふ・あんがー)は後ろから抱きとめた。
 急に立ち上がったせいで観覧車が揺れて、ラルフの長い髪が勇の肩にかかる。
「危ないですよ。彼女なら大丈夫、ほら」
 ラルフにうながされて勇が下を見ると、さけがミルディアと真奈に救われたところだった。
「確認もせずに飛び出したらケガをします」
「あ……ありがとう、ラルフさん」
 ラルフの体が一瞬、硬直する。
 勇から「さん付け」で呼ばれるのはラルフにとって予想以上にショックだった。
 早く勇の記憶を取り戻そう、とラルフは決意を新たにする。
「大丈夫ですか?」
「え?」
 気が付くと、勇が心配そうにラルフの顔をのぞきこんでいた。
「あ、えーと、勘違いかな。ごめんなさい。なんだか悲しそうに見えました。だから」
 勇の言葉にラルフは顔をほころばせる。
「初めて会った時もそうでしたね」
 初対面の自分に、勇がかけてくれた言葉をラルフは思い出していた。
『はーい、いい顔で写真撮りますよー、笑ってーー』『だって、自分には何もないって顔してたから。それが悲しくて』
(あの日、素直に好意を示してくれたあなたに、凍っていた感情が溶けていくのを感じました)
「……あ、きれいな景色」
 ポツリと、勇がつぶやいた。カメラをラルフのほうへ向ける。
 景色を撮ってもらおうと、ラルフは勇の視界をあけた。
「ううん、思い出だから、一緒に撮ろう。ほらラルフさん、笑って」
 勇に微笑みかけられて、ラルフはぎこちない笑顔を返した。
「うん、いい顔してるよ……ラルフ」
 ふっと、目を見開いて、もう一度ラルフは笑った。今度は心から。
「……初めて会った時よりも?」
「もちろん。あ、でもさっきのより今のほうが、もっといい顔ね」