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 きゅっ、と服の上から宝物を握りしめて存在を確認すると、アリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)は心が落ち着くのを感じた。
 チェーンに通した指輪がアリアを励まし、力を与えているように感じる。アリアは自分が契約者になるきっかけになった人物を想った。
(大丈夫。決して忘れはしません……あなたのことは)
 光学迷彩を使って蝶に近づく。万が一にも傷つける可能性を排除するために、アリアはそっと手のひらで蝶を包みこんだ。
 そのまま虫かごに移し、周りに目を配る。蝶が駆除される前に事態を収束させようと、アリアは忙しく働いていた。
 ふと近くにいる宮辺 九郎(みやべ・くろう)と目があう。
「蝶はなるべく生かして捕らえてほしいと要請されている――、だろ?」
 わかってるよ、降参だ、というように九郎は両手を挙げて見せた。一度、「捕獲できなければ殺すも已む無し」とばかりに捕獲していたところを見つかってから、どうもアリアの見る目が厳しい。
「だがよ、蝶がパークの敷地外に出ちまったら元も子もねえぜ」
 忘れていい記憶はあっても、失くしてもいい記憶なんてねぇだろう、と九郎は心の中で付け足した。
 ぶっきらぼうに言い放つ九郎だが、マスクで口元を覆っているせいで威圧的な雰囲気はずいぶん緩和されている。
「確かに。この蝶の能力は考え物ね」
「やっぱりパラミタには変わった生き物が多いね。記憶を失わせる力を持つなんて、地球産の生き物では考えられないよ」
 白く細い指の先に蝶を止まらせたサトゥルヌス・ルーンティア(さとぅぬるす・るーんてぃあ)は蝶を刺激しないように小さな声で言った。
「僕も被害の拡大を防ぐのは賛成だよ。展示を楽しみにしている人がいるだろうから、その人たちを悲しませたくはないけどね」
 傷つけられないということがわかっているのか、蝶はサトゥルヌスの指の上で大人しくしている。
 指の上の蝶を、サトゥルヌスはそっと特別製の虫かごに移した。ガラス製の虫かごは、パラミタムラサキアゲハ用の物だ。
 ガラスケースにおさまった蝶と、美少年の取り合わせは一幅の絵画のように美しく幻想的な光景だ。
 アリアは少し前から考えていたことを口にした。
「でも私は思うの。この蝶の力は、記憶を失わせるのは、もっと別の意味があるんじゃないかって」
「それはおもしろい考えだね。ぜひ聞きたいな」
「この蝶の力はもしかしたら、大切なものが何だったかを思い出させるためのものなんじゃないかしら」
「あー、こほん。話が弾んでるとこ悪いが、長話はこいつらを全部捕まえてからで頼むぜ」
 胸ポケットからタバコを取り出してくわえようとし、九郎は自分がマスクをしていることに気付く。
「調子狂うぜ……まったく」
 タバコをポケットに戻してぼやいた九郎も、蝶の捕獲を再開した。



「覚悟しなさい、シャンバラン! 今日がお前の命日よ!」
 ぴったりと体のラインがでる黒と赤の衣装を身にまとった宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)は、ステージの上でびしいっと指を突きつけた。
 手には鞭。足元はヒールの高いブーツ。衣装には黒い羽のようなものがついており、顔にはメイクが施される念の入れようだ。やるからには妥協せずとことん、徹底的に、という気迫が伝わってくるようだ。
 同じステージに立つ時枝 みこと(ときえだ・みこと)フレア・ミラア(ふれあ・みらあ)は、祥子とは対照的に腰が引けている。
 全身黒ずくめの怪人ルックに身を包んだみことがぼやいた。
「オレたち、なるべく笑いはとらない方向でいきたいんだけど……」
 素直な性格のフレアも言われるままに怪人の衣装を身につけたものの、衆人環視の目にさらされるステージの上ではやはり恥ずかしさが勝つようだ。もじもじと落ちつかなげに体を動かしている。
「ほんとうに必要なことなんですか、宇都宮さん」
「今の私は宇都宮祥子ではないわ。クリムゾン・エンプレスとお呼び!」
 後半声を張り上げて、祥子は手にした鞭をぴしゃんとふるった。
「あああ……どうして、こんなことに……」
「私だって伊達や酔狂でやっているんじゃないわ。本気でやらなければ意味がないのよ。さっき決めたでしょう」

 ――時をさかのぼること数十分前、
 祥子とみこと、フレアは頭をつき合わせて考えていた。
「記憶を取り戻す方法か……」
「何をしてあげればいいでしょう?」
 タロットカードをきる手を止めて祥子はつぶやいた。
「不安。自信を失っている。先の見えない闇」
「つまり、自信を取り戻すようなことをしてやればいい?」
「そうよ……でも、それだけじゃ不足だわ。これを見て」
 祥子は一枚のカードを取り上げて、みこととフレアに見せた。
 カードには、全身黒ずくめの死神が描かれている。
「この死神が……どうした?」
 ごくりと生唾を飲み込んだみことをまっすぐ見据えて、至極まじめな口調で祥子が言う。
「あなたたちがこれを着るのよ」
「……は?」
 そして現在、ヒーローショーの衣装を借りた三人がステージにいるのだ。

 なんだかんだ言っても優しいみことは心を決めた。
「しょうがない。悲しんでる人をほっとけないし。万が一ケガ人が出たときはヒール頼むぞ」
「はい。任せてください」
「シャンバラン、覚悟!」
 みことは叫ぶと、ステージにいるシャンバランこと――記憶を失っている神代 正義(かみしろ・まさよし)に向かって蹴りを放つ。
「ええええ!? ちょ、ちょっと待って、やっぱ無理――」
 事態についていけない正義は、みことを攻撃するわけにもいかずステージの上で逃げ惑った。
 即席ヒーローショーは、パラミタ刑事シャンバランを名乗る正義のためだった。
 しかし、逃げ惑うばかりの正義の姿を見ていられなくなった大神 愛(おおかみ・あい)は舞台の袖から飛び出し、両手をひろげて正義をかばう。
「あたしが手伝ってくださいってお願いしたのに、でも、ごめんなさい!」
「あの……なんか、皆ごめん……俺のためにやってくれてるのに」
 みことは攻撃を止め、交互に謝る愛と正義を励ますように言う。
「いいんだ。自分が何者か分からないのは不安だよね。世界中で自分だけが取り残されているような錯覚をしちゃうから」
 顔からシャンバランの面を外し、正義はそれをしげしげと見つめた。
(なんでこんな物を後生大事に持ち歩いてるんだ?)
 手入れをされ大事に使われていると思しき面は、他ならぬ正義の懐にあったものだ。しかし記憶を失っている今はぴんとこない。
 シャンバランのことも皆で示し合わせた冗談ではないかと思っているくらいだ。
 だが愛の、自分のパートナーだという少女の必死な態度は信じられた。
『落ち着いてください、正義さん。……多分あなたは大事な記憶を失ってます。あなたが、あなたでいられなくなるほどの……』そう言って愛は、記憶を失って混乱する正義にずっと付き添ってくれている。
「大事な記憶か……。まぁ気長に待つしかないのかな」
 ため息をつきながら言った正義の言葉を聞いて、愛の瞳にじんわりと涙がにじむ。
 その「泣いている女の子」の姿が正義の記憶を刺激した。
(そうだ、俺は……守りたい、そう、守りたいと思って、だから守るために――)
「――っ! シャンバランがいる限り、この世に悪は栄えない! ……パラミタ刑事シャンバラン、遅れて登場」
 名乗り口上を終えた正義は、ばつの悪さを隠すように頭をかいた。
「良かった……。正義さんが……ヒーローが……戻ってきてくれた」
 涙を止めるつもりが、いっそう愛を泣かせてしまったことに正義は狼狽した。

「行かないでいいのか?」
「なんだかお取り込み中のようですから遠慮します」
「ふむ……残念だったな」
 少しも残念そうに聞こえない調子でローランド・セーレーン(ろーらんど・せーれーん)はつぶやいた。
「はい。でもまたの機会がありますから」
 ステージを囲む柵から身を離して水渡 雫(みなと・しずく)は答える。
「私の記憶を取り戻す手がかりにはなりませんでした」
 少しだけ残念そうに雫はローランドの方を振り返った。
 期待していたヒーローショーは見られなかったが、ステージを見ていてどうやらなにかが丸く収まったらしいことはわかった。雫にはそのほうが大事なことに思えた。
 人の幸福を自分のことのように感じられるのが雫という少女だった。
 武門の家に生まれて、幼いころから武器を持たされて育っても、その心根が変わることはなかった。
 雫が前日から、ヒーローと握手をするのを楽しみしていたことを知っているローランドは、おもむろに手を雫に向ける。
「……」
 無言で手を差し出すローランドを、雫はきょとんと見返した。
「……ほら」
「あの……?」
「握手したがっていただろう」
 がらにもない、と自覚しながらも、ローランドは説明をしてしまう。言い訳だろうか。
「ヒーローかと思った、と言ったではないか」
「あ、はい、初めて会った時、セーレーンさんの服がヒーローみたいで――あ」
「だから我輩が、特別に! 握手をしてやろうと言うのだ」
 雫の手をやや強引に取ると、ローランドは勢いよくぶんぶんと振った。
(今日だけ特別だ。我輩との出会いを「大切な思い出」などと……水渡雫め)