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■プロローグ
真夏を目前にした太陽のきつい日差しを浴びて、西の森にある岩山の斜面は黄金色に輝いていた。
草木1本生えない、カラカラに乾ききった斜面には大小の穴や窪みがあいており、中には洞窟と呼べるほどに暗く深い穴もいくつかある。
そのうちの1つから、リーレンはおそるおそる外を覗き見た。
まるで何者かが定期的に刈り込んででもいるかのように丸く開けた場所には巨大な龍がいて、空中でとぐろを巻いている。
それは、異様な龍だった。本で目にしてきた、いわゆる「東洋の龍」に似ていると言えなくもなかったが、しかしその姿は明らかに違っていた。決定的に。なぜなら、骨がむき出しになっていたからだ。
鱗も、皮膚も、肉もなく、所々が灰色の白い骨。動いていなければ、誰かが組み立てた標本、模型と思ったかもしれない。
横長にあいた眼窩のほの暗い奥で燃えるように輝く赤い点のような光がなければ。
(……!)
じっと見つめすぎたかもしれない。
赤い光と目が合ってしまった気がして、慌ててリーレンは岩から身を引き剥がした。
落石によって入り口の大半をふさがれた洞窟を見つけられたのは幸運だった。ほかの洞穴だったら一緒に飛び込まれるか、あの爪で掘り返されていたかもしれない。しかしこの洞窟は巨大な落石によって入り口がふさがれており、人1人が横になってすり抜けられる程度しか隙間はあいていなかった。落石は分厚く、ほぼ岸壁と同化していて、さすがのあの龍でも壊すことはできないらしい。
助かった、と逃げ込めた当初は胸をなでおろしたが、それから数時間を経た今となってはそうとばかりも思っていられない。
諦めてそのうちどこかへ飛び去るだろうと考えていたのに、龍は彼女が出てくるのを待っているかのようにああして空中にとぐろを巻き、一向に去る気配を見せなかった。
ここに逃げ込んで、もうどれくらい時間が経ったのか。傾く太陽の光で伸び続ける龍の影が、1センチ伸びるごとにリーレンを焦らせる。
(この岩壁には穴がいっぱいあいてたから、もしかしたらどこか別の穴につながってるかもしれないわ)
後ろに続く暗がりを見る。
長くて薄暗いそこは見るからに気味が悪くて、何か怖いものが出てきそうで、できるものなら動きたくなかった。
けれど外には彼女を狙っている骸骨の龍がいて、夜になればここは暗闇になる。あかりのない、暗い洞窟の中にひとりぼっちでいるなんて、怖すぎる。
その一心で、リーレンは洞窟の奥へ、震える足を動かした。
第1章 死龍との遭遇
赤くなり始めた太陽に照らされた岩壁、落石に入り口の大半をふさがれた洞窟、その前にとぐろを巻いて居座っている死龍。
カリノ・ベネ教授による講演会の後、2人の女生徒から死龍の出現と崖の洞窟に逃げ込んだ女生徒・リーレンの危機を知らされた学生達は、彼女を救出すべくこの地に集結していた。
「あれ、だよな…?」
鈴木 周(すずき・しゅう)は、僅か数メートル先にいる巨大な死龍を見つめつつ、半信半疑で呟いた。
それは、その場にいる全員の気持ちを代弁する言葉だった。
骸骨と化した巨大な龍。右の三本の鉤爪に握り込まれた真珠色の光沢を放つ球体が、龍珠だろう。その輝きが消えるか、あるいは体から外れるまで、あの龍は動きを止めないという。
話には聞いていたが、実際に見ると聞くとでは、また違った驚きがある。
(早まったかな、俺。もっと装備整えてくるべきだったかも)
超カワイイ――これには大分周の妄想が含まれているが――女の子の一大事、とその足で駆けつけたため、一番にたどり着いたまではよかったが、あの龍を相手にするに足る装備かというと、かなり心もとない。
(ま、俺はきゃわゆいリーレンちゃんが助けられりゃそれでいーんだし)
ふへへへへへ。
早くもそのシーンを想像して鼻の下を伸ばした周の後頭部に、げいん、と鉄拳が振り下ろされた。
「ぃっ、てーなおい!」
「しッ。黙してこちらに来るのであります」
死龍に気取られないよう、深く腰を落として気配を絶った大洞 剛太郎(おおほら・ごうたろう)が、視線で背後の茂みを指す。
いつの間にか周以外の者が全員集結しており、そこでは、恋人のリュース・ティアーレ(りゅーす・てぃあーれ)に両肩を抱かれた白波 理沙(しらなみ・りさ)が目を閉じて意識を集中していた。
「――大丈夫。この辺りには他に悪意を持つ存在はいないわ」
禁猟区で索敵を終えた彼女が、抑えた声で呟く。
「うむ。では敵はあの死んだ龍のみというわけだな」
大洞は頷き、すぐさま班編成に乗り出した。
女生徒を救出するチーム、そして彼らが無事洞窟に入るまで死龍を引きつけるチームだ。もちろん引きつけるということは存在を知られることに他ならず、それは、彼らを敵と認識した龍と命がけで戦うことと同義語である。
「じゃあ俺は洞――」
「はいはーーーい。俺救出チームねっ」
国頭 武尊(くにがみ・たける)を押しのけて周が我先にと挙手し、ニコニコ笑う。
「おまっ…!」
「あっ、じゃあ僕も」
「私もそちらに。リーレンさんを早くあそこから出してあげなくては」
自然と、救出チームは周、武尊の後ろに、死龍との戦闘チームは大洞の後ろにと分かれていく。
死龍との戦闘側につくことを既に決めていたリュースはそんな光景を遠巻きに見ていたが、ふと腕の中の理沙が先ほどからピクリともしないことに気づいた。
理沙は無言で、ジッと何か考え込んでいる。
「どうかした? 何か感じたの?」
気づかうリュースに、理沙は急いで首を振って見せた。
「あ、いえ。なんでも…。 ただ……変ね。実は、何の悪意もないの。あの龍の悪意さえ…」
そんなことがあるだろうか? あの死龍は、リーレンを害するためにああやって洞窟の入り口で待ち構えているというのに。違う?
「理沙?」
促され、理沙は自らの懸念を口にしようとしたが、しかしそれが言葉になることはなかった。
光の軍刀を抜いた大洞が、全員の視線を集める。
「ではこの編成で行くことにする。
ユリウスくん、天城くんと打ち合わせはすませたでありますか?」
『俺ならいつだってOKだぜ!』
ユリウス プッロ(ゆりうす・ぷっろ)が応えるより先に、銃型HCから天城 一輝(あまぎ・いっき)の声がエンジン音と共に聞こえてくる。
「よろしい! それではこれより蒼空学園女生徒救出作戦を開始する!」
刻々と時は流れ、陽は森林の海に沈み始めた。視界に入る物みな全てが赤みがかった黄金色に染まり、宵闇の到来を告げる風が軽く砂埃を巻き上げる。
今この時、乾いた地を踏みしめ、赤き鋼鉄の衣を纏った騎士が敢然とその姿を死龍の目前に現した。
「死したる龍よ! 非なき我が学友をこのような地まで追い詰め、怯えさせるきさまをこれ以上許してはおけぬ! 今すぐこの地を立ち去るならばよし! でなくばこの蒼空の騎士パラミティール・ネクサーがきさまの相手だ!」
高らかと宣言するエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)の口上に反応して、ゆらりと死龍の注意が洞窟を離れた。
頭部の眼窩で赤い光点が暗く瞬き、エヴァルトに焦点を合わせる。同時に、エヴァルトは円を描くように右に走り出した。
「くらうがいい!」
放たれた奈落の鉄鎖が死龍の尾骨に絡みつき、地表へ引きずり下ろそうとする。
死龍は骨のみのため鉄鎖の効果は薄かったが、エヴァルトの引く力もあって重心が大きく崩れた。
ぐらりと死龍の体が傾いたのを見計らって、大洞が茂みから飛び出す。
「行け! やつは必ず自分たちが食い止める! 足を止めるな!」
「おお!」
大洞 剛太郎(おおほら・ごうたろう)、田村 健太郎(たむら・けんたろう)の2人が機関銃とアサルトカービンでそれぞれ援護射撃を行う中、茂みから一斉に飛び出した救出チームは洞窟へとまっすぐ走って行く。
骨の関節部を狙って放たれた銃弾の雨。しかし死龍は巨大すぎた。機関銃は小片を撒き散らすにとどまり、動きを止める決定打にはなり得ない。
鉄鎖により一瞬ぐらつきはしたものの、尾のひと打ちで難なくエヴァルトを背後の木に叩きつけた死龍は、即座に自分の前を走り抜けていく人間たちの存在に気づいた。
救出チームは大洞の言葉通りひたすら洞窟を目指し、たどり着いた順に入り口をくぐっているが、1度に1人分しか入る隙間はないため、そこで何人か順番待ちをする者が出てしまっている。
洞窟に侵入する彼らを見て、死龍が鎌首をもたげ、大きく伸び上がった。ヘビがよくやる攻撃態勢だ。
「なんの!」
がばっと身を起こしたエヴァルトが、今度は自分に鉄鎖を巻きつけながら死龍の尾骨に飛び乗った。動きを止めず、そのまま首目掛けて背骨を駆け上がる。しかし身じろいだ死龍のうねりに足元をすくわれ、大きく跳ね上げられてしまった。
空中で無防備となったエヴァルトを噛み砕かんばかりに死龍の口が大きく開かれる。
「させません!」
氷術の詠唱を始めていた六鶯 鼎(ろくおう・かなめ)が、すばやく攻撃方法を切り替えて二丁拳銃を取り出した。このまま骨を狙ってもびくともしないのは承知の上だ。唯一の弱点に見える、眼窩の光点を狙ってトリガーを引き絞る。
同時に、太陽を背にして現れた影が、死龍の目前、エヴァルトとの空間を分かつように銃弾の雨を降らせた。
「おっとっと、そういうのはナシだぜ、かわい子ちゃんよぉ!」
どこか楽しげな声が続く。小型飛空艇に乗った一輝だった。助手席を外して設置した機関銃で正射し、弾幕を張ることで死龍の攻撃を阻止する。
「一輝!」
「おう、星宮」
同じく小型飛空艇に乗った星宮 梓(ほしみや・あずさ)が横につけ、彼にロープの端を放った。受け取った瞬間、彼女が何を狙っているかに気づいて大きく笑みを浮かべると、同じようにハンドルに巻きつける。
「行っくよぉーっ」
「オーケーイ!」
ロープの両端を互いに持ったまま、2人は死龍の前に回り込み、左右に展開した。何をするつもりか、死龍に悟られる前に一気に上空目掛けてスロットルを全開する。
伸び上がったままの死龍の喉骨に引っ掛けて、仰向けにひっくり返そうとしたのだ。
しかし、2台の小型飛空艇よりも死龍の力の方が遥かに強かった。
「……ッ!」
仰向きに倒そうとする力に逆らって前傾した死龍を中心に2台の小型飛空艇は紐付きボールのように回転し、真正面から激突しかかる。一輝が上昇し、梓が下降することで紙一重でかわすことに成功したのは、偏に2人の操縦技術が卓越していたからだ。
しかし、その瞬間完全に2人の意識は死龍から離れていた。
死龍が大きく伸び上がり、前後に身をゆする。
「うわあっ」
「きゃああっ!」
ロープは引きちぎれ、一輝は遠く振り飛ばされて、梓は洞窟をふさぐ落石に叩きつけられた。
小型飛空艇より投げ出され、地面を転がる。それによって梓はからくも一命をとりとめた。もしも小型飛空艇に残っていたら、真っ二つに割れた落石から剥落した岩によって、小型飛空艇ごと押し潰されていただろう。
「いたたたた…」
落ちる際、強打した右肩を庇う梓の上に影が落ちる。
死龍の左右には、キラキラと輝く氷片が出現していた。死龍と比較すれば小さな氷片だが、それがかなりの大きさであるのは想像に難くない。加えてこの距離では、体勢の崩れた梓にかわせるはずもなかった。
攻撃に対し、身を硬くした梓。その時。
ガシッ、そんな硬い音と共に巨大な影が出現し、死龍に真正面から組みかかる。それは梓のパートナー、全長5メートルの巨大な猿のゆる族・大樽 エンジン(おおたる・えんじん)だった。
その巨体では近づくまでに気づかれそうなものだったが、梓や一輝の善戦と光学迷彩によって、今こうしてその腹部にがぶり寄っている。そして巨体を活かし、死龍に頭突きを食らわせると肋骨をわし掴みして両脇から握り潰さんばかりに締めつけた。
「いやーんっ、エンちゃんかっこいー!」
「…うごっ」
この時ばかりは自分の体の痛みも忘れて、飛び上がって応援する梓。梓に褒められて、エンジンも嬉しそうにますます締めつけを強化する。
その後ろで、デーゲンハルト・スペイデル(でーげんはると・すぺいでる)が梓の小型飛空艇とその上に乗った落石ごと、洞窟の入り口を氷結していた。
「あら、なんだか背中がひんやり……ってあんたッ、何あたしの愛車凍らせてんのよ!」
「もう動かぬのだから問題あるまい。チームも全員内部への侵入を果たした」
「だからってねぇ!」
「石が割れて、補強が必要になった。なに、中のやつらなら出てくる時に軽く吹き飛ばすさ」
梓の小型飛空艇に引導を渡しながら、悪びれもせず淡々と答えるデーゲンハルトに、さらにたたみかけようとした梓だったが。
「うがーっ!……うがーっ……うがーっ」
「エンちゃんっ?」
遠ざかっていくエンジンの声に振り向いた梓の目に映ったのは、木々をへし折りながら高速で吹き飛ばされていくエンジンの小さな姿だった。
「エンっちゃーーーーん!」
「やれやれ」
大急ぎで後を追って走る梓と一緒に、デーゲンハルトも死龍から距離を取るべく走り出す。
2人に再び攻撃をしかけようとした死龍を狙って樹上より放たれたのは、戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)の銃弾だった。
スナイプ効果でまっすぐ右目の光点に向かって飛ぶ銃弾。しかしそれは、巨獣狩りライフルのたてた発射音の波を感じ取った死龍の放った氷弾によって、数メートル手前で砕かれてしまった。
相殺された銃弾と氷弾の粉塵の後ろから影矢のように放たれていた高速の氷弾が、銃弾の軌道を逆進して小次郎に迫る。
「! ……ちぃッ」
かろうじて顔面への直撃は免れたものの、左肩を貫かれ、小次郎は声もなく落下した。
「やめて……もう、もうやめてくださいっ」
次々と負傷者の出始めた仲間の姿に耐えかね、マリア・クラウディエ(まりあ・くらうでぃえ)が声を上げた。
小次郎が地表に叩きつけられた音に耳を塞ぎ、顔をそむける。その正面、死龍は彼女のすぐ傍まで迫ってきていた。
地表から2メートルほどの高さで浮いているとはいえ、天を見上げるほどに喉を伸びきらせても顎までしか見えない巨体の迫力に押され、とっさに次の言葉が出ない。
「おやめなさいマリア、危険すぎます!」
引き離そうとしたノイン・クロスフォード(のいん・くろすふぉーど)からの接触に、気を取り戻したマリアは、ぐいとその手を押しやった。
「どうして……どうしてここに現れたの? あなたは森の奥深くにいて、人里には出てこないって聞いたわ。とても穏やかで、捕食したりしないって。そんなあなたがどうして人を襲ったりするの? どうして?」
「そ……そうだよっ!」
とは音井 博季(おとい・ひろき)。勇気を振り絞るように両手を握り締め、声を張り上げた。
「ここは、あなたのいる所ではないはずだ! もう飢えることもないあなたが、他の生き物を襲うなんておかしいよ! 死ぬほどつらい目にあったのに、こうしてよみがえってまた同じ痛みを味わうだなんて、そんなばかなことってない!
お願いだから、元いた場所へ帰ってよ。僕たちにこれ以上あなたを傷つけさせないで!」
博季の声を震わせながらの叫びに、誰もが動きを止めた。
魔法を発動させるための詠唱も止まり、しんと静まり返った中。
場の空気を読めない遠方から、一輝が現れた。
「てめー、さっきはよくもやってくれやがったな!」
「あ、ばか一輝っ」
ユリウスが大急ぎ銃型HCで連絡を取ろうとするが、時既に遅し。
「うわあぁぁぁーっ」
一輝はうるさい蝿のように死龍の尾によってはたき落とされてしまった。
「危ない!」
落下してくる一輝に、今度こそノインは有無を言わせぬ力でマリアを抱き込み、瞬時にその場を離脱する。ぎゅっと目を閉じ、身を固くした博季を救ったのは、小次郎だった。
「あ、ありがとう…」
「博季殿、気持ちは分かりますが説得は無理でしょう。相手には既に魂がないのだから。あれは、ただ動いているだけの骨にすぎないんです。おそらくは、何者かに命じられて」
「そんな…」
「そうそう。自分もそう思うよ、残念だけど」
全身を覆って流動するヒロイックアサルトの輝きに包まれ、空飛ぶ箒でふよふよと浮きながら、不動 煙(ふどう・けむい)は小次郎に賛成した。
再び戦闘を開始した死龍を見上げながら、残念そうに舌打ちをする。
「できれば自分の仲間にしたかったんだが。あれを操っているのはおそらく――」
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