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命短し、恋せよ乙女

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命短し、恋せよ乙女

リアクション

第三章
「恋をするということは、好きな人にもっと自分を見て欲しい、知って欲しい、と思えるようになることでもあるの」
 2日目の朝も、よく晴れて気持ちのよい青空が皆を迎えた。
「まず、そのきっかけを自分から作るのも大事よ」
 喫茶店のテーブルを囲み、真剣な顔でレクチャーを聞くフレイルの様子を見て、崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)ふと考える。
 フレイルは既に人の身を取って何度か街に降りてきている筈だ。
 その中に、全く出会いが無かったという事はあるまい。
 ではその出会いの中で、彼女は何も感じなかったのか、という疑問が浮かぶ。

 蝶の雌は求愛を受ける側だから、出会いを感じ取れなかった?
 それとも、自分の正体が蝶である事に不安があったのだろうか。

(ま、それはどっちでもいいわ)
 色香漂う肉感的な美女が、美しい指先を細い顎に添えて、じっとフレイルを見る。
 この、うぶな少女に誘惑する術を与えるというのが、今は先決だ。
「その為に、女の子の弱い部分をね、さりげなく自分から見せに行くのよ。大胆に行ける性格じゃないだろうし、ね?」
 そう言って彼女はショールを少しずらし、華奢な首筋を露わにした。
「例えばそれは肌だったり、小さな肩や背中だったり、暑がるふりして胸元を開けたり、髪を梳き上げたり」
 丸い肩のラインに、美しいデコルテ、そこから続く豊かな谷間。実演を交えた亜璃珠のセクシーなアプローチの数々に、純情なフレイルはその仕草だけで真っ赤になってしまった。
「わ、私に出来るでしょうか……」
「あら、出来るかじゃないの、するのよ。恋のきっかけ作りと言ったでしょう?」
 迷ってる暇は確かにないのだから、アドバイスは聞いておくべきなのだろうと、フレイルは真っ赤になりつつも、真剣な顔で頷く。
 熱くなった頬を押さえておろおろしているフレイルが不憫になったのか、助け船を出すよう、騎沙良 詩穂(きさら・しほ) が声を掛ける。
「え、ええと……っ。詩穂もね、今とても難しい恋をしているの」
 詩穂の声に、フレイルは顔を上げた。笑顔を向けた詩穂は、そのまま、自分の恋の事を話し始めた。
「相手は、アイシャ・シュヴァーラ、アイシャちゃんって言うんだ。シャンバラ女王になっちゃったんだけどね。それでも詩穂は、前と変わらずに幸せにしてあげたいと思うの」
 例えば、フレイルが魔法の蝶という、人とは違う存在であるように。
 彼女が愛する存在も、ただの女の子ではいられない存在だ。
「恋をすると疑問ばかり。当たり前でしょ? ねえ、答えが分かってたらときめかないでしょ。楽しいことしかない恋愛って成長できないと思う」
 恋に恋する、今のフレイルでは少し難しいかも知れない。けれど、その時がきたらきっと分かる筈だ。
 なんで、どうして? そう自問する夜を何度も過ごして、うまくいかない事が度々にあっても、捨てられないのが恋だから。
 いつだって上手に難問をクリア出来ればいいけれど、高い壁に阻まれるように、前へいけずにぐるぐるとその場で悩み続けることだって、ある。
 それでも、胸に住み続ける笑顔があって。届かせたい言葉や、想いがあるから……恋は続いていくのだ。
「恋愛は他人がするもんじゃないよ。2人がするものなんです。だから人の目は気にしないでいいと思うの」
 2人が幸せでいられるなら。
 詩穂は笑った。
「ねえ、迷ったら思い出してね」
 それは、詩穂の恋の経験が言わせる言葉だから。
「2人がするのが、恋……」
「そう、2人で」
 フレイルの呟きに頷いて、詩穂は繰り返した。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 2日目のデートは、映画館から始まった。
 フレイルは映画は初めての経験だったようで、パンフレットを抱えて嬉しそうに感想を神崎 優(かんざき・ゆう)に告げる。
「凄い、迫力でした……」
「大きなスクリーンもだけど、音も違うからな」
 それを頷いて聞いてやりながら、優は手を繋いで、フレイルをエスコートした。
 残り僅かな命だからこそ、優は彼女が恋人に望む事をしてあげたいと思っていた。だが。
 大人しい性格のせいもあるだろうが、フレイルの望むものはひどく素朴なものだった。
 秋の空の下を歩く。手を繋いで、のんびりとした歩調で。
 それだけでいいんですと、フレイルは言う。
 ならば、せめてと、優は自分の恋愛観を話して見せた。
「好きと愛情の違いは……好きは相手に好意を抱く事で、愛情はその人を一途に想う事だと、俺は思う」
 隣を歩く少女は、頷きながら優の話を聞いている。
「その人を想うだけで心が温かくなったり、胸が一杯になったり、その人と一緒にいたい、もっと近づきたいと願ったり、その人と居るだけで心が満たされ、幸せな気持ちになるならば、それが恋なのではないかと」
「優さんにも、そういう方がいらっしゃるんですか?」
「あ、い、いや……」
 目に見えて優の態度が崩れたのを見て、フレイルはふふと、楽しげに笑う。
「いいですね、私も自分の恋を、ちゃんと見つけたいです……」

 そんな二人の様子を、影から見守る3人の姿があった。
「……今のところ、順調のようですね」
 陰陽の書 刹那(いんようのしょ・せつな)は、主の背を追うように視線を向けたまま、そう呟く。
「きっと、これでフレイルも答えを見つけられるさ」
 神代 聖夜(かみしろ・せいや)はそう言って、僅かに俯いた様子の神崎 零(かんざき・れい)を見る。
 3人で相談して、優を送り出したのだ。フレイルの為に行動出来るの彼しかいない、と。
 しかし、零は優のパートナーであり、婚約者だ。フレイルを応援したい気持ちはあるが、複雑な胸中ばかりは誤魔化しようがない。
「そうですね……ええ、優なら、きっと」
 自分を納得させるよう、零はそう呟く。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「ちょっと、そっち詰めてちょうだい? ほらエリス、笑顔よ笑顔っ……! 痛っ」
「きゃっ、足踏みましたか? 魔姫さんすみません」
「狭い……です。でも、笑顔……です」
 狭いブースで肩を寄せあい、白雪 魔姫(しらゆき・まき)エリスフィア・ホワイトスノウ(えりすふぃあ・ほわいとすのう)は、フレイルと共に、ガイドの示された画面に向けて笑顔を浮かべる。
 3人は今、繁華街のゲームセンターに来ていた。クレーンゲームやリズムゲーム、格闘ゲームなどの機械が所狭しと並んでいる。
 クレーンゲームで手に入れた可愛らしいぬいぐるみを抱え、次に向かったのはプリントシール機。
 周囲は様々なゲームの音が反響して、非常に賑やかだ。
『……いくよぉー!3、2、1っ』
 プリントシール機が、シャッターのタイミングをアナウンスする。
 カシャッ!

「後は出来上がりを待つだけよ。そうそう、このバージョンは外のモニターでデコも出来るのよね。フレイル、やってみる?」
「はい……! あ、エリスさんもやりましょう?」
「はい、お手伝いします」
 3人はまた肩を寄せあうようにして、撮影ブースの外に設けられたデコ用のモニターを覗き込む。
 キラキラ素材で囲みを作ったり、スタンプで賑やかにしたり。手書きの文字で3人の名前を描いたら、オリジナルシールの出来上がりだ。
「……お友達との写真、初めてです」
 ブースの端に下げられたハサミで3等分したシールを眺めて、嬉しそうに微笑むフレイルに、魔姫は大げさねと笑う。
(でも……楽しんで貰えて、なによりだわ)
 恋人とのデートというよりは、友人同士のお出かけといった感じだけれど。今こうして輝くような笑顔を見せているフレイルの様子を見れば、きっと間違いではなかったのだろうと魔姫は思い、自身もシールをもう一度眺めた。

「ふふ……いい笑顔」
「ですね」
 写真の中で微笑む3人の姿は、本当に楽しそうな、明るい笑顔を浮かべていた。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「素敵なお嬢さん、お近づきのしるしに薔薇をどうぞ」
 にっこりと笑みを浮かべて、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は両手一杯の薄紅色の薔薇をフレイルに差し出した。
「まあ……ありがとうございます」
 棘は全部抜いてあるから、香りを楽しんでと言って、エースはフレイルをテーブルのある公園に誘った。
「あ、フレイル! べっ別に、フレイルを待ってた訳じゃないんだからねっ」
「フレイルちゃん、こっちこっちー!」
 そこには、村主 蛇々(すぐり・じゃじゃ)リュナ・ヴェクター(りゅな・う゛ぇくたー)がフレイルのデートの帰りを待っていた。
「フハハハ、この天才科学者ドクター・ハデスにかかれば、恋愛の1つや2つ、成就させるのはたやすい!」
 さらにドクター・ハデス(どくたー・はです)もエースの淹れたハーブティのカップを片手に、何だか偉そうに座っている。
「まあまあ。フレイルさんもお茶をどうぞ」
「ありがとうございます。いい香り……」
「うん、植物を育てるのが趣味でね。ドライハーブもいいが、摘みたてのハーブで作るお茶も、新鮮で美味しいんだよ」
 そして、ティーパーティが始まった。 

「ん、このお菓子美味しいわね……。と、とことで話は変わるけれど」
 ちらちらと気にする様子を見せながらも、話し掛けるタイミングを失っていた蛇々は、お菓子を手にしたフレイルを見て、どうにか口火を切る。
「なんですか、蛇々さん」
 フレイルが首を傾げる。
「く、クッキー作るわよクッキー!」
 別に私が食べたいとかあんたに興味があるとかじゃ無いんだからと、強がるように言いながら、蛇々は贈り物を手作りしてみたらどうか、とフレイルにアドバイスする。
「ねえ、一緒に作ろ? わたしも蛇々お姉ちゃんと一緒にクッキー作り手伝うよ。皆で楽しくおしゃべりしながらお菓子作ると楽しいもんね!」
 にこにこと、無邪気な様子でリュナが誘う。
「お菓子作り……ですか」
 自分で何か作るという発想には至らなかったようで、フレイルは蛇々の提案に目を丸くした。
「まあその……バレンタインデーの時みたいにさ、恋した相手に贈り物とかしたら、互いに嬉しいし、記念になるかと思ったのよ」
「そうですね……贈り物は、嬉しいですものね」
 隣の椅子に置いた、エースに貰った薔薇の花束を見て、フレイルは頷く。
「でも……私、お料理は作った事なくて」
「大丈夫よ、フレイルちゃん! クッキーの形が不格好になってもいいの。大事なのは気持ちなんだから」
 ラッピングに工夫したりしても楽しいと思うよと、リュナは笑顔でフレイルを励まして。
「そう……ですね。お菓子づくり、やってみようと思います」
 パートナーと仲良く話している姿は、こんなにも元気なのに。
(あと少ししか時間がないなんて……嘘みたい)
 フレイルを元気づけたい、その恋に一花添える事が出来れば。蛇々はそう思って、手作りのプレゼントを作る手伝いをしたいと思ったのだ。
「……一生懸命なあんたを見てたら私なりに手伝ってあげたくなっただなんて……」
「蛇々さん? 何か言いましたか?」
 小さく漏れた言葉を耳にしたのか、フレイルがこちらをじっと見つめてくる。その視線が何だか恥ずかしくて、蛇々は飛び跳ねるように席を立った。
「な、何でもない。……わ、私、材料の買い出し行ってくる!」
 照れ隠しのように走り去る姿に、くすりとリュナが笑って、フレイルの耳元に囁いた。
「蛇々お姉ちゃんね、フレイルさんの事、一杯応援したいんだよ」

「ところで、フレイルさんは、どんな人が好きなの?」
 お茶で喉を潤し、お菓子を摘み、しばらくの談笑ののち、エースはそんな話題を振った。
「……どんな人……」
 改めて言われると戸惑うようで、フレイルは小さく首を傾げる。皆さん素敵で、優しくて。だから……。
 その答えは、まるで、恋に恋する少女のまま。
「ああ、ごめん。難しいなら今はいいよ。それよりお茶のお代わりは?」
「はい、いただきます」
 可愛い女の子には笑っていて欲しい。幸せであって欲しい。このひと時が彼女に喜んで貰える時間であればと、エースは思う。だから、ひどく脆い表情を見せた彼女に、それ以上の答えを彼は求めずにいた。
 残り時間は、あと2日。
 しかもその半分以上を過ぎてしまった。
(寿命の事は自然の摂理だから仕方ないよね)
 切ない気持ちを押し隠して、エースは笑みを浮かべる。
(来年には、フレイルさんの子供と会えるといいな)
 そんな切ない願いすら、口にするのはためらわれた。

「ククク、悩んでいるな、フレイル! ならばこの天才科学者ドクター・ハデスが解決してやろう!」
 感傷的な空気など全く読まずに、すっくと立ち上がったハデスは、眼鏡を押し上げながらフレイルに向かって言い放った。
 ちなみに彼、研究一辺倒が仇になったか、恋愛経験は皆無である。
 そんな彼が放つ、究極のプロジェクトとは!!
「プロジェクト・アフロディーテ第一段階、出会い編! さあ、この食パンをくわえて曲がり角をまがるのだ!」
 ぽかーんと、その場の誰もがあっけに取られる。
「え、あ、あの……?」
「遅いっ! 計画を成功させるには実地あるのみ! さあかかれっ」
「え、え……はい」
 勢いに呑まれ、フレイルはぎくしゃくと立ち上がってパンをくわえる。が、無論意味など分かっていない。
 曲がり角に見立てたテーブルを曲がって、曲がって……?
 今度は、衝突する相手がいない。
「むう、仕方ないっ」
 再度挑戦。
 今度は無事にハデスに衝突しました。
 必殺、『曲がり角で出会い編』 の完成である。

「次は、第二段階、惚れ直し編! さあ、不良な彼が捨てられた子犬にミルクをやっているところを見て、胸をときめかせるのだっ!」
 そう言って、いそいそと犬の着ぐるみを着るハデス。
「むっ、登場人物が足りないなっ! エース・グランツ、不良役としてそこに立つがいい」
「え、俺も?」
 ……面白い寸劇が始まったと思ったら、巻き込まれました。

「最後は、最終段階、告白編! さあ、この手紙を渡して体育館の裏に呼び出すのだ!」
 果たし状と書いた手紙が、ハデスの手には握られていた。
 これは、ツッコむべきか、面白いから放っておくべきか……。
 息を呑むギャラリーであった。

「あはは、面白かったわねー」
 くすくすと笑いながら、朝野 未沙(あさの・みさ)は、先ほどのやりとりを思い出す。
「さ、疲れたでしょフレイル。マッサージしてあげる」
 秋風は夜にもなると冷たく感じる。
 外気も冷えてきて、風邪を引かないようにと、休憩出来る場所に移動してからの事だ。
 未沙はフレイルを長椅子に座らせると、その肩に手を掛けた。
 皆が彼女の事を思って、色々としてくれているようだが、全部を一気にやったら疲れてしまうだろう。
 だから、と、未沙はフレイルの身体の凝りをほぐすように、マッサージをする。
 華奢な少女の肩は、緊張にか確かに張っていた。
「痛くない?」
「はい、大丈夫です……ありがとうございます」
(本当は、もっと気持ちイイ事もしてあげたかったんだけどなぁ……)
 忘れられない体験を与えてあげようと思ったのにと、未沙はやや残念そうに、ちらりと周囲に視線を流す。
「今日も一日楽しかったようだね。疲れたかい?」
 ナイトのようにフレイルを見守るトマスや、身辺を護る者らの目を気にしないで、事を進めるのは如何にも難しい。
 一時でも、忘れられない思い出をあげたかったのは本当。
(残念。でもこっそり……☆)
「ひゃあっ、く、くすぐったいです……」
 正解は、耳裏を軽く撫でただけ。
 くすくすと笑いながら、未沙は目を細めた。

 こうして、それぞれの思いを受け止めながら、2日目の夜は更けていく。