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初日の出ツアー 馬場正子ご一行様

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初日の出ツアー 馬場正子ご一行様

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【三 水晶亭を目指して】

 自由休憩が終わり、いよいよフライデンサーティンの山路に挑む、という頃合となった。
 陽光は僅かに傾き始め、山頂から吹き降りてくる強烈な颪が、麓全体をひんやりとした冷たい空気へと変じさせつつある。
 ツアー一行はそれぞれ各班毎に隊列を組み、エルリムの南端に位置する街門へと足を向けた。この南の街門を抜ければ、そこから先は大自然が左右に広がる山路である。
 これからどんどん陽が傾いていって、明るさは急速に失われていく。本来であれば登山時刻としては最悪の時間帯を迎えることになるのだが、御来光を拝む為のスケジュールとしては、これは止むを得ない。
 第一班と第三班が並行して先頭を進み、南の街門を越えて山路に入った。
「いやぁ……いよいよ、山だよ、山。誰に強制されることも無く、自分の意思で登ることが出来るってのは、やっぱ楽しいよなぁ」
 第三班に振り分けられたヴァイス・アイトラー(う゛ぁいす・あいとらー)が嬉々とした表情で、目線を足元から前方に伸びる斜面へとゆっくり這わせた。
 過去の様々な苦労を伴う登山経験に思いを巡らせ、一瞬だけ面を曇らせたヴァイスではあったが、そんな暗い色はすぐに消え去り、再び嬉しそうな笑みを口元に湛え、一歩一歩踏みしめるように、力強く山路を行く。
 そんなヴァイスの姿を、第二班に参加している及川 翠(おいかわ・みどり)が遠巻きに眺め、心底驚いたような表情を浮かべていた。
「へぇ……凄ぉい……あんなに張り切ってるひとも、居るんだぁ……」
 元々翠は、フライデンサーティンに挑む気など、さらさら無かったのである。にも関わらず、彼女がこのツアーに顔を見せている理由はただひとつ。
 正子に逆らえば何をされるか分かったものではない、という恐怖心からであった。
 そんな翠の心情を誰よりもよく理解しているミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)などは、当初から正子を快くは思っておらず、度々、
「あのひと、一体何様?」
 と、露骨に不平を口にし続けていた。
 それでも参加した以上は、責任を持って翠を山頂までサポートする腹を括っているミリアではあったが、彼女の場合、単に翠の面倒を見れば良いというだけでは済まない。
 実際のところ、ミリアはアリス・ウィリス(ありす・うぃりす)の手も引いてやらねばならなかった。
「……ねぇ、私どうして、ここに居るのかな? 何だかよく分からないうちに、翠ちゃん達に連れてこられたんだけど……」
 エルリムの街に至るまでに、アリスは何度もそう、こぼしていた。つまり、翠以上にフライデンサーティンへの挑戦という事実を認識していなかったのである。
 そんなアリスが迷子にでもなってしまったら、それこそ目も当てられない。
 ミリアは翠とアリス、ふたりの少女の面倒を見る母親的な役割を、この場で求められていたのである。
「ホント……馬鹿なんじゃないの、あの正子ってひと!」
 尚もぶつぶつと文句を垂れ続けているミリアだが、彼女の声は全て、第二班のすぐ後ろを歩いている正子の耳には筒抜けであった。
 幾ら正子が怖いとはいえ、最終的に参加を決めたのは翠自身の意思である。つまり、翠は己の心の弱さに屈したのを、単純にひとのせいにしているに過ぎない。であれば、ミリアの怒りは完全なる逆恨みなのであるが、しかし正子は別段ミリアに対して悪感情を抱く訳でも無く、僅かに苦笑を浮かべるのみであった。
 そんなミリアの怒りを嘲笑うかのように、前方を行くヴァイスの足取りは極めて軽い。
「うむ、序の口からして、この傾斜……これは厳しい道のりになりそうだが、心身の鍛錬にはもってこいだ」
 ヴァイスと肩を並べるセリカ・エストレア(せりか・えすとれあ)も、矢張りどこか嬉しそうな面持ちで、視線を前方にしっかりと据えたまま、力強い足取りで斜面を進む。
 ヴァイスといい、セリカといい、副班長たるリリィが掲げる前進一点主義の精神を見事に体現しているといって良かった。
「何があろうと、頂上まで登り切ってみせるぞ。ヴァイス、途中下車は無しだからな」
「勿論だとも! 絶対、ゴライコウを拝んでやるさ……ところで、ゴライコウって何?」
 気合十分のセリカだったが、ヴァイスのこのひと言には危うくずっこけそうになった。

 第五班、別名清掃班に振り分けられていた南天 葛(なんてん・かずら)は、この初日の出ツアーに参加することで新しい友達を作ろうと考えていた。
 そんな葛の想いに天が応えたのかどうかは分からないが、同じ清掃班に木賊 練(とくさ・ねり)が振り分けられたのは、葛にとってはまさに天運であったといって良い。
 そもそも出会いの切欠は、ヴァルベリト・オブシディアン(う゛ぁるべりと・おびしでぃあん)が持参していた巨大な風呂敷をダイア・セレスタイト(だいあ・せれすたいと)が強奪し、その様を練が目撃していたという、幾分コントっぽい展開でふた組が出くわしたことにあった。
 清掃班に振り分けられるだけあって、練は道中、山路脇に放置されているゴミを収集し、その中に金属製の部品があればめっけもんという意識で今回のツアーに参加していた。
 ところが、ゴミを拾ったは良いものの、それらを収める入れ物にこと欠いた。持参したゴミ袋ではすぐに満杯になってしまい、どうしたものかと悩んでいたところへ、ヴァルベリトの巨大な風呂敷が目に留まった、という次第である。
「うわあ! 凄く大きい風呂敷だね! もう一枚、持ってないかな?」
 練が双眸を輝かせて問いかけてみると、ダイアが狼の口元に柔らかな笑みを湛えて頷き返した。
「えぇえぇ、どうぞ使って下さいな。こんなもので宜しければ」
「っておい! オレの商売道具をゴミ袋にってかぁー!? 勘弁してくれー!」
 ヴァルベリトの半ば悲鳴にも近い哀願の声は、しかしダイアによって冷たく一蹴される始末である。
 そんなやり取りに幾分引きつった笑みを浮かべながらも、彩里 秘色(あやさと・ひそく)がお礼にとばかりに、握り飯を詰め込んだ弁当箱を葛達に差し出してきた。
「いやどうも、本当に恐れ入ります。良かったらこれ、如何ですか?」
「あ、わぁい! ありがとう! 頂きまぁす!」
 よもやこのような特典が待ち受けているとは予想だにしなかった葛は、心底嬉しそうに、秘色が差し出した弁当箱に手を伸ばした。その間も、練は山路の左右に鋭い視線を飛ばし、お宝(ただの金属ゴミだが)は無いかと神経を尖らせ続けている。
「それはそうと……ゴミっていうのは基本的に、下山の際に拾うという話ではないのですか?」
 秘色が僅かに眉を顰めて問いかけると、練はふふんと鼻を鳴らし、ドヤ顔を振り向かせて曰く。
「なぁにいってんのよ! そんな悠長なことしてたら、他のハンターに先越されちゃうじゃん! こういうのはね、先に拾ったもん勝ちなんだよ!」
 ゴミ拾いをハンターと呼ぶ辺り、矢張り練の感覚は通常一般から少し、ずれているようにも想われる。
 こうなるともう、秘色もはははと乾いた笑いを返すしか無いのだが、その一方で、葛は練のバイタリティー溢れるゴミ拾いパワーに、何やら運命的なものを感じているようであった。
「凄いなぁ……まだ登ってる途中なのにゴミ拾いだなんて、偉いな〜! ねぇ、良かったらボクにも手伝わせてくれない?」
 葛の申し出に、練は気分良く頷き、自らの胸元を右の拳で軽く叩いた。
「そりゃあ願ったりあなぁ。あたしは練。君は?」
「あ、ボクは葛! どうぞ宜しくね!」
 練と葛のやり取りを、ダイアが目を細め、まるで母親のような優しげな表情で眩しそうに眺めている。そのダイアの傍らでは、相変わらずヴァルベリトが、
「オレの風呂敷がー」
 などと喚いているのだが、当然ダイアの耳には届いていない。というよりも、意識的にシャットアウトされていると表現した方が正しいか。
 ともあれ、練と葛はまだ初対面に等しい時間を過ごしているに過ぎないのだが、和気藹々とゴミを漁る姿はどこか、長年の友人同士を思わせる親密さすら窺わせた。
 尤も、葛が空き缶を拾う素振りを見せると、練がすかさず、
「あーこら! そんなどうでも良いの拾ってどうすんの!」
 と叱責を加える辺り、既に上下関係が出来始めているのではないかと疑わせる節も、無くは無かった。

 意外な話だが、アレックス・キャッツアイ(あれっくす・きゃっつあい)アストライト・グロリアフル(あすとらいと・ぐろりあふる)の両名はリカインが班長を務める第四班ではなく、美羽とセレンフィリティが率いる第一班に、その姿があった。
 当初、アレックスは自主トレと勘違いして今回のツアーに参加し、冬山に挑む装備とは程遠い軽装しか用意しておらず、本当にこのままフライデンサーティンに突っ込んでいって大丈夫かと、周囲の誰もが心配の表情を露骨に見せる有様であった。
 流石にこれでは拙いということで、エルリムの登山用品店である程度の装備は整えたものの、それでもまだ心配だというリカインの意図を汲み、アストライトがアレックスのお目付け役を買って出たのである。
 アレックスはとにかく、先頭を奪うような勢いで進もうとしていた為、第一班こそ所属するに相応しいとの判断から、正子が態々美羽の下に配属させたのだが、果たしてこれが、正しかったのかどうか。
「大丈夫……大丈夫だ。水晶亭に着けば、取り敢えず生き延びられる……と思う。いや、そうに違いない!」
 半ば自分にいい聞かせるようにぶつぶつ呟きながら、ひたすら両脚を回転させて斜面を進むアレックスを、アストライトは心底呆れた表情で追いかける。
「おいおいおい。息子Jと出会う前に、途中でバテてくたばっちまうぞ」
 それでも何だかんだいいながら、アレックスにぴったりくっついて山を登り続ける辺り、アストライトの性格の良さが窺えるというものである。
 そんなアストライトの背中に向けて、ザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)が幾分笑いを含んだ声で応援とも冷やかしともつかぬ台詞を投げかけた。
「大丈夫ですよ……もしどちらかが倒れても、ヘルと一緒に引きずって行って差し上げますから」
「おいおい。それ、洒落になってねぇぞ。本当にそうなりかねん」
 特大のゴミ袋片手にザカコと肩を並べる強盗 ヘル(ごうとう・へる)が、渋い表情を浮かべ、低音で鼻を鳴らした。
 ヘルは道中、出来ればゴミ拾いも並行して進めようと考えていたのであるが、アレックスがあの調子で飛ばしていってしまっては、近いうちにゴミではなく、昏倒したアレックスを特大ゴミ袋の中に押し込まねばならない事態が到来するかも知れない。
 はっきりいって良い迷惑なのだが、実際にそうなりかねない怖さがあったから、余計に腹が立ってくる。
 ヘルは隣で笑っているザカコの端整な面ですら、見ているうちに何となく嫌になってきた。
「そりゃあ確かに、全体的な視点でサポートする役は引き受けたがよ……ああいう自業自得の面倒は、ちょっと御免被りたいものだぜ」
「まぁ、そういわずに……粗大ゴミと思って担いでいけば良いじゃないですか」
 何気無くしれっと口にしたザカコだが、このいい方も相当に酷いものであろう。口調こそ丁寧だが、本人が意識していないところで軽く毒を含んでいるのが、ザカコの恐ろしいところでもあった。
「しかしそりゃそうと……本当に山の陽は落ちるのが早いな」
 ヘルがいうように、つい先程までやや斜めに傾いた程度だった陽射しは、早くも西の稜線上に位置を落としつつあり、天を茜色へと染めようとしている。
 エルリムを出て結構な時間が経過しているのは間違い無いのだろうが、同じような景色が続いていた為、つい時間の感覚が鈍くなっていたのかも知れない。
 更に、気温も急激に下がってきているのが分かる。吹き降りてくる颪が肌に冷たく感じられ、汗が乾燥する際に体温を奪うのが、余計に寒さを助長していた。
「……厚めの防寒具を用意してきておいて、正解でしたね。コントラクターが登山中に凍死したのでは、笑い話にもなりません」
「ならよう、アレックスに一枚、貸してやった方が良いんじゃねぇか? 奴さん、寒いのを凌ぐ為にあぁして超特急で登ってるんだろ?」
 この場に於いては、ヘルの提案にこそ理がある。ザカコは幾分呆れたように小さく肩を竦めると、足を速めてアレックスの後を追った。
 既に、アレックスの姿は左右から迫る樹々の屋根が及ばない、岩肌が剥き出しの山路へと差しかかろうとしている。
 ザカコも同様に樹間を越え、殺風景な灰色の景色へと一変した山路へと身を躍らせた。
 そこで、彼は見た。数十メートル程登った位置に、幾つかの光点が夕闇の中で輝いていたのを。
「あれが……水晶亭」
 初日の出ツアー一行は、七合目に差しかかろうとしていたのである。