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初日の出ツアー 馬場正子ご一行様

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初日の出ツアー 馬場正子ご一行様

リアクション


【七 精霊と亡霊と夢魔と】

 白いラバーマスクの巨漢による襲撃は、まずカイとアイリーンが迎撃に当たったが、ふたりの勇猛なるコントラクターを相手に廻して尚ひるむこと無く、寧ろ力任せの無茶苦茶な攻撃で、カイとアイリーンを圧倒する程の破壊力を見せた。
「よく分からん奴だ……こっちの攻撃が、効いていないのか?」
 カイが唸ったのも、無理は無い。
 アイリーンとの即席コンビネーションで加えた打撃は、それなりの手応えがあった筈なのだが、ラバーマスクの巨漢はまるで苦痛を感じていないらしく、攻撃を加えた直後の隙が生じたカイやアイリーンに対し、容赦無い反撃を加えてくるばかりである。
 この怪物は本当に倒せるのか――そんな疑念すら湧いてくるような相手であった。
「どうした! 敵か!?」
 カイに遅れること数分、今度はエヴァルトが土間から飛び込んできた。この時エヴァルトが見せた反応は、矢張りカイと同じく驚きであると同時に、すぐさま臨戦態勢に入るという戦士としての気構えであった。
「ちっ……大学前の冬休みだってぇのに、結局これか!」
 しかし、ぼやいてばかりもいられない。
 見たところ、カイとアイリーンのふたりが相当に苦戦を強いられているのが、ひと目で分かった。エヴァルトは、単なる力押しでは通用しない可能性が高いと見た。
 では、どうするか――エヴァルトはほとんど反射的に、ある発想に至った。
「火村! ちょっとこっち来てくれ!」
 エヴァルトに呼ばれ、加夜が慌てて土間から顔を出した。既に騒ぎを聞きつけて大勢のツアー参加者達が、ことの成り行きをじっと息を潜めて見詰めており、加夜はそういった面々の間を掻き分けるようにして、エヴァルトの前に姿を現したのである。
「何か、お役に立てますか!?」
 幾分息を弾ませながら、加夜が応じた。エヴァルトはラバーマスクの巨漢にじっと視線を据えたまま、早口で指示を出す。
「あの野郎に、回復術を仕掛けてみてくれ! どんな結果になっても構わん! 俺が責任を取る!」
 加夜は、エヴァルトの意図を即座に察した。彼女が通常よりも効果の大きい回復術の発動態勢に入ると、ラバーマスクの巨漢は加夜の行動に危険を感じたのか、即座に踵を返し、隣の大広間と空間を隔てる板壁へと殺到した。
「逃げるのか!?」
 カイが叫ぶのとほぼ同時に、ラバーマスクの巨漢は分厚い板壁を、一切の破壊を伴わずにすり抜けていってしまった。一同は、まるで幽霊のように物理的障壁をいとも簡単に通り抜けてしまったことに、少なからず仰天した。
 だが、ひとりエヴァルトだけは冷静であった。
 確かに、分厚い板壁をすり抜けて逃走したことも驚きだが、それ以上に、敵が加夜の回復術を嫌がって場所を移したことの方が、遥かに重要なのである。
「あいつ、回復術を避けた……ということは、不死属性ってことか」
 エヴァルトの分析に、加夜は納得した様子で、両掌を小さく打ち合わせた。
 不死属性は生命を回復させるエネルギーで打撃を受ける、という話をよく聞く。加夜の回復術を避けたということは、あのラバーマスクの巨漢は不死属性であると考えて、ほぼ間違い無いだろう。
「それも、ただの不死属性じゃなさそうだ。俺達の攻撃を受けてびくともしなかった……いや、寧ろ更に力を得ていたようだ……あくまでもこれは推測だが、通常であれば生命を削る筈の打撃はそのまま、奴にとっては力の源に近しいエネルギーと化す、という訳か」
 カイが、奥歯をぎりりと噛み鳴らして更に分析を付け加えた。普通に攻撃を仕掛けるだけではまるで通じない理由が、そこにあったのだ。
 厄介な相手である。回復術を持つ者を多く揃えなければ、対抗する術が無いという結論になるのだ。
 今回のツアー参加者の中に、あのラバーマスクに対抗出来る程度に回復効果の高い術を駆使出来る者が、一体何人居るというのだろうか。
 だが、呑気に考えている暇は無い。
 分厚い板壁をすり抜けていった先の、隣の大広間では、早くも他のコントラクター達が、ラバーマスクの攻撃に晒されようとしていたのだ。

 突然現れたラバーマスクの巨漢による一撃を浴びて、まずセレアナが昏倒した。
 如何に教導団で日頃から訓練を積み重ねているとはいえ、完全な不意打ちを受けてしまっては、セレアナといえども完璧に対処出来よう筈も無い。
 しかも間の悪いことに、このフライデンサーティンでは一度意識を失うと、その瞬間に永遠の夢地獄の中へと落とされてしまうのである。
 今回のツアーでは幾分テンションが下がり気味であったセレンフィリティだが、突然セレアナを失ってしまったことで怒りの導火線に火が点き、いつも以上の精神的高揚が彼女の中で目を覚ました。
「よくも……やってくれたわね!」
 しかし悲しいかな、セレンフィリティには回復術の心得は無く、またカイやエヴァルトが下した分析結果も、まだこの大広間には伝わっていない。
 屋内である為、必然的に至近距離での格闘戦を強いられることになる。セレンフィリティは何の躊躇も無く、ラバーマスクの巨漢との間合いを一気に詰めていった。
「ひとりでは無謀です!」
 同室のザカコが慌ててサポートに入ろうとしたが、それよりも早く、セレンフィリティがラバーマスクの巨漢に弾き返され、ザカコもろとも大広間の板壁に叩き付けられてしまった。
 駄目か、と一瞬覚悟を決めかけたザカコだが、ラバーマスクの左右からヘルとリカイン、アストライトの三人が鉈を振るう右腕に組み付き、何とか動きを止めた。
「さっきまで隣が騒がしかったみたいだけど、犯人はこいつ!?」
 強引に三人を振りほどこうとするラバーマスクの怪力に負けじとしがみつくリカインだが、こちらが力を込めれば込める程、相手の腕力が増大しているような気がしてならない。
 しかしだからといって、しがみつく力を緩める訳にもいかない。この後、どのように対処すれば良いのか、リカインにしろヘルにしろアストライトにしろ、明確な判断を下せる者はひとりも居なかった。
「えぇい、くそっ! 何っちゅう馬鹿力だ! 三人がかりで、これか!」
 力任せに振り回される格好になってしまっている現状に、ヘルはつい毒づいた。いずれ三人がザカコやセレンフィリティ同様に弾き飛ばされるのも、時間の問題であろう。
 ところが、このどうしようもない乱戦は、思わぬ形で幕が下りた。
 隣の大広間から慌てて駆けつけてきた白竜が、カイとエヴァルトが下した不死属性に関する結論を、室外から大声で知らせてきたのである。
「その怪物は、不死属性です! どなたか、回復術を浴びせられませんか!?」
「お任せ下さいな!」
 幸いにも、この大広間にはリリィが同室していた。
 彼女は本職の僧侶である。今回のツアー参加者の中では、最も威力の高い回復術を駆使出来る人物であることは間違い無かった。
 リリィが回復術の発動態勢に入ると、加夜の時と同様、ラバーマスクの巨漢は慌てて三人を振り払い、今度は屋外と屋内を隔てる板壁へと殺到し、そのまますり抜けるようにして姿を消してしまった。
 途中まで回復術が完成しかかっていたが、相手が居ないのではどうしようもない。リリィは術の発動前に態勢を解除し、ひと息入れて室内をぐるりと見渡した。
 ラバーマスクの巨漢が離脱する直前に、リカイン、ヘル、アストライトの三人が相当な勢いで吹っ飛ばされ、室内に居た他の面々を巻き込みながら板壁に激突していたのである。怪我人が出ている可能性があった。
「あいててて……くそ、とんでもねぇ奴だな。裸SKULLも大概厄介だが、あの野郎も相当、曲者だぜ」
 アストライトがぼやきながら上体を起こしたが、その表情がすぐに青ざめる。
 見ると、アストライトが吹っ飛ばされた際に、彼の肘が偶然命中したのか、アレックスが気絶してしまっていたのである。
「ちょっと……嘘でしょ!?」
 リカインが慌てて駆け寄り、アレックスを激しく揺さぶってみるも、全く目覚める気配が無い。
 白竜が駆け寄ってきてアレックスの瞼を強引に押し開くと、予想通り、アレックスの瞳孔が完全に開き切ってしまっていた。
 その時、今度は別の大広間から、細波が押し寄せてくるかのような低いざわめきの声が聞こえてきた。
「次は一体、何ですの……?」
 リリィが幾分、うんざりしたように引き戸の扉から顔を出すと、廊下を挟んで反対側の大広間で、別の異変が生じているようであった。

 その大広間では、卑弥呼が突然悶絶し始め、畳床上で肢体をしなやかにくねらせていた。
 一見すれば随分と艶っぽい光景ではあったが、しかし今は、状況が状況である。その場に居合わせた誰もが、真剣な面持ちで卑弥呼の挙動ひとつひとつに、神経を尖らせていた。
「おいおい……マジか!」
 卑弥呼の状態を誰よりも早く理解したのは、当然ながら菊である。だが菊の表情には、あまり危機的な色は見られない。ということは、卑弥呼が今見せているこの現象は、必ずしも切羽詰ったものではない、ということになる。
 やがて卑弥呼は次第に落ち着きを見せ始め、畳床に突っ伏したままではあったが、荒れていた呼吸が静まりつつあった。頃合を見計らった菊が卑弥呼の傍らに片膝を付いてしゃがみ込み、表情を厳しくして問いかけた。
「……誰だ? 誰が、降りやがったんだ?」
 菊は、卑弥呼がイタコの才能を発揮して、口寄せの状態にあることを見抜いていた。当然ながら、菊が問いかけているのは卑弥呼に対してではなく、卑弥呼の口を借りて何かを語りかけようとしている、別の存在に対してであった。
 一瞬、室内が静寂に見舞われた。
 隣の大広間から、つい今の今までラバーマスクの巨漢と取っ組み合っていた面々も駆けつけてきて、ことの成り行きを、じっと息を潜めて見詰めている。
 やがて卑弥呼は、畳床に突っ伏したままの姿勢で、まるで別人かと思わせるような、低くしわがれた声を発し始めた。
「山から……全ての異物を、取り払え……」
「異物? 異物ってのは何だ?」
 菊が若干、苛々した様子で問い返すが、卑弥呼は反応が鈍く、すぐには次の声を発しない。と、そこへ天音が床を滑るように這って来て、菊を手で制しながら、卑弥呼に優しく問いかけた。
「異物を取り払うと、どうなるんだい?」
「……異物が、我が力を阻害する……奴らは、それを望んでいる……」
 菊と天音は一瞬、互いの顔を見合わせた。卑弥呼の口を借りているのは、どうやらこのフライデンサーティンそのものに該当する存在のようである。
 天音はひと呼吸置いてから、核心に迫る質問をぶつけた。
「君は……息子J、なのかい?」
「……そうだ」
 その応えに、全員が息を呑んだ。
 天音は大急ぎでタブレット型端末KANNAを起動したが、ネットワークに繋げる経路が無い。思わず、周囲のツアー参加者達に視線を走らせた天音だが、そんな天音の要求を誰よりも早く察したアストライトがするすると畳床を這って来て、籠手型HCを差し出してきた。
「俺のを使え」
「ありがとう、助かるよ」
 KANNAがネットワーク経由で、教導団のデータベースとの接続を確立した。天音は菊に頷き、質問を続けるよう促した。
「奴らってのは、一体何だい?」
「……来賀と、ブギー、だ」
 卑弥呼の声が終わる前に、天音は既に検索を終えていた。
 KANNAのLCDに表示されたそのデータを、他の面々にも見えるように指し示すと、リカイン、ザカコ、セレンフィリティ、そしてヘルといった顔ぶれが上体を乗り出して、画面上に食いついた。
 そこには、つい先程まで暴れ倒していた真っ白なラバーマスクの巨漢が映し出されていたのである。
「成る程ね……それが、奴の正体ですか」
 ザカコの声に、セレンフィリティは奥歯をぎりぎりと噛み締めた。
 LCD上に記されていたラバーマスクの巨漢の呼び名は、狂気の亡霊ブギー・スケキヨ
 殺人夢魔の来賀・イングランドと、狂気の亡霊ブギー・スケキヨが、フライデンサーティンの精霊である息子Jの敵であるという。
 事情はよく分からないが、フライデンサーティン上の全ての異物、即ち登山客が残していった全てのゴミを取り除けば、息子Jは本来の力を取り戻し、来賀とブギーを撃退出来る、とのことらしい。
 リリィが、リカインの隣でふむ、と小さく頷いた。
「何となく……分かってきましたわ」