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瘴気の霧の向こうから

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瘴気の霧の向こうから

リアクション


昏い輝き

「動き回る同胞たちについて、君たちの知っていることを教えて欲しい。彼らは、変わる前に何か言っていたかい?」
 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は拠点近くの茂みに身をかがめて、小さな植物達の声に耳を傾けていた。背後ではリリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)が周囲を警戒している。
 ――苦しんでいる。彼らは苦しんでいる。
 揺れる花が小さな声を上げる。エースはそれを聞き取り、問いを重ねた。
「苦しんでいる? それじゃあ、霧とやらが君らを苦しめているのかい?」
 ――霧は角持つ者の肉体の一部。彼の者も餌食の一柱。昏き石の輝きが、我らを奪う。
「奪う?」
 ――命と、自由を。
 大樹に絡まる蔦が答えた。リリアがそれを聞いて首をかしげる。
「和輝さんのところの魔道書さんが、アンデッドやキメラとの関係があるかも、と言っていたわ。何か、それに関わることを聞いてみたら?」
「ふむ。彼らは、まだ生きているのかい?」
 ――生きてはいるが、死んでもいる。死ぬことも、生きることも出来ない。そのあわいで揺れ続けるのみ。苦しみは心を砕き、やがて我を失う。
 大樹が答えた。彼はまだ無事だったが、ところどころに黒ずんだ影のようなものが見える。何かの影響を受けていないわけではないようだ。
「死ねない? その石のせいで?」
 エースが重ねて問う。植物たちは、何かの核心を掴んでいる、そんな気配を感知して、エースは知らず真剣な表情になった。
 ――生ける彼も、死せる彼も、同じ彼には相違なく、裏表の彼。死すも生きるも、一方に引かれて蘇るより他にない。彼らに、安息を。
「……二重存在?」
 リリアが青くなって呟いた。植物たちが語ったことはそれほどに恐ろしいことだったからだ。死んだまま存在し続ける部分と、生きている部分が互いに共存してしまったがゆえに、一方が一方を再生する。せめぎ合う両極が苦しみを生み、無限地獄が出来上がっている。
「なんてことだ――」
 エースが呆然と呟く。突然、草木が一斉にざわめき始めた。
 ――恐ろしや。恐ろしや。また一柱、向こう側へ行った。我らが友よ、どうか彼を。
 リリアはそれを聞くなりばっと顔を上げた。先ほどまでは存在しなかったはずの樹木が、じっとそこに立っていた。リリアは自らの剣を抜き放ち、樹木に切っ先を向ける。
「止まりなさい!」
 樹木はぶるりと震える。ぱらぱらと枯れ落ちた葉が降ってくる。痛ましい姿の下方、根がざわざわと蚯蚓のように蠢いていた。
 ――苦しい。救いを。解放を。せめて、死を。
 リリアは息を呑む。恐ろしさにではない。己の無力ゆえにだ。今ここで彼から苦しみを取り除くには、塵一つ残さず消滅させる以外にないのだ。正気を繋ぎとめるためにかける言葉の一つですら、彼らの励みになるかどうか。
「耐えて! 私たちが貴方をその苦しみから解放する! もう少し時間を!」
 必死の叫びも虚しく、樹木の姿が歪んでいく。枝の付け根に虫こぶのようなものが生まれ、ぼこぼことその数を増やしていく。
 ――苦しい。苦しい。苦しい。死を。死を!
 リリアとエースの心のうちに、引き裂かれるような絶叫が伝わってきた。樹木の心が決壊したのだ。今この瞬間、樹木は真に化け物となった。虫こぶから無数の触手が伸びる。粘液を纏うそれは、取り込まれた虫ごと異形化したために生まれたものだろう。
「ッ……せめて、苦しまずに! 風刃よ!」
 リリアが圧縮詠唱を行うと、剣の周囲に風の刃が巻き起こり、触手を寸断していく。それでも増殖を続ける触手と虫こぶに向かって、エースの魔力が直撃した。
「其は水にして風、光にして刃、我が友に眠りをもたらす、凍れる吐息!」
 リリアの風の力に乗せられた氷結の呪法が樹木の化物に纏いつく。凍りついたそれに、リリアが歯を食いしばって剣を叩き付ける。砕け散り、風に巻かれて散っていく樹木の残滓の中で、エースとリリアは短く黙祷した。
「……報告しよう、リリア。一刻を争う」
「……ええ」
 剣を収め、リリアはHCを操作した。



「パール・ルイス、たっ、ただ今帰還致しました!」
 ぜいぜいと荒い息を吐きながら拠点に駆け込んできたのはパール・ルイス(ぱーる・るいす)だ。周辺の斥候を買って出て、地形と異常の兆候を確認してきていた。途中、敵に遭遇したのか、相当な速度で走ってきたと見える。真っ先に目指したのは、アクリトの即席研究所だった。
「息を整えてからでいい」
 アクリトはシュリーやのるん、エースに和輝と、原因究明のために動いていた主要なメンバーと共にサンプルの解析に当たっていた。そこに飛び込んできたパールに、いやが上にも期待がかかる。パールは息を整えると、ばっと姿勢を正して敬礼した。
「報告であります! 周辺に生態系が変化したと見える変異種群生地を確認! ですがそこには動く変異種はほぼなく、蛻の殻と言っていい状態でありました!」
「やはりコロニーを形成しているか……何か『核』らしきものはなかったか?」
「いえ、確認できなかったのであります。申し訳ありません」
「いや、いい。よくやってくれた」
 アクリトが労うと、パールはにっと笑った。
「パールは強くないので、戦うのは皆に任せるのであります。その代わり、皆が勝つために、パールは頑張るのでありますよ!」
 そう言うと、パールは以上であります! と救護活動を続ける仲間の元に駆けて行った。アクリトは報告を吟味し終えたのか、ふっと呟く。
「『癌化』だ」
「癌化?」
 訝るシュリーにアクリトが頷く。
「エースの報告で、異なる体組織が互いにとって異常組織であることがわかる。一方にとって正常なコピーを作らない細胞ということだ。それが互いに癌として急増殖する。苦しみで発狂するのもわかる。そして光輝属性に弱く、ナラカとの関連性。おそらくその瘴気が原因の一つ。だが、まだ」
 アクリトの呟きを遮るように、悲鳴のように諌める声が飛び込んできた。皆の注意がそちらへ向く。そこには、大怪我を負ってなお炯々とした目をした青年を背負ったルビー・ルル(るびー・るる)、それに縋りつくように治療をするクリスタ・ルーントーン(くりすた・るーんとーん)の姿があった。
「す、すぐに治療するのでそのままじっとしてください!」
「動ける程度でいい。まだやれる」
「駄目です!また戦いに行くなんて……死んじゃうかもしれないんですよ!?」
「……危険です。この出血では、まともに動けるとは思えません」
 泣きそうになりながらもクリスタはできる限りの治療を施していく。縫合が必要な傷の洗浄、軽い傷の消毒、圧迫止血……だが頑なに青年は横になろうとしなかった。ともすればルビーの背から逃れて武器を執ろうとする。クリスタの声を聴いてパールも飛んで来ていた。
「ここは我々に任せるであります! 先輩たちは、皆歴戦の勇士ばかりで」
「俺達が逃げられない理由があるんだ。村の結界師達を守らなけりゃ、終わっちまうんだ!」
 パールの諌めに、青年がせっぱつまった声で絶叫する。だが、すぐに苦悶の声を上げて黙った。どうも肋骨をやられているらしい。その隙にルビーが簡易寝台に青年をどさりと横たえた。
「待て、俺はまだ」
「……クリスタ、必要なものは」
「血止めの薬草と包帯、消毒液も足りないし、麻酔も!」
「……わかった」
 青年がすぐには起き上がれないことを確認すると、ルビーは必要なものを取りに戻った。もがく青年を今度はパールが抑える。
「俺は、寝ているわけには!」
「黙ってください! あなたにどんな理由があるのであれ、死にに行こうとする人を行かせるわけにはいきません! 戦えるかどうかは私が判断します! おとなしく治療されてください!」
 ほとんど泣くように怒鳴りつけるクリスタの顔を正面から見て、青年はすまない、と小さな声で言い、やっと横になった。それを見計らって、パールが再び問う。
「さっき言いかけていたことをお教えいただきたいのであります。村の結界師とは?」
 青年はばつが悪そうにしていたが、パールの言葉を聞き、頷いた。
「何代も前からここには、封印があるんだ。絶対に外に出しちゃいけない奴が村の『裏側』にいる。それを維持しているのが結界師だ」
「出しちゃいけない奴? 裏側?」
「ああ、次元の裏側に押し込めているんだ。とびっきりの奴を」
 青年の言葉に、拠点にいるほとんどの人間が耳を傾けていた。パールはそれを感じながら重ねて問う。
「どんな、奴でありますか」
「ずいぶん前の代だから良くは知らない。ただ『あわいに住まう者』と……」
 アリクトがそれを聴いて顔を上げた。何か言おうとした刹那、拠点にあったありとあらゆる通信機能を持つ機器が、吹雪の絶叫を届けた。
「大型目標確認! 『角持ち』であります! 西方面から侵入中。また、敵の再生を確認! 倒した敵が、起き上がってくるであります!」



「諦めるな! 救援が来るまで持ちこたえるのだよ!」
 リリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)が突破されたバリケードの代わりに鋼鉄の兵団を召喚する。ずん、とすさまじい音と共に次の一撃が繰り出される。それだけで鋼鉄兵が軽々と吹き飛んで行った。だが召喚獣の作った隙で村人たちは再び体勢を立て直した。手に手に武器を握り、再び巨獣に突進する。
 少女の報告にあった『角持ち』。家よりも巨大な体、爛々と輝く赤い目、長大でいびつな角、ぶよぶよと奇妙な弾力のある皮膚、おぞましい姿よりも尚、その強力がなによりも恐ろしかった。
「しまった、来るぞ!」
 鋼鉄の兵団と共に巨獣を抑えていた壮年の戦士がばっと離れる。と、巨獣がぐっと頭を下げて角を前に突き出した。ぼしゅう! と濃く、黄色い霧が周囲に立ち込める。逃げ遅れた村人たちがバタバタと倒れた。しかし迂闊に救援に行くことも出来ない。霧が晴れるまで助けにすら行けないのだ。
「麻痺系の神経毒だ! 深く吸い込んだ奴を運べ! 死んじまう!」
「畜生奴ら、倒したはずなのに起き上がってきやがる!」
「分断された! 救援は連中の対処に……!」
 あちこちで絶叫や悲鳴が上がる。ほとんど運び出したはずのけが人がまた増えていく。戦闘不能者も多い。敵は次々と起き上がり、巨獣の元に集結しつつある。
「間に合いました……ここです!」
 そこに傍らに長い髪の少女を抱いたララ・サーズデイ(らら・さーずでい)が現れた。
「遅いのだよ」
「途中、襲われてね」
 ララは不敵に笑う。そしてすぐさま真剣な表情で槍を掲げ、傍らの少女に促した。
「槍に祝福を――一角獣は清らかな乙女にのみ力を示すのさ」
「はい」
 少女が槍に口づけると、浄化の力が槍から溢れ出し、霧に毒された村人達がぎこちないながらも動き出した。
「浄化の秘呪……!? 助かった!」
 口々に礼を言いながら、得物を掴み、少女とララを守るように展開する。既に周囲は復活した敵に囲まれていた。じり、じり、と囲みが狭められていく。
「このまま叩くしかないか?」
「いや」
 ララの懸念の声をリリが否定した。と、空に一筋の影が差し、メイド姿の騎沙良 詩穂(きさら・しほ)が降下してきた。ずたん、と着地すると、22式レーザーブレードを手に、びしぃ、と巨獣を指差し、名乗りを上げた。
「詩穂、参上! 待たせたね! これ以上はやらせないよ!」
 続けてどこからか「変っ!身っ!!」と叫ぶ声が聞こえてきた。気付けば屋根から人影が太陽を背にして跳躍している。どん、とどこかバッタを思わせる仮面を身に着けた風森 巽(かぜもり・たつみ)が詩穂に程近い位置に降り立つ。
「蒼い空からやって来て! 緑のシボラを護る者! 仮面ツァンダーソークー1! 間に合ったようだな!」
 リリとララは頷き、ララは少女を放して村人達の方へ押しやった。意図を察したのか、少女は半円を組んだ村人たちに守られる形になる。詩穂が一歩前に出てレーザーブレードを構え直した。
「あのでっかいのは私達に任せて! 背中を頼みます!」
「承知!」
 背後から力強い男たちの声が聞こえる。巽が、リリが身構える。最初に動いたのはララだった。気合と共に幻槍モノケロスの一撃が巨獣の目に突き刺さる。耳を劈く巨獣の咆哮が開戦の合図となった。
 どん、と踏み出す足の勢いのまま、纏いつく鋼鉄の兵団を巨獣が吹き飛ばす、間を置かず、低く下げた頭から大量の毒霧が放たれた! 急速に拡散するそれは、毒に抵抗力を持たない少女や村人を押しつつもうとする!
「むう! ……ならば! 霧を払う嵐となるまで!」
 すんでの所で立ちふさがった巽のベルトが唸りを上げ、周囲に旋風を巻き起こし、霧を巻き上げて被害を防ぐ。村人たちは押し寄せる化け物の群れを必死に抑え込んでいた。だが多勢に無勢、徐々に少女の側に押され始めている。それを見て取ったリリが再び召喚印を組み、ララに呼びかけた。
「ララ! そちらは任せるのだよ! 彼らを助けに回るのだよ!」
「武運を!」
 再び鋼鉄の兵団が召喚され、村人たちの戦列に加わる。どうにか押し返し、背中の安全は確保された。だが邪魔な兵団が退き、巨獣はここぞとばかりに突進してくる!
「せいやぁあああああ!」
 突進する巨獣の懐に飛び込み、詩穂は構えたレーザーブレードを角めがけて薙ぎ払う。だがそれを察知した巨獣が巨体に似合わぬ動きで体をひねる。その切っ先がねじれた角の一部を削り取るだけに留まった。しかし一瞬の静止は、巽の攻撃にとっては十分すぎる時間だった。
「うおおおお! ソゥクゥッ! イ・ナ・ヅ・マッ! キィィィックッ!!」
 風を起こすと同時に空に舞い上がっていた巽の蹴りが巨獣の横腹に突き刺さる! 恐るべき威力は巨獣に膝をつかせ、地面にその巨体を縫い付ける。だが、まだ倒すには足りない。そこに再びレーザーブレードを振りかぶった詩穂が肉薄する!
「今度は逃がさない! もう一度ぉ!」
 ぐん、と振りぬかれた光輝の刃が巨獣のねじくれた角を斬り飛ばす。途端、大量の毒霧が吹き出した!
「不味い!」
 再び巽が竜巻を起こして霧を巻き上げる。しかし、霧は尽きるところを知らずに吹き寄せてくる。どころか、豪風の中で巨獣はゆっくりと身を起こすと、霧を吹き出すときのように頭を下げた。と、角が切り飛ばされた巨獣の鼻先には、闇よりも尚昏い、何かが光を吸い込んでいた。
「石……?」
 詩穂がいぶかしげにそれを見つめたのも束の間、吹き出す霧が止み、その昏い石から闇が染み出すようにじわじわと巨獣から広がり始めた! 依然として暴風が吹き荒れているにも関わらず、その闇は吹き飛ばされることなく広がり続ける。そして、その闇は押し寄せる化け物どもからも染み出し始め、じりじりと村人と召喚獣が押され始めた。
「あの石ね! でも、これじゃ……」
 レーザーブレードを構えたまま詩穂が呟いた刹那、無数の光弾が押し寄せてきて村人達を抑え込む化け物どもを撃ち抜いて行った。そして村人には決して当たることなく、撃ち抜かれた怪物たちは小さく縮んでいく。
「これは!?」
 巽が嵐を止め、一度巨獣から飛びのく。広がろうとしていた闇は光の弾丸によって少し削られはしたものの、再び広がろうとしていた。そこへ目を焼かんばかりの輝きが巨獣に向けて照射される! 巨獣は苦悶の声を上げて一歩下がる。目に見えて広く闇が払われていく。
 顧みれば、セレアナ、武尊たちが、周囲の敵を蹴散らしながらこちらへの射線を確保していた。強く頷かれ、詩穂たちは再び構えを取った。
「もう一度だ!」
「うむ!」
「やるよ!」
 巽が再び空高く跳ぶ。ララが光輝の槍をかざし、闇を払って一撃を突きこんだ! だが巨獣はよろめきはしたものの、隙を見せるには至らない。闇に威力を吸われているのか、先ほどよりも威力が出ていない。
「ソゥクゥッ! イ・ナ・ヅ・マッ! キィィィックッ!!」
 そこへもう一撃、巽の蹴りが突き刺さる。弾力のある皮膚に威力を吸われながらも、巨獣は再び膝をついた。だが、まだ起き上がろうとする力が残っている。と、低く耳を震わせる、巨大な弾頭が巨獣の足を打ち抜いた。今度こそがっくりと巨獣が膝をつく。
「光輝の一撃をあの石に加えるであります!」
 吹雪の声が詩穂の背中を押す。
「と・ど・め・だぁっ!」
 振りかぶった詩穂の一撃が昏い石を叩き割り、耳を劈く咆哮と共に、闇が上空へ散って行った。