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夢の中の悲劇のヒロイン~ミーミル~

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夢の中の悲劇のヒロイン~ミーミル~

リアクション

 景色がぼやけた。
 物語の登場人物はかき消えて、寒さは去り、雪は綿になり、ミーミルを中心に周囲の景色は現実味を失って、水彩画のゆるゆるとした線と色遣いに代わる。
「──こんなの、『幸福な王子』じゃありません……」
「そうだね、エンディングは変わったよね。私も予定が変わっちゃったよ」
 十六夜 泡(いざよい・うたかた)がううなだれるミーミルに頷いて見せた。彼女は物語の間中ずっと巣箱の中でじっと光景を見続けていたのだが、それはツバメの最後のキスを止めるためだったからだ。
「けど、それで良かったんだよ。私はあの物語、街の人を幸せにできた王子と王子のために尽くせた献身的なツバメでハッピーエンドって思ってるけど、ミーミルにとってはそうじゃないかもしれない」
「そうですよ。王子になってみてどうですか? 貴方がそうやって、自分の身を削る事で、貴方の幸せを願い想ってくれている人達の事を悲しませて不幸にしているのですよ? それで幸せに感じられるんですか?」
 ナナ・ノルデン(なな・のるでん)が手の甲の入れ墨を撫でながら話しかける。
「まだ分からないんですか? さっき自分で言っていたじゃないですか。幸せじゃなきゃいけない、って。幸も不幸も決めるのはその人なんです」
 一連の流れを観察していた天枷 るしあ(あまかせ・るしあ)が、ミーミルの涙にも動じず、眼鏡を指先でくいと上げる。
「困ってる人を助けられるのはその人自身です。私たちにできるのはその手助けだけです」
 ナナのパートナーズィーベン・ズューデン(ずぃーべん・ずゅーでん)が肩をすくめた。
「まぁ、ボクには、幸せっていう概念自体がうさんくさく思えるけどね。人っていうのは、必ずしも幸せだけじゃいけないんだよ。幸福な事が続けば、人はそれを当たり前と思ってしまう。本当の幸せを知る為には、人には不幸だって必要なんだ。逆もしかりでね。見守るってことも時には必要だったんだよ」
 風森 望(かぜもり・のぞみ)が、厳しい口調で言葉を継ぐ。
「今回のミーミル様の過ちは、彼らの不幸も救う方法も、自分だけで決めてしまったことですし、安易に助けてしまったことです。困った時には誰かが助けてくれる、そう思ってしまったら、誰もが自堕落に過ごしていきますよ?」
「……はい……」
「彼らが彼らの力で乗り越える事を信じて見守り、彼らの苦しみを、哀しみを、喜びを、楽しみを、見守り、覚えていましょう。誰にも気づいて貰えない、忘れられてしまう事が、何よりの不幸だと思うから」
 その言葉に、はっとしたように、ミーミルは顔を上げた。
 ナナが、泡が、るしあが、その名を口にする。
「エリザベート様や貴方を心配している皆が貴方が目覚めるのを待っています。さあ、ただいまを言う為に帰りましょう」
「物語の続きなら私がツバメになって手伝ってあげるよ。最後のプレゼントをエリザベートに届けに行こう。宝石でも金箔でもないけど、何よりも大切で価値のあるモノを、さ……」
「母と思う人に悲しい思いをさせたくないのなら、相手も自分も不幸にならずにすむ方法を一緒に考えていきましょう。あなたには、あなたの帰りを待ってる人がいるのですから」
「あなたは優しい子ねミーミル。王子の献身に感動して、自分も幸福の王女になりたいと願ったのでしょう」
 目の端に涙をため、嗚咽を漏らすのをこらえるミーミルをなだめるように、宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)がミーミルに微笑んだ。
「でもあなたが来たことで、エリザベート様やザンスカールの人々が恩恵を受けているのよ。童話の主人公にならなくても、既に皆の幸福のお姫様なのよ……だから早く、夢から醒めなさい。ミーミル・ワルプルギス」

 ミーミルは呟いた。

「──おかあさん」

 



「どうしましょう〜、もうすぐ朝になっちゃいますぅ」
 イルミンスールの校長室で。
 エリザベートは赤い目の端をこすりこすり、時計とミーミルの像とを交互に見比べていた。ミーミルの周囲に突然現れた煉瓦の建物は、きのこのように、にょきにょきと生え、着実に街を形成していた。
 空を覆う暗闇のベールは一枚一枚剥がされ、星が去り、東の空が明るさを帯びてくる。
 アーデルハイトがティッシュの箱を差し出す。
「な、泣いてなんかいないですぅ!」
「いいから鼻をかめ」
 ちーん。エリザベートが大人しく言いつけに従って、丸めたティッシュをゴミ箱に投げ込もうとしたとき、手からティッシュがぽろりと落ちた。
「お、大ババ様ぁ!」
「大声を出すな。それから、ゴミはゴミ箱に捨てんか馬鹿者」
 言いながら、見開かれたエリザベートの目に、視線を追ったアーデルハイトの口元がゆるんだ。
 エリザベートが飛び上がる。
「……や、やりましたですぅ!」