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桜井静香の奇妙(?)な1日 後編

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桜井静香の奇妙(?)な1日 後編

リアクション

 時間は少々さかのぼる。
 グレゴールはパートナーである右天に頼まれ、ある部屋への潜入を果たしていた。光学迷彩を使って誰にも見つからないようにして入り込んだそこは、猫を入れておくための空き部屋だった。
(まったく、なぜ私がデューンの言う通りにしなければならないというのか……。あのショタマジシャンごときめ、毎度毎度ふざけおって……)
 陰気な上に趣味も悪い、この蜘蛛のゆる族はそう心の中で毒づいていたが、彼がその頼みを引き受けたのは「桜井静香を糸で縛れる」という報酬に惹かれたからだった。
(ちょうど持っているこのナラカの蜘蛛糸、これで女を縛れるのだ。最高ではないか……。これで人体を縛ると確実に負傷するというのが気になるところではあるが)
 グレゴールが持っていた「ナラカの蜘蛛糸」とは、実は「斬糸」と呼ばれる「斬ることを目的とした糸」であって、これで人体を縛り上げようものなら確実にその人物は負傷してしまう。
(まあいいか。別に女1人の体が傷ついたところで、私の報酬となることには変わりないのだからな)
 そう結論付けたグレゴールは早速行動を開始する。
 彼の役目は、集まった猫を逃がしてパニックを起こすこと。そうすることで右天が行動しやすくなるという。
 そこでグレゴールは光学迷彩の布をかぶったまま、こっそり部屋の窓を開け、そこから猫を1匹ずつ外に逃がしていった。いくらか逃がしたところで誰かが気づけば、それこそ儲けものである。そして案の定、気づいた者がいた。部屋の中心にいた如月日奈々である。目が見えない分、気配に敏感な彼女は、猫が5匹ほど逃がされた時点でグレゴールの存在に気がついたのである。
「……誰か、変な人がいますぅ……!」
 存在がばれたグレゴールが次にとった行動は、部屋を横切り、ドアを開けることだった。そうすることで、窓とドアの両方から猫を逃がすことができる。そしてそのついでに部屋の中で蜘蛛糸を操り、部屋に衝撃を与え、猫にパニックを起こさせれば……。
 果たしてその目論見は成功した。グレゴールが暴れたことにより、部屋に集められた猫たちは一斉にその場から逃走してしまったのである。いくらかは部屋の中にいた学生たちのおかげで確保することができたが……。

 パニックを起こすだけ起こしておいてこっそり逃げたグレゴールは、今度は右天のいる林にて姿を隠していた。狙いはもちろん、静香を蜘蛛糸で捕らえるためである。そして現在、彼は静香を蜘蛛糸で縛り上げることに成功していた。そこまで動けた以上、彼は自らの姿を隠しはせず、不快感を与えることを目的とした容貌を表に出していた。
 縛られた静香の方は、自分の体に巻きついているのが斬糸であるとわかった途端に、微動だにしなくなった。下手に動けば自分の体がズタズタに切り裂かれてしまうからである。
「いやあカフカさん、お疲れ様。そしてアグニッシュさん、よくやったね。最高だよ」
 アルカが林に静香と弓子を誘導したのも、全て右天の指示によるものだった。面識の無いアルカを近づけ仲良くさせたら、うまく理由をつけて自分が待つ所へ誘導させる。そしてそれはうまくいった。後は右天自身が行動を起こす番である。指示に従って動いたアルカ自身はどこか悲しそうな表情でうつむくだけだったが。
「何となく嫌な予感はしてたけど、またお前とはね……」
「覚えててくれてるようで何よりだよ、幽霊さん。改めて自己紹介させてもらうよ。デューンサーカス団団長、横倉右天、本名『デューン』さ。よろしくね」
 危険だと知りつつあえてそこに飛び込んだ静香と弓子だったが、現れたのが先日のマジシャンもどきであると知った瞬間、心底嫌そうな顔を見せたが、相手の方は全く意に介さず、それどころか悠然と自己紹介までしてみせた。
「それで、わざわざ私たちをここまで誘導したその理由でもお聞かせ願おうかね」
 苛立ちを隠さず、弓子は右天を睨みつける。
「おやおや怖い顔するねぇ。別にいきなり危害を加えるとか、そういうのが目的じゃないんだけどなぁ」
「だったらさっさと用件を言いな」
 おどける右天に弓子は苛立ちをぶつけた。
「いやなに、ちょっと君に質問があって、ここまで呼んだんだけどね」
「質問?」
「そう、質問さ。この3日間で校長や生徒たち……幸福そうな奴等に嫉妬しなかった?」
「……は?」
 質問の意味がわからないといった表情を見せる弓子。右天はその辺りを予想していたのか、意図を説明する。
「君は確か、交通事故で死んだんだよね。そして今幽霊になってるわけだ」
「…………」
「本来なら百合園に転校できていたはずなのに、それができない。そしてそんな君を嘲笑うかのように、百合園生は幸せな毎日を送っている。何で私は死んで、こいつらは百合園で楽しそうにしているのか。羨ましいと思ったはずだ」
 だから不幸な僕たちや君は、幸福を見せ付けるこいつらを害する権利がある。右天はそう続けた。
 右天がこういった行動に出たのは、弓子を悪霊に変えるという目的からだった。そこに深い意味など無い。道化として、怒りや悲しみといった客の「負の感情」さえ見られればそれでいい。不幸を撒き散らすのが生きがいの、悪意の塊とも言うべき存在、それが右天という人間だった。
 最初は弓子を珍品扱いしていたが、今はそのような興味など無い。その代わり、今度は「客」としての反応が見たい。彼の行動理由とは、つまるところその程度のものでしかないのだ。
「バッカじゃねえの?」
 右天の質問に対し、弓子は憮然とした表情でまずそれだけを返した。
「お前が自分のことを不幸だと思ってるなら、それはそれでいいけどさ、だからって何で私までそうなるんだ」
「何で? だって君は不幸じゃないか。生きているはずだったのに死んでいるんだよ? だけど周りの連中は死にもしないで生きている。この状況を不幸と言わずして何を不幸と言うんだい?」
「じゃ、死んだから不幸か?」
 右天のその主張を弓子は鼻で笑い飛ばす。
「世の中がわかってないねお前さんは。死んだから不幸、生きているから幸福だったら、自分で『不幸』を自称してるお前はどこまでも矛盾した存在になるだろうな」
「…………」
「私は自分のことを『不運』だと思ったことはあるけどさ、別に『不幸』とまでは思ったことは無いね。幽霊になってからでも、それなりに楽しく過ごさせてもらったからな。羨ましい? ああ、思ったさ。それくらい誰だって思うだろ、普通」
 弓子とて「元」人間である。人間である以上、嫉妬や羨望という感情は持っているし、それで誰かを憎むことだってあるだろう。だが弓子は誰も憎まなかった。憎む必要が無かったからだ。憎しみを持つ以上に、個性的な百合園女学院の学生に触れたことで、そのような感情などどこかに吹き飛んでしまったのだ。
「そんな下らないこと言って、一体何を狙ってるのかよくわからんが、そりゃ無駄な努力ってやつだな。確かに私は死んだ。百合園の皆さんは生きている。でもな……」
 一息ついて、弓子は言い放った。
「たかがその程度のことくらいで、お前みたいなイカレ野郎に同情されるほうがよっぽど不幸だね」
「…………」
 それは完全な拒否だった。もしかしたらこのマジシャンもどきも何かしら似たような「不幸」を味わってきたのかもしれないが、そんなこととは別に、それ以前の問題として弓子は目の前の人間が嫌いだった。それはまさに「嫌いだから無条件で話を聞きたくない」という完全な感情論だった。
 目を細め、右天は少々の苛立ちを込めて弓子に声を投げかける。
「ふうん、じゃ……、どうあってもボクの言葉なんて聞きたくない、ってことなんだね?」
「できれば最初から聞きたくなかったけどな」
「……これでも同じことが言える?」
 言うなり右天は、「カメハメハのハンドキャノン」と呼ばれる拳銃を抜き、おもむろにアルカに向けて発砲した。
「なっ!?」
 驚愕する弓子の前で、アルカは腹を押さえ崩れ落ちる。
「おい、ちょっと待て、彼女は関係ないだろ!?」
「あるよ。彼女は君をうまく説得できなかったみたいだからね。だからこれは体罰さ。主人の命令を遂行できなかったんだから罰を受けて当然だろう?」
「……パートナーなんだろ?」
「パートナーだからこそさ。まあ大丈夫、アグニッシュさんはパートナーだから、殺しはしないさ。ご褒美もあげるしね」
 理解できなかった。契約によって結ばれているはずのパートナーを平気で撃てるというその根性が、弓子には理解できなかった。そして何よりも、撃たれたはずのアルカに憎しみの表情が浮かんでいないことが気になっていた。
「アルカさん、あなた、今パートナーであるはずの男に撃たれたんですよ……? それなのに、どうしてそんな顔ができるんですか……」
 弓子のその問いに、アルカは笑って答えた。
「ごめんなさい……。だって私は、……彼をお慕いしておりますから」
 それは盲目的な恋。かつて奴隷として捕まっていたところを右天に助けられた彼女の一方的な想い。心の底では逃げたいと思っているのに、それができないほどに、彼が愛しいのだ。
「さて、そんなことより幽霊さん。1つ頼みがあるんだけど、聞いてくれるかな?」
 アルカなどいないとでも言うかのように、右天は弓子に笑みを向ける。
「頼み……?」
「そうさ。実はそれこそがボクの望みだったりするんだよね。……悪霊になってよ」
「は?」
「君も前は人間だ。人間である以上、感情から逃げることは絶対にできない。その感情を、憎しみを膨らませ、悪霊になっちゃってよ。そうなった時の君の行動が見てみたいんだ。憎しみに凝り固まって悪霊になってしまった君の末路をボクは見届けたいんだよ。綺麗事なんかどうだっていいんだ。むしろそんなものはボクにとっては何よりも汚らわしいもの」
 そしてそれが聞き入られない時は、大口径の銃弾をさらにアルカに撃ち込むという。
「1発か? それとも2発? ……そうか、3発か。3発撃ってほしいんだな? いやしんぼめ。さあ、幽霊さん。頼みを聞くか、それとも彼女を見殺しにするか、2つに1つさ。さあ、選びなよ……」
「…………」
 片手で大型の拳銃をもてあそぶ右天と、無表情のまま考えを整理する弓子。そしてそんな2人を不安げな表情で見守る静香。
 やがて弓子は答えを出した。
「本当にそれでいいのか?」
「ん?」
「私が本当に悪霊になれば……、本当に、彼女は助けてくれるのか……?」
「弓子さん!?」
 その言葉を聞いた静香は仰天し、右天は愉快そうに笑った。
「ああ、約束するよ。君の『悪霊化』と引き換えのギブ・アンド・テイクだ。さあ、やりなよ、早くやれ――」
 そして次の瞬間、右天の期待は完全に裏切られた。
「だが断る」
「ナニッ!!」
「この吉村弓子が最も好きなことの1つは、自分で優位に立っていると思ってる奴に『NO』と断ってやることだ……」
 驚きと怒り、そして悔しさが混じった表情で、右天は弓子を睨みつける。
「まあその辺は冗談としてさ」
「冗談かよ!?」
「……どうせ悪霊になったところで、約束なんて守らない、ってのが大体のパターンだろ? ありきたりな『約束が違う!』ってやつじゃあないか……。あまりにもありきたりすぎて、乗ってやる気なんて絶対に起きないね。それに……」
 そこで弓子は全員が驚くことを言い放った。
「それにさ、どうやって悪霊になるの?」
「えっ……?」
 その言葉に、その場にいた全員が目を丸くした。
「いや、単純に考えて……、自分から『悪霊になります』って言って、なれるもんじゃないんじゃないの……?」
「…………」
 まさかそのような点を気にするとは誰も思わなかった。なぜなら、ここはパラミタである。パラミタでは一般の常識では「ありえない」と思う事象が当たり前のように起きることが多く、普通なら「奇跡」と呼ぶべき現象が、まるで息をするかのように起こせたりするのだ。
 だが弓子はそれを知らなかった。パラミタはファンタジーゲームのようなことができる場所だという程度の認識でしかなかった。だから彼女は「悪霊になる方法」が想像できなかったのである。
「……どうやら、どこまでもボクと君は相容れないようだね……!」
「そりゃお互い様、だろ?」
「ふ、ふふ……いいさ。それならそれでいいさ。だったら1つだけサービスしてやろう……おい、アグニッシュさん、彼女に言いたいことがあるんだろう? 言わせてやるよ……」
 右天は傍らで倒れるアルカを起こし、弓子に顔を向けさせる。
「弓子、さん……」
 アルカは腹部の痛みに耐え、必死で声をつむぎ出す。
「……デューン様はこの後、きっと放置して、後で召喚するつもりでしょう。そうなれば私は今いる場所から消え去り、デューン様の所へ一瞬でワープします……」
 アルカは悪魔。パートナー契約した者の意思に従い、一瞬でその場に移動することができる特有の技を持っている。
「だから、呼び出される前に、弓子さんに言いたい……!」
 痛みで震える声を必死で抑え、アルカは弓子に叫んだ。
「私は、弓子さんの事忘れません! 絶対お墓参りにも行きます! あなたの事を忘れませんから……。だから、あなたも後悔のない選択をしてください! ……私は弓子さんと出会えて本当に良かった……!」
「……私もですよ、アルカさん」
 弓子はそれだけを返した。
「さて、気は済んだかい?」
 場を見届けた右天がハンドキャノンを構え、その銃口を「静香」に向ける。
「幽霊である以上、そう簡単には死なないよね……。だからボクは、校長を先に狙うとするよ。アグニッシュさんを狙わないのは、パートナーロストの影響があるからだ。どのような形で現れるかはわからないけど、少なくともただじゃ済まないのは確実だ。だから……死んでもらうよ、校長」
「……!」
 右天の指が引き鉄にかかり、鉛弾が静香を襲う、はずだった。
「おごおぁ!?」
「な!?」
 静香を捕縛していたはずのグレゴールが、突然現れた何者かによって殴り倒されたのである。
 現れたのは、林の木を背にして寝ていたはずの敦賀紫焔で、グレゴールを殴り倒したのは、戦闘用ビーチパラソルだった。
「まったく、やけにうるさくって、昼寝も満足にできやしないよ……」
 グレゴールが倒されたことで、静香は自由の身となった。
 そして右天の不幸はまだ続いた。
「ようやく見つけたよっ! 静香校長! 弓子ちゃん!」
 空から秋月葵と、テスラ・マグメルが飛んできたのである。
 この2人がここにやって来たのは少々の偶然の結果だった。猫が逃がされたことにより、辺りはパニックに陥った。そこで2人が思ったのは、静香と弓子の身が危ないことだった。
 そこで葵の「空飛ぶ魔法↑↑」を利用してテスラと共に空から捜索している最中に、銃声が聞こえたのである。それは右天がアルカの腹を撃ったものだった。
「そういえばあなたは前にも百合園に現れて色々やってくれましたね!」
「愛と正義の突撃魔法少女リリカルあおいが、全力で成敗しちゃうよ!」
「な、な、な……!?」

 その後はどうなったか、よくわからなかった。
 わかったことといえば、驚愕する右天にテスラの必殺の叫びが連発で叩き込まれた上、葵の子守歌が炸裂し、倒れていたアルカ、紫焔に殴られたグレゴール共々、3人揃って再起不能(リタイア)となったことである……。
 静香の体は特に異常は無く、ナラカの蜘蛛糸で傷つけられた皮膚は、ヒールが使える者によって治された。

 そしてグレゴールによって逃がされた猫たちだが、その後数時間をかけて再び部屋に連れ戻され、完全に依頼が完了したのは、制限時間1時間前の、午後5時のことだった……。


「百合園女学院の皆様、そして他校から駆けつけてくださった皆様、本日は本当に感謝いたしますわ」
 依頼を完全に達成させ、集まった学生たちはファイローニ家当主ジルダから労いの言葉をかけられていた。
「おかげで食事界も滞りなく開くことができそうですわ。皆様には感謝してもしきれないくらい……。報酬はまた後日、百合園女学院に払わせていただきますわね。では、また何かありましたら、その時は良しなに」
 ジルダとの挨拶が済んだ学生たちは、すぐには帰らず、庭の一画に集まっていた。小鳥遊美羽、橘美咲、そしてルカルカ・ルーと大羽薫による記念撮影のためである。
「はいは〜い、あ、そっちもうちょっと詰めて。そこちょっと高すぎ、少しかがんで〜」
 ルカルカが全員を並べ、薫がデジカメのセルフタイマーをセットする。1つ気がかりだったのは、撮影中に猫がやってこないかということだが、生憎と猫は部屋に入れられた状態であるため、いきなりまとわりついてくる心配は無かった。
「まあ本当はその猫がいる部屋で撮影したかったけど、この人数が入るとも思えないしな。それに60匹の猫が一緒だと多分撮影どころじゃすまなさそうだし……」
 庭の一画を利用したのは、半ば「仕方なく」というところだったかもしれない。

 記念の集合写真撮影も滞りなく済み、ルカルカと美咲のデジカメには静香と弓子をはじめ、総勢30人が写った画像データが残された。この画像は後日データ印刷され、参加した者全員に送られることとなった。