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『スライムクライシス!』

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『スライムクライシス!』

リアクション

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「くわーっ、動きにくーい!」
 百合園の廊下でいつにない制服姿のレキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)がスライムを撃ち抜きながらそう嘆くと、パートナーのミア・マハ(みあ・まは)が溜め息をついた。
「おぬしはいつも、Tシャツにスパッツというラフな格好じゃからのぅ」
「だってー、その方が動きやすいじゃーん。それに授業中だったし、着替える暇もなかったし――って、あ」
 文句たらたらのレキは、ふと何かを見つけて言葉を止めた。 
「なんじゃ?」
「見てあそこ。人が寝てるよ」
 レキの指差した方を見ると、百合園生が家庭科室の出入り口から半身を投げ出して眠っていた。彼女の脇からスライムがのそのそと廊下へ出てくる。
「うっわ〜、スライムだらけ……」
 百合園の家庭科室は相変わらずスライムで溢れていて、とても二人では攻め入れない様子だった。
「おいレキ。とりあえずこのお嬢さんを助けてあげようじゃないか」
「うん、そうだね」
 二人はスライムの中から乳白金の髪をした少女を引きずり出すと、レキが彼女を背負った。
「この多さじゃここで回復できないよね? とりあえずどこかスライムの少ないところを探そう」
「うむ、それが賢明じゃな。して、どこへ?」
 家庭科室から離れながら、レキはうーんと声を上げる。
「こういう時は、保健室へ行きましょ!」

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「さぁ、ここが保健室でございますわ」
 一方、明倫館の保健室へは、睡眠中のエクスを連れたつかさが辿り着いていた。幸運なのか不幸なのか、この部屋にはスライムが見当たらない。騒動などそっちのけで、静寂を独占していた。
 彼女の脳内では既に、この行き倒れの少女にどんな『悪戯』をするかあれやこれやと妄想が繰り広げられている。
「ここなら純白のシーツに包まれたベッドもありますし、禁断の香りもしますしねぇ……」
 連れてきたエクスを優しくベッドに寝かせると、つかさは静かな寝息を立てるその輪郭を細い指でなぞった。
「うふふ、そのまま安らかに眠られててくださいな。私が、良くして差し上げますわ」
 つかさは彼女の耳元でふっと囁くと、自分もベッドの上に膝を乗せる。彼女の重みでベッドがぎしりと音を立てた。
 妖艶な息遣いでエクスの上に跨ると、彼女の上着に手をかける。
「もちろん、事が終わったらきちんと治して差し上げますよ。『ナーシング』も使えますし準備は万端ですので、どうぞこの秋葉つかさに、貴女様のその身を委ねてくださいな……」
 久しぶりの悦びに身を焦がしながら、つかさはエクスの上着をするすると下げていく。
「さて、どこから始めましょうか――」

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「はーっ!」
 百合園の保健室に辿り着いたレキは勢い任せに扉を開ける。
「ここも結構スライムがいるのぅ……」
 ミアがうんざりした様子で『ファイアストーム』を唱えると、保健室のスライムたちは慌てて炎から逃げようとする。
「ま、ここはあんまり多くなさそうだし、倒しながらこのコ回復させれば大丈夫そうだね!」
 保健室のベッドに背負っていた少女を寝せると、レキは『光条兵器』でスライムたちの相手をし始めた。
「ミア、『清浄化』、早めにお願いね」
 レキが回復を任せると、ミアは頷いてすぐに取り掛かった。
「カムイの力、借りるねっ!」
 レキはパートナーの顔を思い浮かべながら対スライム用に力を込めると、近付いてくるスライムたちを一匹ずつ確実に倒していく。
 しかしスライムは扉を閉めていても、柔らかい身体を駆使してその隙間から侵入してくる。いくら他よりは数が少ないと言えど、一人で長時間守りきるにはやや荷が重い。
 少女の睡眠もやや解けかかってるみたいだし、『清浄化』にもさほど時間は要さないはず――。そう思うレキは僅かに気を抜いてしまった。
「あっ――!」
 一匹のスライムがレキの防衛線を抜け、ミアに飛びかかる。瞬時に感づいたミアは反射的に『ファイアストーム』を唱えるが、運悪く相手はレッドスライムだった。スライムが喜んで炎を吸収してしまうと、その影に隠れていたライムスライムが粘液攻撃を仕掛ける。
「しまった!」
「『バニッシュ』!!」
 今まで眠りについていた少女――真奈は咄嗟にそう唱えた。それで怯んだスライムたちに、レキが追い討ちをかける。ミアの『清浄化』がなんとか間に合っていたのだ。
「助かった……どうじゃ、気分は?」
「大丈夫です。貴女方が介抱してくれたんですのね。ありがとうございます」
 目を覚ました真奈は恭しく頭を下げるが、事態を思い出してすぐに顔を上げた。
「家庭科室の中にいる人たちは無事ですか?」
「えっ、中にもいたの? 私たちは何もしてないけど……」
 あのスライムの海を思い出したレキが信じられないという顔をすると、真奈は弾かれるように立った。
「では、わたくしは家庭科室へ戻らなければなりませんね」
「あ、待って!」
 止める間もなく駆け出した真奈をレキが追うと、ミアはやれやれと溜め息をついて立ち上がる。
「それにしても、こんな事件が起こっておるのに校長は何をやっておるのじゃ……?」

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総奉行おおおおおおおお!
 天守閣から直下するつばめは、声を張り上げながら葦原明倫館・総奉行室に着地した。それを見たハイナは呆れている。
「まーたそれを使ったんでありんすか。房姫が知ったら今度は怒られんすぇ?」
「あわわ、やっぱりですか……!」
 慌てるつばめに構わず、ハイナは呑気にお茶をすする。それを見たつばめは我に返った。
「――ってそんなこと言ってる場合じゃなくて! 学校内のスライムはなんなんです!? それに屋上のでかいのは――あれ?」
 勢いのままにハイナに詰め寄ろうとしたつばめは、言いながら不自然なことに気がついた。
「貴女も無事だし、それに……この部屋には一匹もスライムがいない……?」
 用心深く辺りを見回すつばめに、ハイナはまたお茶を含んだ。
「ふぅ〜」
「なッ、何くつろいでるんですか! お茶なんか飲んでる場合!?」
「おや、お茶『なんか』とはまた大きく出たものでありんすね」
 茶渋を混ぜるように湯飲みを揺らすハイナはほのかに微笑んだ。
「緑茶には様々な成分が入っていて、長生きや癌、美容にもいいんでありんす」
「あ、へぇ〜。そうなんですか……ってだからそうじゃなくて!!」

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「『ヒプノシス』が結構有効だね」
「余ったのは私がやりますよ」
 階段を駆け上がった葵とエレンディラは、スライムの海も難なく生物室を目指した。
「着きましたね」
「開けるよ!」
 二人はいつでも攻撃できる状態で扉を開けるが、すぐに葵がぴしゃりと閉めた。二人は揃って青ざめる。
「さ、流石は生物室、満員電車だ……」
「……帰宅ラッシュというやつですね」
 今までテンポよく進んできた二人でも、あれだけの量を見せられれば嫌な汗も掻くというものだ。
「とりあえず、親玉っぽいのはいなかったね」
「え、ええ。見た限りでは」
 鮨詰め状態の生物室を、少し覗いただけでどれほど把握できたのかは定かではないが、二人はお互いにそれで納得していた。
「ん、あれ? でも――」
 葵は何かに気がついて廊下を振り向く。
「このフロアはなんだか、スライムがいないね」
「言われてみればそうですね。確か、ここは最上階――」

 ――そう。百合園女学院の生物室があるフロアは最上階。
 帰宅ラッシュ中の生物室を除いて、このフロアは下層に比べ不安を抱くほど静寂を纏っていた。

     #

 スライムを潰しながら獣並みの直感だけで動いていたジガンは、やがておかしな光景を見る。廊下の向こうにいる一組の男女の周りだけ、まったくスライムが寄り付いていないのだ。
 ジガンが近付いていくと、床に座り込んでいた銀は、ジガンの出す険悪なムードに反応して咄嗟にミシェルを庇った。
「……貴様は敵か?」
「それは場合によるな。なんでてめぇらにはスライムが寄らない?」
 ジガンは怪しい奴は即殴るつもりでいた。モンスターが攻撃しないということは黒幕かとも思ったが、銀の目や二人の表情を見るとどうも相手取るには相応しくない。
「俺たちに寄らないんじゃない。この総奉行室に寄らないんだ。だが、なぜか開けてくれない」
「総奉行……中にいるのか?」
 耳を澄ますと、閉ざされた扉の向こうから話し声が聞こえる。片方の少女は大きな声を上げているようだ。
「フン……どいてな」

 総奉行室内では相変わらずつばめがハイナを問い詰めていた。
「だから、あのスライムたちはなんなん――」
 そこで総奉行室の扉が轟音を立てて反対の壁まで吹き飛ぶと、完全に不意を突かれたつばめは絶叫する。
ひゃあああああああッ!?

     #

うわあああああああっ!?
 つかさの濃厚なキスを受けていたエクスは、目を覚ますと叫びながら飛び起きた。
「ぷはッ、なっ――わッ――おぬし!?」
「あらぁ、起きてしまわれたんですのぉ……?」
 泡を食って言葉にならないエクスに、つかさはじりじりと迫る。
「そんなに刺激的でございましたぁ? 私の……せっ、ぷん」
 言葉尻に甘い香りをぷんぷんと漂わせるつかさがぷるんとした唇を強調させると、エクスは更に顔を真っ赤にした。
「ば、馬鹿なッ! わかっておるのかっ、わらわもおぬしも女なのだぞ!?」
「あぁん、おカタいことを言うんですのねぇ? まぁまぁお気になさらず……」
 言いながらつかさが自分の衣を下ろしていくと、その華奢な肩が顕わになった。
「折角お目覚めになったんですもの。どうせなら、その可愛い声で鳴いてくださいな」
 一体何が起こっているのか全くわからないが、これは何か越えてはいけない一線だ――。今まで動けなかったエクスの脳が最後の力を振り絞って体中に警鐘を鳴らすと、エクスはつかさの絡みつく腕を振り払って保健室を飛び出した。
「ああ、お待ちになって!」
 無論、待ってくれるわけがない。
 保健室のベッドの上で足音が遠ざかっていくのを聞き届けると、つかさは歯がゆそうに小指を噛む。
「まだ何もして差し上げられてませんのに、残念ですっ」
 悔しがってかくんと項垂れると、やがてつかさは熱に浮かされたように立ち上がった。
「もぅ、溜まる一方じゃないですか……最近、出来てませんから……」

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「スライムてめー!!」
 未だに秋刀魚の恨みを晴らせていない絃弥は、怒り任せに剣を振るう。
 『軽身功』で壁を走ってスライムの海を抜け、立ち塞がるスライムは『アルティマ・トゥーレ』で凍らせ、蹴り砕きながら進んだ。
 ふと気付くと、いつの間にか総奉行室の前だ。部屋の前には数人の生徒がいたが、それよりも気になるのはスライムがそこから先へ進んでいないことである。違和感のある景色に眉をひそめると、絃弥は少し冷静になってみた。
「待てよ……そういや、なんでスライムが学校に大量発生するんだ? おかしいよな、誰かが意図したなら――で、総奉行室の前はなぜかスライムがいない……? つまりお嬢の仕業か!」
 一人でぶつぶつ呟くこと実に数秒。
 俺の昼飯返しやがれ――! そう怒鳴りこもうとしたその時である。

うらあああああああッ!!
 総奉行室の前に立っていたジガンが思い切り扉を蹴破ったのだ。総奉行室の中から悲鳴が聞こえる。

「うわ、俺が蹴破ろうと思ってたのに!」
 不謹慎なことを抜かしながら、入っていく生徒たちに便乗して絃弥も総奉行室へと踏み込む。
 総奉行室にいるのはハイナとつばめ、それに今入ってきたジガン、銀、ミシェル、絃弥だ。
「おい! スライムめっちゃいるんだけど、どうなってんだ? どうせあんただろ、あんたまたなんかやったんだろ。理由とかどうでもいいからとりあえず俺の昼飯を――」
 絃弥がまくし立てようとすると驚いて言葉を止めた。今まさにジガンがハイナに殴りかかるところである。
てめぇが黒幕かッ!!
 黒い拳がハイナの顔面を捉えかけると、彼女ではない誰かの腕がジガンの拳を止めていた。
「こっちに来てみればこれか」
『間一髪ですね』
 彼の憤怒のパンチをハイナの目前で止めたのは、パートナーたちと連絡の取れなくなった唯斗とプラチナだった。唯斗がすんでのところで駆けつけると、休む暇もなく二人の間に入ったのだ。
 ジガンの鋭い眼差しがギロリと唯斗を睨む。
「てめぇ……邪魔すんな、どう見てもコイツが糸引いてんだろ」
「……なぜわかる」
 静かな火花が散る。二人の腕はまさに拮抗状態のようで、どちらも力を緩めるわけにはいかなそうだ。
「ここの総奉行とやらは、学校中がこの調子だって言うのに茶ァ飲んでんのか?」
 ジガンが言うと唯斗もちらりとハイナの手を見る。彼女の右手は、ちょうど湯飲みをテーブルに置いたところだ。
「唯斗、退きなんし」
「ハイナ――」
退きなんし
 ハイナの目力に圧された唯斗は、放るようにジガンの拳を離す。
「流石は総奉行。正面から殴られようってか」
 ジガンが指の骨をパキパキと鳴らすと、ハイナは勝気に笑んだ。
「出来るかぇ? 白髪頭」
上等だァァァっ!!
 ジガンはハイナに殴りかかると目を見開いた。一瞬だけ時の流れが遅くなったかと思えば、ハイナの瞳の光が真横を抜ける。
「ぐあッ!!」
 腹部に『疾風突き』の重い衝撃を受けたジガンは、宙を舞うとすぐに後ろへ倒れた。
「まだまだ青い。正面から真っ直ぐ殴ったら、避けられるのが当たり前でありんすぇ?」
 軽く腕を組むハイナは他の生徒たちに向き直って口を開きかける。
「さて――」
「アゲァゲァゲァゲァゲァ……」
 いつの間にかジガンは、膝を支えに立ち上がろうとしていた。
「あんな軽いので終わったつもりか……?」
「おや」
 ハイナは少し驚いた表情で振り返る。
「まだ立ち上がりんすか」
 それを聞くとジガンは鼻で笑った。
「愚問だぜ……」
「なかなかいい根性をしていんすぇ。仕方ありんせん、僅かばかり相手をしてあげんしょう。……来なんし」
うるぁぁッ!!


「うお〜、これが拳と拳のぶつかり合いって奴ですか」
 近くで見ていたつばめは呆気に取られていた。目の前で火花が弾けるどころか爆発したような肉弾戦が起こっているのである。
「ぶつかり合いというよりは、やや一方的に見えるけどな……」
 つばめの隣で絃弥が呟くと、唯斗はやれやれと言わんばかりに息をつく。
「ね、ねぇ銀。止めなくていいのかなぁ?」
「止めるって言ってもなぁ……」
 ミシェルに裾を掴まれた銀は、困惑しながら三度目の『疾風突き』を目の当たりにする。
「どっちにつきゃあいいんだよ」
 事実関係を確認していない以上、何を理由にどちらを説得すればいいのかわからない。
 ハイナが事情もなく生徒たちに協力しないとは思えないが、かと言ってジダンも根拠なしである。
「ほんっと、何が起こってんだか」
 考えたところで情報が少なすぎることを再認識すると、銀は深く溜め息をついた。


「おい見ろ、総奉行室にはスライムがいなさそうだ! ご丁寧に扉も開いてるぞ」
 一徒は巫女服の少女を、匡壱はロングヘアの少女を抱え、佐保がその二人を援護しながら走っていると、やがて一向はスライムの寄り付かない廊下を目にした。
「一旦、あそこに避難させてもらうでござる!」
 佐保が進んで道を切り拓くと、二人は間髪入れず後に続いた。
「総奉行! すまないが逃げ込ませて――どわぁぁっ!?
 総奉行室に踏み込んだと同時に飛んできた何かに、佐保は驚きつつも間一髪しゃがんでいた。それは佐保の僅か上を通り越すと、スライムの海の中にどさりと落ちる。
「あー、今のは少うし手加減を間違えんした」
「ま、だ、ま、だ……」
 五発目の『疾風突き』はそれまでよりやや強めだった。見ての通りジガンはK点越えを記録している。
 それでも立ち上がろうとするジガンを、まるで「もういいんだよ」と言うように止めたのは、彼の周りにいたスリープスライムの粘液攻撃だ。
「しまっ――!?」
 べしゃっという効果音が響くと、それまで何度も立ち上がってきたジガンもあえなく倒れた。

 固まったのは今しがたここへ到着した一徒たち三人である。もちろんライムスライムに攻撃されたわけではない。
 三人はハイナとジガンを交互に見比べると、一体今度は何なんですかと揃って疑問符を浮かべた。