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緊迫雪中電車――氷ゾンビ譚――

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緊迫雪中電車――氷ゾンビ譚――

リアクション

 車掌や運営会社側の事など何も知らない、最前列後方では。
「こ、凍ってる……!?」
 エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)が、いち早く異変に気がついていた。
 彼は、ぼさぼさの銀髪を揺らしながら、立ち上がる。
「い、嫌だぁッ! もう凍りつくのは、ロリコン呼ばわりされるのは嫌だァァッ!! シスコン呼ばわりも嫌だァァッ!」
 そう叫んで、彼は思わず踵を返した。
 エヴァルトは前列から数えて二両目への扉を開く。
 それを追いかけるように、氷ゾンビ達が続々と歩みを進めてきた。
 彼はそれを一瞥してから、全力疾走で二両目の中程まで駆け抜ける。
 通常の彼は多少目付きが悪いとはいえ情に厚く、決して困難から逃げる性格をしているというわけではないのだが、今は時が悪かった。
 つい先月、それこそ三月の兎が狂ったように鳴き始める時期に、彼は氷漬けにされた事があったのである。PTSD――俗に言うトラウマに囚われていた彼は、条件付けでもされたかのように、本能的な危機を感じて走り出したのだった。こわばった白色の頬の上で、焦燥感を滲ませるように、通常は大人びている赤い瞳が必死で退路を探している。


 彼のそんな姿と、前方車両から上がった悲鳴、そして押し寄せてくる氷ゾンビの群れに、ミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)が瞠目した。
彼女は赤い髪の毛先を撫でながら、何事だろうかと首を捻る。
 座右の銘が「全速全開!」であるスポーツ少女であるミルディアは、既に三両目の扉を開け放っているエヴァルトと避難客の嵐、前方から押し寄せてくる氷ゾンビを交互に見据えた。彼女の赤い瞳が揺れている。
「な……なんなのよ! これ!?」
 思わず彼女が呟いた。
 その時隣席には、事態に瞠目している葉月 可憐(はづき・かれん)アリス・テスタイン(ありす・てすたいん)がいた。
「……なんだか車両が俄かに騒がしいです?」
 まだ事態をまったくもって把握していない様子の可憐に対し、ミルディアが声をかける。
「っ、あたしがなんとかするから、速く逃げて」
 いささか短気で子供っぽい所もあるミルディアだったが、それは率直さの裏返しであるとも言える。彼女の声に、隣席に乗車していたらしい二人が、三両目へと向かって走っていく。それを見送り、小柄な体を奮起させるように、ミルディアは立ち上がった。
「何かこんなことばっかり……あたし呪われてる?」
 呟いた彼女は、実のところは恐がりなのだ。
 その為、腐ってこそいないものの、ゾンビと呼称するにふさわしい敵陣に対し、両腕で体を抱いた。襲い来る寒気がひんやりとした氷ゾンビに由来するのか、怖気に由来しているのかは、ミルディア自身にも分からない。
「って囲まれちゃったかな?」
 可憐達を背後に庇いながら、ミルディアは自分の後方にもいる氷ゾンビへ視線を向ける。
――怖い、だけど。
「そんな思いで彼女は、先程まで隣に座っていた可憐達を見据えた。
仕方ないなぁ……あたしが道を開くから、そこから一気にダッシュね! ――いい? 合図したら一気に駆け抜けちゃって!」
 ミルディアはそう告げると、エヴァルトが走っていった先にある三両目の扉正面にいる氷ゾンビをなぎ倒した。
「今!」
 彼女の声に呼応するように、可憐達が逃げていく。
 正面で閉まった扉に安堵しながら、彼女は双眸を一時伏せ、自身が百合園の生徒であることを思い出した。実を言えば、溺愛されている父親に無理に入れられた学校ではあったが、今はそれ相応に学園生活を楽しんでいる。
「とりあえず逃げてくれて良かった、だけどどうしたら良いのかな」
 呟いた彼女は、四方八方をふさぐ蒼い皮膚をした氷ゾンビを見渡す。
「下手に相手をして壊しちゃったら大変だし、まぁ、この鎧と自前の守りでなんとか……なるわけないか」
 襲い来る氷ゾンビの群れに対して、彼女はきつく目を伏せたのだった。
「後はよろしくね、みんな……」


 丁度その頃、二列目の最後部では、ゲブー・オブイン(げぶー・おぶいん)が、侵入してきたゾンビに首筋を噛まれていたのだった。
「うさぎ……兎……パラミタウサギ」
 ピンク色のモヒカンを揺らしながら、彼は呟いた。噛まれて周囲を寒さが包んだのとほぼ同時に、兎のことが頭を占めるようになったのだ。正確に言えば、兎と、仲間を増やせという二つのことが、である。だが、褐色の肌をした彼には、それら以上に大切だと感じることが一つだけあった。
――おっぱい、即ち乳房である。
 負けず嫌いで目立ちたがり屋かつお調子者、そんな性格が目立つ彼ではあるが、噛まれて現れた意識よりもなお、重要なのは、豊満な巨乳であったのだろう。
「がはは」
 彼は茶色い瞳を揺らしながら、後部座席に座っていた巨乳の乗客へと襲いかかった。
「いや、やあ、やめて――っ」
 既に凍りゾンビとか下彼の口が、妖艶な胸の女性の白い首筋へと吸い付いていく。ゲブーは欲望に忠実なのだ。
「最高だな、おっぱいは。でもまぁ、なんだか偉そうなやつが兎を捕まえてくださいっておねがいしてやがるから捕まえてやるぜ!」
 そんな最中でも氷ゾンビとしての使命を彼は忘れてはいなかった。


 前方から来て後方へと全力疾走していくエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)の姿を目にとめて、三両目の端の席で、片野 永久(かたの・とわ)が腕を組んだ。
「なんだか前の方の車両騒がしいなぁ。ああもう面倒くさいのに……仕方ないわねー。みつよ、グレイス、ちょっと様子を見てきて」
 聞き惚れるような良い声で、永久がパートナーの二人を見た。彼女はピンク色のセミロングの髪を手で弄りながら、深々と溜息をついている。永久は面倒くさがりで脳天気な性格をしているのではあるが、妙なところで律儀である為、居合わせたのだから騒動を放っておくのもどうなのだろうかと、考えてしまったのだ。
「分かった、ボク行ってくるよ」
 三池 みつよ(みいけ・みつよ)がせっかちな性格をのぞかせるように立ち上がった。彼女の綺麗な黒い髪が揺れる。
「グレイスもご一緒します」
 グレイス・ドットイーター(ぐれいす・どっといーたー)も応えて腰を上げた。緑色の瞳を永久に向け、彼女は静かに頷く。
 こうして永久を残し、みつよとグレイスは二両目へと向かっていったのだった。


 その頃丁度四両目をエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)が駆け抜けていった時、その後方、車両で言うのであれば二両目でリリィ・クロウ(りりぃ・くろう)が、不意に首筋を氷ゾンビに噛まれたのだった。
「わ、わたくしは僧侶だからゾンビになんて……なら、な……い……」
 その呟きが最後だった。
 一度倒れ起き上がった時、リリィの皮膚は蒼くかわり、氷ゾンビへと成り果てていたのだった。――うさぎ。ウサギ。兎。パラミタウサギ。時計兎。――仲間を増やして見つけ出せ。思考がそれらの声で埋められていく。
 瞠目したリリィの隣に立って、ナカヤノフ ウィキチェリカ(なかやのふ・うきちぇりか)が嘆息した。
「ウサギを捕まえなきゃいけないの。ウサギを探さなきゃ。その為にも仲間を増やさないと……」
 そう口にしたリリィに対して、ナカヤノフが白い腕を組んだ。
「あたしは味方――仲間だよ」
 味方――とは即ち氷ゾンビであるのだろうかと、リリィが小首を傾げる。仲間を増やすため、手始めにパートナー噛み付こうとしていた彼女は、動作を止めた。
「ゾンビじゃないけど、あたしはリリィの味方だよ? ゾンビかどうかなんて関係無いでしょ」
 ウィキチェリカのその声に、リリィは緩慢な動作で頷いて見せた。ゾンビになったとはいえ、思考はあるのだった。
「けれど、もっと仲間を増やさなきゃいけない気もしたのですが」
「氷ゾンビにしてまで仲間を増やさなくてもいいんだよ?」
 ウィキチェリカが言うと、リリィは曖昧に頷く。
「ウィキチェリカが必要ないって言うなら必要無いのかも……なら、さしあたっては仲間を増やすより、ウサギ探し優先だよね」
 頷いたウィキチェリカは、こうしてゾンビ化は免れ、ゾンビ化したリリィとともにウサギ探しをする事にした。
「ウサギってあたしが持ってる雪うさぎじゃ駄目なのかなぁ?」
 そんな風に呟いたウィキチェリカの声は、車内の喧噪に飲まれていったのだった。