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空大迷子

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空大迷子

リアクション

 ピークを少し過ぎた頃、武神牙竜(たけがみ・がりゅう)はセイニィと二人きりでテーブルに着いていた。
「ロイヤルガードの役割、大変そうだな」
 と、牙竜。それぞれに食事へ手を付けながら、セイニィは言う。
「別に、そんなこともないわよ」
 そんな彼女を牙竜は眺め、ふと思いだしたように言った。
「ところで、紅白の時のプロポーズのことなんだが……」
「!」
 げほっ、とセイニィがむせて表情をゆがめた。
「大丈夫か? はい、水」
「な、なんてこと言うのよ、急にっ」
 牙竜に差し出された水を受け取り、セイニィは落ち着いてからそれを飲んだ。
「ふと、カシウナの町外れの教会で告白したことを思い出してな、あの時は本当に緊張したなって……」
 ――あれから1年、駆け足のように過ぎたな、とも。
 セイニィは彼の言葉を聞いていたが、特に返答はしなかった。それよりも今は空腹を満たしたいらしい。
「俺はロイヤルガードとしてのセイニィを支えたいと思っている。その隣に立つに相応しい男になるために、これからも磨きをかけていくつもりだ。――惚れた以上は、セイニィに相応しくなるために努力は怠らないでいくぜ」
 と、覚悟を秘めた瞳で牙竜は笑う。
「お互いのやるべき事が終わったら、正式に迎えに行くつもりだ。その時に改めて返事を聞くぜ」
 微妙な距離を保つ彼と彼女を、少し離れたところから覗いている者がいた。
「うむ、なかなかいい感じだな」
「いい感じ、って……まさか、あれが大切なことかよ? いい趣味してんな!」
 と、呆れた声を出す樹月刀真(きづき・とうま)武神雅(たけがみ・みやび)は目を向けた。
「趣味でしてると思うか? たまたま愚弟がいて、たまたま見えているだけだ」
 そんなわけないだろうと言いたかったが、雅がそう主張するなら従うしかない。しかも今日、刀真は雅に礼をするため食事へ誘ったのだ。
 それぞれにコーヒーを啜り、雅は唐突に口を開いた。
「私の趣味とは……」
 と、伸ばした素足で刀真の足に触れる。
「ん? 足に何かやわらかい感触が……ちょ、これがお前の趣味か!」
 向かいで楽しそうにしている雅の顔に、刀真は何とも言えない顔をした。
「何だ、あんまり動かれるとデリケートゾーンに触れてしまうだろう。周りに気がつかれたら、私は嫁に行けなくなってしまう」
 そう言いながらもテーブル下でちょっかいを出す雅。
「まったく……嫁に行けなくなったら俺が面倒見てやるよ、大和撫子さん」
「――お、愚弟のやつ、何と大胆な」
 刀真の台詞を聞いてなかったのか、雅はまた牙竜たちに視線を向けていた。刀真もそちらに目をやると、牙竜とセイニィの顔が重なって見えた。それはまるで恋人同士のような――実際は、セイニィの口元についたソースを牙竜が拭ってやっているだけだったが。
「……」
 じーっと刀真を見つめる漆髪月夜(うるしがみ・つくよ)。牙竜たちのデートをのぞき見している雅たちを、月夜は覗いていた。
 隣の席に座った橘恭司(たちばな・きょうじ)はデジタルビデオカメラを回して、二組のカップルたちの様子を撮影している。
 恭司にねだって奢ってもらったチョコレートパフェを食べながら、月夜はじっとパートナーの様子を見つめていた。
「お、こんなところで何して――」
 と、偶然食堂を通りかかった閃崎静麻(せんざき・しずま)が声をかけると、月夜が人差し指を立てて口に当てた。静かにしろ、ということらしい。
 静麻は彼女の視線の先、カメラの回されている方向を見て納得した。月夜と恭司は覗きの覗きをしているらしい、何だか面白いことになっているではないか。
 静麻はパートナーたちへ顔を向けると、空いていた隣のテーブルへ静かに着席した。
 レイナ・ライトフィード(れいな・らいとふぃーど)もいちゃついている刀真と雅をしばらく見ていたが、ふと思いついて口を開いた。
「そう言えば、以前に雅さんが既成事実がどうとか仰られてましたね」
 禁煙パイポをくわえた恭司を始めとして、一同の視線がレイナに集まる。
「もしかして、このツーショットも既成事実に?」
 言ってしまってからはっとするレイナ。月夜の目つきが変わっていた。
「そ、そんなことありませ――」
「よくよく見れば、刀真殿と雅殿は親密な空気でござるな。これは今日だけで生まれる空気ではござらん、何度も逢引を繰り返して来た者たちの空気でござる」
 フォローしようとするレイナを遮り、服部保長(はっとり・やすなが)は彼らを見つめたままで言う。
「もしかすると、既に夜も同じ寝床で過ごしている仲やも知れぬでござるぞ」
 ――夜も同じ寝床で!?
「いやー、拙者等が知らぬ間にあの二人の仲は進んでるでござるなぁ」
 と、のんきに関心する保長。
 月夜はスプーンを置くと、がたっと席を立った。
「おい、月夜?」
 何をするつもりかと恭司が呼び止めるのにも構わず、月夜は刀真たちのテーブルへ行くと叫んだ。
「私だって刀真と夜を同じベッドで過ごしてる!」
 ――正しくは月夜の場合、一緒のベッドでただ寝ているだけである。
「月夜? 何でお前がここに――」
 と、驚く刀真を月夜は涙目で見つめたあと、ぽかぽかと叩き始めた。
「刀真! 雅と夜を共に過ごす前に、パートナーの私たちに優しくするの!」
「え、ちょ、やめろ、月夜。何のことだ、俺と雅が夜を共にって……!?」
 目の前で起こり始めた展開に雅はただ刀真を眺めるだけだった。
 恭司は静麻と顔を見合わせ、苦笑した。どうやら刺激してはいけないところを刺激してしまったようだ、保長が。
 彼らの様子に気づいた刀真は「助けろ」と、視線を送りかけてやめた。恭司たちのしていることと自分たちのしていることは同じだ。
 為す術もなくひたすら叩かれている刀真に雅が笑う。
「樹月刀真、これがデートのお礼……『当たり前にある日常』だ」
「は? 日常……」
 牙竜とセイニィのデートや、月夜、恭司に静麻たち……『当たり前にある日常』。
「ああ、そういうことか。――ありがとう、雅。だが、少し騒がしすぎないか?」
 取るに足らないような些細な出来事。その繰り返しこそが日常であり、忘れてはならないことだった。

「ちょっと持っててもらえる?」
 と、水鏡和葉(みかがみ・かずは)は自分の携帯電話をメープル・シュガー(めーぷる・しゅがー)へ差し出した。ポケットに入れておいたらなくしてしまいそうだったので、信頼の置ける彼女に預かってもらおうと思ったのだ。
「携帯……えぇ、分かったわ。責任持って預かっておくわね」
 にこっと笑うメープル。和葉もにこっと笑うと、すぐにヴェルリア・アルカトル(う゛ぇるりあ・あるかとる)の横へ並んだ。
「それにしても本当に広いねー」
「そうですね、校舎の中も綺麗ですし」
 周囲をきょろきょろと観察しながら歩く二人の前には、ルアーク・ライアー(るあーく・らいあー)柊真司(ひいらぎ・しんじ)がいた。ちょっとでも目を離すと迷子になる和葉とヴェルリアをちらちらと振り返っては、はぐれていないことを確認しながら歩いていた――はずだった。
「あれー、どこ行っちゃったんだろ?」
「おかしいですね、さっきまでそこにいたのに」
 和葉とヴェルリアはその場に立ち止まり、周囲に目を向けた。しかし、ルアークと真司の姿はない。
「しょーがないなぁ、探すしかないか」
 と、まるで彼らが迷子になったかのように言う和葉。
 ヴェルリアは彼女へ顔を向けて言う。
「私もお手伝いします。きっと、真司もルアークさんと一緒だと思うので」
「ありがと、ヴェルリアちゃん。見つけたらお礼代わりにパフェおごってもらおうね」
「はい」
 と、にこにこと笑いあう。
 そして二人は、二人が来た道と信じる方向へ歩き出した。

 文献学の研究棟を訪れた犬養進一(いぬかい・しんいち)は、開放されている研究室へ入るなり驚いた。
「おお、さすが新しい大学は違うな!」
 進一の通っているイルミンスール魔法学校とは明らかに流れている空気が違う。
 研究施設改善を密かに目論む進一は、空京大学の研究室について詳細にレポートし、それをあの校長に提出するつもりでいた。そして我が研究室にも最新の機器を――!
「なんだこのコピー機は? 写本がこんなスピードでコピーできるだ……と?」
 キラキラと目を輝かせながらコピー機を見つめる進一。
 トゥトゥ・アンクアメン(とぅとぅ・あんくあめん)もまた室内をきょろきょろと見回していたが、あまり心惹かれるものはない。それどころか……。
「なんか、想像していた学校の教室とは違うのだが……」
 トゥトゥは首を傾げた。学校へ行ってみたくて付いてきたのに、何だか納得がいかない。
 しかし進一はとても楽しそうにしているので、トゥトゥは室内を歩いて見ることにした。
「こっちはなんだ? データベースと電子辞書が合わさったようなものか。ちょっと触らせてもらおう」
 と、進一。未だに紙の辞書しか使っていない進一に、その機械は素晴らしく便利に映っていた。イルミンスールにもこれがあれば……と、手にした筆記用具でメモを取る。
 トゥトゥはふとテーブルの隅に見覚えのあるものを見つけた。
 手を伸ばしてそれを取り、トゥトゥは呟く。
「あ、やっぱり余の国の文字だ。えーと、なんて書いてあるのかな?」
 それはエジプトのヒエログリフを写した写真だった。実際にこの研究室で研究している学生のものだ。
 傍目には絵か暗号のようにしか見えないそれに目を走らせ、トゥトゥは言った。
「ふむ、アメン神の生ける似姿……か」
 どこで撮られたものなのかと、写真を裏返してみるトゥトゥ。
 しかし、すぐにその場に居合わせた人々の視線を感じて振り返った。勉強していなければ絶対に読めないような文字を何故!? と、言わんばかりの視線だった。
「え、え? なんでそんなに驚いているのだ?」
 と、逆に驚いてしまうトゥトゥ。
 進一は背後で起きている出来事には目もくれず、ひたすらに最新機器をレポートしていた。