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第5章 エンドレス・ブルー 6

 地底湖から消え去った契約者と力を求めた修羅たち。
 最後に残されていたのは、ウォーエンバウロンの魔法を発動させた当の本人である政敏たちとアリス・ハーディング。そして――閃崎 静麻とモーラだった。
「し、静麻さん……!?」
「ちょいと遅れたが……とりあえずクライマックスには間に合ったか」
 どうやらモーラが転移の音を聞く寸前に、彼は爆破を起こしたらしい。粉塵の中から現れたところから察するに、爆破の中で音を遮ったのだろう。そしてそれは、寸前で彼と合流したモーラのたっての願いだった。
「お、おいモーラ……なんでそんなこと……」
「だって……政敏さんたちはここに残るつもりだったんですよね?」
「…………」
 政敏は声を詰まらせた。もちろん、彼らだって自分たちを犠牲に、などと思っているわけではない。だが、確かに魔法の発動者の正確な脱出方法が分からなかったのは事実だ。
 遺跡が音を通しやすい内部構造をしていることから、脱出方法は推測できたが。自分たちの脱出に関してはいわゆる行き当たりばったりだったわけである。
「政敏さんたちだけをここに残してわたしだけ脱出するなんて、そんなこと出来ません!」
「モーラさん……」
「……しょーがないな。しかし、どうするか?」
 リーンの胸を掴んだような呟きに続けて、政敏は地底湖を見渡した。
 政敏たちが発動させた魔法は言わば自爆装置のようなものに他ならなかった。もともと六黒たちとの攻防で崩れていた天井や壁は、今となっては崩壊のカウントダウンを辿っている。次々と落下してくる岩が地底の湖に突っ込んで哀しい水音を鳴らす。
 落盤が、モーラたちの頭上から降ってきた。
「リーン! お願い!」
 カチェアの声を聞いて、リーンが彼女に飛翔魔法をかけた。彼女が空飛ぶ魔法をかけてくれることを分かっていたカチェアは、すでにバーストダッシュによる飛翔の準備を整えている。
 加速。そして突貫。
 雷撃の糸を引いた高周波ブレードの一撃が落盤を破壊し、その間に政敏たちは比較的安全な祭壇へと移動していた。
 どうにか逃げ道はないかと探す政敏たち。
 と――そのときアリスが言った。
「杖を利用しましょう」
「つ、杖……?」
 彼女が示していたのはウォーエンバウロンの杖だった。先ほどは杖と紋様に注ぎ込んだ魔力の力で『音』の連鎖を計ったが、その場にいるこの数名だけが脱出するのみならば、造作もないことだろう。
 それだけの力がウォーエンバウロンの杖にあると、アリスには分かっていた。
「で、でもそれじゃあアリスさんは……?」
 杖に魔力を注ぎ込む者は脱出できない。そして、杖の魔力を最も熟知しているのは――恐らくアリスに他ならなかった。
「…………」
 しばらく黙りこむアリス。
 だが、やがて彼女は不安そうなモーラを安心させるように、優しげなほほ笑みで言った。
「……必ず、追いつきます。だから、先に脱出してください」
「…………」
 モーラは何かを言おうと口を開閉していたが……結局彼女は口をつぐんだ。
 アリスの言葉が真実かどうかは計りあぐねる。
 だが――信じよう。
 そう思って、彼女は政敏たちとともに杖の周りに立った。
 ウォーエンバウロンの杖から発せられる音は、かすかに『エンドレス・ブルー』の曲に似ている気がした。やがて、曲は光を生み出す。
 その光に包まれたとき、モーラたちはただ一人の吸血鬼を残して地底湖から姿を消した。



 崩れゆく地底湖をアリスは眺めていた。
 落盤がどんどん湖を埋めていってしまう光景はひどく哀しいものを思わせる。
 だが、すでに予定したようにアリスが杖に魔力を注ぐと――地底湖の崩壊は時間を巻き戻すかのように修復されていった。落盤は天井や壁へと戻り、えぐられた土は細かな砂まで元の位置を覚えていたかのように戻っていく。
 やがて元の姿を取り戻した地底湖を見て、アリスは呟いた。
「永遠の時間。永遠の音。永遠の安らぎを与えるもの――『エンドレス・ブルー』。人が一生をかけて完成させるには、過ぎたものなのかもしれんな」
 鍾乳石から落ちる雫が、再び『エンドレス・ブルー』の曲を奏で始めた。
 目をつむり、曲に心も体も陶酔させる。穏やかで、心地よい音色。そういえば彼はこんな曲をよく作っていたな……とアリスは思った。
「…………ウォーエン。悠久を生きる私にはこの大地の音こそが、永遠を生きる連れ合いかと思っていたが、どうやら違ったようだ」
 きっと彼には届くまい。
 だがアリスは、言わざるを得なかった。なぜなら彼女の心臓は、こんなにも強く鼓動しているのだから。
「生き物が発するリズム。そこにあれだけの『熱』が乗せられたら……敵うわけがあるまい」
 だから彼女は、もう少しだけ前を見てみようと思った。
 あの日。あの時。あの人と一緒に過ごした時間の中で、一生が幸せと感動と……素晴らしい『命』に満ち溢れていると思っていた頃のように。前を見てみることが、今なら出来る気がした。
 ふと――聞こえる。
(それで良いと思うよ、アリス)
「ウォーエン……?」
(俺は君の永遠を作ることはできなかったが……君はようやく見つけたんだね)
「さて……どうかな。気まぐれかもしれぬぞ」
(今はそれでもいいさ。きっとね)
 ――それ以降、彼の声は聞こえなかった。
 あるいはそれは幻聴だったのかもしれないとアリスは思った。
 彼はこの地に自分が追い求めた音術の結晶――永遠の音を奏でる楽器を作った。どれだけ崩れようとも、どれだけ朽ち果てようとも、ウォーエンバウロンの杖がある限り、永遠に奏でられる楽器だ。
 アリスは杖に手を伸ばして、光に包みこまれてその場を後にした。
 地底湖はずっと……雫の音楽を奏で続けていた。



「あー、死ぬかと思った!!」
 転移した先は遺跡の入口で、政敏は思わず晴天の空を見てそんなことを叫んだ。
 地面の草に隠れている魔法陣が、どうやら転移の目印になっていたようだ。遺跡の内部構造は音を通しやすくなっている。つまり、音が通るところまで転移は任意的に可能ということだろう。緊急脱出装置……といったところか。
 モーラたちの帰還を喜ぶ契約者の面々。
 政敏はぐでっと仰向けに倒れ込んで空を見上げた。地底湖の湖の青は、空の青と少し似ている気がした。
「色んな『音色』を聞いて、日々を生きているけどさ。『空』は変わらずに俺達を見ててくれるのかな」
「ど、どういうことですか?」
「『空』はきっともっと多くの『音』に触れて、それでも変わらずに俺達を受け止めてくれる。そんな気がするんだよな」
 戸惑って聞き返してきたモーラに、彼はそう言った。
 で――
「だから俺は、屋上で昼寝が大好きなのさ!」
「何を言っているんですか! そんな事、私がさせると思いますか?」
 青筋を立てて笑顔を引きつらせているカチェア。
 明らかに怒りをあらわにしているそれに政敏は、
「あははは……」
 誤魔化すような苦笑を浮かべた。そんなカチェアと政敏を、くすくすと笑って見守るリーン。
 とにもかくにも無事に戻れたのは良かった。どうやら六黒たちは別の場所に転移してしまったようであるし、それはウォーエンバウロンの杖が何らかのサービス的処置をしてくれたおかげなのだろうか?
「ところで……アリスさんは……」
「私ならここにいますよ」
「うひゃあっ!」
 突然後ろから話しかけられて、モーラは飛び上がった。
 地底湖にいたときよりもお嬢様然とした雰囲気が強くなっているアリスは、クスクスと彼女を笑う。
「空の色……綺麗ですね」
 そんなことを誰ともなく呟くアリスの笑顔は、地底湖の雫のように美しかった。