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浪の下の宝剣~龍宮の章(後編)~

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浪の下の宝剣~龍宮の章(後編)~

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11.小谷友美




「私ってさ、なぜだか恋愛がうまくいかないの。見えないでしょ、でもね……ほんっと、どうしてダメなのかわからないぐらい上手くいかないのよね。でも、全部が全部ダメってわけでも無かったのよね」
 誰もが、知ってるという言葉を飲み込んだ。彼女の恋愛下手については、海京どころかシャンバラにも響き渡っている節がある。姉妹揃って。
「もう三年、四年くらい前になるかな……まだ、研究所で会社員してた頃の話」
 研究そのものは、友美にとっては天職のようなものだった。
 試行錯誤を繰り返しながら、一つ一つ浮かんでくる問題を解決していく。単純で地味なものでありながら、時に閃きで大きく躍進することもあり、ドラマチックな仕事であると彼女は今でもそう考えている。
 研究のように、恋愛も簡単に進めばもっと楽だったろう。
 小谷には男運が無い。とは、母親が何度も呪いのように口にしていたが、それは事実だった。
 惹かれていた同僚が突如僻地に飛ばされたり、身内の不幸で家業を継ぐと一方的に別れられたり。まるで誰かに周到に用意されているかの流れは、そのうち、近づくと不幸が訪れる女と噂が立つようになった。
「その時は、そんな噂に怒りもしたけど……今にして思えば、本当の話だったのよね」
 噂が流れてしばらくすると、もう男は誰も友美には近づかなかった。だが、そうなって諦めるような人間ではなかった。近くにいる人がダメならと、仕事も何も関係なく色んな人との出会いを求めた。
 そうして、あの人と出会った。高校で科学の教師をしているという優男で、はっきり言ってタイプではなかったのだが、しかし惹かれるものがあった。
「けどね、告白されなかったのよ。凄く寂しい話よね。私はもっと華やかな恋がしたかったはずなのに。けど……幸せだった。すごく、幸せだったの」
 社会に出て働いてお給料をもらって、友美は自分が立派な大人だと思っていた。だから、彼に頼るようなことはしたくなかった。向こうの方が年齢が二つ上だったのも、妙なプライドを持った理由のひとつかもしれない。
 それが、まさかあんな事になるなんて思いもよらなかった。
「子供がね……できてたの。でもね、その事をすぐに伝えられなかった。一人で色々考えちゃったのよ。仕事は辞めたくないとか、これがあの人の重みになったらどうしようとか……私の家族のこと、とか」
 友美は、大学を出るとすぐに家を飛び出して会社の寮に入っていた。地方の研究所だから、というのもあるが、なによりも自分が早く家から出たかった。
 小谷の女は男運が無い。それは母もしかりであり、友美を産んでからも続いていた。しばらくして、今の父を迎え入れることになり、妹もできた。けれど、それは友美の居場所が無くなるのと同じだった。
 母も新しい父も、決してそんなつもりは無かっただろう。だが、友美にとってはそこはもう、ひたすらに居づらい場所でしかなかった。それでも家族は家族だ。
 大人になったのだから、嫌な事から逃げるような事はしないで、向き合うべきだと決心するには時間がかかった。それは自分の為でもあるし、あの人の為でもあるのだからと、腹をくくった。
「でね、電話したのよ。携帯に。でも、繋がらなかった。電源が切れてるとかじゃなくてね……それで、あの人の実家の番号があったから、電話してみたの。全く知らない女から電話がかかってくるなんて、すごく驚いたでしょうね」
 色々考えた。知らされていなかったが、本当はあの人にはもう家族が居て、自分はただの遊びだったのかもしれない。それとも、何かを察してもう逃げてしまったのかもしれない。
 だが、そんな考えの方がずっとマシだった。
「二週間ぐらいかな、連絡取らなかったのは。その間にね、死んじゃってたのよ……嘘みたいでしょ」
 事故や殺人などではなく、病死だったらしい。頭が真っ白になっていた自分には、向こうの家族が言っていた言葉の半分も残らなかった。既に通夜も葬式も終えていて、案内された墓にあの人が眠っているなんてことが理解できなかった。
 自分と付き合いがあった事すら知らされていなかった様子ではあったが、それでも優しく対応してくれた。何度も謝らせてしまった。誰が悪いという話でもないのに。
 そして、自分の中にあの人の子がいると、最後まで口にできなかった。
 女一人で、子供を育てるのはきっと大変だろう。その程度の考えだったけれども、でも降ろそうなんて考えられなかった。何をしても、このお腹の中の子を産んで育てようと心に決めていた。
 思えば、ずっと無理をしていたのかもしれない。
 子供ができたとわかったその時に、すぐに相談していれば、彼の家族に会った時に正直に話していれば……もしもの話なんて、しても仕方ないのかもしれないが、悔やむ気持ちは今でも残っている。
 原因不明の高熱で倒れたのは、それから間もなくだった。医者が言うには、心労から来るものでしっかり休めば問題無いものだそうだ。友美にとっては。
 結局、その時の高熱が原因だったかはわからない。だが、子供はいなくなってしまった。まるで最初から、なにもかもが幻であったかのように。
「あの仮面が私に話しかけてきたのは、その少しあとぐらい。死人みたいな私の様子が、たぶん我慢できなかったんじゃないかな」
 子供が居ると知るほんの少し前、友人の結婚式があった。友人の家族の様子は決断した理由の一つでもあった。二位尼のお面は、その時いくつかの偶然を伴って手にしたものだ。
 見たところ、ちょっと変わった材質だったから研究材料になるかな、なんて思って持って帰ったものだが、まさかそこに人格が宿っているなどとは思わなかった。
「あんまりね、自分の事は話さない人だったわ。最初は自分が二重人格にでもなったみたいな感じだったけど……少しずつ、違う人なんだってわかるようになってきたの。きっと出会ってなかったら、今の私とは全然違うことになってたでしょうね」
 それは、お互いにとってのリハビリだった。想いの塊でしかなかった二位尼が人となるための、追い詰められた友美が自分の心を取り戻していくための。
 一年ぐらいはそうしながら仕事も続けた。二位尼と出会わなければ、仕事も続けられなかっただろう。運命だとしても偶然だとしても、誰かに感謝しうるものだった。
「ある日ね、会社に人が来たのよ。取引先の天学の人だったんだけど、教師の数が足りないって話を聞いてね」
 話を聞いた時には、大変なのね、ぐらいの感想しかなかった。だが、教師をしていたあの人が、凄く楽しそうに愚痴を言う姿をしばらくして思い出した。一度思い出すと、それが何度も何度も頭に蘇る。
 大学時代に、本気ではないがなんとなく取った教員免許があった。それ自体は、資格の一つとして取ったもので、教師になるつもりなんてその時はほとんど無かった。まだ期限にも猶予があった。海京は日本ではないが、コレがあればそうそう悪い扱いにはならないだろう。
 このまま研究者を続けるか、それとも見知らぬ世界に足を踏み出すか。二位尼は、教師になる事を強く推した。今にして思えば、彼女には理由があったのだろう。どこで知ったのかは知らないが、安徳天皇を助けるには仮面の持ち主である友美が海京に向かうのは都合がいい。
 そして―――友美は天御柱学院の教師を志願した。

「……てっきり、イケメンの契約者と結婚するのが目的だと思ってたけど、そんな事があったんだ」
 ケイはうっかり思ってたと事を口にしてしまった。
「あら、それも理由の一つよ。確かにね、あの時の事は忘れられないし、あの人のことも同じ。けど、だから一生喪に服すなんてできないのよ。だって、私は生きてるんだもの。美談にはならなくなるかもしれないけど、私は私の人生を思いっきり楽しむの。それは、生きてる人間にしかできない……これは、受け売りだけど、死んでからでも悔やむ事はできるから、生きてるうちにするのは勿体無い、ってね」
「それは、二位尼さんの言葉ですか?」
「……そうよ。彼女はたぶんもっと辛かったはずなのにね。それでも、黙って私の話を聞いてくれてた。あーあ、なんで勝手に消えちゃうかなぁ」
 別れは済ましたし、今は手元にあの仮面も無い。だが、時折気配のようなものを感じる時がある。幽霊の正体のようなもので、なんでもないものを勝手にそう思っているに違いない。まだ居て欲しいという気持ちが、そんな風に思わせるのだろう。
「ありがとね、みんな」
「なんで小谷先生がお礼を言うんですか?」
 少しばつが悪そうにソアが言う。辛い思い出を話させてしまったのだ。むしろ、こちらが謝るべきだろう。
「いいのよ。話したら、少し楽な気持ちになれたの。私ってさ、つい自分の胸になんでもしまおうとしちゃうのよ。それで何度も失敗してるのはわかってるんだけど……もう、彼女もいないんだから、これからは人に相談もしていかないとよね。さ、安徳天皇を探しにいきましょう。足も、大丈夫よね?」
「あ、はい。大丈夫です」
「うん、治療ありがとう。そんな重症だとは思えないけどね」
「それは、そのぅ」
「ふふ。いいわよ。さぁ、行きましょう。ただでさえ、準備を整えるのに時間をロスしてるんだもの。あの子も結構溜め込む口だから、無理しないうちに見つけないとね」
 なんだかんだ言いつつ、友美は安徳天皇をちゃんと見ているのだろう。
 ここに向かっているまでの友美の様子では、安徳天皇に合わせるのは少し不安なところがあった。だが、その不安も今の様子からは感じられない。失ってしまった子と重ねているところがあるのなら、まだしこりは残っているかもしれないが、それでもちゃんと友美は向き合えるだろう。
「きっと、放っておいても小谷先生は自分でなんとかできたかもしれませんね」
 本人に聞こえないよう、ソアがケイにそっと言う。かもな、とそっけないケイはそれに答えた。話を聞いたあとだからわかるが、この方法は劇薬だ。友美が塞ぎこむ可能性も十分にあった。ソアもわかっているだろう。
 小谷友美の心の強さと、そうなるまで支えた二位尼あってこそだ。
「早く行くわよ」
「はい」「すぐに」
 それに応えるためにも、早く安徳天皇を見つけなければならない。



 偉そうな口を利く人間ほど、脆いものである事が多い。
 そういう意味では、最初から三枝仁明はあまりパジャールを信用してはいなかった。ポータカラ人として高い知識と技術力は本物ではあったが、こと人としての器はそこまで大きいとは思えなかった。
 プライドはいつだってガラスでできている。ひび割れ砕けた時、その身を傷つけるものだというのに、手元に置きたがるのは強者だと思い込む人間の悪い癖だ。まるで泥のように崩れていく、奴が自身の名前を与えたイコン、パジャールを見てもそう不思議には思わなかった。
「やれやれ、せっかく王手まで届いていたんだが白紙に戻された」
 ヘイリー・ウェイク(へいりー・うぇいく)リネン・エルフト(りねん・えるふと)の対応は素早かった。体を締め付けていたパジャールが崩れると同時に、素早く前に出て武器を構えた。
「なんの偶然か知らないけど、この気持ち悪いのが無い状況であなたに勝ち目は無いんじゃなくて?」
 アロー・オブ・ザ・ウェイクが三枝を狙っている。
「……降参するなら……命までは取りません」
 口調は控えめだが、リネンの目は本物だった。
「全く、困ったもんだ……。仲間が先に走り去っていくというのに、君達二人は微動だにしない。なるほどねぇ、宝剣の持ち手に必要なものがなんとなくわかった気がするよ」
「そんなのに興味は無いし、余計なお喋りをするつもりもないわ。降りないというのなら、叩き伏せるまでよ!」
 引き絞った弓が放たれる。距離は五メートルとない、避けれるわけがなく、恐らく彼女が狙った通り肩に突き刺さった。貫通しなかったのは、降ろすためだろうか。
 しかし、すぐに思うだろう。壊しておけばよかったと。
「宝剣は王器。王の資格あるものを選ぶもの、か。なるほどなるほど、パジャールが私を海鎮の儀に参加させなかった理由がわかった。確かに、私は王というわけではないな、限りなく近い別のものだ」
「……この人」
 リネンは気付いたらしく、ヘイリーも感づいただろう。矢が刺さって眉一つ動かさない三枝が、痛みというものを感じていない事に。かえしの付いた矢を、事も無く抜き捨てると三枝は背中に手を回し、短い刀を二つ取り出した。
 日本刀ではあるが、曲線を描かぬ直刀。鍔は円ではなく四角く、富豪の持つ武器にしては飾り気がない。
「忍び刀か」
 てっきり三枝の武器はその豊富な資産だと思っていたため、自分のための武器を持つ事にリネンとヘイリーは少し驚いた。それでも、この二人の壁を突破して、静麻と共にこの場を離れたユーベル・キャリバーン(ゆーべる・きゃりばーん)を追うことはできないだろう。
「どうする?」
 自分達の目的は、静麻の護衛だ。既に彼らが離れた以上、無理して戦闘を継続させる理由は無い。目の前の三枝は確かに障害ではあるが、自分達が倒さねばならないという理由にはならない。あの、厄介な液体金属が使えなくなったのなら、彼を狙っている誰かに与えればいい。
「……逃げれない、かな」
「安心したわ。あたしの目は狂ってなかったみたい。あれに背中を見せるのは、ちょっと嫌だもん」
 負傷し切り札を使えない富豪。武器は恐らく懐刀の忍び刀二つ。それだけの相手から、逃走するのを躊躇う覇気を感じる。いや、悪寒か。下手に逃走を図るよりは、戦った方がいいとの判断で二人は合意した。この龍宮も今は大人数が押し寄せている、背中を見せるよりはこっちの方が安全策だ。

「心配か?」
「そんな事ありませんわ。お二人とも、強いですもの」
 ユーベルはそう言いつつも、時折後ろを気にしている様子だった。三枝に運悪く出会ってしまい、あの厄介なイコンで壁に縫い付けられたが、それも先ほど何故か溶けた。
 あれは一体何だったのかはわからないが、機を見逃す理由は無かった。二人が道を塞いでくれると信じて、その場から逃走を図ったのが正解だった。そして、それにユーベルがついてきてくれたのもいい流れとなった。
 龍宮に何があるかわからない以上、宝剣をぶら下げて行軍するのは危険だった。その為、宝剣と静麻は別ルートで入ることとなった。安徳天皇が抜け出せば、誰かがここに向かうだろう。その誰かは、恐らく契約者を連れていくはずだ、戦力としても安徳天皇の説得のためにも、天学の契約者を連れていかない理由は無い。
 それに、その捜索隊に選ばれそうな関係者に小谷友美に入る可能性もかなり高い。龍宮に関して恐らく海京の重鎮は情報を持っているだろうし、龍宮の入り口に関しても知っていると見て間違いない。
「口調に気をつけろ、レイナ」
「すみません……、急ぎましょう」
 ユーベルが下げている宝剣は、以前作ったレプリカだ。三枝の反応を見る限り、これが偽物だとはわからなかったようだ。恐らく、静麻の顔で判断したのだろう。そうなると、少し策を懲りすぎた感が否めない。だが、安全策はいくらしても足りないのが世の常だ。
 間違いなく、安徳天皇の捜索隊は来る。そこに、宝剣を持った本物のレイナが入り込む。
 それまでの間は、ユーベルがレイナを装い共に行く。その為に、先ほどの戦闘の時に二人を置いて、彼女は共に抜け出したのだ。
 今のところ何もかもが正しく動いている。襲撃に遭いはしたが、それで策は崩れることなく、今なお足は止まらない。
「……」
「どうしかしましたか、静麻?」
「いや、なんでもない」

「技量も動きも確かに悪くない。でも、飛びぬけているわけでもないのに」
「……そうね。……試合だったら一対一でも……負けない」
 三枝と戦うと決めた二人は、まだ打ち合って僅かではあるが押され始めていた。
 リネンの言葉にあるように、これが決められたルールの中で互いの技量を図るものであったなら、三枝は二人に及ばない。三枝個人の能力は、契約者としては中ぐらいといったところだろう。ありふれていて平凡な、強い人間だ。
「この刀は結構由緒があるものでね、触れただけでも大変ですよ」
 一言で言うのなら、不快な相手だ。体術を織り交ぜて繰り出される攻撃は変則的で、こちらの間合いをじわじわと侵食する。それが、野生の感や訓練で培われたものならば、誰だってよく知っている戦闘の心得で済むが、この相手はそうではない。
 武器を持つ手の力加減や、呼吸のタイミング、踏み込む距離、その全てをその場で計算しているのだ。最も、相手にとって不利になる状況をコンマ何秒の単位で計算し、それを忠実に実行してくる。
 歴戦の戦士は、そんな方法で戦ったりはしない。戦術や間合いは計算に入るが、そんな細かい部分は培った技量で賄うものだ。だからこそ、強者と弱者が存在する。
「あの気持ち悪いのを操る才能ってことみたいね」
 あの液体金属イコンは、傍目から見れば自在に操っている様子だった。だが、パジャールは決して人の意を汲み取ってくれるほど、よくできた機械ではない。
 ナノマシンの集合体とはつまり、無限に近い個の集団だ。群体と称したあのイコンを操るためには、支配下にあるナノマシン全てに、一つ一つ別の命令を行わなければならない。当然三枝なりの、簡略化を測ってはいただろうが、それでも人外の情報収集能力であり、計算能力である。
 幸い二対一で互いのフォローができるが、一人でやったら最初の頃に不意打ちをもらっていたかもしれない。
 しかしどうするか、この相手の抜け目の無さは厄介で、こちらが攻め込もうとした時に文字通り肉を切らせて骨を断ちに来るだろう。出血させているため、小競り合いで体力を消耗させるのが王道ではあるが、それぐらい向こうも考え付くはず。
「なるほどなるほど、強いね君達。だけども、こちらはこれから二人分動く必要があるんですよね、そろそろ終わりにしませんか?」
「ふん、逃がしてもらえると思っているの?」
「……っ!」
「さすがに、ここで背中を見せるつもりはありませんよ。少し、本気を出します」
 防御を捨てて、リネンに三枝が向かう。だが、本気を出すと言ったわりには先ほどとそう変わらない。何が本気だというのか、口からでまかせもいいとろこだ。
「ヘイリー!」
 絡め取るのならば、寡黙な少女よりも強気な方だろうと三枝は考えていた。
 出会った時から、ヘイリーは苛立ちを抱えていたらしく、それは彼女の力を衰えさせるようなものではなかったが、小さな隙としてずっと持ち歩いていた。それは、三枝との戦いにおいても続いていたうえに、なにより三枝の戦い方は持ち込んだ苛立ちとは別のストレスを与えさせていた。
 試合においても、いや単に奇策を仕掛けるにしても、ヘイリーは三枝よりも上に居ただろう。理由はわからないが、どこかで抱えた苛立ちさえ無ければ。
 リネンに向かうと見せかけた瞬間、すぐに彼女は矢を番えた。そこで放つ一撃で片付けようと思ったのだろう。その動作の始まりを見た瞬間、そこに向かって刀を放った。
「お返しですよ、肩のね」
 避けられる距離ではない。刺さるのはどこでもいい。削りあいをできない状況にさえできれば、勝機はある。
「やっと見つけたぞ、三枝仁明っ!」
 ヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)が吠える。
「戦いの邪魔をしてすまない。しかし、俺はあの男に用がある。ここは譲ってもらうぞ……よいな?」
「いきなり走らないでほしいっス、いつ敵が出てくるかも……うわぁぁあ、帝王の腕に剣が刺さってるっスよ! どうしたんっスか!」
 シグノー イグゼーベン(しぐのー・いぐぜーべん)が駆けつけるなり絶叫した。
「て、手当てを」
「構わん、奴の方が重症だ」
「奴? あれが、三枝仁明っスか。随分ボロボロみたいっスけど」
 見る限り、瀕死とまではいかないが、気合で耐えるにも無理があるほどの負傷だ。それが平然と立っている姿は、少し不気味である。
「やれやれ、君はいつぞらの王でしたね……」
「これは返すぞ」
 腕に刺さった刀を抜くと、三枝に投げて返す。それから、ヘイリーとリネンに向かって、
「どうやって入ったかは知らないが、ここに居るという事は何か目的があるのだろう。先ほども言ったが、俺はこいつに用がある。差し支えなければ、先に行くといい。治療が必要なら、そこのキリカに頼め」
「……助かりました……でも、大丈夫」
「すまない。恩にきる」
 軽い礼を言うと、二人はその場からすぐに離れていった。
「よかったんスか?」
 腕一本を差し出してまで守った相手だ。別に金銭を巻き上げる必要もないが、せめてちゃんとお礼を言わせてもよかった気がする。
「構わぬ。あれを譲らせたのだ。それで礼は十分だ」