波羅蜜多実業高等学校へ

葦原明倫館

校長室

空京大学へ

ゾンビ・ファクトリー

リアクション公開中!

ゾンビ・ファクトリー

リアクション


   第一章


  1

 濃い闇の奥に、工場の影がその威容を潜めている。
 事件の発覚からおよそ半日。
 すでに現場は未明の暗がりに沈んでいた。
 だが、静寂とはほど遠い。
 木霊するのは断続的な銃声。前方から迫る獣じみた唸り声は銃声の度に途切れ、代わって肉を穿つ音が周囲に響く。
 ライトの白い光で丸く切り取られ、その光景は視覚に直接飛び込んでくる。
「うわー、頭破裂……本当に大丈夫なんだよね? アレ」
 血臭に眉をひそめ、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)が呟くと、耳に挿したイヤホンからはパラパラと紙を捲る音が届いた。
『資料を見る限り、大丈夫なはずだ。もちろん、絶対とは言い切れないが』
 教導本部に待機している相棒、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)の端的な返答に、ルカはしばし思案する。
 ダリルは小暮 秀幸(こぐれ・ひでゆき)を通し、団長の許可を得て、他のスタッフに混じりワクチンの複製準備を整えている。無論、ルカや秀幸たちが持ち帰るワクチンを迅速に複製、工場内の職員たちに投与するためだ。
 職員。都合300名。そのすべてがゾンビ化し、ルカの目の前、教導団が敷いたバリケードに向け押し寄せている。
 バリケードは工場の敷地を囲う形で等間隔に並べられた車両と、その間に設置した金属の柵だ。ゾンビの群の圧力に耐えるだけの強度はないので、教導団の警備要員は適宜、射撃で彼らの進行を阻んでいる。
 狙うのは頭部。治療可能な見積もりとはいえ、無辜の職員が頭を撃ち抜かれていく様はぞっとしない。撃ち抜かれた頭部の傷口は再生を始めているが、理屈と感情とは別である。
「ま、単に待ってるだけっていうのもヒマだからね」
『……おいルカ、なにをする気だ?』
 ルカの呟きの意図を敏くも見抜いたのか、釘を刺すようなダリルの声が届くが、それで思い留まるルカではない。
『俺たちが小暮少尉から受けた任務は、先行しての現場の監視と、封鎖の援助、ワクチンが届くまでの待機だろう』
「そ。だからこれは、封鎖の援助。
 とりあえず、皆患者ってコトで気絶させて良いのかな?」
 言いつつ、すでにルカは金属柵目がけて駆け出している。
 初めから説得できるとも思っていなかったのか、ダリルはなにかを諦めるように溜息をひとつ。
『わかった。いま小暮少尉に許可を取る』
 ルカの足がひときわ強く地面を掴む。
 一瞬の浮遊感の後には、ルカは柵の反対側へ軽やかに着地していた。
 背後からは他の教導団員のざわめき。耳元からは別回線で秀幸に連絡を取るダリルの声が響いた。
 そして正面。
 聞こえるのは獣の唸り声。
 ライトの灯りの中に蠢くのは、複数の人影。揃いの青いツナギ服に身を包む彼らの目には、生気がない。
 肌は土気色、身体は左右にゆらゆらと揺れ、なるほど、地球の映画で見るようなゾンビそのものである。
 焦点のぼやけたゾンビたちの双眸が、ルカを射抜いた。瞳の奥に、生気の代わりに獰猛な光が宿る。
 ルカを標的に定めた五人、いや五体のゾンビが歯を剥き、今しも襲いかかって来るところで、ダリルの声。
『許可が出た』
「――ありがと」
 両手を大きく広げ、襲い来るゾンビたちの腕が、しかしルカの身体に触れる寸前で空を切る。
 ゾンビたちはしばし、獲物の姿を追い求めて首を巡らせる。やがて鋭い嗅覚で彼女の存在を捉えるが、遅い。
「ゴメンね。一寸だけ寝ててね」
 声に応えるのは、ただ五つの人体が地面に倒れ伏す音だけだ。
 スタンクラッシュの手応えを大剣の柄ごしに感じつつ、ルカは手早く、倒れたゾンビの身体に持参したザイルを巻きつけていく。
 打撃とはいえ大剣による一撃だが、ゾンビたちの頭蓋は砕けるには至っていない。それでも一時的に脳から身体への司令系統を麻痺させるには十分だ。
 ゾンビが行動不能に陥っている間に、ルカはザイルを端を金属柵に繋いだ。これで遠くへ逃げることはできない。作戦完了後に捕縛する手間も省ける。
『俺たちの本命は、あくまでワクチンの複製と患者への投与だ。――体力は残しておけよ』
「了解!」
 無茶をするな、という言外のダリルの忠告に威勢よく応え、ルカは次いで襲ってきたゾンビの腕を、歴戦を思わせる立ち回りで軽やかにかわした。


  2

「テロリストの正体が判明しました」
 秀幸が告げると、場の空気がにわかに緊張を強めた。
 工場敷地外に停めた、ブリーフィング用の大型車両の中である。大型とはいえ、所詮は一台の車両。運搬車両の貨物庫内を改装して作られた室内には、この作戦に従事するべく集った面々が、身を寄せ合うように集っている。
 欠けているのは先着したルカと、教導本部に待機中のダリルだけだ。
 改めて全員の顔を見回し、秀幸は続ける。
「“ブラッディ・ディバイン”と名乗る鏖殺寺院の一派に所属する工作員です」
「“ブラッディ・ディバイン”……最近活動の目立つ一派ですね。目的はおおかた飛空艇、つまり教導団の運搬能力を削ぐこと、か」
 ルース・マキャフリー(るーす・まきゃふりー)の言葉に、秀幸は神妙な顔で頷いて見せる。
 工場内に立てこもったテロリストの要求は、修繕中の大型飛空艇と、自身の身の安全だ。
「教導団としては、おいそれと了承できる要求じゃあない。ただ、人質の命もそれほど軽視しているわけではない。そこで我々の作戦が必要になる、というわけですか」
「そういうことです」
 続く言葉に秀幸が肯定を示すと、ルースはなにかを考え込む風情で、紙の箱を取り出した。
 中からタバコを一本抜き、口にくわえたところで、ここが車内と気づいてか、「失礼」とライターを仕舞い直した。
 気を取り直し、秀幸への質問を続ける。
「作戦の流れは?」
「まず、赤の変貌剤を使用、ゾンビ化した皆さんに先行して工場へ入ってもらいます。続いて自分も含め、残りの面々も突入。ゾンビと戦いつつテロリストの位置を探り、所在が掴め次第、確保に移ります」
「なるほど。ならコイツを配りましょう」
 言って、ルースは小さな丸い機械を差し出した。大きさはボタン程度、裏には衣服に留めるためか、金属ピンがついている。
「発信器つきの通信機です。紛れてしまうと、誰が仲間かわからなくなりますからねぇ」
「なるほど……。そこまでは考えが回っていませんでした。ありがとうございます」
「いえ。ただ、生憎と信号の受信機はひとつしかないので、オレは今回裏方に回ります。必要に応じて呼びかけてもらえれば、各自の位置をお伝えしますよ」
 ゾンビになんかなったら妻が泣きますし、とルースは嘯くが、裏方の重要性を弁えた上での申し出だろう。秀幸はありがたく受けることにした。
「少尉殿、ひとつよろしいですか?」
 と、声を上げたのは大熊 丈二(おおぐま・じょうじ)だ。なにやら険しい表情で、唇を引き結んでいる。
「なにか気になる点でも?」
「はい。確認しておきたいのですが、少尉殿は赤の変貌剤の効果について、どの程度の信頼を寄せておいででしょうか」
「信頼、とは……?」
「要するに副作用とか、実際のとこ効果は本当に確かなのか。その効果をどの程度信用していいのかな、ってことだよ」
 質問を引き継いだのは丈二のパートナー、ヒルダ・ノーライフ(ひるだ・のーらいふ)だった。
 それに対し、秀幸は思案げに目を伏せる。
 変貌剤の効果。団長の言と、薬剤のアンプルに添えられた書類を読む限り、少なくとも使用者の命を脅かすことはない。
 ただ、物が物だけに、臨床試験の結果が十分とは断じられないのも、また事実だ。効果について、疑念は残る。疑念が残るものを、果たしていきなり実戦投入して良いものか。
「仮に疑念があるのでしたら、自分がここで試します」
 そんな秀幸の内心を見抜いたかのように、丈二はそう宣言した。
「いやしかし、それは……」
 秀幸は迷う。
 丈二が提案しているのは、即席の人体実験だ。だが、作戦を効率的に成功させるには変貌剤は欠かせない。効率を優先される作戦の性質上、変貌剤を投入しない、という選択肢は避けるべきだ。
 なら、どちらにせよ誰かが最初に使用することになる。
 ここは丈二を信じよう。
 秀幸が無言で頷くと、丈二はやや口元を緩め、敬礼を返した。服はすでに、工場職員と同じ青いツナギに着替えている。
「了解であります」
 丈二は先に配られた、赤い薬剤の入った注射器を取り出す。銃型の注射器の、銃口に当たる部分を腕の内側に押しつけると、躊躇うことなく引き金を絞った。
 プシュ、と空気の抜ける音と共に針が皮膚に射出され、みるみる薬液が減っていく。
 一同が固唾を飲んで見守る中、丈二はしばし、薬液を射った自身の腕を見つめていた。
「どう……?」
「う……ぐ……っ」
 ヒルダの声に応える代わりに、丈二は低い呻き声を漏らす。全身が震え、両目が大きく見開かれる。あえぐように口を開閉し、片膝を床につく。
 まさか、失敗か……?
 その場の全員が腰を浮かせる中、不意に丈二の震えが止まった。
「う……これ、は……」
 全員が同時に吐息を漏らす。
 響いたのは紛れもなく、丈二の声だ。
 肌は土気色、動作も緩慢になり、立ち上がる姿もよろよろと、今にも倒れそうなほど頼りない。だが両目には、依然として理性の光が宿っている。発声にも不自由はないようだ。
「よし……」
 丈二がひとつ頷くと、ヒルダが一歩前に出た。
 その手には片手用の剣。高周波ブレードだ。
 意図するところに秀幸が気づくのに先んじて、ヒルダは刀身を振るった。
 浅く、しかし確実に、切っ先が丈二の腕を斬り裂いた。赤い粘液が宙を舞い、床を濡らす。
「な、なにを……!?」
「大丈夫であります少尉殿。痛みはありません。それに、ほら」
 表情筋も麻痺しているようで、無表情のまま促す丈二の視線に従い、秀幸は目を見開く。
 丈二の左腕。破れたツナギから覗く傷口が、瞬く間に塞がっていく。ツナギに染み込んだ血の色こそそのままだが、歩み寄ったヒルダが肌をひと撫ですると、傷の形跡は完全に消え去った。
「これほどとは……」
 効果を知らされてはいたが、実際に目にするとにわかには信じがたいほどだ。この再生力があるのならなるほど、不完全ながら不死の存在たりえるだろう。
「うん。これだけの再生力があるなら、安心だね。それじゃ、はいこれ」
 と、ヒルダがなにかを秀幸に手渡した。渡されたものを見て、秀幸は眉をひそめる。
「これは……」
「拳銃。さっき借りてきた」
「いや、そうではなく……」
 確かに、渡されたのは小型の軍用拳銃である。主に将校の護身用。実戦で用いられることはほとんどないタイプの銃だ。
 戦地で使用されるとしたら、それはもっぱら――。
「……!」
 丈二とヒルダが意図するところに気づき、秀幸は再び目を見開いた。今度の驚愕と、動揺は先の比ではない。
 ヒルダが真剣な面持ちで指しているのは、丈二の頭部。そこに銃弾を撃ちこめと言っている。
 丈二も、緊張を孕んだ堅い表情で、秀幸をじっと見据えていた。
「少尉殿」
 強い視線。秀幸はたじろぐ。
 丈二が自身の頭部を撃てと促す意図は、この場の面々には明らかだ。
 彼が請け負ったのは変貌剤の効用の確認。果たして頭部を、脳を撃ち抜かれてもなお死亡せずにいられるのか。これは変貌剤のみならず、敵――正確には被害者たちだが、作戦上は便宜のため、敵としよう――に噛まれた際、ゾンビ化した仲間を撃っても問題ないのかの確認も兼ねる。
 確かに必要な措置だ。
 だが丈二が銃撃を促すもうひとつの真意まで測れているのは、秀幸とヒルダだけだろう。
 渡された銃がその証明だ。
 任務を遂行する上で、指揮官には非情さもまた求められる。時には、指示に従わない部下を撃ち殺すことすらも、必要になる。
 それは極端な例としても、部下を切り捨てて目的を最優先する程度の判断は、今後いくらでも求められるはずだ。
 丈二は、彼は、その覚悟を示せと迫っている。迫って、くれている。
 ならば応えなくては、嘘だ。
「……っ」
 息を呑み、秀幸は銃を構える。
 仲間たちの間からは、いくらか非難めいたざわめきが起こった。教導団以外からの参加者だろう。
 だが、秀幸は躊躇わない。
「……」
「……」
 丈二と視線を交わし、ひとつ頷き合うと、秀幸は引き金を絞った。
 鼻をつく硝煙と、粘つく血臭が、車内に満ちた。

「それじゃヒルダは、後から丈二を連れて行くから」
 額に弾痕を穿たれた丈二の傷は、しかし無事、脳組織を含め、再生が始まっているようだった。
 ヒルダの声に頷きを返し、秀幸は他の面々を連れて車を出る。
 振り返りはしない。そんな暇はない。
 事態は切迫しているのだ。自分にできるのは一刻も早く、任務を達成すること。
 丈二の信頼に応えるためにこそ、秀幸はただ前を見据え、戦場へと歩を進めた。


  3

「クソッ、まさかあんなに早く見つかるとは……」
 男は小さく呟いた。
 工場の電源は落とされ、周囲は完全な闇に沈んでいる。
 響くのは自身の声の残響。そして、男のいる空間の外側から金属の壁を引っ掻く、無数の音だった。
 音の正体を、男はよく理解している。
 原因は男のいる空間の外にひしめくゾンビたち。元は工場の職員で、その数は300名に上る。
 彼らをゾンビに変えたのは誰あろう、男――鏖殺寺院の一派、“ブラッディ・ディバイン”所属のテロリストである、彼自身だ。
「まさか、破られたりしないだろうな……」
 男が身を潜める空間の元来の用途を考えれば杞憂にすぎない呟きだったが、彼は口に出さずにはいられなかった。
 闇の中、壁を隔てているとはいえ、亡者の群に取り囲まれる状況というのはぞっとしない。
 本来の予定であれば、混乱に乗じて飛空艇を奪取。奪った飛空艇の武装で修繕中の他の機体を破壊し、後はそのまま逃走するはずだった。
 だが飛空艇の奪取に思った以上に手間取り、事態の発覚も早かったため、工場の周囲はすでに教導団に囲まれてしまった。仲間の救援も望めない。
 隠密行動を想定しての単独行だったが、それもこの状況では完全に裏目だ。
 忌々しげに歯噛みして、男は懐から透明な液体の入ったアンプルを取り出した。男が撒き散らしたウイルスに抗するワクチンである。
 これを餌にした交渉に教導団が応じてくれれば万事解決だが、そこまで楽観視できる相手でもない。
「できれば、使いたくはないんだが……」
 男は懐から、銃型の注射器を取り出す。薬液タンクは、ワクチンとは異なる毒々しい紫色をした
液体に満たされている。
 どうかこれを使用する事態にはなってくれるなと、男は祈るように、闇の中で目を閉じた。