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【黒史病】記憶螺旋の巫女たち

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【黒史病】記憶螺旋の巫女たち

リアクション

「……頭が痛くなりそうですわ」
 レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)から受け取った長い長いメールを読み終えて、アナスタシア・ヤグディン(あなすたしあ・やぐでぃん)は息を吐いた。
 充電を催促するように、携帯電話のランプはゆっくりと明滅を繰り返している。節電モードにした携帯を、それでも一度電源を切ってしまうと、彼女は薄暗く冷えた階段に座るもう一人の少女を見やった。
 まだ十歳にも満たないような女の子が、長い黒髪と、黒いコーデュロイの長袖ワンピース一枚という寒々しい格好で、まだ黙々と本を読んでいた。
「ねぇ、貴方もパラミタからいらしたんでしょう? 私はアナスタシアと申しますの」
 長い間少女は本に目を落としたまま、じっと固まっていたが、やっとこくりと頷いた。これが彼女が見せた初めての反応だった。
「こんなところで奇遇ですわね。もしかして、あの方たちから逃げていらっしゃるのではなくて?」
 彼女が読んでいた本は、例の、レキから教えてもらったタイトルだった。そしてよくよく見れば、彼女の特徴はメールに添えてあったものとそっくりだ。
「……それでは貴方があの、百合園の魔道書……?」
「いく」
 騒動の張本人は静かに立ち上がると、それだけ言って本を閉じた。
「そうですわ、貴方のおかげで大変な目に遭いましたのよ。事態をこれ以上悪化させる前に、私と一緒に駅に向かいましょう!」
「ううん。いく」
「行くってどこにですの? 私と一緒に──」
「いや」
 はっきりとした拒絶の言葉と一緒に彼女は雑居ビルの扉の鍵を開け、外に足を踏み出した。
「お待ちなさい!」
「いや」
 すたすたと歩いて行ってしまう黒ずくめの少女の手をアナスタシアは咄嗟に掴もうとして──、
「いたわ!」
 先程会った、あの片方がヤリスカとかいう少女二人組が角から顔を出したのが見えた。彼女たちは揉み合いそうになっているアナスタシアと黒ずくめの少女を見比べると、少しだけ頭を下げると、駆け寄ってきた。
「さっきは急にあんなことを言い出してごめんなさい。でも、しっかり説明すればあなたにも分かるはず」
「貴方たち、一体どなたですの?」
 少女の手を掴んだまま、アナスタシアは問いかけた。そして二人が意外そうな顔をしたのに、今度はアナスタシアが驚かされる番だった。
「誰って、私のクラスメイトでしょう? ああ、貴方は帰国子女で、日本に戻って来たばかりだものね。よく名前を覚えていないのね、柘植灯さん」
(──は?)
 と、言いそうになるのを、アナスタシアはかろうじて堪えた。
 このプラチナブロンドの髪と青い目を見て、どの辺がそんな名前の日本人だと思えるのか教えて欲しかった。いやいやその前に、会ったこともないのにクラスメイトだと思い込むとか。
「私は来栖花菜、こちらは堀田冬子
 アナスタシアはメールの内容を思い出した。原作では確か堀田冬汰とかいう少年だったはずだ。都合よく性別を脳内で改変したらしい。
「そして前世では、あなたは夜の魔術師と呼ばれた、宮廷魔術師のユーフォルビアだったの。私は同じく蒼角殿を守護していた歌巫女のヤリスカであなたの友人だったのよ」
「僕のことは性別が変わっていて驚いたのかもしれないね。あの悲劇の前後は剣士隊ブレイドの一員であり、君の従者だったホリダだ」
 セミロングの少女に続いて、ショートカットの少女がそんなことを言う。
 二人は自己紹介(自称)に続き、転生したことや前世であった戦い(妄想)について長々と話してくれた。もしあらかじめ内容をメールで貰っていなければ、とても黙って聞いていられなかっただろう。
「──つまり、過去のわだかまりを捨て、共に復活しつつある魔王や魔王軍と戦う必要があるということですのね」
 アナスタシアはレキの忠告を思い出しながら、慎重に告げた。
「そうだよユーフォルビア。ところで、こっちの黒い服の子は……? まさか魔族の子じゃ……」
「違いますわ! この子は──ええと、つまり──」
 思い付かない。アナスタシアは視線を巡らせて、どうやって逃げようか考えて──、
「ああ、大事な用事をがあったんですわ! またお会いしましょう!」
 すぐ先で仲良く戦闘を繰り広げている兄弟を見つけて、黒ずくめの少女の手を掴んだまま駆けだした。戦闘をかいくぐって道の向こうへと走り去る。
「待ってユーフォルビア!」
 前世を語る少女たちは追いかけたが、その時目の前を剣先が通り過ぎて、顔を見合わせた。
「ここは危険だわ、道を変えましょう」
「ああ、助けたいところだけど、ユーフォルビアを取り返す方が先だ。彼女がもし魔王軍に捕まったら……そしてあいつと再開したらどんな目に遭うか。また裏切られて傷つく彼女は見たくない」
「そうねホリダ……」
 前世(捏造)を思い出してしんみりする二人。その間にも、アナスタシアは順調に距離を稼いでいた。


 ところで、道をふさぐように戦闘を繰り広げている兄弟、というのは。
「ま た お 前 か」
 エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)の声は低く、強かった。
「実家の母さんが泣いているぞ! っていうか本当に泣いてたぞ!
 だいたい、実家は茨城だろ! なんでまた新百合ヶ丘まで出てくるんだ! あの魔道書と引きあってるわけでもあるまいに!」
 彼は敵──彼女の鋭い刀の一撃を手で掴みながら、剣の持ち主を叱り飛ばす。
 でも、泣きたいのはエヴァルトの方も、だ。双子だけに自分とよく似た顔を、こんなことで叱らなくてはならないとは……。
「何言ってるのお兄ちゃん! 前世でも、姉弟一緒に巫女王のために尽くすと決めたでしょう? なのに、なんで止めるの!? やっぱり……あれは本心だったのね!?」
「何が本心なんだ。 もういい、付き合ってられるか!」
「覚えてないとは言わせない! 魔物の襲撃を受けて、慟哭の谷で待ち伏せされた時! 仕方なく別れて、互いに生き延びて再会をと誓ったのに!
 なのに今もそんなこと言うなんて……再会した時には、裏切って魔王の軍門に下っていたのは操られていたからなんかじゃない、地位と金に目が眩んだのよ!
「おい、今何と言った!? 契約者に憧れて、妄想に目の前が見えなくなってるのはお前の方だろうが!」
 兄妹は言い合いながら、戦闘を続けていた。
 尤も、エヴァルトは本物の契約者。基本は防戦一方だ。まかり間違って本気で殴り飛ばしてしまったら、今度こそ母親が病院で泣く。呆れて泣く。
(しかし向こうはノリノリだな……あの模造刀、途中で秋葉原か鎌倉の大仏前かの模造武器屋ででも買ったのか?)
 もし自分が契約者でなかったら、とエヴァルトは考えた。或いは妹が契約者だったら。
(この剣は凶器だな。一般人に被害が出る前に、こりゃこっちもちょっと本気で止めるとしよう)
 エヴァルトは振り下ろされた次の一撃を、ちょっとだけ力を込めて受け止めた。掌と拳を少しずらした形の白刃取りで……そのまま、折る。
「ああっ! 蜘蛛切丸が!」
 哀れ特価4200円の模造刀はぽっきりと中央から折れてしまった。
「くそっ、悪の兄貴覚悟しろー!!」
「誰が悪の兄貴だ!!」
 エヴァルトは殴りかかってくる妹の右腕を受け流しつつ、その腕をからめて、逆関節を極める。動けなくなったところに、手刀で頸椎に軽く一撃。
 瞬間、バタンと気絶した妹の体をエヴァルトは抱きとめると、
「仕方ない……茨城の実家まで連行するか……。よっこらしょ」
 彼女を背負うと、道行く人にじろじろ好奇の眼で見られつつ、駅への道を歩いて行った。きっと妹も、実家のナスの味噌汁でも飲めば、落ち着くだろう。
「その前に、ホテルで薬を貰って来ないとな。ああ、万が一次回があった時のために、くさやでも買っておくか……」
 エヴァルトの貴重な休暇は、実家への旅に変更されたのだった。
 それは別名、里帰りともいう。