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【黒史病】記憶螺旋の巫女たち

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【黒史病】記憶螺旋の巫女たち

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第3章 君の耳に愛を、唇にさよならを


「巫女王よ、宮廷魔術師ユーフォルビアを見付けたとの報が届きました」
 その白い空間で、巫女王アルマ師王 アスカ(しおう・あすか))は、深い眠りに就いていた。
 深く深く静かな眠り。まつ毛すら動かすことはない。
 けれど彼女の意思は、側にいる巫女には伝わっていた。巫女王が彼女たちの声を聴いていることも、知っていた。
 ──お守りなさい。
 アルマの声が、巫女たちの耳に届く。受け取ったその声を、一人の巫女が伝える。
「ユーフォルビアを守れと。彼女の身に帝国の毒牙が迫っている、と仰せです。
 ──アルバ
「はい」
 名を呼ばれ、巫女たちの中から、一人の戦巫女が進み出た。
「現世での彼女を見かけたと言いましたね」
「はい」
「ユーフォルビアを取り戻すべく、既にエリーゼやヤリスカ、ホリダらが向かっています。貴方もヘリアンサスを伴い、彼女を取り戻す助けにおなりなさい」
「ヘリアンサスを、ですか?」
「“彼”の償いを、罪の意識を、今度こそ軽くしてあげなさい。過去に囚われることがもうないように」
「はい」
 戦巫女は恭しい礼をして、その場を辞した。



「……痛くありませんでした?」
 アナスタシア・ヤグディン(あなすたしあ・やぐでぃん)は、弾む息を整えながら、黒ずくめの少女に話しかけた。
「なに……?」
「手を引っ張ってしまいましたから。でも、ここまでくれば大丈夫ですわね」
 土地勘が全くないアナスタシアだが、何とか駆けまわって、静かな住宅街を抜け、商店街までたどり着くことができた。
 魚屋や八百屋が並ぶ古風な、地元に愛される商店街といった風情だが、ここなら人通りもある。
 今二人は、レトロな丸い灯りの下がった喫茶店に入って、隅っこの席で休憩していた。
「とりあえず何か頼まないと失礼ですわね──あら、これは噂に聞く『クリームソーダ』ですわ! これにいたしましょう。あなたも同じもので良いかしら?」
 こくり、と頷いて本に目を落とす少女。
「……マイペースですのね」
 クリームソーダが運ばれてくると、二人は向き合って、長いスプーンでそれをすくって食べた。走り続けて熱い体に、上に乗ったバニラアイスがひんやり甘くて気持ちいい。
「日高さんという方に教わったのですけれど、このアイスト氷がくっついているところを食べるのがマナーらしいですわよ」
 アナスタシアはそう言ってみたが──返事はない。
 熱中する性質なのか会話が苦手なのか、その両方なのか。少女は今度はもくもくと、クリームソーダを飲んでいた。
「そうでしたわ……村上さんにメールでもしましょう」
 アナスタシアは携帯の電源を入れ、村上 琴理(むらかみ・ことり)へとメールを打った。
 今(何処か分からない)商店街の喫茶店にいて、側には原因の魔道書がいることを送ると、すぐにメールが返ってきて、商店街の名前や、目印になるようなものを送ってくれるように、そこから動かないようにとの指令が入った。
 それからもう一点、未受信メールが入ってくる。
「『虹の尾を引く空飛ぶ箒で探してるから、見えたらどの方向に虹が向かって行ったか知らせてね』……」
 以前、生徒会選挙の船上で出会った、宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)からのメールだった。
「まあ、虹だなんて素敵な発想ですわね。ね、これで私たちも安心ですわよ」
 アナスタシアはクリームソーダを飲み干すと、日常にすぐにでも戻れるような気分になって、目印を探しに表に出た。きょろきょろあたりを見回す。
 すると虹の代わりに見つけたのは──、
「あ。あら、あなたたちですの」
「何処に行っていたのユーフォルビア!」
 歌巫女のヤリスカと、従者のホリダ(と名乗る少女たち)だった。
「駄目よ一人で行動しては! あなたは狙われているのよ! ──きゃあっ」
 ヤリスカが突然よろめいて、動かなくなった(何もされてないのだが)。
「こ、今度は何が起こりましたの?」
「ふはははは、そうはさせぬぞ!」
 狼狽するアナスタシアの視線の先には、木の杖(らしき木材)を差し出し、ローブ(のような何か)を着た少年──、
「……貴方は、ぺらぺら魔法使い! ですわね!」
「そのような名ではないわ。我は“髑髏の”グロエンワルディー!」
 グロ何とかの名乗りに、場がシーンと静まり返る。
(聞くからに悪そうな名前ですわね。確か村上さんが、難しい漢字をやたら書きたがるのも中二病って仰ってましたわ)
 こんな二つ名、さぞかっこ悪くてみんな正気に戻るのではないか。
 期待した彼女だが──やっぱり、冷めたのはアナスタシアだけだった。
 ホリダがアナスタシアを庇うように立つ。
「逃げろ、ユーフォルビア。こいつは死霊術士だ」
「たかが従者如きがこのグロ様を止められるかぁ!」
 ホリダとグロエンワルディーの二人は、見えない剣と見えない魔法で真剣勝負を始めた。

(付き合っていられませんわ……)
 こっそり逃げ出そうとするアナスタシアと、彼女に手を引かれた少女の前に、立ち塞がった影がある。ポニーテールを靡かせたしなやかな立ち姿。
「何ですのもう……!」
「──見付けたぜ、ユーフォルビア!」
 例の名で呼ばれ、アナスタシアは顔をしかめた。日本ではプラチナブロンドの髪が相当目立つということに、まだ彼女は気づいていなかった。
 対して、彼女を呼んだ少女は、やはり百合園の生徒のようだ。
「はん、見付けるなんて朝飯前だよ。あたしは前世じゃ『処刑人』シャクタリア結城 奈津(ゆうき・なつ))。そう──プロの殺し屋だったんだからね」
 アナスタシアの顔が、強張った。新キャラがいて、それが殺し屋だとか……。
「シャクタリア。ご存知かしら?」
「……うん。これ、さいしんかん」
 黒ずくめの少女に尋ねれば、意外なことに答えが返って来た。彼女がページをめくって指差したところに、記述があった。
 その身を神の器として捧げる為生まれた人工的な天才。同時に天才的な法力の持ち主。殺し屋として生を受け、殺し屋として育った故に、依頼人も暗殺対象も選ばない。
(たしか、なりきった人物は、作品をなぞろうとする危険性があるとか。ということは……)
「駄目だユーフォルビア、奴は危険──」
 死霊術士を倒したホリダは慌てて二人の間に割って入ろうとしたが、シャクタリアの一撃で吹き飛んだ。
 楽しそうな笑顔で、彼女はアナスタシアを眺めまわした。
「ふうん、アンタがユーフォルビアだかって小娘か。魔王殿がご所望なんでな、あたしと一緒に来てもらおうか。……おっと抵抗しないでくれよ、勢い余って殺しちまっても困るだろ?」
 シャクタリアが一歩、アナスタシアに歩み寄る。
 だがそんな彼女に物怖じもせず、話しかけた者がいた。
「──彼女は俺の獲物だ。俺はお前と違って、待ち伏せを受けたりしない」
 シャクタリアの側に漆黒のコートを纏い、静かに佇んでいた、「黒」と形容できそうな青年が一人。
「はぁ? 何だって?」
 シャクタリアは怒気のこもった声で青年を睨む。
 かつて彼女は巫女王暗殺を企てた折り、ブレイド数十人の待ち伏せを受けた。その場のブレイド全員の命を奪ったものの、その場にいた戦巫女に封印されたのだ。
 苦い記憶を思い出し不機嫌になるシャクタリアの元へ、ユーフォルビアを救いに巫女王国の戦士たちが集い始める。
「ちっ、アンタのせいで邪魔が入ったじゃねぇか──」
 吐き捨てるシャクタリアは、だが、戦士の中に良く知った顔を見つけて、にやりと笑んだ。
「何だ、お前もいるじゃねぇか」
 その封印した戦巫女が、目の前にいたのだ。
 蒼角殿を守備した知将戦巫女アルバ・マキシマクリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん))。
 また、彼女と共にいた女戦士ヘリアンサスクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん))の姿もある。
「これじゃ、お互い因縁の対決ってわけだな。いいよ、ユーフォルビアは一旦譲ってやる」
「ああ」
「──何が因縁よ。それはこちらのセリフよ!」
 頷き合う二人に異議を唱えたのは、先日まで百合園女学院に通う雪野由里という気弱な生徒でしかなかった、聖拳のエリーゼ冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ))だった。
「これも運命──か」
 エリーゼの声に、黒の青年“黒衣の死神”ナイト・サーティーンこと樹真(いつき まこと)(樹月 刀真(きづき・とうま))は静かに視線を移動させる。
「そうよ、運命が私を導いてくれた──見つけたわナイト! 前世ではよくもやってくれたわね!」
「あれは“任務”だった。ある騎士団内に裏切りの疑いがあった。その証拠を探し、始末するためのな」
「私の話を聞いてくれたのも、演技だったのね!」
「俺はお前に同意した覚えはない。共感を得るために、俺はただお前の話を黙って聞いていただけだ。時折合いの手を入れたかもしれないがな。
 俺自身に関しても、明かしたつもりはない。単純なお前が勝手に勘違いしただけだ。おかげで楽に奥まで入り込めた」
 ただちょっと正直でなかっただけ。正義感の強い彼女に蒼角殿の兵舎を案内させた、それだけ。結果として、それが彼女の不備になっただけだ。
「俺はお前たちの暗部。もし裏切られたというなら、自身の影に食いちぎられただけじゃないのか?」
 許せない。エリーゼの心に怒りが燃え上がった。
「問答無用、聖拳のエリーゼからの天誅を受けなさい!」
 殴り掛かるエリーゼの拳を、彼はいとも容易く受け止めた。
「な、何を──油断しなければ負ける要素なんてありませんわ!」
 体重を乗せて振るわれる一撃、一撃をナイトは素手で受け止める。
 熊をも殺すと言われるその拳に、痛みを感じていないのか、それとも、痛みをも受け止めようというのか。
「構っている暇はない」
「これを受けてもそんな口がきけまして!? <無双疾風(むそうしっぷう)>!!」
 エリーゼの拳聖と呼ばれる所以たる技。彼女自身の体から放たれる気が、無数の見えない拳となってナイトの全身に叩きつけられる──が。
「お前とは覚悟が違う。邪魔をするな」
 衝撃。5mほどそのままの姿勢で背後に飛ばされながらも、彼は地面に着地すると、そう言った。
 苦痛に顔を歪み、服は破れコートが破れ千切れ飛んでいても。そして、コートが千切れ初めて見えたものがあった。
「真──」
 しがみ付くようにしている少女がいた。ナイトは彼女を庇っていたのだ。
「私を庇って、無理しないで」
 白々とした肌の、三日月を思わせる少女・白月(つくも つき)漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ))は目をつむる。
 彼女がそのまま両手を翳すと、空間から剣が出現した。
 黒い剣──いや、元は赤かったものだ。刀身が黒くなるまで血に染まってしまった劍。彼女の力と、記憶。
「その剣は……」
ユーフォルビアを殺し、その従者が自害に使った劍だ。二人の神聖さとその血の記憶は、その劍を人間へと転生させた……それが劍の記憶を持つもの『月夜』、俺の恋人だ」
 剣を受け取ったナイトは一度白月、いや月夜の頭をなでると、剣先をアナスタシアの方へと向けた。
「ユーフォルビアの記憶は完全ではない、という。それは月夜に一部引き継がれているからだ。
 もし秘術の復活が行われれば、彼女は死ぬ。そうはさせない。前世でこそ王国と、王国に仕える我らが黒き月の部族のために戦っていたが、今はただ愛する一人のために俺は全てを殺そう」
 させない、と再び放たれたエリーゼの無双疾風──その力は、だが黒の劍により霧散していく。
「……だから邪魔をするな、死ぬぞ?」
 ただの一振りで。
 ナイトは目の前のエリーゼを叩き斬り──ぎろり、と他の巫女王国の転生者たちを目線で威圧した。
 エリーゼの体はもはや動かない。血は流れていない。ただ彼女に訪れたのは間違いのない死だった。
「ごめんなさい。真に逃げようって言ったけど、『皆が一斉に覚醒した今、逃げ切るのは難しい』って……転生したユーフォルビアと従者を殺せば、私が死ぬ理由が無くなるって」
 月夜が死が恐ろしいというように、ぎゅっとナイトのマントにしがみついた。
「私が死ねば二人には“真の覚醒”が起きる、巫女王の復活に近づく……でも、だからって殺されるのは嫌だよ!
 今まで真と幸せに過ごしてきて、これからもずっと一緒にいようって約束したばかりなのに、私はそんな理由で死にたくない!」
「大丈夫だ、安心しろ。すぐに済む」

 一方で、シャクタリアは自身の因縁の相手を眺めて、唇を舐めた。
「1対2でも負ける気はしねぇな。何といっても、一人は女に腰抜けにされて──おっと、裏切られて“協力してくれた”奴なんだからな」
 その言葉に、女戦士ヘリアンサスの肩がびくりと震えた。何か言い返そうと口を開きかけるが、上手い言い返しが思いつかない。
 ──代わりに声をあげたのは、また別の少年だった。
「ふざけんな、俺達を巻き込むんじゃねぇよ! さっきから聞いてりゃ前世がどうのこうのって! 今の灯に何の関係があるんだよ!」
 アナスタシアを背に庇いながら、その少年はシャクタリアを怒鳴りつける。
「あなたは……?」
 前世なんか関係ない。
 そんな言葉に一抹の希望を問いかけるアナスタシアに、少年は答えた。答えて、希望を砕いた。
「もう名前忘れたのかよ、しょうがねぇな。俺は、クラスメイトの乾 巽風森 巽(かぜもり・たつみ))だ。 あいつらには付き合ってらんねぇよ。帰ろうぜ、灯」
(や、やっぱりこの方も病気に……)
 ところで何か病気はやはり運命(妄想の都合の良い一致)を引き合わせるのだろうか。シャクタリアはまた巽に意外なことを言った。
「そうか。あたしはアンタのツラに、よくよく見覚えがあるんだがなぁ」
「知らねぇよ!」
 意外だと思い、即座に否定しておきながら。だが、何故だろう。巽の右腕がじりじりと焼けるようだった。
「けど、この右手はよほどてめぇが憎いらしいっ!」
「そうかい──まだ思い出してねぇなら、思い出させてやるよ。それからユーフォルビア、それにヘリアンサスもな! お前らの過去に、死に際に何があったのか……!」