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オランピアと愛の迷宮都市

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オランピアと愛の迷宮都市

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第三幕 実に、これ以上豪華な夜会に

1

 夕焼けに映える神殿の塔を眺めて、アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)は首を傾げた。
 視線を街に戻し、ぐるりと見回す。等間隔に並んだ石の柱が夕陽を受けて輝き、石畳にその長い影を作っている。光と影の縞模様を横切りながら、アルクラントを時計を取り出してため息をついた。
 街の様子がおかしくなってから、どのくらい時間が経ったのか、さっぱり見当がつかない。
 脱出を試みてあちこち彷徨ったが、出口はおろか、最初にいた場所に戻ることすらできない。
 時間も空間も捩じれた異空間に閉じ込められたと気づいたのは、かなり早い段階だった。
 運命の出会いがどうとか言ってはしゃいでいる連中も、嫌ってほど見かけた。
 こんな場合は無闇に動き回らない方がいい。
 だが、一所に腰を落ち着けられない個人的な理由が、アルクラントにはあった。
「あー……シルフィア?」
「なあに、アル君」
 押し殺したような声で呼びかけるアルクラントを、傍らのシルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)が見上げる。ゆるくウェーブした銀の髪がふわりと揺れ、夕陽を受けて金色に輝いた。
「いや、だからシルフィア」
「……?」
 不思議そうにアルクラントを見つめるシルフィアの両腕は、しっかりと彼の左腕に絡められている。
 当然、彼女のその豊かな胸のふくらみもしっかりと押しつけられ、アルクラントの腕はしあわせすぎる状態になっていた。
「つ、つまりだ……少し、くっつき過ぎじゃないか」
「え?」
 シルフィアが悲しそうな声を上げ、腕にきゅっと力を込めた。腕はますますしあわせになる。
「だって、なんだかくっつきたいんだもの……アル君、嫌?」
「嫌なものか!」
 思わず不自然にひっくり返った声で即答するアルクラントをびっくりしたように見つめたシルフィアの表情が、ぱっと輝く。
「よかった、嬉しい!」
 絶望的なほどに可愛い笑顔だった。
 まずい。
 大変まずい状況だ。
 これが、さっきからアテもなく街を彷徨い続けている理由だ。
 こんな状態で、「ちょっとここで一休みしようか」なんて言葉を口にできる男がいるものか……下心なしに。
 下心アリで口にしたらどうなるかも、容易に想像がつく。
 ……ここからは大人の時間だ、《良い子はもう寝なさい》。
「いやいやいや、それはダメだ」
 アルクラントはぶんぶんと頭を振って、脳裏に浮かびかけた妄想を打ち消した。
「……どうして、ダメ?」
 どう見たって、今のシルフィアはおかしい。そこにつけ込んでどうこうなんてこと、何より自分自身が許せない。
「こんな状況下でそれはお断りだ。正気でお願いしたい。それなら素敵だ」
「どうして?」
 アルクラントはハッと顔を上げた。
 目の前で、見知らぬ機晶姫……オランピアがこちらを見ていた。
「……アル君、下がって」
 ふいにシルフィアが厳しい声で呟いて、アルクラントの前に出た。
「……アナタは?」
 慌ててシルフィアを引き戻そうとするアルクラントから、オランピアはシルフィアに視線を移した。
「……アナタも、ダメ?」
「……何が?」
 きょとんとするシルフィアに、オランピアは聞いた。
「愛しい人と、一緒の、しあわせな時間……それでも、ここから、出て行きたい?」
 シルフィアは一瞬、困ったようにアルクラントに目をやった。
 それからにこっと笑って、オランピアに向き直る。
「アタシは、こんな素敵な気分が続けばいいなーって思ってる……けど、アル君がダメなら、仕方ないかな」
 オランピアは僅かに間をおいて、また聞いた。
「アナタの望みは、ないの? 彼のではなくて、アナタの……」
「だって」
 シルフィアはちょっと恥ずかしそうに頬を染めて、
「どこにいたって、アル君と離れたりなんか絶対しないもの。だから、ちょっと寂しいけど、平気」
 アルクラントは胸を撃ち抜かれたような衝撃を受けて、思わずシルフィアを抱きしめた。
「シルフィア!」
「うわわわ、アル君!?」
 このまま押し倒したいくらいの勢いだったが、ぐっと抑えて体を離し、彼女を後ろに庇う。
「わかるか、これが本来の愛というものだ」
 大真面目な顔で、アルクラントは言った。
「ここで起きていることは茶番に過ぎない。愛とは、誰かに押しつけられるものではない……自らの心より湧き出で、光となって道を照らすもの」
 頭の隅で、自分も暴走しているらしいと認識はしていたが、勢いが止まらない。
「私は冒険を、世界を、宇宙を、敵を、隣人を、そして自分を、シルフィアを……遍くこの世界に存在するものすべてを愛しているのだ! 惚れた腫れたは愛の一部でしかない!」
 何だかとんでもないことを口走った気がする。
 が、忘れることにした。
「おまえは、何かを知っているな。いいか……愛を知るものが偽の愛に頼ってはいけない」
 アルクラントはぴしりとオランピアを指差した。
「さあ、こんな茶番は終わりにするんだ」
 次の瞬間、アルクラントは少し後悔した。
 オランピアが泣き出しそうに顔を歪め、両手で顔を覆ったのだ。
 何かフォローをしようと口を開きかけた瞬間。
 オランピアの姿は消えていた。
「……まずったかな」
 何か、女の子をいじめたような気分になる。
「そんなことない、カッコ良かった」
 背後でシルフィアの声がして、いきなりぎゅっと背後から抱きつかれた。
「お、おい」
 うろたえるアルクラントの背中に顔を埋めて、シルフィアは言った。
「えへへ、顔にやけちゃう。ちょっと、このままでいてね」
 ……何だかすごくうれしいような、ついでのような感じで複雑なような言葉を聴いた気がするの。
 声に出さない言葉を聞くように、アルクラントは、そっと両手をシルフィアの手に重ねた。