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リアクション
●その頃
空京ロイヤルホテルから大きく隔たった、スパリゾート地パラミアンへと視点を移そう。
プールサイドにシートを置いて、太陽に背中をさらす姿があった。
肌を焼いているのだ、彼女が身につけているのはビキニ。長い三つ編みを尾のように、背中から垂らしていた。
アウリンノール・イエスイ(あうりんのーる・いえすい)は夏の午後を楽しんでいるように見える。
実際、楽しんでいるのだけれど。
だがこれでもアウリンノールは仕事中であった。正確には、そろそろ本格的な仕事に入るところだ。
――暗殺の情報は事前に漏れていた。
ふと彼女は思った。
これでは、クランジΙ(イオタ)によるソノダの暗殺は失敗する公算が高い。
なら、手助けするまでだ。
「遠く離れた場所から標的を狙えるのは、なにもスナイパーだけとは限らないってね……」
アウリンノールは呟く。
呪詛というものがある。れっきとしたスキルだ。
ただの地球人たるソノダ女史には、呪詛への抵抗力などないだろう。激しい病魔が突発的に襲いかかってくるに違いない。
よく動く舌を麻痺させ、腐り落とさせてやろうか。
そんな姿こそ彼女には似合いだ。
仮に呪詛で即死させられなくとも、イオタが『仕事』をしやすい状況は作ることができるだろう。
アウリンノールは空を見上げた。いい天気、絶好の日焼け日和ではないか。おどろおどろしい呪詛のスキルには、決して似合いとは思わないけれど。
さすがにこの場所はノーマークだ。警備の兵隊の姿はもちろん、会合の関係者の姿はまるで見えない。
まさかこんな場所から、呪詛を仕掛けてくることを読んでいるものはあるまい。
アウリンノールは、スキルを発動させた。
壇上。
正しくは、そこに至る階段。
ジャネット・ソノダはまとめのコメントを出そうとしていたのだが、大きくバランスを崩し真横に倒れた。
瓜生 コウ(うりゅう・こう)は現在、ソノダに発生した異変を察知していない。
コウは単身、高層ビルの屋上にあった。
ソノダのいる会議場を一望できる場所、言い換えれば、狙撃スポットとしては最良のポイント。
狙撃スポットとして可能性がある地点はここに限らなかった。実際、相当に絞り込んでもイオタの能力を考慮すれば絶妙の箇所が二つは予想できた。
それでも、コウはこのポイントに賭けた。
この地点を選んだ理由は……特にない。はっきりいえば勘頼みだ。
――『イオタ』……クランジΙ(イオタ)か……共にΟΞ(オングロンクス)と対峙した『戦友』とも言えるか……。
魍魎島でのイオタとの一戦については、拭いきれないものがあった。
クランジΟΞ(オングロンクス)との戦いを選択したことを悔やむつもりはないが、別の何かとして生きる道を断ってしまったという意識は心のどこかに残っていた。
ソノダ女史の思想については特に関心はない。重婚でもなんでも、当人が納得していればいいと思う程度だ。
ただ、暗殺をみすみす見逃すつもりもなかった。
太陽は燃えさかる炎の玉、午後に入ってさらに激しく、じりじりと熱線が照りつけてくるが、コウは平気だった。
なにせ数日前からここに張り込んでいるのだ。平気にもなる。
「数日なら水だけでもなんとかなるさ」
そう断じて、何日も前から身を潜めているのだ。ゴミや臭いを出さないために食事は取らず、排尿は吸収材で対処した。
まさかイオタといえど、警備態勢が敷かれるずっと前から、自分がここに伏せているとは気づかないだろう。カモフラージュも完璧だ。よも、気づく者はおるまい。
あとはただ、コウの読みが当たっているかどうか、それだけの話だ。
――出てこい。
祈るように、コウは願った。
――出てこい。
獲物を持っていかれた借りを返したいだけだ、仇討ちとかじゃない。
董蓮華とスティンガー・ホークもビルの屋上にあった。
それはコウの潜むのとは別の地点……偶然にも、コウが迷ったもうひとつの狙撃ポイントにほど近い場所だった。
「ソノダ女史が倒れたって!」
会場内のシャウラ・エピゼシーからもたらされた緊急通信だった。
現在二人は、周辺のビルをしらみつぶしに調査している途上だ。『イオタ』の狙いは遠隔地からのスナイプ、そう睨んでいる。
「まさかそれが狙い!? だとしたら……」
裏をかかれたと焦る蓮華に対し、スティンガーは冷静だ。
「いや、倒れただけなんだろう? 即死には至っていない。むしろこの瞬間が危ない」
混乱に乗じて狙撃する――よくある話だ。
「クローラからの情報も総合すれば、ここらが一番怪しい場所なんだが」
スティンガーも射撃の腕は一流だ。自分がスナイパーなら、という視点で捜査ポイントを絞り込んできた。ここか次の場所でなければ……。
恐れていた飛空艇の姿はない。
かわりに二人は、黒い人影が動くのを見つけた。
コウも黒い人影と対峙していた。
警告はしない。すでに発泡している。
象とて殺せるライフルだが、直接当てず弾を掠めさせた。それでも相手は、衝撃でぐるっと身体を半回転させて踊るように倒れた。
コウは駆け寄ると、相手が落としたライフルを蹴り飛ばした。
カッと音がして銃はコンクリートの上で回転した。
「動かないで!」
蓮華が声を上げた途端、熱い鉛の弾丸が飛んできた。
しかし蓮華はこれを予期している。すでに身を低くしていたので当たらない。
チュン、と音がして弾が空気を滑っていくのが聞こえただけだ。
同時に彼女も発砲している。当たらなかった。だが精神的優位にあるのはこちらだ。
「ここまでよクランジΙ(イオタ)! もうスナイプするような余裕はない! 大人しく降伏すれば……」
逃げようとした相手の足首を、もう一発の弾丸が撃ち抜いていた。
移動先を予測した弾丸。正確に射貫いている。
「飛んでくる弾は一発とは限らないのさ」
スティンガーは口元に笑みを浮かべていた。彼の手にした銃から一条の煙が立ち上っていた。
「ブラッディ・ディバインの構成員か……」
組み伏せた相手を見おろし、コウは額を拭った。
といっても本能的に出した仕草であり、実際はもう汗も出ない状態のコウなのだ。唇がパリパリだ。脱水症状を覚えていた。真夏の潜伏はさすがにこたえた。
長い潜伏は無駄ではなかったが、この相手は、いわばメインディッシュではなく副菜だ。
黒づくめの扮装は影に潜むに好都合のものだろう。マスクを取ってみると男性だった。頬に深い傷のあるこの顔には見覚えがあった。逃れたディバイン残党として、指名手配中の男のはずだ。
男の首筋に手刀を叩き込み無力化すると、コウは座り込んだ。
スティンガーは犯人に止血を施し、綺麗に貫通した傷痕に包帯を巻いてやる。
犯人の男は朦朧とした意識で、ただうめき声を発するだけだ。きっと焼けつくような痛みを感じているのだろう。だがむしろ幸運だ。痛みがあるということは体組織が生きているという証拠、すぐに病院に運べば、切断の憂き目には遭わずに済むだろう。
「大物、じゃあなかったか……」
これもディバインのスナイパーだ。犯人は何も言わないが、黒いゴーグルの下の目は許しを請うように震えていた。
「ダミーにかかったってこと?」
肩で息をしながら蓮華が言う。
「いいや、ただ、主役じゃなかったってだけだろうね」
いずれにせよ少佐に報告を入れようとスティンガーは言った。
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