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Moving Target

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●テンペスト(1)

 イオタは歯を食いしばり歩き続ける。従業員の制服は血にまみれてまだらになり、ずりおちかけた郵便配達員の帽子と、奇妙なコントラストを形成している。
 まだ電源が『生きて』いるエレベーターに乗り込み、迷わず地下一階へのボタンを押した。
 たどりついたのは駐車場だ。車両の間を這うようにして進んで、外の光が見える方向へ進む。
 見えた。
 長く真っ直ぐな通路の向こう、光を背負って彼が立っていた。
「迎えに来ましたよ」
 久我内 椋(くがうち・りょう)だ。
 泣いて帰ってきた娘を迎える母親のような表情をしている。
「人払いはしておきました。ここなら、おおっぴらに名前を呼べる」
「クランジシリーズ……コードネームΙ(イオタ)。タイプIと呼ばれる上位機種だったな」
 言葉を継いだのはモードレット・ロットドラゴン(もーどれっと・ろっとどらごん)だ。
 椋が母親的というのなら、モードレットは父親的な迎えかたをしているといえようか。
 泣いて帰ってきた子を一喝する厳父のように、しっかりとイオタを見据えている。
「ご心配なく。敵ではありませんから。
 ブラッディ・ディバインの残党がまだ活動している……というのは、意外な驚きでした。まあ、それくらいしぶとい団体でなければ、そもそもテロ活動なんてできません」
 椋はそこまで言って、忘れていた、と言わんばかりに付け加えた。
「おっと、俺はブラッディ・ディバインの遠方からの援護者なのでね。彼らがまだ生き残っていると知って、さっそく私財の一部から、それなりの援助金をお渡ししておきましたよ。今回の要人暗殺も全面的に手伝いたかったのですが、もう計画が動き出していたのであまり関われず残念です……まあ、今日使われた武器の一部は、俺の援助で購入したものでしょうけど」
 なお、その資金援助にはもうひとつ意味があります、と椋は意味ありげな笑みを浮かべた。
「イオタ、あなたの身請け金です」
「付いてこい。怪我くらい治してやる」
 モードレットは値踏みするような視線で近づこうとして、足を止めた。
 何者かの声がしたからだ。
「おい、今日オレは、冗談を言う気分ちゃうんや」
 外ではなくホテル側の地下、そこに彼は立っていた。
「だから今からいう警告はジョークの類やない。大マジやからな。お前ら、それ以上彼女に近づいたらブッ殺す
 七枷 陣(ななかせ・じん)だった。その背中からなにか熱のようなものがゆらいでいるように見えた。ホテル側から、追ってきたのだろう。それとも、イオタがここに到達するのを読んで待ち伏せていたのか。
 陣のすぐ後ろでは、小尾田 真奈(おびた・まな)が銃を構え、リーズ・ディライド(りーず・でぃらいど)がソードブレイカーを抜き、さらには仲瀬 磁楠(なかせ・じなん)がゆっくりと籠手の手首を握っていた。
 もうひとつ声が上がった。
「俺も、冗談は好かない」
 彼は柊 真司(ひいらぎ・しんじ)
 真司も鋭い視線を投げかけていた。しかしイオタに向ける目は、温かな色を帯びている。
「イオタ、いつまでそうやって駒のように生きるつもりだ? 他のクランジたちのようにもう一度自分の生き方を選び直してみないか?」
「私は割と冗談好きなんだけどね……なんて言ったら怒られちゃうかな」
 リーラ・タイルヒュン(りーら・たいるひゅん)は多少、柔らかく言ったものの、大真面目な表情をしている。椋とモードレットとを睨め付けて、
「でもね、ここで退かなかったらあなたたち、冗談では済まない事態になるわよ」
 猛将モードレットと視線が合致しても、リーラは決して退かなかった。
「えっと、イオタって言うんだよね? はじめまして」
 柚木 桂輔(ゆずき・けいすけ)は優しい口調と笑みで、イオタに手を伸ばした。
「君の気持ちを知りたいな。正直、これ以上ブラッディ・ディバイン側にいても良いことないぜ。もちろん、あっち側にいる恐ろしいげな連中といてもね」
 桂輔のそばで、がるるっ、と前脚でコンクリートをひっかいている狼の姿があった。
 いや、それは狼ではなく犬だ。といっても機晶犬、完全にマシンながら、しなやかな肉付きと精悍な顔立ちを有する。名はイトリティ・オメガクロンズ(いとりてぃ・おめがくろんず)
「グルル……!」
 わかるぞ――とイトリティは主張していた。あいつ(イオタ)はオレと同族だ――と。
「そうかー」
 イトリティの反応を見てうなずいたのは、イトリティの飼い主……いや、契約者、七刀 切(しちとう・きり)なのだった。イオタに語りかける。
「ようさー、会いたかったんだぜお姉さん。ワイはパティの恋人の七刀切って言うんでぜひ覚えてくれ。いやあ、取り返しのつかない状況になる前に会えて良かった!」
「ちょっと切君、そんなからかうようなこと言って大丈夫?」
 同行のリゼッタ・エーレンベルグ(りぜった・えーれんべるぐ)が言う。
「からかってないって、うちに来たほうが楽しいって話だから。主張内容は桂輔さんと同じ。
 だってな、ワイは信念を貫きに来たわけだから」
「信念?」
 椋が多少、怪訝な顔をした。
「よくぞ訊いてくれました! ワイは女の子を、イオタを笑顔にするために来たのさ」
「意見が合うなあ……」
 と笑ったのは桂輔だ。
「俺も目的は同じ。イオタ、しかめっ面はやめて笑おうよ。来るならこっちだよ」
 桂輔は互いの距離を計りながら彼女に手招きした。
 ――タイミングが問題だよね。
 桂輔は創世運輸のトラックを仕込んできている。もちろん本物のトラックだ。「ぽいぽいカプセル」内に収納してあるから、現在はとてもコンパクトなのだけど。
 陣たちがイオタを確保したら、彼らをイオタ込みでトラックに乗せ、とにかく外に出てしまう計画だ。あとは屋外の装輪装甲通信車内で通信・情報管制をしている店長(ことアレーティア・クレイス(あれーてぃあ・くれいす))の誘導を受けながら安全な地点まで飛ばし続ける計画である。
 加えて、上空にはアニマ・ヴァイスハイト(あにま・う゛ぁいすはいと)が待機している。アニマは飛行用装置『ミルバス』で支援してくれるはずだ。ライフルによる狙撃、陽動射撃、ミサイルによる弾幕援護などで、頼れる守護天使として活躍してくれるだろう。
 リーズは中断で構えたままぴくりとも動かない。その様はまるで彫像だ。
 しかし、きっかけさえあれば瞬時に鷹に変わるだろう。筋肉は、緊張に張りつめていた。
 同じく、真奈もハウンドドックRの狙いをイオタにつけたまま、静かに息を吐き出している。
 ――彼女を説得して、迎えることができれば最良……。
 しかし椋がそれをみすみす見逃すとは思えない。
 それに、イオタ自身が抵抗する可能性も大だ。イオタは手負いのようだが、手負いの獣ほど恐ろしいという。
 ――そうなれば、多少手荒な手段もとらなければなりません。
 イオタは右腕を上着で隠しているが、見えている左手もひどく傷ついているのが見え、真奈は胸が痛んだ。
 あの怪我を治してあげたい。あの服を、修繕してあげたい。
「馬鹿馬鹿しい」
 真奈の心の声を聞いたかのように、モードレットが静かに告げた。
「『それ』は貴様らのような、甘い世界にいるべき存在ではない」
 陣や真司など、まるで恐れていない様子だ。
 ――やはり、最大の敵はモードレット。
 磁楠は無言で、魔の弓の弦を引き絞った。
 正直、このなかでは段違いの強さをあの身体から感じる。異様な気迫だ。人外の何かのような。
 対峙しているだけで、腹の底に冷たいものが横たわった。あの細いシルエットを中心にして、黒い潮が流れているような気がした。これだけの人数差があっても、磁楠にはモードレットを敵にして必勝の予測は立てられなかった。
 陣もリーズも真奈も……いや、この場の味方のほとんどがイオタに注目している。あるいは椋を警戒している。だが、真に恐るるべきはモードレットではなかろうか。
 虎がなぜ強いのか。ある人が言った。虎は虎だから強いのだと。
 モードレットは虎だ。虎を目指して鍛錬した存在ではなく、生まれながらの虎。格が違う。
 ――モードレットを相手にするには、言葉を交わす必要はない。
 そも、そんな余裕がないはずだ。
 踏み出せば即、攻撃する。磁楠はその覚悟だった。たとえ刺し違えてでも、やつを止める。
 尋常ならざる磁楠の様子に、モードレットも気がついていた。
 ――ほう、多少は歯ごたえのありそうなのがいる。
「……さて、楽しめるかな」
 不敵に笑うと、モードレットはウェーブのかかった美しいブロンドをかきあげた。
 しかし、
「その獲物をもらおう」
「グルゥア?」
 イトリティがふたたび前脚で足元をかいた。
「……え? 彼女も……ってことですか?」
 リゼッタは目を丸くする。
 真司、切、桂輔、陣たちと椋およびモードレットの立つ中間地点、そこからイオタのほうに、まっすぐ近づいてくる黒髪の少女があった。
 カーネリアン・パークスだった。