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リアクション
【乙女と殺意と段ボールハウス】
「他の世界で色々手伝ってるんだから、少し手伝うであります」
「えー」
「えー、じゃないであります。これは借りを返し、貸しを返してもらって、プラマイゼロのチャラにできる良い機会なのであります。是非手伝うであります」
自ら持ち込んだ、厳選に厳選を重ね、拘りに拘り抜いた自慢の歴戦のダンボールの束を葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)はバンバンと叩いて、協力することの意義とメリットを強調した。
対してアッシュは全く乗り気ではなかった。
「そんな事言われても俺様、全ッ然心当たりないんだけど? 他の世界ってなんの話?」
「とぼけなくてもいいでありますよ」
「とぼけてないよ!」
「いいから、手伝うであります」
むしろやるのが当然で文句なんて言わせませんの吹雪の態度に、彼女に捕まった灰撒きの少年は両肩を力なく落とした。
色々と理不尽な感じはするが、彼女が言っていることは一応は筋が通っている。
曰く、酩酊状態で立つのも辛いだろう人達を休ませる場所を作る。
思いがけなくアッシュブドウを育て上げてしまった責任を、それを作って果たせと吹雪はアッシュに詰め寄っているのだ。
「なんだかよくわからないけど、いいよ。手伝うよ」
見かけが奇抜だけど美味しいから面白いからと人気があったことを鼻にかけて、実際それで迷惑している人がいることを無視していた自分にアッシュは気づいていた。
指摘され怒られるのは嫌いだけど、吹雪の提案は叱られて嫌な思いをせず、素直に受け取ることができた。「気遣いのできる俺様」という口実も魅力的だ。
「ダンボールハウスで休めるところ作るなんて俺様ってなんて素敵なんだろ!」
思考の切り替えが早いアッシュであった。
* * *
彼女の目の前に、ショッキングピンク色の葡萄をたわわに実らす奇っ怪な葡萄の木があった。
「……アッシュ」
薄紅色の唇から吐き出される呪われた名前。
酩酊へと導く芳しい奇抜な色の葡萄の香りを肺に満たすごとに、綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)の茶色い瞳は濁っていく。
平々凡々なただの葡萄の木を此処まで変質させた人物を脳裏に描いただけで、ただ想像しただけで、さゆみという心が死んでいくようだ。
ゆっくりと、滲むように浸透し、全身に広がっていく、狂気。
狂喜が、心が死んで抜け殻になった体を支配していく感覚に、さゆみは歯を剥き出し、嗤った。
「アッシュ……アッシュ……」
「さ、さゆみ?」
秋の果実狩りを楽しみに来たのに、園内で「イルミンスールの男の子」の単語を聞いてから様子がおかしくなった恋人の、あまりに低い呟きにアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)は嫌な予感を覚えて彼女の名を呼んだ。
「アッシュ……アッシュ……アッシュ……アッシュ……」
「さゆみ!」
だが、さゆみはアデリーヌの呼びかけを無視して歩き出した。
「ひぇ、ひぇひぇひぇひぇひぇッ!」
狂うほどの喜びに、さゆみは獲物を求めて彷徨い始める。
*
「ダンボールハウスの建設場所は注意しないと行政に撤去されてしまうであります」
素材であるダンボールが手に入りやすいからといって無闇矢鱈と闇雲に建てていいというわけではない。どんなに豪邸仕様に作り上げても、見る側からみればただのゴミでしかなく、公共の場では不要の物として問答無用に処分されてしまうのだ。
「いや、行政とか関係ないと思うんだけど」
シビアな現実に無力なまま負けないよう、立地条件はよくよく選べと熱く語る吹雪に、アッシュは既に半眼だった。
「黙って作業を続けるであります!」
「突っ込ませてくれないのかよ!」
果実園に行政の監査が入るなんてリアリティがなさすぎる。
「灰撒きが公園に住まねばならなくなった時、きっと役に立つであります」
「どうしてそんな状況になってるんだよ!」
ムフーとどや顔の吹雪に悲鳴に近い声をだして手伝っていたアッシュは、ずいっと出された『おいでませダンボールハウス』の看板に首を傾げた。
「さぁ、仕上げであります。普段は要らないのでありますが、今回は特別なのであります」
おいでませダンボールハウス。ゆっくりとおくつろぎください。の、心が込められたダンボール製、文字すらダンボールなお手製の看板。
ダンボールハウスの存在意義そのものの看板を受け取り、アッシュは首を傾げる。
「俺様がやるの?」
勿論、と。ダンボール遣いは頷いた。
「おーし」
気合を入れて総仕上げの看板掛けにダンボールハウスと向き合ったアッシュに。
ズダダダダダダダダダダッ
アッシュに向けられた銃口が盛大に火を吹いた。
完成間近だったダンボールハウスは、シュバルツヴァイスの全力の全弾撃ち込みにより、アッシュの形だけ残して蜂の巣にされた。
真っ青な顔で振り返ったアッシュの後ろで、対モンスター向けの武器で嬲られたダンボールハウスは音もなく、文字通り紙のような軽やかさで、倒壊する。
「――貴様」
秋風に煙燻らすシュバルツヴァイスを構えたままのさゆみは、噴き出る冷や汗に顔を濡らしたアッシュに向けて、がくんと首を折るように傾げた。
「貴様あぁああああああっッ!?」
また、がくんと今度は折った首を元に戻した。
「まだ生きておったかッッ!!」
少女とは思えぬ怒声の恫喝に、何故今気絶できないのかとアッシュは自分を呪って、呪わずにいられない状況に、ハッと気づいた。
「っていうか、なんで死んでることになってるんだよ!」
反抗した瞬間、ガゥンと銃声が響き、風圧がアッシュの頬を掠め、銀色の髪が幽かに揺らぐ。
アッシュの本能が叫んだ。命の危機であると! 動いた瞬間額に穴が空くと!
動けないアッシュにさゆみは一度左右に大きく体を揺り動かした。
「去ね」
「なんでだよ」
「ならば滅び去れ!」
「だからなんでだよッ」
「滅べよ。その細胞の最後の一欠片までも全滅するまで私が! この綾原さゆみが! アッシュ・グロック、貴様を滅殺させてやるわぁあああ!」
トリガーにかけた指にさゆみが力を入れるのと同時に、地面を蹴ったリカインはアッシュの腕を掴むと彼を七神官の盾の裏に引き込んだ。
盾は微かに振動しながら十数発の弾丸の雨を凌ぐ。
リカインは風穴ひとつ開いてないアッシュを確認し、安心したと息を吐いた。
「間に合ってよかった」
「……ありがと」
突然襲撃されて、掻っ攫うように命を救われて、アッシュは反射的にリカインに感謝する。
「いいの。それより君にはあのブドウを育てた責任を果たすべきよ。だからなにがあっても生きていて」
「え、でもあれは勝手にああなったから俺様責任なんて――」
「生きて、いて」
どこで拾ってきていつ取り出したのか。
責任なんて大袈裟なと笑うアッシュに、リカインは彼の目の前でイガグリを“ぐしゃり”と握り潰した。
成熟し硬く鋭くなった棘すら粉々にした彼女に、彼女が浮かべる笑顔に、アッシュはあわあわと戦慄く。
震え慄き頷くことしかできなかった少年を早く安全な場所へと促し、彼が被弾せずに済む場所まで移動したのを確認してリカインはさゆみに向き直った。
アッシュにばかり気を取られ、リカインの接近に気づかなかったさゆみは舌打ちする。
「退いて。あいつは生かしておけないわ」
「残念だけど、できない相談ね。アッシュ君にはやるべきことがあるの。それとも私の言う事が聞けない?」
シュバルツヴァイスの銃口を下げないさゆみに、
七神官の盾を持ち直したリカインはうっすらと余裕の笑みを浮かべた。
風下だったのか、ショッキングピンクの酩酊を促す芳しいアッシュブドウの芳香漂うその場は、殺気を内包し耳が痛くなるほどにも冷たく静謐を湛え、落葉の音さえ大きく響き渡りそうだ。
アッシュを亡き者にしようとする意思と、
アッシュに問題の解決を急がせようとする意思の、
争いの火蓋は、小鳥のさえずりが“シ”の音を踏んだ瞬間に、切って落とされた。
*
「すげ……」
大気すら振動させて繰り広げられる戦闘に、樹木の裏で安全を確保したアッシュは小さく呻く。
発端はどうやら自分が育てた葡萄のせいらしいのだが、此処まで大事になっている事が彼には信じられなかった。
食べたり匂いを嗅いだりすると楽しい気分になるだけのブドウなのに、まさか自分の命が狙われる事態にまで事が展開されているのが理解できない。
他の世界で彼らが『アッシュ似の人物』にどういう目に遭わされていたのか事情を知らないアッシュから見れば、現状は自分に降りかかる災難でしかなかったし、野外といえどここは果樹園内である。アッシュが育てた例のブドウの樹以外にもまともなの木々があるのだから。
イルミンスールの生徒達が心を込めて育て、ジーベル夫妻に見守られ大きくなった果物達が元気にここを出荷していくまでに戦いに巻き込まれでもしたら――。
「お、俺様のために争わないで欲しいな!
なー…………ん、て…………はは、冗談です……ごめんなさい……」
――超睨まれた……。最早間に入って止められるようには全く見えないので、激化していく二人に枝を折ったり幹に傷がついたりしないで欲しいと心の底から願うことしかアッシュにはできなかった。
そんなアッシュの背後で、影が揺らめいた。
「見つけましたわ。アッシュ・グロック」
「ぐッ!」
突然の裸絞にアッシュの気管がキュッと締まる。
「消えて」
「!」
アデリーヌの囁きにアッシュはぎょっとした。
少女の細い腕を掴んで引き剥がそうと抵抗するが、首を締める力の方が強い。
「消えてください」
睦言の囁きに似た声音。その硝子細工を彷彿とさせる緑色の瞳の奥底に潜む狂気は、先に暴走したさゆみに負けず劣らず、濃く、深く、濁り、淀んでいた。
「この世から、消えて。でないと。でないと……」
いつもなら弱き枷なのかもしれないがアデリーヌはさゆみを体を張って止めていた。
だが、彼女は恋人を否応なく変貌させるアッシュという存在に並々ならぬ恨みを抱き、募らせていった。幾度と無く繰り返した行為の発端を目の前にして、今、抑圧され続けた感情は終に爆発してしまったのだ。
悲しみに泣く涙すら全て枯れ果てて、自らの手で、と考え至ってしまっていた。
彼さえ消えればまたあの幸せな日々を取り戻せる。内包する怒りの出口と、幸せへの糸口を見つけて、知らずアデリーヌはぶるりと体を震わせた。
キュッと締めれば、全てが元通りである。
しかしそんな折だった。にんまりと笑った河馬吸虎が突如としてその場に現れ、喜びに歓喜していたアデリーヌの服をむんずと掴んだ。
「脱げぇぇ〜」
そして、「そぉぃ」の掛け声と共にアデリーヌのショートパンツがずり落ちた。
河馬吸虎の所業にアデリーヌの悲鳴を聞きつけたキューが慌てる。
「あ、こら、駄目だって。ああ、畜生、足がふらふらするぜ」
「いいだろ。みんな脱いでるんだからさぁ。ほらほらお肌をだそうぜー」
言う河馬吸虎の目は虚ろだった。
理性を崩すアッシュブドウの成分と、
リカインに置いて行かれたという事実が、
小動物メンタルな魔道書という存在を大きく揺るがせた。
常ならば人型を見せることを拒んでいるはずの河馬吸虎が、今人型をとっているにも関わらず、傍若無人の言葉を欲しいままにしている。酩酊とストレスの『限界が』、河馬吸虎の本来の性格を呼び戻しているのだろう。
そして、間の悪いことに眠りにまどろんでいる間、酩酊状態でどんちゃん騒ぎを起こしていた集団の様子が睡眠学習の如くインプットされてしまっていたのだ。
夢現の光景が目に焼き付いていて、今度は自らその続きをし場を盛り上げようとアデリーヌの服を剥ぎにかかっている。
「ああ、もう面倒だな!」
チューブトップを死守しようとするアデリーヌにニヤついて、河馬吸虎は人差し指を立ててヴォルテックファイアを呼び寄せる。
「ファイヤァ!」
「だから、やめろってば。うわッ」
衣服を消し炭にする意図で出現したファイアに慌てたキューが、急激な動作で重心を失い派手にすっ転んだ。
薫らが三人ぶつかったのと同じ原理だ。彼の足もまた、ブドウの影響下にあり、縺れまくっていた。
なんとかと目に入ろうとヘロヘロと立ち上がるが、再び転んで――。それを繰り返す様は滑稽というか哀れと言うか……。
しかし誰もそんな光景は目に入っていないらしい。
河馬吸虎は暴走を続け、アデリーヌはその被害に遭わない様に逃げ続ける。
リカインとさゆみのアッシュ(の命)をかけた争いはいよいよ盛り上がり、誰も止められない様相だ。
銃弾による強制撤去の憂き目に遭ってしまった段ボールを見つめて、吹雪は「それもまたよし」と一人納得する。
この地獄絵図を、アッシュだけが阿呆のように口を開けたまま見守っていた。
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