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リアクション
「セテカ、ちょっと困ったことになるかも」
『組織』の者たちを捕縛したセルマとの通信を終える早々、ヘリワードはセテカに告げた。かなり深刻そうな声だ。
「どうした?」
「セルマくんたちが聞き出したんだけど……どうやら『組織』は領主暗殺を確実にするために、暗殺者として契約者を雇ったらしいわ」
「――事実か?」
「まだ裏は取れてない。もちろん、やぶれかぶれの口から出まかせって可能性もある」
その判断は自分にはできない。ヘリワードは黙ってセテカの指示を待つ。セテカの決断は早かった。
「会場にいる者たちに伝えてくれ」
「オーケイ。契約者が相手なら、相応の心構えと警戒が必要だもんね」
ヘリワードはまだ手に握ったままだったケータイを開き、会場の警備担当者と、そしてリネンにこのことを伝える。
「契約者ですって!?」
ヘリワードからもたらされた情報に、リネンはとっさに口走っていた。
あわてて肩越しに周囲へと目を走らせるが、場所はちょうど混雑した三叉路で、行き交う人々の談笑の声や行商人の立てるベルや動物の鳴き声、店頭での呼び込みの声といった雑多な音が入り混じり、だれもリネンに注意を払っている様子はない。
「……ありがとう。また何か分かったら、知らせてちょうだい……」
ケータイを耳から放し、ふむ、と考え込む。暗殺者が契約者であった場合、どんなことが考えられるか――しかしそんなリネンの頭をどつくような黄色い声が、後ろからしてきた。
「いやーーーあ、おねえさん! あんた、クールだねえ! 最近こっちに来たんで? いや、この辺じゃ見ない顔だからさぁ」
声の主はリネンのパートナーのフェイミィである。フェイミィはバザールへついたときから、目につく女性旅行客を片端からナンパしていた。もちろんこれは作戦で、そうして近づき、さりげなくブルドッグ型の入れ墨の有無を確認しているわけだ。違うと分かれば「そうか、残念だな。オレはまだこの辺にいるから、その気になったら声をかけてくれよ」とかなんとか笑顔で言って、適当に離れて次の女性へと向かう。
フェイミィはかなりの上機嫌でこの作戦に取り組んでいた。なにしろ、リネン認定で堂々とナンパができるのだ。今回ばかりはいくらナンパしようと、小言を言われることもない。これほど趣味と実益を兼ねた作戦が今まであっただろうか?
だが当然のことながら、毎回フェイミィの好みの女性ばかりというわけではない。例えば今声をかけている女性も、フェイミィの好みからはかなりかけ離れた女性だった。フェイミィと同じくらいの長身で、東カナン風のだぶついた服の上からでも彼女の体は固い筋肉に覆われているのが分かる。胸も尻も薄く、髪が長くなければ男性と言っても通りそうな感じだ。くつろいでいるように壁にもたれていながら、隙がまったくない。
(こりゃ訓練された兵士でほぼ間違いないと思うが……)
軽薄な言葉を並べつつ、さりげなく彼女の肩に目を向けるが、長そでで隠されて見えなかった。彼女はさっきから退屈そうな表情で、早くあっちへ行けと言わんばかりにフェイミィを見ていて、どう見てもこれ以上進めそうにない。
(ええい、ままよ!)
ガシッと両肩を掴み、そのままずいっとのしかかるように身を寄せていく。
「いい体してやがる……いやぁ、もうたまらねぇっ!」
突然のフェイミィからの実力行使に驚いている女性の唇を奪おうとした、次の瞬間。
「真昼間の大通りで、何やってんのよ!! このエロ鴉!!」
スパーーーンと強烈なリネンの平手が後頭部に振り下ろされた。フェイミィは吹っ飛ばされ、路上に転がる。
「それはもうセクハラ通り越して、××魔でしょ!! ――あ、ごめんなさいね、うちの者がとんだ粗相をしてしまって」
驚きの表情で固まっている女性を、リネンはほほほと愛想笑いを浮かべて見た。その目が押さえられた二の腕に留まる。手の下でそでが引き破られていた。
「それ、もしかしなくてもうちの変態の仕業? まあ、どうしましょう」
「……大丈夫だ、問題ない。それよりさっさとそいつを連れて行け」
女性は不愉快そうに顔をしかめ、尻もちをついたままのフェイミィをあごで指した。
「そうですか。重ね重ねすみません。――さあ、あんたはこっちへ来るの。向こうでお説教よ!」
ぺこぺこ頭を下げて、フェイミィのうなじを取り、引っ張って行く。
十分距離が開いて、女性の注意がそれたところでフェイミィはリネンに訊いた。
「どうだった?」
「ええ。あったわ」
フェイミィが襲いかかり、タイミングよくリネンが止め、その過程でそでを引き破る。そして引きずって連れ戻す――ここまでが一連の作戦だった。
「おい、やつが移動を開始したぜ?」
「そりゃこれだけ騒ぎになればね」
壁を離れ、人波に消えていく後姿を肩越しに盗み見ながら、リネンはケータイを取り出した。
*
「そこ、どこ? ……えーっと、ちょっと待って……あ、大丈夫! ちょうどその先の通りにいるって連絡もらってるから。うん、オルフェリアさんに尾行してもらう」
ヘリワードは大忙しだった。バザールで探索にあたっている者たち全員から位置や状況の連絡をひっきりなしに受け、情報が入ればそれをメールの一斉配信で全員に伝え、『組織』の者が見つかれば、その情報を元にさらにそれぞれに指示を出す。
今もまた、顔が割れて尾行ができないリネンやフェイミィにかわって『組織』の女性の尾行をする相手として最適の者を人選し、オルフェリアに連絡をとるとともにフェイミィがケータイで写した画像を転送していた。
「……ふう」
「おつかれさま」
オルフェリアから『見つけたのです。尾行開始』との返信を受けてようやくひと息つくヘリワードに、クコ・赤嶺(くこ・あかみね)が飲み物の入ったコップを差し出す。
「ありがとう」
ストローから柑橘系の香りがする。ひと口飲むと、よく冷えた果汁で、すっきりとした甘さが疲れた体に染み入るようにおいしかった。
「あー、生き返るわー。
ところでそっちはどう? 終わったの?」
つま先立ち、クコの肩を抜けて路地の奥へと首を伸ばす。そこではセテカと赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)が気絶した3人の男を縛り上げていた。
「多少訓練されているといったって普通の人間だもの。私と霜月の敵じゃないわ」
クコは肩をすくめると、自分の分の飲み物に口をつけた。
そうして何気ない風を装いながらもしっかり殺気看破を発動させ、こちらの様子をうかがっている不審者などはいないか探っている。もしかすかでも引っかかるものがあれば、いつでも疾風怒濤で距離を詰め、そいつの腹にこぶしを入れるつもりだった。おそらく相手は何が起きたかも気づかぬうちに昏倒することになるだろう――今まさに路地で昏倒している男の1人のように。
「またヤウズではありませんでしたね」
路地奥、セテカから手渡されたロープで両腕を背側で縛りながら霜月が言う。
「ああ。あいつは昔からこんな感じだ。溶け込むのがうまい」
ふとその言葉に。あるかなきかではあったが、感じるものがあって、霜月は縛る手を止めて顔を上げる。セテカの横顔に、ああそうか、と思った。バァルの学友であるということは、セテカの学友でもあったのだ、と。
「ヤウズという人は、どんな人だったんですか?」
「どんな、と訊かれても、おれもよくは知らない。取り巻きの1人であったのは間違いないが。あの手のひたすら内にこもるタイプは、おれは好きではないからな」
「……あー、そうでしょうね」
バァルも内にため込むタイプではあるが、現状を打破しようと必死に考えるがための行為だから、ヤウズの陰々鬱々とはまるで違う。
それでもセテカは一応記憶を探ってみた。
「やつはとかく無口だった。おとなしく、ほかのやつらの影にひっそりと立って、こっちをじっと見つめていることがよくあったな。バァルもあのころは本の虫で、その点で話は合っていたと思う。ただ、バァルは文武に秀でていた。どちらか片方ということもなく、しかもとりたてて苦にしている様子もなく、器用にそれらをこなしていた。おそらくは、それがずっと引っかかっていたんだろう」
どちらか片方なら。勉学の方で、少しでも優位に立てる課目があったなら。あるいは違っていたかもしれない。しかし現実は、圧倒的な差でバァルが彼の前を歩いていた。バァルと知識で語るためには、相当の努力を強いられただろう。
「そもそもライバルと呼ぶような関係でもなかったと思う。バァルの方にそんな意識はなかったからな。ただ、ヤウズの側が勝手にライバル視していたということは十分考えられるし、その努力もしていたように思うが、遂に実ることはなかったはずだ」
バァルは両親の突然の死亡事故から学舎をやめざるを得なかった。叔父のナハルが次の領主は自分だと名乗りを挙げたため、弟のためにも城を追い出されるわけにはいかないと、対抗せざるを得なくなったからだ。タイフォン家を筆頭に12騎士の過半数を味方につけるため奔走する日々が続き、その過程で学舎から籍を抜いていた。
「あいつも貴族だ。当時のバァルを取り巻く状況は読めていたはずだが、それをヤウズが良しとしていなかったのは間違いないな」
セテカは霜月に近寄ると、彼の止まっている手からロープを取って、男の腕を縛る最後の工程をした。
「こんな事態になる前に、あのころのどこかで何かしてやるべきだったと言うやつがいるかもしれないが、おれはそうは思わない。それはヤウズ自身が折り合いをつけるべきことだ。おれが悔やまれるのは、こうなる可能性があったことに気づけず、放置していたことだ。うかつだった」
「セテカさんのせいではありません」
霜月からの言葉に、セテカはフッと小さく笑う。
「だれかが何か行動をするとき、それはだれのせいでもない、本人のせいだ。ヤウズの状況には多少同情する面はある。が、だからといってこの行為は到底許されることではないし、バァルの騎士として許しはしない。やつは重犯罪人として死罪になるだろう。それもやつ自身のせいだ。
彼らはこのままここに置いて行こう。おそらくヘリワードが連絡済みだろうから、すぐ騎士たちが連行しに現れるだろう」
「分かりました」
2人はクコやヘリワードが待つ本道へ戻った。路地のうす暗がりに慣れた目に、昼の日差しは刺すように痛い。
「クコは? どこです?」
てっきりヘリワードと一緒にいると思っていた霜月は、妻の姿がないことにきょろきょろと周囲を見渡す。
「あっち」
霜月が何を捜しているのかを察したヘリワードがバザールの一角を指さした。そこでは露天商が地面に直接布を広げて店を開いていて、クコはその前で腰を折り、何かをじっと見つめていた。
「あ、霜月」
視線に気づいて、近寄る霜月に笑顔で商品のうちの1つを持ち上げ、指ではさんで見せる。それはまん丸い木製の何かで、てっきりボールかと思われたが、近づいてよく見ると、ひよこか何か、ヒナ鳥をかたどった人形だった。
「ごめんなさい、任務中なのは知っているんだけど、見つけたらどうしても放っておけなくて。
これ、かわいいでしょ? 深優へのお土産にぴったりじゃない? これなら口に入れても角がないからケガしないですむし。今回セテカに会いたいって言ったのを置いてきちゃったから、きっと怒ってるわ。これで機嫌を直してくれたらいいんだけど」
「おれが買おう」
セテカが笑ってクコの手からひょいとそれを取り上げると、露天商の交渉に入った。
「あら。でも」
「受け取ってくれ。おれも深優に何かを贈りたいと思っていたんだが、何がいいか分からなかったからできずにいたんだ。母親のきみが選んだ物ならたしかだろう」
「そう? じゃあ遠慮なく。あなたからのプレゼントだと知ったら、深優もきっと喜ぶわ。ありがとう」
袋に入った木彫りのオモチャを両手で受け取るクコ。
明るい太陽の下での2人のやりとりを見つめているうち、霜月は、さっきまでの殺伐とした空気のなかで胸を重くしていたものがすうっと軽くなっていくのを感じ、微笑を浮かべている自分に気づいたのだった。
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