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春もうららの閑話休題

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第10章


 フューチャーXと対峙している時の雪って、特別な気分がして僕は好きです。


 というくらいにテンパっているのは、佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)である。

 弥十郎が温泉に入っていると、ふいに首筋に冷気を感じた。
「何か首筋がぞわっと……ねぇ爺さん、急に寒くなって……え?」
「よぉ、久しぶりだな」
 風呂でもサングラスを外さないその人物は、間違いなく未来からの使者 フューチャーXであった。
 チェス勝負に惨敗したフューチャーXは、温泉のはしごをして今度は男湯に入りに来ていたのである。
 弥十郎とフューチャーXは初めてパーティ会場で会って以来、いつか納得のいく寿司を作ると誓った間柄である。
「そ、そうですね」
 しかし、それは弥十郎にとっては客の満足いくものを作れなかったというトラウマの記憶でもある。
 だがそれを打開すべく、今すぐにフューチャーXに出せるような寿司のアイディアはない、その事実が弥十郎を極度の緊張状態に押し込んでいた。
 気がつくと湯船の中で正座して視線を落とすことしかできない弥十郎だった。

「兄ちゃんも温泉に入りに来たのか?」
 気さくに話しかけるフューチャーX。
「そ、そうですね」
 緊張気味の弥十郎。
「やはり風呂はいい……日々の疲れを癒し、明日への活力を養ってくれる」
 温泉の良さを語るフューチャーX。
「そ、そうですね」
 緊張気味の弥十郎。
「どうだ兄ちゃん、まだ寿司は握っているのかい?」
 共通の思い出を語るフューチャーX。
「そ、そうですね」
 緊張気味の弥十郎。
「今日はどうなんだ? 旅館でも握っているのだったら、ぜひ一握りして欲しいものだな」
 今夜の希望を語るフューチャーX。
「そ、そうですね」
 緊張気味の弥十郎。
「おいこら、何でそうですねしか話してないんだ。フューチャーさんが困ってるだろう」
 突然そこに割り込んでくる兄、佐々木 八雲(ささき・やくも)
「そ、そうですね」
 緊張気味の弥十郎。
「いやいや、別に困ってはいない。だがまぁ、さっきから何でそうですねしか言わないのかな、と不思議に思ってはいた」
 そつなく応対するフューチャーX。
「そ、そうですね」
 緊張気味の弥十郎。
「フューチャーさんと対峙してる時の雪って特別な感じがしてお前は好きなんだよなぁ」
 唐突に変なことを言い出す八雲。
「そ、そうですね」
 緊張気味の弥十郎。
「ほう、そうなのか? そんな風に意識してもらえるのも、ある意味ライバルらしくていいかもしれないな」
 あえていい方に解釈したフューチャーX。
「そ、そうですね」
 緊張気味の弥十郎。
「おい野球やろうぜ、ボールはお前な」
 飽きてきたのか、適当なことを言い出した八雲。
「そ、そうですね」
 緊張気味の弥十郎。

「ふー……だめだこりゃ」
 八雲はため息をついて、フューチャーXに視線を移した。
「いや、すみませんね。いつもご迷惑ばかりかけて申し訳ないです」
 フューチャーXは特に気にした様子もなく、八雲を向き直る。
「いや、こちらこそ。……ところで、この兄ちゃんはどうしたんだ?」

 ふと、そこで正気を取り戻した弥十郎が、唐突に語り出した。

「そうなんです、フューチャーXさん。貴方に出すべき寿司についてずっと考えていたんです。現段階ではサーモンがいいかと思っていて……。
 でも、あれは養殖じゃないと寄生虫の問題があって厳しい……。
 ですが養殖だと脂がしつこくて、お年寄り向きじゃない……いったいどうしたら……」
 さすがにイラっと来た八雲は、やおら立ち上がって弥十郎の後頭部をはり倒した。
「ああもういい加減にしろっ! 寿司のことしか考えられんのかっ!!」

「あうっ!!」
 すぱーんと勢い良く張り倒された弥十郎は、はっとした表情で振り向いた。


「そうか……タタキだ。タタキにすれば余計な脂が落ちてさっぱりとする!!
 ご老体にも重くなく、しかし濃厚な味わいを持たせることができるし、タレをアレンジすればバリエーションも豊富……これだ!!」



 後頭部への衝撃でインスピレーションを得た弥十郎は、ばたばたと風呂を出て行く。
「今度こそいい寿司を握れそうです――後で旅館に来てください、お風呂上りに間に合うように頑張ってみます!!」
 そう言い残して、弥十郎は去っていった。
「やれやれ、忙しいことだな」
 その後ろ姿を見送るフューチャーXの前に、湯船に浸かった八雲が残された。
「ふう……身内ながらお恥ずかしい、ちょっとため息が出てしまいました」
「なあに、気にすることじゃない――若い証拠さ」
「いえ……仁王立ちで寿司を語ってたせいで、粗末なものをブラブラさせてましたし」
「ま、風呂だしな……本人が気にしてなければ、いいんじゃないか?」
 弥十郎が去った後を眺めるフューチャーX。
「そうですか、ありがとうございます……あ、あのモードだとするとかなり良い物を作りこんできますんで、ご期待くださいね」
 そう言って、八雲は風呂から上がっていく。
「もう上がるのかい?」

「ええ……あいつを手伝ってやらないと」
 風呂から上がる八雲の背中に、フューチャーXは呟いた。
「そうかい……仲の良いことだな。羨ましいよ」


                    ☆


「ふー……」
 レン・オズワルドは、疲れた肉体を湯船に沈め、軽いため息をついた。
「先輩、ここいいっすか?」
 そこに、ブレイズ・ブラスがやって来た。
「ああ」

「……」
 しばし、並んで湯船に浸かった。
「……早いもんだな」
 ふいに、レンが口を開いた。
「……何がっすか?」
「色々さ。俺がパラミタに来てから……俺達が出会ってから……もう何年も経つのか」
 手ぬぐいで汗を拭きながら、レンは呟く。
「そうッスね……そういえば、先輩はどうしてパラミタに来たんすか?」
「ん……そうだなぁ……色々あるんだが……。
 とにかくあの頃は、ひたすら戦いたかった」
「……戦い、たかった?」
「ああ。自らの過ちを償うために……誰かを守る為に……。自分などそのためにはいつ死んでもいいと、本気で思っていたよ。
 あの頃は……死ぬ場所を求めていたのかも、知れないな」
「……」
「けれど、最近は逆になってきた」
「……え?」
 レンは視線を動かして、広いかまくらの中を見渡した。男女入り混じった混浴の中には、実に様々な顔がある。
「少しでも長生きしたいと、思うようになってきた。少しでも……周囲の人間と同じ時間を過ごしたい。
 仲間達の未来を……俺達が守ってきたものを……皆の将来を、一緒に見守って行きたいと考えることが多くなった。
 もちろん……お前の将来もな」
「先輩……」

 レンの視線の先には、湯船から上がって体を洗うフューチャーXの姿がある。ブレイズもその視線に気付いた。
「いいかブレイズ。俺はヒーローとは自分を喧伝するものではないと思っている。
 男は想いを行動で示すものだからだ……だから、口が悪かろうと、思いを伝えることが苦手であろうと、関係ない」
「……そうっすね」
「その体に刻まれた傷の数を見れば、そいつが歩んできた道を垣間見ることだって出来るだろう。
 お前があの老人に何を見ているのか、俺は実際のところ知りはしない。
 だが、あの老人の身体とその傷は――よく見ておけ」
 そこまで聞くと、ブレイズは風呂から立ち上がった。
「……ありがとうございます先輩……俺……あのジジィと決着つけてきます」

 レンを後にして、ブレイズは歩き出す。
 その後姿を見送って、レンはまたタオルで汗を拭いた。


「ガラにもない……喋りすぎたか」


                    ☆


「いやー、温泉はいいなぁ」
 皆川 陽は男湯を歩く。
「なぁ、ちょっと待ってくれよ」
 テディ・アルタヴィスタがその後に続いた。テディは大衆浴場の経験があまりなく、水着を着用している。
 その様子を見た陽は軽くテディを振り返った。
「水着なんか着てちゃせっかくの温泉が台無しだよ。……お風呂入ってる感じがしないじゃないか、気持ち悪くないの?」
 もとより日本人である陽は、大衆浴場で裸になることに抵抗はない。最低限のマナーとしてタオルで軽く隠す程度で、堂々と歩いている。
「うーん、やっぱりちょっと抵抗あるなぁ……って危ない!!」
 温泉の淵の岩場に陽がぶつかりそうになるのを、テディが手を取って止めた。
「ん、どうしたの?」
 陽は岩に気付いていなかったようで、キョトンとした様子だ。
「岩だよ岩……ぼーっと歩いてちゃ危ない……っていうか何でメガネしてないのっ!?」
 見ると、陽はいつものメガネをしていない。
「え、いや温泉だし。お風呂の時にメガネなんかかけないでしょ。かけたってどうせ曇って役に立たないし」
 テディの狼狽もおかまいなしに、陽はひょいひょいと洗い場を歩いていく。極度に目が悪い陽がメガネを外しているということは、ほとんど何も見えていないはずなのだ。
「わっ、陽、その辺も岩が結構ゴツゴツして……つか見えてないだろ? 見えてないのに何でそんなひょいひょい歩くんだよ!?
 危ないだろっ!?」
「いやあ、日本で暮らしてた頃だと、岩場の露天風呂なんて転倒して岩に頭ぶつける危険しかない場所だったからなぁ。
 契約してからは身体も頑丈になったし、怪我しても魔法で治せるようになったし、こうして楽しめるのは嬉しいな。
 そういう意味では、契約したことも悪くなかったよ」
「陽……」
 温泉レジャーに珍しくはしゃぐ陽を見ていると、テディも少し嬉しい気持ちになった。

 その気持ちは嬉しい、のだが。

「いやだから危ない、危ないって!! 岩! 人! 足元の石鹸!!」
 本当に何も見えていないくせにテンションあがって我が物顔で歩く陽を、テディは止められない。
「大丈夫だよ、もし怪我しても魔法で治せるし……。
 と、いうか魔法まで使えるようになったのに、視力を矯正することもできないのは何でなんだろうね」
 素朴な疑問を浮かべる陽に、テディはやや間の抜けた返答をすることしか出来ないのだった。
「さ、さあ……?」
「うん、やっぱ契約なんてさほどの役にも立たないな」
「何気なくヒドいことを!!」
 軽いショックを受けるテディを放っておいて、陽は何も見えていない視界で周囲を見渡した。

「あれ、そういえば……」
 テディにも思い当たった。今日は確か三人で来た筈ではなかったか。

「そうだ、ユウはどこ行ったんだ……?」
 そのテディの視界の端にユウ・アルタヴィスタの姿が映った。
 絶望的なことに、ユウもメガネをしていない。
 ユウもまた、陽と同程度の視力しかないのだ。
「だぁっ、何も見えてないくせにどうして別行動するんだよっ、おーい!!」
 陽の手を引こうとしても、こっちはこっちでも鼻歌交じりで湯船に浸かりに行ってしまう。
 ユウはというとこれまた勝手なもので、陽とは反対方向で身体を洗おうとしている。

「いやー、温泉はいいなぁ」
 ユウはどこかで聞いたような感想を漏らしつつ、身体を洗っている。
「なかなか普段一人じゃ温泉なんて入りに来られないもんなぁ、な?」


 と、親しげに話しかけている隣の人は知らない人である。


 メガネをかけていないので、いつの間にかテディや陽とはぐれていることに気付いていなかったのだ。
 突然話しかけられたその老人――フューチャーXは応えた。今日は色んな相手に話しかけられる日だな、と思いつつ。

「ん? まぁそうじゃな。誰かに招かれて温泉にやって来る、そういう気分転換も必要よのお」
「そうそう、なかなか自分で企画してまでは温泉旅行なんてそうそう……って誰だい爺さん」
 さすがに声で自分の連れでないことは判る。ユウは極限まで近づきつつ目を凝らしてフューチャーXを見る。
「それはこっちの台詞だ……おいおい、近い近い……それ以上近づくと接吻してしまうぞ」

「いやいや、さすがにジジ専は専門外……いや待てよ、組み合わせによってはあるいは……」

 瞬時によく判らないことを呟き始めたユウ。その後ろを通って、ブレイズ・ブラスはフューチャーXに近づいた。
「……よぉ」
 ブレイズは、ユウの後ろに仁王立ちになり、フューチャーXを見下ろした。
「おう、何の用だ、ビビィ?」
「……誰?」
 メガネがない状態だと、自分に話しかけられたような錯覚を覚える。ユウは聞き返した。
 しかしブレイズは無視して話を進める。
「いい加減、今日はテメェとの決着をつけに来たぜ」
「ほう……さっきよりゃあだいぶイイ顔してるじゃねぇか?」
「……え、誰?」
 両者に挟まれた距離感がつかめず、ユウはキョロキョロと見渡した。見渡しても見えないのだが。
「ふん……ウジウジしてるのは俺らしくねぇとさ」
「そりゃあ、儂も同意見だな」
 ブレイズは、フューチャーXに向けて拳を突き出して、宣言した。

「テメェに決闘を申し込む、フューチャーX!! 受けてもらうぜ!!!」
「良かろう、その決闘、受けたぁっ!!」
 二人のバックに燃え盛る炎が盛り上がる。その両者をレン・オズワルドは眺めていた。


「……だから誰だよ、あんたら」
 という、ユウの呟きを残して。