リアクション
「あらアナスタシア、一人でどこに行くつもり?」
聞き覚えのある女性の声が足跡と共に近づいてきて、アナスタシアは振り向いた。
案の定、そこにはブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)が腕を組んで立っていた。
彼女の横にはいつものように控えめに、いつものことだといった表情でにこにこしている橘 舞(たちばな・まい)もいる。
「貴方に関係があること?」
アナスタシアは、特にブリジットには遠慮のない態度を取るところがあった。
「関係あるわよ。また迷子になられて百合園の恥を天下に晒すわけにもいかないもの」
「あれは迷子じゃありませんわ、不可抗力ですもの。黒史病の事件さえなければ私だって……」
「迷子は迷子よ。琴理からもしっかり見張ってるように頼まれているから。あと、携帯のバッテリーは大丈夫?」
琴理が見張ってるように頼んだのはでまかせではあるが――彼女の方も実は他の生徒に任せておけば大丈夫と思っていたので、あながち間違いでもない。
高速充電器を手渡され、アナスタシアは自分の携帯の電池残量を確認すると、微妙な顔をして大人しく従った。
充電を待ちつつ、ブリジットは軽口をたたく。
「それにしても、あなたと一緒だと退屈しないわね! で、いきなりで悪いけど、謎は全て解けたわ」
「えっ?」
アナスタシアは思わず顔を上げる。
自信満々のブリジットと目が合った。
「この狂宴の最終幕は午後三時。ボブは重要なことを言ったわ」
「ボブ……?」
「堕天使コカビエルのことよ。ラッパとは、1時間ごとになる公園の時計……9時に一つ目なら、7つ目はちょうど午後3時……そうよ、最終の演奏が終わる時間に一致しているわ」
「……」
「ふ、褒めなくていいのよ、アナスタシア。私レベルの探偵になると簡単な推理の部類だから」
果たしてブリジットが探偵であったか――はともかく。
「ブリジットにしては珍しくいい推理ですね。ホブさんも当然演奏のスケジュールはご存知だったはずですし、公園の時計と合わせて、あんな妄想を……」
舞も誉めるので、アナスタシアは自分も分かってた、とは言い出しにくい。
まぁ、舞も気付いていたのだが。
(まぁ、これは私でも分かりましたけど、それを言うときっとややこしいことになるから秘密です)
舞はもごもごするアナスタシアに、
「ん? アナスタシアさん、どうかなさいましたか? たぶん、今回は今のブリジットの推理であってると思い……」
「……え、ええ。どうもしませんわ。流石私のライバルといったところかしら。……ところで、舞さんは今日は演奏側でしょう?」
「ええ、お手伝いをさせてもらおうと思いまして。お粗末ながらバイオリンの演奏を。でもこの状態では演奏会を開催できませんよね……。
そういえば黒史病ですが、原因となったあの子はたしかヴァイシャリーの図書館にいるはずですよね? もしかして親類の方でもこちらに……」
「あの子に親類がいるっていう話は聞いたことがありませんけど、確かに被害の拡大を防ぐためにも一旦大人しくして頂く必要がありそうですわね」
アナスタシアは舞に頷いた。ブリジットが無視しないでよ、とか言っているのはわざとではないが無視しておく。
「えっと……まぁ、黒史病なら時間が経てば正気に戻るはずですよね。
罹ったしまったものは仕方ない気もしますし、下手に刺激するよりできるかぎりは静観して、終わった後の後始末のことを考えたほうがより建設的な気が、ですね。ここ冷静な対処が必要ですよ」
「では、彼女の顔を知っている百合園の契約者の生徒に見付けていただいくとして、舞さんは後始末を優先しますの?」
舞は何か考えていたようだが、
「……演奏終了は3時ということは……あ、お茶の準備をしておかないとですね」
にっこり、いつも通りの笑顔を見せた。
……お茶会はすべてを曖昧にする――少なくとも接客する百合園生たちの曖昧スキルは結構高いものがあり。
「それでは、お茶会はお任せしますわ。やはり魔法の使える者が放っておかれるのが気になりますもの……3時までにはこちらに戻りますわ」
「あっ、待ちなさいよアナスタシア!」
堕天使コカビエルが倒れていることを知らないまま、アナスタシアは、再び彼を追いかけることにしたのだった。
*
二度あることは、三度ある。
「……ああ、新百合ヶ丘ってことで何か嫌な予感はしてたさ。でも今回ばかりは大丈夫だと思ったんだ。なのにな……」
エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は眼前に繰り広げられる奇妙な天使と堕天使たちの光景に呆れつつも、心の準備ができていた自分を感じてもいた。
白や黒の翼、悪魔の蝙蝠の羽、頭の輪っか、マントのようなもの、白ロリ黒ロリ、なんかキラキラしたもの。
それらを身に着けた学生を中心とした住民が、あちらこちらで即興演劇を繰り広げていた。
(誰か例の魔道書の保護者になって監視してくれ……)
帰省のついでに演奏会を聞きに来たエヴァルトにとって、邪魔だな、でも放っておけば治るからな、というくらいだが――が。
そんな呑気なことを言っていられるのは自分や知り合いが患者じゃない場合に限る。
つまり、彼の身内がそこにいた。
それだけでも嫌なのに、目立つ容姿だ。白い肌に、日本人離れした銀の髪、赤い瞳。二十歳なのに五つは若く見えるエヴァルトの実の妹・
カティヤだった。
(ついでに天使コスプレか……まぁ、普段着の上からかぶってるだけだからいいか)
でまぁ、三回目だからかノリノリなのが余計に腹が立つ。
「さあ堕天使たちよ神の威光の前に跪きなさい! この灯火は神の霊よ!」
松明のつもりか、棒を振り上げて叫んでいる。左手に何か見覚えのあるペットボトルのようなものを持っているのが気にかかる。
(仕方ない、家の恥だとっとと捕まえるか)
エヴァルトは構えを取りながらざっと歩み寄った。
気配に気付いたのか、カティヤはエヴァルトの方を振り返ると、正気を失った、妄想に取りつかれた眼で彼を見据えた。
「その血のような赤き両眼。堕天使ね!」
兄を兄とも思わぬ所業。お前もだろ! と思わず突っ込むより先に、彼女は次の台詞を続ける。
「審判の刻を待つまでもない、私がこの場で断罪してやる」
……。
エヴァルトは一瞬沈黙し、そして心から叫んだ。
「……こっちの台詞だぁぁー!」
こうして兄妹の戦いの火蓋は、三度切って落とされた。もう切り落とされる火蓋がないといいが。
しかし武器はラップ芯、特価4200円の模造刀ときて、今度はホームセンターで手に入れた円筒型の棒の上に金属製の定規らしきものをくくりつけている。
服装からも事前準備のない即席感満載の巻き込まれだと言うことが分かって少しほっとするものの、今回はリーチがある上地味に痛そうだ。
「ふっ、悪しき者はこの“十字架の剣”の血錆となるのよ!」
「どっちが堕天使だ! ……もう面倒だ、とっとと接近してデコピンで気絶させてやろうか」
非契約者であることが彼女を妄想に駆り立てているとしても、責任はエヴァルトにない。
振りかぶられ、薙ぐように振るわれる自称“十字架の剣”を契約者の余裕であっさり退いて回避すると、がら空きの懐に飛び込んだ。驚愕に見開かれる両目の前に輪っかにした指を置き、人差し指を伸ばす。
思ったより重い音と一緒にカティヤの首が人形のように弾かれた。
「いいから大人しくしてろよ……手間かけさせやがって」
四肢を投げだしてぐったりと芝生に倒れた妹が気絶しているのを確かめてから、エヴァルトは携帯電話を取り出した。
「……もしもし、母さん?今、新百合ヶ丘にいるんだが……ああ、例のアレだ……二度あることはなんとやら、だ。今日も連行してくるんで、よろしく」
「ああはいはい、アレね。もー、癖になってるのかしら、困ったもんだわ。エヴァルト、今日の夕ご飯カツカレーでいい?
あ、あともしカティヤが正気に戻るようだったら、帰りに牛乳買ってきて頂戴」
正気に戻らなかったら、簀巻きにして持ち帰って牛乳買うのか。不審者だな、とエヴァルトは思う。
……茨城の実家は、ちょっと遠い。