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【黒史病】天使と堕天使の交声曲

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【黒史病】天使と堕天使の交声曲

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第4章 堕天


 
(私は天使。人々の笑顔が何より大好きです。だから、人々を守るため、邪悪なるものルシファーの復活は何としても阻止しなければなりません!)
 百合園女学院に通う善方 桜織(よしかた さおり)遠野 歌菜(とおの・かな))の目の前には、平和な風景が広がっていた。流れる小川、ベンチでクレープを食べる親子、芝生の上に座って談笑するカップル……。皆の笑顔が桜織にとっては喜びでもあり、天使で良かったと感じる時間でもあった。
 けれど彼女の顔はすぐに悲嘆にくれた。
(あぁ、それなのに……!)
 平和な風景を背景にして、深海 暁人(ふかみ あきと)月崎 羽純(つきざき・はすみ))は立っていた。
 冷静に見えて気分屋で気まぐれな、そして見た目も良い年上の青年は、桜織の習い事の師でもあった。夢見がちな彼女は年頃の少女らしく片思いをしていた。彼女自身は誰にも話さなかったが、彼女以外の誰が見ても言い切れるほど分かりやすかった。
 それは憧れの暁人の背に黒い堕天使の翼があることをすぐには受け入れられないほど……。
「人間とは本当に愚かな生き物だな。己の欲望に忠実な癖に、愛だの友情だのほざく。欲望にだけ、素直になればいいのに」
 表情も声音も、いつものクールだけれど優しい彼のものとは異なっている。
「喜べ、人間。堕天使になるルシファー様が復活すれば、お前たちは自由になれるぞ」
「どうして貴方が悪魔なの? 深海さん……!」
「……天使か。うっとおしい奴らだ」
 戸惑いを含んだ呼びかけに暁人は振り向くと、本当に鬱陶しそうな視線を向けた。それだけで桜織の心がズキッと痛む。
「お前らも、本当は己の欲望にだけ、忠実に生きたいんだろ?」
「……ち、違うわ! そんなんじゃありません! 人間を……守ります!」
 桜織は迷いを振り払うように叫ぶと、両手に光を生み出した。瞬く間にそれは二本の槍に変わる。
 何度も何度も、がむしゃらに突き出したが、暁人のこちらも両手に持った二本の黒い槍に悉く弾かれ、返され、逸らされた。
「どうした? そんな攻撃、全く効かんぞ。それが本気の攻撃か?」
「私、貴方とは戦えない。だって……だって……!」
 槍に迷いがあるのは彼女本人も気付いていた。それは好きだから……。
(いいえ、駄目よ、桜織! 彼の目を覚まさせる為、戦わないと。彼はきっと、悪魔に騙されているだけよ。私のこの想いで、彼を救ってみせる!)
 桜織はいつの間にかとても近くなっていた二人の距離を羽ばたいて取直すと、手から汗で滑りそうになる槍を光に戻して、胸から新たな光を生み出した。
「届いて、私の光の歌よ。真っ直ぐに彼の心へ……! <煌きの鎮魂曲>!」
 胸から生み出した光が空中に螺旋を描きながら暁人へ降り注ぐ(ペンライトをキラキラ振りながら、踊り歌っているように見えた)。
 しかし暁人は掌をかざすと、光を受け止めたと思うとぎゅっと握りつぶした。光の飛沫がキラキラと散った。
(どうして? 何で攻撃が通じないの?)
 桜織の両目にある絶望は、無力さによるものか、天使としての自分へのものか、それとももっと恐ろしい感情――恋によるものだろうか。
 しかし暁人が彼女を見る目には、いつの間にか彼女への興味が生じているように見えた。
(駄目、彼の目を見たら、私……)
 両手をだらりと下げて、まるでコカトリスに睨まれたように動けずにいる。
「……いや、違うな。お前、本当は俺に付いて来たいんじゃないか?」
「止めて、それ以上言わないで! 私の心を乱さないでよ……だって、そんな事、絶対に許されません!」
「天使なんか止めて……こっちへ来いよ。素直になってみるといい」
(あぁ、駄目。彼の目に見つめられたら、私、もう自分の心に嘘が付けない。彼が好き、好きなの)
「何も心配しなくていいさ。堕ちてしまえば……楽になれる」
 微笑する暁人に、桜織は身体の力がふっと緩むのを感じた。一歩、一歩足を彼に向けて踏み出す。
「許し? 許しなら、俺が許そう」
 手を伸ばし、彼の差し伸べた手に触れる。
(神様、ごめんなさい。私、彼の手を取ります。世界より、何より、私は彼を選びます…!)
「そうだ、良い子だな」
 ぐいっと引き寄せられる。身体が抱き留められた。
 桜織の背に生えていた白い翼がハラハラと木の葉のように散り、その後に黒い闇が蠢いた。
(もうこれで、戻れないのね……さようなら、光の世界)
 ばさり。一気に黒い翼が生え、広がる。
(でも平気。彼が居れば、私はもう何も怖くないの。愛に堕ちて生きていくわ……)





 あちらこちらで、本格的に天使と堕天使による戦いが繰り広げられていた。
 見るに、堕天使側が優勢だった。
 規則を守り人間を守ろうとする天使側と比べ、堕天使は人間を盾にし、操り、天使を堕落させ、その他さまざまな卑怯な手段を使うことができた。
(このまま堕天使が勝ち、ルシフェル様が復活なさるのね……)
 真天使・メイディエル七瀬 歩(ななせ・あゆむ))は半ば確信していた。
 目の前には、ぼろぼろになった天使が横たわっている。怯え半ば呆けている彼女に近づき、掌を向ける。
 息を吸い、吐く。吸う。吐く。その感覚が少しずつ短くなっていく。……メイディエルは認めたくないことに、また――うんざりするくらい、また――緊張していた。
(……どうして……どうして?)
「止めを……刺さないの……?」
 目だけを向けて見上げてくる天使に、
「もう立てないよね……これくらいで許してあげる」
 言い捨てる。……が、解っていた。勝利の余韻より敗北感が優っていた。
(どうして止めが刺せないの……!?)
 今までも、何度も。天使を力で圧倒しても、止めを刺すことが出来ない。止めを刺そうとすると苦しくなり、力が抜けてしまいそうになる。体力が足りないのかと思って鍛えもした。最後の審判を巡る今回の戦いこそは堕天使の軍勢の一員として役に立とうと思ったのに……。
(父も母も強かったのに、私は弱い。どうして、勝てそうになると急に力が出せなくなるの……?)
 彼女の両親は最強の天使と最強の堕天使と呼ばれた二人だった。そのためか、天使・堕天使両方の結界内でも力を発揮することができる。そして力を受け継ぎ、名はどちらにも知られて、畏れられている。
 彼女が堕天使として生きているのは、堕天使界で生まれたからに過ぎない。彼女の力を知らない天使たちからは蔑まれ、堕天使たちのからかいの対象になることもあった。
 しかし……堕天使として生きようとしても、その強力なはずの力でも、何故だか天使も人も殺せないのだ。今までこの弱点が知られなかったのは幸運だと言える。誤魔化したり、天使の血を引くから出来ないのだと勝手に推測されたりして。
 その理由が何なのか。自分の力が及ばない何かのせいなのか。今回この戦いに参加した理由の最大の理由は、それを知りたかったから――唯一の肉親である羽が十二枚、左が白、右が黒の羽をもった天使の姉を探すためであった。
「真天使・メイディエルの名を聞けば誰もが恐れ戦き戦意をたちまちに失うというのに、なにゆえ弄びもせず、止めも刺さずに逃がすのか……。まさか恐怖を植え付けて楽しんでいるようにも見えぬが?」
 メイディエルの背後から声をかけたのは、一人の堕天使の少女だった。
 褐色の肌に銀の髪が特徴的な、しかしそれよりも目を引くのが大鷲の翼と蛇の尾。【鷲翼の魔狼】マルコキアス――を妄想する、百合園女学院本校の生徒で、三つ編みにまん丸眼鏡の地味っ子で、あだ名は丸子という――(源 鉄心(みなもと・てっしん))と、側に控える彼女の忠実なる魔犬――になり切っている同級生――(ティー・ティー(てぃー・てぃー))であった。
「……何、怖い顔をするな。この身もルシファーに何のしがらみもない。吾があるじは月の女神レヴェナのみ」
 メイディエルも彼女のことは変わった存在として知っていた。
 姿に反して性格は堕天使らしくなく、レヴェナの姉・リリスはルシファーに従っているものの、それにも頓着しない。今回も戦いに赴きながらも戦いもせずに趨勢を見守っているようなポーズを取っていた。
 それもそのはず、マルコキアスは天界に帰りたいと思っていたのである。そのために堕落もしていなかった。
(レヴェナ……吾があるじはこの力を悲しむ。あるじは諍いを望まぬ。だからこそ、吾は力を揮うことを躊躇わぬ)
 いざという時には創世記の撤退戦で多大な戦功をあげたというその戦士としての力をふるう。しかしその力を使う時は……。
「メイディエルよ、吾は創世の戦いを見てきた故、そなたの両親をも知っておる。あれらは、争いの道具としてそなたが利用されることを恐れ、力を封印したのだ。封印を解けるのは肉親しかいないが……、」
「でも、私の両親は行方不明に……。姉すらも……」
「……話を聞け。封印が解けぬものかと……堕天使らによって尋問を受け、殺されたのだ。そなたの姉は同じような存在とて、堕天使に逆らったために殺されておる。そしてその時になって、そなたの封印を解いた時にもし真実を知れば堕天使らの命が危ういと考えたのだ」
 メイディエルが突然知らされた真実に呆然としていると。


「あ〜あぁ、そんなことを話して……一方的な見方過ぎると思うね」
 横から挟まれた一言に、マルコキアスは振り向いた。
「そなたは峻厳なる天使ハルファエルエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ))……それに、魔王サタナエルメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある))」
「そうだ」
 くすり、とハルファエル(のつもりの買い物客の青年)は笑った。
「俺は凍れる炎の翼持つ天の御使い。堕天したつもりはない」
 人の世界へ入り込み、人の営みを見守るために一時的に降りただけのことだった。ただ彼の表情には七つの大罪のひとつ、「傲慢」が強く表れていた。
「世界が正しく在る為には欲望にまみれた人間こそ必要の無いもの。悪魔が唆さなくても人間は元来邪悪である。ルシファーが人を滅ぼすならその後押しをしよう。天神がその御手を汚す事など無い――」
「……」
 マルコキアスとメイディエルは彼の表情に警戒し、一歩下がって身構えるが、ハルファエルは気にしたそぶりもなかった。
「ずっと見て来て、色々と失望させられたよ。
 自分達の快楽を追いかける事しかせず、世界に存在する全ての存在を踏みつける事しかしない人間達を我々天使達が守護しなくてはならない理由があるのだろうか。世界崩壊の原因ばかりを作りだしていくこの穢れた存在達を?
 いっそ滅ぼした方が世界は浄化されあるべき姿に近づくだろう。
 神はそれを容認している。悪魔が存在するのがその証。
 では俺は神の御使いとして神の意向に従い、人を滅ぼす手助けをしよう。これで世界と自然は護られる」
 堕天した、とは言わなかった。けれど彼は堕天使よりも堕天使らしい――。
「神の真意も計れぬ天使い達が裁きの進行を阻止しようとするのを留めないと。位の低い天使には神の考えが判らないからね」
 自分こそが神の真意を理解していると思うのは、まさに「傲慢」だった。
 いや、もし彼が本当に正しき天使であれば、友人に魔王を持たないだろう。
「そなたも堕天使なのか?」
 マルコキアスに水を向けられ、サタナエルは笑った。
「昔の事は忘れたよ。悪魔の囁きで人が罪深い物となったとは心外だね。
 人の中でずっと見て来たけれど、人間は最初からこうだったよ。世界との調和を全く考えない素晴らしい生物では無いかね。
 人間達は、我々の後押しなと全く必要とせず、手に余る技術を振りまわしながら、世界の守護者気取りで世界をゆっくりと破滅に導いているのだよ」
「……では、吾が敵というわけか。行け、吾が忠実なる魔犬よ――!」
 瞬間。
 側に控えていた魔犬がハルファエルとサタナエルの間に青い炎となって走り込んだ。
 マルコキアスはサタナエルの不意を突いた。まさか堕天使が敵になるとは思わなかったのだろう、瞬時に吹雪を作り出して応戦しようとするも、魔犬は二人の間を割ったかと思うと、急旋回しサタナエルに飛びつくと、組み敷いた。
 マルコキアスもまた大きく翼を広げた。
「どちらが決定的な勝利を得ようとも、それは新たな戦いを生む。均衡を、戦争の終結こそが吾があるじの望み……」
 翼から青色の炎の羽が数十飛び出たかと思うと、ミサイルのようにハルファエルに襲い掛かる。
「<炎の氷柱>!!」
「<永遠の安息(パーフェクト・デリート)>!!」
 ハルファエルは剣に炎と光を纏わせ、防戦しようとするが、間に合わない!
 マルコキアスと魔犬の高温の青白い炎――実際にはねずみ花火だったが――が二人の堕天使を包み込む。
「吾は獣。幼き日、死の淵に沈むをただ待つ、塵芥に過ぎず……」
 マルコキアスはゆっくりと炎に包まれ消えてゆくハルファエルを見つつ、メイディエルに問いかけた。
 自分は神ならぬものの愛によって救われ、獣は生まれ変わったのだ、と。
 彼女が天使として数多の堕天使を倒すならばよし、消えるも良し。しかし均衡を保たぬならばここで戦うことになる、と……。