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幸せ


 雪が降っていた。
 いつの間にか雪は降り積もり、地面を枯草を覆い隠し木々の葉を白く変え、けれど目の前の館は大きくて、屋根に積もっても、外壁にこびり付いて白く染めようとしても、その姿が完全に雪にうずもれることはないだろう。
 雪を踏みしめる三つの足音がなければ、この場所には音はなく、雪が降る幻聴が耳に差し込んでくるようだった。
 私は――エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)は、足を止めてただ目の前の光景を見つめていた。
 地球人のパートナー千返 かつみ(ちがえ・かつみ)が気遣うように私の表情を窺っていたが、いつものように微笑で応える気にはならなかった。理由はかつみも知っている。
 ここは、かつみと出会った、という意味では契約者として大事な場所だ。
 けれど、それ以上に。
「何も変わってない……というより、私が館を出た後も変わらなさすぎだな」
 まるで、時が止まったかのように。
「私が閉じ込められてた意味ってあったのかな……」
 かつみに出会うまでの全てだった場所。
「雪が深い所だったから、冬になると雪で全てが覆われるんだ。音も雪が吸収するから、いつも以上に静かで世界中から何もかも無くなった気がしたよ」
 私の独り言めいた自分自身への疑問に答えたかつみの声は叫ぶようだった。
「エドゥが閉じ込められてた意味……そんなものあるわけ無いだろ!」
 想像以上に声が響いて、私は少し驚く。かつみは息を整えると私に向き直る。
 ――生まれた時間が、彼らの一族にとって「呪われた時間」とやらだった。迷信……なのだろう。私はそのせいで、一族から引き離されて100年間近くも幽閉されていた。
 本当のことであれば悲しみは深く、単なる迷信であれば、失われた時間は……。
「お前が何の厄災引き起こせるっていうんだ、そんなのただの迷信だ。館を出て正解だったんだ」
 この館の中に居たら、私の声はもう雪に吸い込まれて届かないだろう。雪のように凍り付いてしまうかもしれない、心ごと、時ごと。
「……かつみ」
 私がなにか言葉をかけようとした時だった。
「うわぁ雪積もってますね! 一面真っ白!」
 背後からナオの――千返 ナオ(ちがえ・なお)の弾んだ声がした。私が振り返った時には、彼はジャンプしていた。
「せーの!」
 四肢を広げて雪の布団の上に飛び込むと、勢いと重みで人型の跡をつける。
 寒くないんだろうか……ああ、手足を動かして天使を作るとかいう定番の遊びもあったような。
「こらこら、私まで冷たいぞ」
 ナオのコートのフードから、雪まみれになったノーン、ノーン・ノート(のーん・のーと)がもぞもぞと這い出してきた。
「これだけ積もってれば雪だるま作れるし、雪合戦もできますね」
 ナオは言うなり飛び込んだ時と同じ速さで立ち上がると、近くの雪をきゅきゅっと掌で丸めて雪玉にして、あっという間に雪玉の山を作る。ノーンはナオが立ち上がる寸前に雪の中に飛び込んで、同じように雪玉を丸め始める。
 流石に、手と体の大きさからいってナオ優勢だろうけれど、と思っていると、
「雪合戦やるなら先手必勝だ。いっぱい雪玉つくってぶつけてやろう」
「わっ、先生、早いですよっ!」
 小さい雪玉を投げ付けるノーンに、ナオも応戦する。慌てて、でも楽しそうだ。
「ふふふふ甘い! 雪玉だけが雪と思うな!」
「こら、ナオとノーン雪投げるな!」
 かつみは止めに入るけれど、その時ノーンが投げた玉がかつみの側の木に直撃した――と思ったら、木がばさりと揺れてかつみの頭上から雪が降ってきた。雪まみれになってかつみがメガネを外して雪を払う。
「……止めるどころかやる気だな。こうなれば受けてたとうじゃないか、エドゥも手伝え!」
「え? 私も参加?」
 何でここで雪合戦なんだろう、と思ったけれど、かつみが早速雪を丸めているので、入ることにした。チーム戦をした方が、ナオは喜ぶかな、と思う。
 私が三人の輪に入ると、かつみはふと我に返ったようにまじまじとこちらを見てきた、と思ったら噴き出した。
「何ですか?」
「世間はクリスマスっていうのに、なに男四人で必死で雪合戦やってるんだろう……って思ってな。でも雪まみれのみんなの顔見たら笑えてきた」
 軽く頷く。ここの雪は好きではなかったけど、かつみを雪まみれにした雪も、ナオやノーンが丸めている雪も、嫌いじゃない。
「お前は悪い存在じゃないよ……むしろ俺は会えて良かった」
 かつみは優しく微笑んでくれる。
「はいっはいっ! 俺もエドゥさんに会えて良かったです!」
 ナオも、元気よく手を振り上げてくれる。ノーンはふむ、と笑っていた……同意っていうことでいいのかな。
 ああ。
 誰かと一緒なら、世界はこんなに変わるものなんだね。一面の雪景色がこんなに楽しいと思える日がくるなんて思ってなかった。
 ずっと自分の存在が悪いものだから、ずっと一人でいないと、幸せになりたいとか思ってはいけないと思ってた。
「……言って良いのかな。『ざまあみろ』って」
 禁忌扱いした一族に。幸せになってはいけないと思い続けた自分に。
「え? エドゥ、今『ざまあみろ』って言った? ど、どうした?」
 かつみは驚いたように目を丸くする。
「……うん。かつみ、それより油断すると――」
 私は手の中の雪を丸めると、かつみの肩にぶつけた。
「お、やったな!」
「やったよ。ほら、まだ雪玉はいっぱいあるよ」
 私はかつみの投球フォームに、飛んでくる雪玉を避けようと、雪原を走った。
 ――幸せになったんだ。
 少なくとも会えて良かったと言ってくれる人が三人はいるんだ。
 それは、とても幸せなことだ。