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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

リアクション

 人間を焼肉にしそうな勢いの太陽だったが、これもようやく西の空へ沈み始めている。
 石原拳闘倶楽部は騒然としていた。
「おう、何でい?」
 戻ったばかりの肥満は、ボクシングのリング上に見知らぬ男がいるのを目にした。
 アメリカ人。若くはないが鍛え上げたシャープな筋肉をしている。石原にはすぐ判った。ボクサーの筋肉だ。その上に着ているのは、まごうことなき米海軍の制服だった。
「このメリケン野郎が、勝手に上がり込んで」
 敵意を剥き出しにして鷹山が言った。
「引きずり下ろすか?」
 新しく加わった仲間たちも同様のことを言うのだが、石原は首を振った。
「GHQじゃないな。あいつらなら、集団で来るからな」
「その通り。私は米海軍のカシミール・クラスニク大佐だ」
「大佐さんともあろうモンが、愚連隊に一体何の用だよ」
「単刀直入に言う。ブラックマーケットに満州帝国の財宝を流し売り捌いている石原肥光というのはお前か?」
「俺は確かに石原肥満だが?」
「そうか」
 大佐はリングロープに背をもたせかけ、拳を突き上げた。
「あとは拳に訊いてやる。Ken‐tow(拳闘)だ。分かるか、若造」
「ここの看板になんて書いてあるか読めなかったのかい? 流暢な日本語をしゃべるメリケンのオッサンよ」
 互いにグローブを付け、上半身裸になった。闘犬が向かい合ったようにも見えた。ドーベルマンと、土佐犬と。
 準備と言ってもそれだけだ。レフェリーもない。時間だって計らない。ただ、誰かが景気づけにゴングを鳴らした。
 ウェイト差を感じさせぬスピードで、猛然とカシミールが仕掛けてくる。
「確かに、我が国は勝った。だが、戦いで死んでいったその過程に於いては、アメリカ人も日本人も、隔たりはない。誰もが国のためと口では言いつつ一人の人間として死んでいったのだ。それが、戦争だ」
 だが肥満も場数ならこなしている。教科書通りの攻めは教科書通りにスウェーして、セオリーにない動きでカシミールが来ても、やはり奇策を用いて受け付けない。
「国のためと口では言いつつ……だと!? 一人の人間として!? 馬鹿云え! メリケンのおめえらは知らねえがな、国のため……もっと簡単にいやあ親兄弟に女房子ども、大事なふるさと、ご先祖様たちが連綿とが守ってきた魂、そういうもんを踏みにじらせないためという意識がなきゃ、戦争なんて狂気の沙汰やってられねえんだよ!」
 カシミールの拳が肥満の鼻を撲った。だが鼻血を噴き出しながらも、肥満のワンツーがカシミールのボディを襲っていた。両者距離を取る。
 同格、と素人目には映ったかもしれない。だが肥満は、自分の攻撃が浅かったことに気がついていた。外された。さすが相手はオリンピックメダリストだ。あえて言わなかったが、肥満はカシミールの名と経歴を熟知していたのである。
 ステップを踏みながらカシミールが言った。
「論点が少し、ずれているようだ……お互いにな」
「俺はそうは思ってねぇぜ」
 今度は肥満がラッシュに行く番だった。次々と撃ち込む。だがカシミールは巧みなフットワークでこれを回避し、しかも回避精度はどんどん上がっていった。天才ファイターであるカシミールは、この短い時間で石原肥満のボクシングスタイルを学んでしまったのだ。
「おっさん、あんたは兵士の『国のため』という言葉を否定した……けど忘れたか」
 息が上がっているが、それでも肥満は口を閉ざさない。
 だがここで形勢が逆転した。カシミールがサウスポーを取り、華麗なまでのフェイント、ならびに足捌きでみるみる肥満をコーナーに追いつめたのである。
 ――来た。
 これこそカシミール得意のパターンだ。肥満がクリンチに来たところを死角から、その顎を目掛け必殺のアッパーを見舞った。
 重い、一撃だった。
 肥満の体が、誇張ではなく吹き飛んだ。マットの上でバウンドし、やがて止まった。
 失神したように起き上がらない彼から振り返り、カシミールは言った。
「……数えるレフェリーがいないからカウントはできないが。勝負はついたようだな」
 何言ってやがる、と後方から声がした。
「カウント7ってとこだろうが……」
 肥満が立ち上がったのだ。吹き飛ばされた時に舌を噛んだか、大量に出血している。
「仲間の手前倒れるわけにはいかない、か……そのファイティングスピリットは見事だ。君に敬意を表し、ここで終わりと言うことにするかな?」
「……」
 肥満がモゴモゴと何か言った。
「聞こえないのだが?」
 見れば、肥満の両脚は小刻みに震えているではないか。本当に、痩せ我慢だけで立っているのだ。もはや気力だけという状態だろう。ただでさえ体重差のある相手から、あれだけのアッパーを浴びてしまったのだ。無理もない。
 肥満の言葉を聞くべく、カシミールが近づいたときである。
 攻撃が、カシミールの軸足に来た。拳ではない。蹴りだ。バランスを崩したカシミールの顔面、それも顎に、
死んでも国を守る、って決意がなくて神風特攻なんかできるか、馬鹿野郎!
 肥満の頭突きが命中した。
 ぐらりとカシミールはよろめいた。片膝をついた。目の焦点が合わない。だが彼も、ダウンだけは避けようとした。ロープに手をかけ、どんな特訓のときよりも必死の形相で耐えた。
「拳闘が途中から喧嘩になっちまったんでな……悪ィ、勝手に得意競技に変えさせてもらった。ボクシングはあんたのTKO勝ち、喧嘩は俺の判定勝ち、それで分け(イーブン)てことにしようや」
 カシミールはまだ立てない。彼は流れる汗を拭うこともなかった。ただ、言った。
「カミカゼアタックか……狂気の沙汰とばかり思っていたし、今も理解しているとはいいがたいが……少し、見方が変わった気もする」
 彼は軽く咳き込むと、肥満の顔を見上げた。
「ナイスファイトだった、肥満」
「メダリストの胸を借りることができて光栄だったぜ、大佐」
 肥満が手をさしだした。 
 カシミールはその手を、しっかりと握った。
 わっとリング周囲が沸き立った。それまで皆、魂が抜かれたように試合を注視していたのだ。
「派手にやりやがって」
 裸足の清華がその中から出てきた。彼も腕組みして試合を観戦していたのだ。
「ほら石原、見せてみろ、そっちの大佐もだ。治療はするが痛くても文句は言うなよ?」