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春が来て、花が咲いたら。

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春が来て、花が咲いたら。
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リアクション



15


 パートナーである影野 陽太(かげの・ようた)が不在のため、ここ最近のノーン・クリスタリア(のーん・くりすたりあ)はとっても自由である。
 陽太が居ないという事実はほんの少し寂しいし退屈だけど、心の赴くままに出掛けてみたりと気ままに動くのは嫌いじゃなかった。
 不自由しないようにとお金も持たせてもらったし、依頼を受けたりもしているから生活で困るようなこともない。
 そして今日、何をしようかと考えたノーンは美味しいケーキが食べたいと思い。
 道行く人が話していた、『Sweet Illusion』というお店に行くことにした。
「くーださーいなっ」
 精一杯背伸びして、カウンターから顔を出し。
 店長であるフィルに話しかける。
「きみ、一人で来たのー?」
「そうだよ! わたし、すぃーといりゅーじょんのケーキが食べたかったの!」
 言うと、フィルがカウンターから出てきてしゃがんだ。ノーンに目線を合わせ、メニューを渡す。
「どちらになさいますか?」
「んっとー……この、期間限定ケーキ! ……あっ、期間限定、ふたつあるんだね……」
 桜のシフォンと、桜のモンブラン。
 どちらもとても美味しそうで、悩ましい。
 ちらり、陽太から渡された財布を見た。……お金は、ある。
 ――た、たまにはいいよねっ。うんっ!
 自分で自分に許しを出して、
「これとこれ、くださいっ」
 欲張りに、両方とも注文してみた。
 席に座って店を見回し、紅茶が入るのを待つ。
 店内は陽の光が集まって明るく、飾られた花や小物は、落ち着いているがそれでいて楽しげな雰囲気を出す手伝いをしていた。
 素敵なお店だな、と思ったところで紅茶が入った。
「お待たせしました、どうぞー」
「わっ、美味しそーだねー! いただきますっ」
 出されたケーキを一口食べる。とっても美味しい。桜の香りがふわりと薫って、春だと思わせてくれる、そんな風情のあるケーキだ。紅茶も香り高く渋みのないもので、飲みやすいしケーキにも合っている。
「気に入ってくれたかなー?」
 柔らかな笑みを浮かべ、フィルが笑いかけてきた。
「とっても! これって、店長さんが作ってるの?」
「私じゃないよー。パティシエが別にいるの」
「じゃあ、とっても美味しいですって伝えてほしいな。お願いしてもいい?」
「勿論だよー。喜ぶだろうね♪」
 そう言われると、ちょっと嬉しい。
 ケーキを食べ終わったノーンは、竪琴を取り出した。
 美味しいケーキのお礼と、静かな店内のBGM代わりになればと思ってのこと。
 爪弾くと、澄んだ音が響いた。静かで心地良い音色。
 その音に魅かれるように、一組、また一組と来店を告げるベルが鳴った。


*...***...*


 春らしい淡いピンクのワンピースに身を包むと、気分までうきうきしてくる。
「楽しそうだな」
 月崎 羽純(つきざき・はすみ)に言われ、遠野 歌菜(とおの・かな)はにこりと微笑む。
「もちろんだよ。だって、」
 ――羽純くんとデートだよ?
 ……と、言葉にするのは恥ずかしかったから、なんでもないと笑って誤魔化す。
 そうか、と頷いて羽純が歩き出す。
 その手を歌菜はじっと見た。
 ――手、繋ぎたいな。
 ――でも、私からは無理だなぁ……。
 だって、羽純が隣に居る。
 それだけでドキドキしているのに、できるわけがない。
 そうこうしているうちに、目的の店に到着した。羽純の行きつけの喫茶店、『Sweet Illusion』である。
 ドアを開けるとベルが鳴って来客を知らせた。カウンターにフィルが立っている。
「あれ? フィルさんって女の人だったっけ? あれ?」
「フィルは気分で女装も男装もするからな。性別に気を取られているとケーキの味がわからなくなるから気にするな」
「え。う、うん」
 変わった店長さんだなあ、と思いながらショーケースを見る。相変わらずどれもこれも美味しそうだ。今日の目的は桜のモンブランやシフォン、と決めていたのに心が揺らぐ。
「何にする?」
「羽純くんは?」
「俺は桜のシフォンだな。期間限定メニューは押さえておかないと」
「じゃ、私モンブランにするよ」
「了解。買ってくるから座ってな。今日は暖かいし、テラス席がいいかもな」
 視線につられて外を見る。プランターが置かれ、色鮮やかな花が咲いているテラス席。今なら誰も居なくて貸し切り状態だ。
 わかった、と頷いて外に出て席に座る。日当たりが良いからだろう、椅子がほんわかあたたかい。
 気持ち良いなぁと思っていたら、目の前にトレイが置かれた。椅子が引かれる音。正面に、羽純が座る。
 ――ああ、幸せ。
 自分でもはっきりとわかるほど、頬が緩んだ。
 美味しいケーキに美味しいお茶。綺麗なお花とぽかぽか陽気。
 それに何より、目の前には羽純が居る。
 幸せだなぁと再び思うと、羽純がくすりと笑った。
「え、え?」
 歌菜がうろたえている間も、羽純はクスクスと笑う。
「何? 何で笑ってるの〜?」
 ――もしかして、私、変な顔してた!?
 それはとても恥ずかしいと顔を赤くしていると、
「いや……あんまり幸せそうな顔をしているから。まるで子供みたいだ」
 と言われた。
「……えぇー……」
 思わず落胆の声を上げる。
 だって、子供みたいって。
 ――私がお子様……ってこと、だよね?
 ――お子様扱い……。
 女性として見てもらいたい歌菜としては軽くショックである。
「違う、そういう意味じゃない」
 しょぼん、と落ち込む歌菜に羽純が言った。
「……何が?」
 思わずジト目で見てしまう。
「……私、羽純くんが思う程、子供じゃないよ。そりゃ、羽純くんから見たら子供かもしれないけど……」
「……手を握っただけで真っ赤になるのに?」
「う。だって、それは照れるから……仕方ないじゃない。慣れないものは慣れないの。すぐ慣れろっていうなら、私、子供でいいよ」
 ぷう、と頬を膨らませてケーキを一刺し。
 もぐもぐと咀嚼する。ああ、美味しい。幸せだ。そうだとも幸せだとも。
「……歌菜が子供のままじゃ、困るな」
 少しふてくされているところに言われたのは、そんな言葉。思わず怪訝そうな目で羽純を見てしまう。
 ――困る? なんで?
 その疑問に答えるように、羽純が歌菜の手を取った。
 え、と思う間もなく、歌菜の手の甲に羽純の唇が触れる。
 状況把握まで一秒。
 後、急激に顔に熱が集まった。
「な、なななななな……」
 声が言葉に、ならない。
「子供のままじゃ、もっと歌菜に触れたいと思っても、触れられないだろ?」
「……羽純くんは、私に早く大人になってほしいんだ?」
 慣れたりできるのかな。
 こんな、心臓が爆発しそうな行為に。
 ――でも、それを望まれるなら、
「……どうかな?」
 ――えぇ?
 どうかなって、どうして? 再び、疑問の目。
「歌菜は歌菜のままでいいと俺は思ってる。歌菜が照れても、歌菜の気持ちは分かってるからな」
 すると答えはそれだから。
 ――敵わないなぁ。
 それに。
「すごく照れるけど……私、羽純くんに触れているとね。凄く落ち着く。
 羽純くんも、同じ気持ち……だよね?」
 勇気を出して、手を握った。もっと、相手がわかる気がして。
 少し冷たい羽純の体温。触らなきゃわからなかった、手の大きさ。
 ――この手が私の頭を撫でてくれると、私は本当に幸せなんだよね……。
 そう思うと、愛しくて愛しくて。
 羽純の真似をして、そっと手の甲にキスをした。
 照れ笑いを浮かべると、
「『いつか』はそう遠くない未来に出来そうかもな」
 小さな声で、羽純が呟いた。
 はっきり聞き取れなかったから首を傾げたけれど、ついぞ何のことかは教えてくれなかった。


*...***...*


 最近よく、佐伯 梓(さえき・あずさ)がケーキを買ってくる。
 そしてそれが毎回同じ店のものとなれば、ケーキや店に興味がなくても覚えてしまうというもので。
 そんなに『Sweet Illusion』とやらのケーキが好きならば、たまには買っていってやろうと思ってナガン ウェルロッド(ながん・うぇるろっど)は店までやってきた。
 いらっしゃいませの声を聞きながら、ショーケースを見る。
 ショートケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキに苺のタルト。期間限定桜のシフォンなどもある。
 が、ナガンはどれがいいのかわからない。食事なんて、食べられればいいのだ。味だとか見た目だとかを気にしたことはあまりない。そもそも味音痴だし。
「ケーキ好きな奴が選ぶのってどれ」
 カウンターに居たフィルに問うと、あまりに漠然とした問いだったからか「人にもよりますよー」と至極もっともなことを言われた。
 仕方がないのでここはひとつ、期間限定とやらに釣られてみようか。
「桜って食えんの」
「もちろんですよー」
「んじゃそれでいいや。テイクアウトで……」
 注文を済ませようとした時に。
「ウェル?」
 聞き慣れた声がした。
 振り返ると、店員の恰好をした梓が居た。


 お客様が注文した飲み物とケーキを運んで、そのままテーブルの片付けなどをしていたら来客を知らせるベルが鳴り。
 聞き覚えのある声がするなあと思っていたら、案の定。
 ナガンを見付けた梓は、思わず相手の名前を呼んだ。ナガンも梓に会うとは思っていなかったらしく、驚いた顔をしている。
 もちろん、驚いているのは梓も同じで、びっくりだし恥ずかしいし、でも嬉しい気持ちもあって、心中は複雑。
「知り合いー?」
 フィルに問いかけられて、梓は頷く。
「こ、恋人。……俺の」
 頬を赤くしつつも言うと、
「店長さん。テイクアウト取り消しで。さっきのケーキとその店員さん下さい」
「こちらでお召し上がりですか?」
「ええここで食べてきます」
「ちょっ、ウェル!? 店長も何で当り前のようにこちらで、とか言ってるのー!?」
 ナガンをフィルに紹介した時以上に顔を赤くして、大慌てでツッコミを入れるが。
「いーじゃーん。梓ちゃんそろそろ休憩でしょー? バカップル堪能してきなよー」
「って言ってるわけだし。ほらこっち来いってー」
 何分相手が悪かった。有無を言わせぬ上司の笑みと、断りきれない恋人からのお誘い。
 ――ああもう、恥ずかしい。
 ――……でも、嬉しい。
 ――…………ああもう。
 頷いて一度着替えに戻る。それから用意されていたケーキと紅茶の乗ったトレイを持って、ナガンの座る席へ。
「お待たせー」
「おー」
 トレイを置くや否や、ナガンがケーキをパクついた。梓もフォークを取り、一口食べる。甘くて美味しい。
 紅茶も飲んで一息つくと、
「なんで店員やってんの」
 問われた。
「えー。なんでって……」
 雇ってもらった日のことを思い出す。
 ――『食欲薄い恋人に美味しいもの食べさせてぎゃふんと言わせてやりたいんだー』。
「…………秘密ー」
 まだ、それを言うのは恥ずかしい気がして。
「アズのくせに生意気だ」
 誤魔化したら、頬をぷにっとつつかれた。
「それより制服どうかなー。似合ってたー?」
「まあまあ」
「じゃ、もしかしたら女物の方が似合ってたのかもねー」
「女物?」
 話をはしょりすぎたため、ナガンが首を傾げる。
「うん。制服、女物と男物どっち着たい? って言われて男物選んだんだー」
「つまり女物の制服もあると。……アズー」
 名前を呼ばれた時、嫌な予感がした。
「女物の制服見たい」
「えー? 店長が着てるやつがそれだよー?」
 男女共用の白いシャツに、棒タイではなくリボンタイを付け、下はズボンじゃなくて、スカート。黒のサロンは白いエプロンに変わっている。
 おねにーさんなフィルはそれを見事に着こなして(というか女性にしか見えない。男物を着ている時はちゃんと男に見えるのに)いるが、自分だとどうだか。
「アズが着てるのが見たいていうか見たいすごい見たいいいから着替えろ」
 梓の考えなんてお構いなしなナガンにワンブレスで言い切られた。
 店長がいいって言ったらね、と答える前に、
「はい♪」
 いつの間にかフィルが寄って来て、制服を押し付けられた。
「……聞いてたのー?」
「あははー。私地獄耳だからねっ☆」
「着ーろ、着ーろ」
 ナガンのコールもあったから着替えに向かったが。
 ――おねにーさんみたいに素敵にはいかないなぁ……。
 鏡に映った姿を見て、うう、と小さく唸る。
 それでも着替えたんだから出て行ってみようと深呼吸。
 とことこと歩幅小さく歩いて行って、スカート姿を凝視されるのは恥ずかしいのでさっさと座る。
 座ってから、上目遣いで覗うようにナガンを見た。見てる。じっと梓を見てる。視線を逸らしつつ、
「……どうかなー?」
 小さく問うと。
「アズ可愛いどうしよう可愛い可愛い可愛い。スカート見せろ立て立つんだジョー」
「えー。やだよ恥ずかしい。それよりこれね、新商品っ」
 可愛いコールに照れつつケーキを出した。元々はフィルに味を見てもらおうと思って作ってきたケーキだが、ナガンの感想も聞いてみたくて持ってきたのだ。
 苺や蜜柑の乗った、果物たっぷりのフルーツケーキ。生クリームの形が巧くいかなかったけれど、味は大丈夫のはずだ。
「崩れてんなぁ」
 と思っていたら、指摘された。ちょっとしょんぼり。
 ナガンの皿の上に乗せると、すぐさまフォークが伸びてきた。
「でも甘い」
「甘い?」
「なんか作った奴が頑張ってるのは分かる甘い。まあ不味くはない。ていうか美味い方。うん」
 美味いと言われたことに嬉しくなって、「本当!?」と立ち上がると、運悪くテーブルにぶつかってしまい。
「あ」
 その拍子にティーカップが倒れた。テーブルの上を浸し、ナガンの膝元に零れていく。
「わ、ウェルごめんっ。大丈夫? 火傷してない?」
 おしぼりを持って拭きに行く。拭く拍子にナガンの膝の上に座ったら、
「下着どーなってんだ」
「へっ?」
「なんか違和感」
「……スカートの中は神秘でいいんじゃないかなー」
「気になる。教えろーじゃないと離さない」
 腰に手を回され、ぎゅーっと抱き締められた。
 別に離れなくてもいいけれど、一応バイト先の店内なわけで。そしてそろそろ休憩も終わるわけで。
「……スキャンティーだよ」
 小声でぼそっと呟いた。知的好奇心を満たしたナガンが腕を解く。
「そろそろ戻らなくちゃ」
 戻りたくないけれど。
 仕事が嫌じゃなくて、だってナガンに会ってしまった。
 ――離れたくない、なぁ。
「アズー」
「えっ?」
「袖離せ」
 無意識のうちに、袖を掴んでいたらしい。
 ごめんね、と手を離すと、今度はナガンに腕を掴まれた。何、と思う間もなくカウンターまで引っ張られ。
「このケーキとそのケーキとこの店員さん下さい」
「お持ち帰りですか?」
「ええ今度はお持ち帰りで」
「かしこまりましたー」
 手早くケーキが包まれてナガンに渡され。
 そしてそれが梓に渡り、梓はナガンに抱きあげられた。お姫様抱っこだ。
「えっ、えっ? ウェルっ?」
「お持ち帰りって言っただろー。さー帰るぞ」
 ちょ、ええ、本当に? いいの? と混乱しているうちに、店のドアが開く。出て行く瞬間、フィルと目が合った。ばいばーい、と笑顔で手を振られていた。
 お許しも出ているわけだし、もう身を任せてしまおうと。
 ナガンの首に腕を絡めて、ぎゅっと抱きついた。