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リアクション
17
宴席から少し距離を取って、樹月 刀真(きづき・とうま)は一人で桜を見ていた。
近寄る人間は居ない。人を遠ざけたいという気配を、それとなしに周囲にばらまいていたからだ。
作ってきた苺大福を食み、桜を見上げる。
力強く華麗に咲き乱れ、間を置かずに散ってしまう儚い花。
もっと咲き続けて居たらいいのに。
そう思う反面、この刹那さや儚さが桜の美しさを殊更強調しているのだろうとも思う。
――俺も、いざとなれば。
己の全てを剣に託して振るい、この桜のように散ろう。
「刀真」
……と考えた時、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)に声を掛けられた。
「私、お茶を買ってくるね」
「ああ」
頷いて、見送る。
そして、今の考えを打ち消した。
魔物に襲われた時、両親が庇ってくれたことでこの命は拾われた。
けれど、その時に心が死んだ。
そこから色々なものを取り戻してきたが、結局生への執着だけは取り戻せなかった。
きっと、刀真は自分自身が死ぬことに何も感じないだろう。
だが、と否定の言葉が浮かんだ。
――俺が死ぬことで大切な物が傷付くのは絶対に嫌だ……。
契約した事で命すら共にする事になったパートナーたち。
特に、刀真の剣として、花嫁として、いつも傍にいて自分に全てを預け自分の全てを受け入れてくれている月夜。
彼女を悲しませて、その上パートナーロストで傷付けてしまうことなど、絶対に出来ない。
だから、散ることは許されない。
この桜のようにはなれない。
美しくないかもしれない。
だけど。
どうしても。
「クロエ?」
出店に買い物に出た月夜は、偶然ばったりクロエと出会った。
「そっか。クロエも花見に来てたのね」
「そうよ! いまはね、おさんぽちゅうなの」
「なら刀真の作った苺大福、一緒に食べない?」
「たべる!」
誘いに即答。クロエに手を差し伸べて、重ねられた手を握って刀真の居る場所へと戻る。
「ただいま」
戻ってきた月夜を、刀真がじっと見詰めてくる。
その視線が妙にくすぐったくて、月夜はクロエに向き直った。
「ねえクロエ、桜の花をもっと近くで見せてあげる」
そう言って、クロエを肩車した。身長に見合わない軽さに、彼女が人形だと言うことを思い出す。
「わあ……! さくら、すっごくちかくでみれるわ!」
「でしょう?」
「……あっ。でも、つくよおねぇちゃん、わたしをかたぐるましていたらおててがふさがっちゃうわ!」
「? それがどうか……あっ」
そうだ。両手が塞がっていたら、苺大福を取れないじゃないか。
これじゃ食べられないなと思っていたら、肩から重さが消えた。
「刀真」
「代わります」
月夜の代わりにクロエを肩車した刀真が、ふっと笑った。
「つくよおねぇちゃんのうえよりたかいわ!」
「俺と月夜じゃ身長が違いますからね」
「すごいの。たかいわ。さくらがとってもきれいよ、みえる?」
はしゃぐクロエに微笑む刀真。
月夜は苺大福を取って、
「はい」
代わってくれたお礼というわけじゃないけれど、刀真に差し出した。
「……いや、両手が」
「うん。だから、あーんして?」
人目を気にしたのか、刀真が辺りを見回す。幸いというか、先程刀真が醸し出していた雰囲気のせいで必然というか、周りに人はあまりいない。
「……あーん」
少し屈んだ刀真の口へと運ぶ
「……うん。美味い」
「良かった。ほら、クロエもあーん」
「あーんっ」
食べさせると、クロエが楽しそうに笑った。二人を見た刀真も微笑む。
三人が笑っている姿を、少し離れた場所で紺侍はカメラに収めていた。
「笑顔ってのはイイもんっスよねェ」
しみじみとした調子で呟いて、楽しそうに、幸せそうに撮れた写真を満足げに眺める。
撮った写真を見せようかと悩んだが、三人の空間を壊すのも憚られたので話しかけるのはやめた。
けれど、撮っていたことを刀真に気付かれ話しかけられるまで、もう後数分。
*...***...*
彷徨えるメイドこと高務 野々(たかつかさ・のの)は、今日も今日とて彷徨っていた。
日本酒を持って、彷徨いながらの花見酒である。
「はふー。お酒は美味しいし、桜は見事で綺麗ですばらしいのですよー」
無邪気に笑って感想を零しながら、ふらりふらりあてどなく歩き続ける。花見をする可愛らしい少女たちを見るのもまた、楽しい。
「そーいえば、この辺は人形工房でしたっけー? クロエさんもレイスさんを、お花見をしてる……かなー?」
辺りを見回しながら、言う。
「レイスさんのことだから『人いっぱいいるの苦手』とかなんとか思いつつクロエさんのキラキラした瞳に負けて来ていそうな予感がするのですよー」
ふふー、と笑うと、
「残念。今回は俺の提案」
リンス本人に訂正された。
「……むう」
その訂正に、野々は唸る。
「期待はずれ?」
「ええ、期待はずれですー。だって本人を前にしてあのセリフを言ったのに、どーして冷静にツッコミを入れてくるんでしょーかこの人はー」
「あ、やっぱり俺が目の前に居ること知ってて言ってたんだ」
「……いえいえ。訂正されて、あっレイスさんがいるーって気付いたですよーほんとーですよー!」
どうだか、と呆れた目を向けるリンスに顔を近付けて。
「こんにちはーレイスさん。そんなことより楽しんでますかー?」
「御覧の通り」
「うん、楽しそーで何よりですー!」
笑う野々に、
「……お酒飲んでる?」
リンスが問い掛けてきた。
ぱっと一歩後ろに跳んで、両手で口元を覆った。はふ、と息を吐いてみる。うん、若干、お酒の匂いがする。
「私、お酒臭かったですね!」
「不良娘だね」
「えへへーごめんなさいですよー」
「……なんか変。酔っぱらってるでしょ」
「そんなばかなー。メイド・オブ・オールワークスたる私が酔うわけないじゃないですかー。変なこと言いますねー」
「だってやりにくいもん」
やりにくい、との感想に、んー、と首を捻った。
しばし考える。考えて納得した。
自分は、酔っている。
だからこそのこの状態だ。利用しない手はないじゃないか。
「ふふーん、搦め手がダメなら素直に行こうだいさくせーん、なのですよー! 今の状態でしかできないですけどねー!」
「やっぱり酔って、」
「だから、今しか言いませんけど」
言葉を遮って、笑って見せた。
「私はレイスさんのこと、好きですよー?」
「……は?」
ぎょっとした顔のリンスに、笑顔を向け続ける。
数秒の、間。
「クロエさんの方がもっと大好きですけどね!」
絶妙の間を取って、クロエに向けて満面の笑みを送った。
「ふふ、びっくりしました?」
「……かなり。どうしたものかと思った」
「大成功ですねっ。私は満足ですークロエさんらびゅー!」
はぁ、と息を吐いているリンスを尻目にクロエに抱きつこうとして、ぴたりと止まる。
そうだ私はお酒臭いんだった。
抱きつけないとは何たる不覚、と後悔していると、クロエの方から抱きついてきた。
「ののおねぇちゃん、らびゅー♪」
「私、お酒臭くないですかー?」
「きにしないもの!」
「さすがクロエさんです! 器が大きいですねーらびゅらびゅっ。そーしそーあいなのですー」
野々のいつも通りなクロエ大好きっぷりを見て、リンスは少しほっとした。
――良かった、おかしくなったわけじゃなかった。
いつも捻くれていて、軽口ばっかり叩く相手があんなに素直に笑いかけると驚くじゃないか。
正直ちょっと心配したので、安堵して小さく笑った。
「んー? なんですかレイスさん。私のことじっと見てー。恋ですかー?」
「あー、そうだねー恋だねー」
「なげやりですねー! でもレイスさんともそーしそーあいですかねー?」
「はいはい、そうかもね」
*...***...*
お花見前日。
「明日花見に来いって」
通話中だった茅野 菫(ちの・すみれ)が、電話を切ってパビェーダ・フィヴラーリ(ぱびぇーだ・ふぃぶらーり)にそう言った。
「お花見? ああ、桜が綺麗だものね」
パビェーダは窓の外を見ながら言う。遠くに桜が見えた。ほぼ満開の桜の木。明日はさぞかし花見日和だろう。
「で、誰からのお誘いなの? 学校の友達?」
問い掛けると、
「リンスから」
予想外の相手の名前。思わず読んでいた本を落としそうになった。
「……それは、うん、何、珍しいわね」
「パビェーダこそなんでそんなに慌ててるのよ」
「慌ててないわよ」
「じゃあ、嬉しそうね」
「どうしてよ」
「別に? そう見えただけー。ほらお花見なんだからお弁当とか作ってよ。あたし楽しみにしてるから」
言って、菫は部屋を出て行く。残されたパビェーダは、エプロンを着けてキッチンに向かった。
何を作ろうかと考えて、ふと思いついて。
――お花見らしくはないけれど、好きだって言ってたものね。
買っておいたチョコレートを手に取った。
そうして迎えた当日。
やや人混みから離れた場所で、パビェーダは菫と二人シートに座って桜を眺めていた。
「綺麗ね」
「そうね。現実、忘れそうになるわ」
菫の言葉に頷く。
カナンのことやエリュシオンのこと。いろいろとシリアスで気の抜けない現実があるのに、この空間だけはそんなところから切り離された場所のようで。
ただのんびりと、過ごす。
「ここに居たんだ」
そうして桜を見ていると、人混みから避難してきたリンスがやってきた。
「お誘いありがと」
「お構いもできませんで」
「無礼講よ」
「意味、全然違くない?」
菫と他愛のない会話をしたリンスが、パビェーダの隣に座った。
「あ。ここ、桜綺麗」
「でしょ。いい場所取れたの」
リンスが桜を見上げる。視線を追って、パビェーダも同じ桜を見た。たぶん、菫も同じものを見ている。
全員で同じものを見ているのが、なんだかおかしくてふっと笑った。
――何か、話したいな。
そう思うけれど、何を言えばいいのかと考えると言葉が出てこないし。
――なんだかドキドキするし。
そもそも上手く言葉が出てこない。
でも、何も話さないでいるのも嫌だから。
深呼吸して、いざ、とリンスを見たところ。
「……眠いの?」
うつらうつらと船を漕いでいたので、訊いてしまった。
「ん。ちょっと」
――仕事、忙しかったのかしら。
――気疲れも、あるかもね。人、多いもの。
リンス本人は言わないけれど、きっと理由はそんなところだろう。
――あとは春のせいかしら。
ぽかぽかとした暖かな陽気は、ひどく眠気を誘うもの。
「……寝てもいいわよ? 肩くらいなら貸すわ」
そう言ってみたけれど、大丈夫と言われた。
「身動き取れなくなっちゃうでしょ?」
「だから少しの間だけよ。5分くらい」
「それはまた短いね。……でもまあ、それくらいなら却って頼みやすいか」
おやすみ。
そう言って、こてんと頭が肩に乗った。殆ど間を置かず寝息が聞こえてくる。
――本当に寝たわ。何この無警戒っぷり……。
あまりの無警戒さに呆れながらも、くすりと笑う。
それから、本当に身動きが取れなくて、自らの提案だけれど困ってしまったり。
だけどもちょっぴり嬉しくて、どうしてこんな風に嬉しいのかしらと疑問に思ったり。
していると、服の裾をぎゅっと掴まれた。
「……菫?」
どうかしたの、とその手の主を見てみると、むすっとした顔で「べつに」と菫は言う。どう見ても何かあった様子なのに言おうとしない。
こうなると菫は言わないから、無理に訊くのは止めておいて。
――二十五、二十六、二十七。
心の中で、律儀に時間を数えた。
桜を見ながら、三百までの短い間。