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第2章 日常、戻りつつ

 翌日早朝。
 太陽が昇って間もない時刻に。
 一人の男と、パートナー達が宿から出ていく。
「少し、いいだろうか」
 そんな時間に、男――レン・オズワルド(れん・おずわるど)に近づく者がいた。
「姫神司か。こんな時間に俺を訪ねてくるということは、お前も……」
 レンの言葉に、姫神 司(ひめがみ・つかさ)は頷いて。しかし、硬い表情で彼の正面に立つ。
「大荒野の作戦の際、遺体がどこかに持ち去られたユリアナ・シャバノフの墓がある場所を、レン・オズワルドに聞いたという噂を耳にしたのでな」
「場所は、この近くだ」
「この近く、か……」
 そこは中心部から離れた、ヴァイシャリーの郊外だった。
「共同墓地です。離れた山奥も考えましたが、誰にも知られず訪れる者もいない場所は寂しいですから……」
 メティス・ボルト(めてぃす・ぼると)が、レンの言葉にそう続けた。
「そうか……。死者を悼むのは遺された者の心を慰める行為でもある。墓参りくらいは、彼女に想いを残す人々が普通に出来るように、してやりたいものだな」
 戦争は終わった。
 早く、公にできる時が来てほしいと、司は考える。
 だが、エリュシオンにどれだけの技術があるのかは、シャンバラの要人であっても判らない。
 判っているのは、有機質で出来た剣の花嫁――十二星華の死体を復活させた事、洗脳した事。クローンを作り出したこと。その技術は、エリュシオン国内にまだあると思われること。
 ユリアナの遺体をエリュシオンが……レストが手に入れたのなら、利用するであろうこと。
 戦争が終わっても、ユリアナ・シャバノフの知識や、技術は、シャンバラにとって、他国に奪われたくないもの。
 だから、彼女の遺体が国に渡れば、厳重に管理されて、当分の間、誰も参ることが出来ないということは、レンには解っていた。
 今は、まだ早いということが。彼女を利用する価値がなくなるまでは……。
 シャンバラ側も、レンが息を引き取ったユリアナを連れていったことを知らないわけではない。
 だけれど、黙認され、罪を問われてはいない。
 だから敢えて、レンはヴァイシャリーを選んだ。
 あの戦いの司令官の一人であったと思われる彼女に知らせる為にも。
 レンがここに墓を立てたという事実だけ彼女に伝われば、彼女は全て察するだろう。
「墓石には違う名を彫ってある。俺に聞かずともラズィーヤに聞けばいい」
 信頼できる人物ならば、彼女が教えるだろうとレンは言う。
「わたくしは捕虜の交換に同席するつもりゆえ、同行は出来ぬが。これを頼む」
 司は白い百合の花束をレンへと差し出した。
「渡しておこう。……お前の言うとおりだ。誰でも参れるようにしてやりたいものだな」
 レンは寂しげともいえる淡い笑みを見せて、その場を後にした。
 司は彼の後姿を黙って見守った後。
 捕虜交換に向かうために、逆の方向へと歩き出す。

 誰もいない墓地に、レンはパートナー達と足を踏み入れた。
 彼女の墓は、周りの墓と変わりない、一般的な墓だった。
 場所も端でもなく、真ん中でもなく。
 何の特徴もない墓だった。
 だけれど、立てられたばかりのその墓には、沢山の花が供えられていた。
 彼女の墓前に、司から受け取った白い百合の花束と、紅蓮の鉱石で作ったペンダントを供える。
 レンはサイコメトリで、彼女の遺品から彼女の想いを感じ取っていた。
 ユリアナは――満たされていた。
 敬愛する人の為に、自分の命を使い切り。
 結果として帰らぬ人となってしまったが、彼女の人生は満たされていた。
「しかし……それでもユリアナ」
 レンは彼女の体が眠る墓に、静かに語りかける。
「それでも俺は思うのだ」
 お前は、死ぬべきではなかったと……。
 お前は生きて、幸せを掴むべきだったと。
 全ては自分のエゴかもしれない。
 だが、ユリアナに生きていてほしかった人間は大勢いた。
「……それは紛れようもない、事実なんだよ……」
 供えられた花や物と、それを供えたと思われる人々の顔をレンは思い浮かべる。
「だから、俺は否定する」
 お前の死を。
 お前が守ろうとした相手を。
「これから始める戦いは、お前の為じゃない……これは俺と奴との戦いだ」
 だから、お前はあの世で指を咥えてみているが良い。
 死んでしまったことを後悔するくらいに。
 レンの語りかけを、パートナー達は少し離れた位置で静かに見守っている。
「そして……そしてもしあの世で逢う事があったら、その時は思いっきり俺を、俺達をなじるが良い」
 俺達とは、レンとレストの事。
「お前にはその資格があるのだから……」
 語りかけを終えた後。
 少しの間、レンは目を瞑っていた。
 そっと、ノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)が近づいて、墓前に清潔感にあふれた、白い花を手向けた。
 それから、死者を悼む歌を唄う――。
 魔法歌ではない。
 純然たる、歌。
 大丈夫と言って、手を握って励ました時の事を思い浮かべ。
(あの時のユリアナさんの温もりを私は忘れません)
 想いながら、歌声を響かせる。

 ノアの歌が終わった後。
 レンはパートナー達には何も言わずに、墓地を出て帰路へとつく。
 後からついていきながら、ふと気になって、ノアはザミエル・カスパール(さみえる・かすぱーる)に聞いてみる。
「あのペンダント。ザミエルさんと一緒に作ってきたんですよね? あの赤い石には、どんな想いが込められているのでしょう?」
 ノアの問いに、笑いながらザミエルはこう答える。
「情熱のRED。
 滾る血潮のRED。
 昔から「赤」という色には特別な意味合いがあった。
 赤は強さの象徴。
 それを身に纏う者は常に強くなくてはならない」
 それから、レンの背に目を向ける。
 赤いコートを纏った男の背に。
「あの石が持ち主に勇気と力を与えてくれるというのなら、お前の存在もまた誰かの力になれるということを証明してみせろ」
 彼女の傍にはいられない。
 だから、彼女の魂の支えになるように、レンはあの石を贈った。
 女らしいプレゼントを受け取ったこともないだろう、彼女の為に、アクセサリーにして。
「赤い服が強さの象徴なら、黒い服のザミエルさんはどんな人なんですか? そして白い私は?」
 ノアの問いに、ザミエルはまた笑いながら答える。
 悪い人さ、と。
 そして、白はお人好しだと。
「酷い……っ」
 そう言うノアの顔にも、淡い笑みが浮かんだ。

 進むべき道が違う為に、ユリアナと袂を別ったが。
 それでも、レンが彼女を守ろうとした気持ち、守ろうとした意志は――紅蓮の鉱石と共に、彼女の身体の傍で輝き続ける。

○     ○     ○


 街に人々が集まり、パレードが始まった時間。
 ヴァイシャリーを訪れたのに、祭りの方は避けて。
 共同墓地に姿を現した人物がいた。
「……すまない」
 花を手向けて、墓前で眠る女性に詫びたのは姫宮 和希(ひめみや・かずき)だった。
 自分がもっと、しっかりしていれば、と。
 和希は己の力のなさを悔いていた。
 もう少し和平が早ければ。
 それを導くことができていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない……。
「同じような思いをする奴を増やさないよう、俺は争いの阻止と平和の維持に全力を尽くす」
 決意を固めて、和希は誓う。
「レストにも、来てもらいたいと思ってる」
 和希はロイヤルガード及び、パラ実生徒会長としての名声で、エリュシオン帝国第七龍騎士団の団長であり、ユリアナとパートナー契約を結んでいた、レスト・フレグアムを呼ぶつもりだった。
「今日、捕虜交換の場に、彼は現れるそうだ。ユリアナをどう思っていたのか……その報告は、後で聞けるだろう」
 己の力や野心の為に、人を犠牲にするなんて事は許せない。
 だけれど、彼が少しでも彼女に想いを向けてくれていたのなら……そう感じ取れたのなら、誰も犠牲にしないでいい世界を共に作っていこうと、握手を求めることが出来るかもしれない。
「俺はロイヤルガードだが、女王やシャンバラだけではく、パラミタ大陸のみんなの笑顔を守りたい。国や立場の違いなんて越えて、もっと俺達は絆を結べるはずだ」
 彼女の墓には供え物が沢山あるけれど、訪れた者達が顔を合わせることは……今はなかった。
 何時かは、彼女の元に集まった者達と手をつなげると。
 平和な世界を築いていくことを誓い合うことが出来ると、信じて。
 和希は墓に――ユリアナに手を伸ばして、掴めない彼女の手と握手をして。
「またな」
 悲しみの残る瞳で、優しく言った後。
 人々が集まる街へと歩き出す。
 迷いのない目で、歩き出す。