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第1章 チェックインでご奉仕☆

 ジリリリリリリリリリリリ
 けたたましいアラームの音で、ロイ・グラード(ろい・ぐらーど)は目を覚ました。
 果てしのない悪夢をみていたようにも思うが、終わってみれば、夢をみていたのかどうかさえ、あやふやとなる。
「ふわー。よく寝たな」
 その朝もまた、いつもと変わらぬ、穏やかで平凡な目覚めであるかに思えた。
 だが。
「うん?」
 ロイは、気づいた。
 何かがおかしい。
 下半身に異常があるようだ。
 その異常とは、そこから伝わってくるはずの感覚が抜け落ちていることにある。
 ロイは、自身の身体を探った。
 そして。
「う、うわああああああああああああ!」
 ロイは絶叫せざるをえなかったのである。
 なぜなら。
「ない。ないぞ。どういうことだ。全くない。物理的にない! 嘘だ」
 ロイは、自分がまだ夢をみているのではないかと疑った。
 自身の身体に起きた異常。
 その中身は、とてもここに書き表せることではない。
「なくなってしまった。どういうことだ? 俺は……俺は、ロイ・グラード。正体不明といわれることもあるが、少なくとも男ではあった……はずだ。だが、ない。どういうことだ?」
 いくらまさぐっても、ロイの身体のそこに、ついているべきものはなかった。
「ない。ない!! ナイチンゲールだぜ!! ああ、くそ!!」
 ロイは毛布をはねのけて飛び起きると、寝巻を脱ぎ捨てて、急いで着替えを始めた。
 やけくそな心境だった。
 心が燃えるような、追い立てられるような。
 ロイが追い立てられて、向かうべきところは決まっていた。
「この原因。最近世界で起こったことで、思い当たることはひとつしかない!」
 ティンギリ・ハン。
 シャンバラ大荒野に突如現れた、パンツァーの神殿の周囲に夜な夜な出現するという、屈強のサイオニック、というか、変質者。
 ティンギリのおぞましい評判を聞いたことのあるロイは、自分の身体に起きた異変は、奴と関係があるとしか考えられなかった。
「ヤミー、パンツァーの神殿に行くぞ! 俺の身体に異変を起こした元凶を、絶つ。つまり、殺す! 大至急だ!!」
 ロイは、壁に刺した釘にかけてあった常闇の外套(とこやみの・がいとう)を乱暴な手つきで剥ぎ取ると、ふわっとまとって玄関に向かい、荒々しく飛び出す。
 行き先は、もう告げた。
「ロイ、何が起きたか知らないが、あまり熱くなるなよ。あまり根拠のないことで怒っているような気もするけど、大丈夫か? まあ、気に入らない奴をブッ殺すっていう話は面白いし、協力はするけどな。理性を完全になくしちゃ、裸の王様だからな」
 常闇の外套は、ロイの剣幕に驚きながら、なだめすかすように声をかけていた。
 ロイに何が起きたか、真相はわからない。
 だが、何かまた、変なことに、自分を巻き込もうとしている。
 そんな予感だけが、常闇の外套にはあったのである。
 そして、その予感は、確実に的中するはずだった。
 ロイとのつきあいから生まれた、偉大な経験則である。
「ごちゃごちゃいうな。神殿まで急いで行かなきゃ、日が暮れてしまうんだ。もっとも、俺のターゲットは日が暮れてから出てくるそうだがな」
 ロイはそれだけいって、道を急いだ。
 ティンギリ・ハン。
 殺す。
 絶対殺す!
 ロイの目は、怒りでギラギラと燃えていた。

 シャンバラ大荒野。
 数多くの怪奇現象が目撃されることで有名なこの原初の地域において、いま一番の話題は、何といっても、一夜にして突如出現した巨大なパンツァーの神殿に関するものである。
 あまりにも巨大であると同時に、神殿としては異色なことに、多くの「客室」を備え、巨大なホテルさながらの実態を備えた、おおいなる神殿。
 その神殿を目指して、いま、一団の人々が旅の途上にあった。
「ふう。おや、あれは? やっと何かがみえてきたと思ったら、あんな得体の知れないところで、俺の誕生日祝いをやるのか?」
 山道を登る足を止め、額ににじむ汗をぬぐって、霧島玖朔(きりしま・くざく)が、彼方にやっと威容をのぞかせた、巨大な神殿の最上部をみやっていった。
「はい、そうです。リンクス、あそこにみえる、パンツァーの神殿であなたの誕生日祝いをやりたいと思っています」
 ハヅキ・イェルネフェルト(はづき・いぇるねふぇると)もまた、足を止めて玖朔に答えた。
「パンツァーの神殿? ああ、あれがそうか。噂には聞いていたが、こうしてみてみると、ずいぶんと巨大な神殿だな。こんなに大きな神殿はみたことないぜ!」
 玖朔は、神殿の巨大さにしきりに感嘆してみせた。
「私も驚いたわ。けど、玖朔の誕生日祝いをするのにふさわしい場所だと思うわ」
 伊吹九十九(いぶき・つくも)がいった。
「おいおい、そりゃ、どういう意味だ? 俺は別に、こうまで趣向を凝らさなくたって……まあ、祝ってくれるのは嬉しいけどな」
 玖朔は苦笑して、頭をかいた。
 ハヅキが幹事となって、親しい友人たちとともに、もう過ぎてしまった玖朔の誕生日祝いをやってくれると聞き、行き先も確かめずにはるばる旅してきたのだが、その旅の終点が、まさかあの、パンツァーの神殿であるとは思ってもいなかった。
 神殿の中には、いま、各地から集まった多数のメイドが働いていて、例の「巫女」の噂のため、奉仕の志を磨くのに夢中になっているという。
 また、神殿で宿泊するとカップルの絆が一層深まると聞いて、多数の宿泊客が押し寄せているとも聞く。
 その神殿に宿泊して自分の誕生日祝いをするというのが、何を意味するのか?
 絆?
 それはもちろん、深まるだろう。
 だが。
「変態男! なに、妄想で頭膨らせてるのよ」
 考え込む玖朔の頭を、リュシエンヌ・ウェンライト(りゅしえんぬ・うぇんらいと)がこづいて、舌を出した。
「痛っ! 何するんだよ。も、妄想だって? べ、別に。何を妄想するんだよ?」
 玖朔は、リュシエンヌを睨んだ。
「ばっくれてんじゃないって。人をこんなところまで呼び出して、変な奉仕をさせようっていうんでしょ? もう、頭くるったら!」
 リュシエンヌは頬を膨らませた。
「嫌なら、帰ったっていいんだぜ。別に、祝いたくないって人に誕生日祝いをしてもらおうとは思わないぜ。なあ?」
 玖朔は、ハヅキに同意を求めた。
「……。リュシエンヌさんを呼んだのは私です。リュシエンヌさんも、お祝いしたいから来たんですよね?」
 ハヅキが、意味ありげな視線をリュシエンヌにひたっと据えていった。
 その目は、明らかに何かを語っていた。
(わ、わかったわよ)
 リュシエンヌは、自分が弱みを握られているという立場を実感せずにはいられない。
「そうよ。知らない人でもないし、お祝いぐらいはしてあげようと思ったのよ。でも、こんな……! もう」
 そういってリュシエンヌは下唇を噛んでうつむき、後の言葉を飲み込んだ。
 好むと好まざるとに関わらず、今回は、玖朔の誕生日祝いをするしかないのである。
 それもおそらく、玖朔に奉仕するという仕方で。
 胸の奥からこみあげる嫌悪感の塊を、リュシエンヌは必死に抑えこもうとしていた。

「つ、蕾。本当にこの人たち、義姉さんのことを知ってるのかな?」
 玖朔たちの後から歩いてきながら、一連のやりとりを聞いていた蘇芳秋人(すおう・あきと)が、傍らの蘇芳蕾(すおう・つぼみ)に不安そうに尋ねる。
「はい……噂では……知っている、らしいですよね」
 蕾は、低い、消え入りそうな声で答えた。
「そ、そうだよな。少なくとも、本当なのかそうでないのか、確かめなきゃ。でも、あそこ、パンツァーの神殿で、いったいどんなお祝いをやろうっていうんだろう? 蕾、コンパニオン募集だったのに、俺もついてきて、本当によかったのかな?」
 秋人は、不安でいっぱいだった。
 お祝いされる玖朔についてはみたまんまという感じだが、幹事を務めるハヅキのことが、何だかいろいろ企んでそうで、油断できない気がしたのだ。
 蕾が一人では不安だというから、秋人も行くことにしたのだが。
 実際に神殿を目にすると、どうにも、場違いなところにきた、という気がするのである。
 まさか、自分も奉仕をさせられるのか?
 コンパニオンとして?
 そんなバカな、と笑いたくなったが、蕾と一緒にコンパニオンとしてきているのだから、ハヅキの意向によっては、やはり、大変なことをやらされそうである。
「秋人様が……一緒にいてくれるから……私も、何とかやれそうです」
 秋人の想いをよそに、蕾は、観光旅行とまではいかないまでも、神秘的な場所を秋人とともに訪れることをできたことを、どこか喜ばしく感じていた。
 蕾にとって、パンツァーの神殿についての噂は、決して、ネガティブなものではなかったのである。
(あの場所は……二人で泊まると……絆が深まるといわれている……神殿……秋人様も一緒に……)
 蕾は、胸が高鳴るのを覚えた。
 コンパニオンの仕事については、あまり気にしてなかった。
 ただ、秋人が絡まれるようなことがあれば、自分が代わりに何でもするつもりでいた。
「あれれー、どうしたのかなー? 難しい顔して考えこんじゃってー? 私もコンパニオンやる予定だから、よろしくねー」
 南雲アキ(なぐも・あき)がニコニコ笑いながら、秋人に話しかけてきた。
 アキの顔が秋人の方を向くと、つられて、Gカップの巨乳がブラブラと揺れる。
「あ、ああ。よろしく……うわっ」
 挨拶を返そうとした秋人は、アキの「揺れ」を目にして、赤面した。
「秋人様……みないで……」
 蕾が、秋人の手を引いて、アキから引き離そうとする。
「でもー、男のコンパニオンって珍しいなー。意外におネエ系なのかなー? こっちの、蕾ちゃんっていうの? は、普通に可愛いですけどねー」
 アキは、蕾をみて、ニコニコと微笑み続けている。
 自分とは違うタイプ。
 やはり、男の人は、こういう女性の方がいいのだろうか?
 蕾は、アキをみると、微妙なコンプレックスを感じるのだった。
「お、おネエ系って、そんなこと……。いや、コンパニオンっていうか、俺はただ蕾が不安だっていうから……うん、まあ、何ていうか」
 秋人は、アキの胸から必死に視線をそらせながら、どぎまぎして答えている。
「私も、もともとコンパニオンといいますか、神殿のメイドとして働こうと思って旅してたんですけれど、途中でハヅキさんたちと知りあって、募集してるというお話ですから、やってみようかしらと思ったのですわ。正確には、私のことをじろじろ観察されて、向こうに雇われたって感じなのですけれど。でも、ドキドキしますわね」
 八塚くらら(やつか・くらら)も、会話に加わってきた。
 実際に神殿を目にするとどこか感慨深くなる、というのは、おそらく、一行の共通した認識だっただろう。
 パンツァーの神殿。
 そこからは、確かに、人と人とを結びつけやすくさせてくれる、不思議な安らぎのオーラが感じ取れたのである。
 そのオーラの源が、果たして噂のとおりパンツァーという「神」なのかどうかはわからなかったが。
 難しいことはわからないが、とりあえず、くららは、神殿で働けるということを好ましく感じていた。
「ところで、雇って頂けたのは嬉しいんですけれど、謝礼はどのようなかたちになるのでしょうか?」
 くららは、ハヅキに尋ねた。
「まあ、それは……働きに応じて、ですね。御礼は、リンクスから直接、して頂けます」
 ハヅキは、淡々と答えた。
「は? 俺が御礼って? 金なんかないぜ」
 玖朔は驚いていった。
「……」
 ハヅキは何もいわない。
 くららはきょとんとしていて、アキはニコニコ笑っていた。
 リュシエンヌは、何か感じるものがあったのか、嫌悪感がより一層強まったようで、しかめ面が発展していまにも吐きそうな顔になっている。
(御礼……要らない……秋人様のお義姉さんのことを聞ければ、それで……いい……)
 蕾は、秋人の背中の後ろに隠れながら、ただパートナーのことだけを考えていた。
 このように、それぞれの想いを抱えながら、旅人たちは、神殿に向かっていたのである。

「ああ、やっと着いたぜ。疲れたー」
 神殿の入口にたどり着くころには、玖朔の疲労は頂点に達していた。
 足が棒のようで、お腹も空いていたし、お風呂に入って、早く横になりたかった。
 むろん、パンツァーの神殿には、食堂もあれば、温泉もある。
 希望のほとんどはかなうはずだが、唯一、「早く横になりたい」というのは無理かもしれなかったのである。
 だが、その時点では、玖朔も夜に何が起きるかわかっていなかった。
「いらっしゃいませー! パンツァーの神殿にようこそ!」
「いらっしゃいませー! お客様ー!!」
 玖朔たちの到着を知ったメイドたちが、次々に神殿の奥から駆けてくる。
 奉仕の志を極めんという気概にあふれたメイドたちは、みな一様に、正座をして、三つ指を突いてお辞儀をするので、玖朔たちは何だか照れてしまった。
「うわ、いいって、いいって。そこまでへりくだる必要はないぜ」
 頭をかく玖朔の脇から、ハヅキがつかつかと進み出て、フロントのメイドに話しかけた。
「8人泊まれる部屋、空いてますか?」
「いらっしゃいませ!! 8人ですか? うわー、大人数ですね!! うーん、空いてるでしょうか? ちょっとお待ち下さいませ」
 フロントのメイドは、目を丸くして、台帳をめくり始めた。
「ファミリー向けの、4人ぐらいで泊まれるお部屋ならあるんですがー」
「一番大きな部屋でいいですよ。寝るときは雑魚寝ですから、ある程度のスペースがあればいいです」
 ハヅキは、鋭い目つきでメイドをみつめて、いった。
「えー? それでも、8人では狭いですよー。あらあら、どういたしましょう」
 目を丸くするメイドに、ハヅキは問うた。
「あなたたちメイドの部屋は、どのくらいの広さですか?」
「えっ? 私たちのは、そうですね、交代で6人ぐらい寝られる部屋もいくつかあるんですが、でも、そんなとこ、汚れてますし」
「いいですね。その部屋のひとつを使わせて下さい」
「本当に? いいんですか?」
 メイドは、ハヅキの目をしみじみとみつめた。
「構いませんよ。ただ、掃除はきっちりやって欲しいですね」
 ハヅキは、淡々といった。
「かしこまりましたー。大至急、お掃除いたしますので、その間、食堂で休んでいらして下さい! ちょうど、食事の準備が終わるところですしー」
 メイドはそれだけいうと、部屋を片づけるため、仲間のメイドに声をかけながら、あたふたと駆けていった。
「へー、うまくやるじゃないか。さすが名幹事だぜ!」
 玖朔は、ハヅキの肩を叩いて、いった。
「みなさん、聞いてのとおりです。とりあえずは、食堂へ行って、温泉に浸かって、それから部屋でゆっくりお祝いをしましょう。荷物は、メイドさんたちに預けて、部屋に入れておいてもらいましょう」
 玖朔の方をみることもなく、ハヅキは、てきぱきと他の友人・知人・コンパニオンたちに指示を出していった。
(温泉……秋人様……一緒に……やはり、水着なんですか?)
 蕾は、内心の想いを隠しながら、秋人の顔をみやった。
「あー、腹減った。とりあえず、食べないとね。うん、何だ?」
 秋人は、蕾の顔を不思議そうにみかえす。
「何でも……ないです……」
 ちょっと恥ずかしいことを考えていた蕾は、その考えを見透かされたように感じて、顔を赤らめた。