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66


 お盆の時期ということで、ナラカから死者がパラミタへ来ている、というニュースで持ちきりになっている中。
 レイカ・スオウ(れいか・すおう)は普段通りに過ごしていた。
 起きて、着替えて、お茶を淹れて、飲んで。
 ほっと一息ついてから、自分の周りのことを考えてみた。
 両親らは、十歳で家を捨てた時に繋がりを絶った。連絡も、一度だって取っていない。
 ――あの人たちのことです。きっと今も生きているでしょう。
 レイカのことを疎み、陰湿な嫌がらせをしたりあからさまな悪意を向けたり、そんな図太い人たちのことだ。きっと想像通り、私服を肥やして幸せに生きているのだろう。そう思うと思わず眉根が寄った。
 さて、では地球に残してきた面々に関わりがないとするならば、パラミタで出会った人はどうだろう。
 ――……逃げるようにやってきた私には、迎えるべき人など居ませんね。
 自問しておきながら愚問だった。やれやれと息を吐く。
 と、遠くで空砲が鳴った。祭りの開始を報せる音である。はっとしてレイカは椅子から立ち上がった。
 ――死者に構っているような場合じゃありません。祭りですよ、祭り。
 何せ今日の祭りはカガミ・ツヅリ(かがみ・つづり)とのデートである。気合を入れねばならない。
 ――ああ、何を着ましょうか。浴衣? いえ、それでは気合が入りすぎでしょうか。もっとこう、普段通りの格好で……。
 自室に戻り、姿見の前で服を合わせて考える。が、どれもなんだかぱっとしないというか、しっくりこないというか……折角の夏祭りなのに、無個性になってしまっているというか。
 ――やはり、着物で勝負ですね。
 クローゼットから、丁寧に保管されていた着物を取り出す。紫色の生地に菖蒲の花が散りばめられた大人っぽいデザインのものだ。
 久しぶりの着付けなので、少々苦戦したけれど。
 出かけようと決めた夕方には、十分に間に合った。
 待ち合わせ場所で、カガミを待つ。
 カガミが着たらまず何をしよう?
 手を繋いでも、いいだろうか。それとも、人目があるから許してもらえない?
 だけど、祭り会場はそれなりに混雑しているし、はぐれないためにも手を繋げるかも。
 なんて、淡い考えを浮かべていたら、
「待たせたか?」
 カガミの声が、聞こえた。
「あ。カガミ、浴衣なんだね」
「夏祭りだからな。レイカこそ着物姿だろう?」
「だって夏祭りじゃない。……ふふ、私たち、考えることが同じだったんだね」
 そんな些細な共通点に嬉しくなって、一緒に歩き出す。
 屋台を回り、綿飴を買って一緒に食べたり、りんご飴を買って思いのほか硬かった飴に悪戦苦闘したり、たこ焼きを半分こしたり……。
 ――って! 食べ物ばかりじゃないですか! 私ったら色気もへったくれもない……!
 気付いて、内心で頭を抱えた。これじゃいくら着物を着て和服美人になったとしても、食い意地の張っているお子様だ。
 けれど、カガミは楽しそうにしてくれている。なら、自分もこんな些細なことを気にするのは、やめよう。
「次は何を食べようか?」
「そうだな……定番のカキ氷なんてどうだ?」
「いいね! シロップかけ放題のところでレインボーにして食べたいな」
「それは……最後の方で後悔すると思うぞ? 色的に」
「いいのっ。楽しんだ方が勝ちなんだから」
 会話を弾ませながら、歩いて回った。
 いつの間にか、手を繋いで。


 ひゅるるるる、と空に音が上っていった。
 どおん、と空中で弾ける。
「あ。花火、やっぱりやるんだね。夏祭りだもんね!」
 音に、レイカのテンションが上がった。
「ねえカガミ、高台へ行こうっ。ベストポジションを得るの!」
 くいくいとカガミの手を引いて、高台へ向かう。
 幸い陣取った場所にはほとんどひと気がなく、しかも花火もよく見えるという良スポットで。
「……綺麗だねえ……」
 思わず花火に見惚れた。
「ああ」
 肯定する声に、そっとカガミを見遣る。
 端正な顔立ちが、上がる花火に照らされる。
 ――ここでカガミを綺麗だと思うなんて、男女逆転ですよねぇ……。
 でも、そう思ってしまった。
 綺麗な人だ、と。
 ――もしここで、こうやって花火を見ながらキ、キ、キ……キス、……とか、……できたら憧れですよ、ね……!
 実行に移すほどの勇気はなかったけれど。
 それに、カガミの表情は、どこか思い悩んだようなものだったから。
 キスしたい、されたい、という気持ちより、心配が勝ってしまった。
「カガミ。……どうか、した?」
「? どうか、とは?」
 何を言っているのだ、とでも言いたげに返されて、ただの見間違いだったのかな? とレイカは首を傾げる。
「何か、言いたそうにしていたから」
「…………」
 その一言に、カガミが黙った。あれ、と再びレイカは首を傾げる。
 どれほど無言の時が流れただろう。
 花火が上がる音がしても、空を見ることも出来ず。
 ただ、互いを見詰め合う。
「レイカ、オレは……」
 ようやくカガミが口を開いたとき、花火はもう終わりに近付いていた。どどん、どん、と連続で打ち上げられている。さっきまではあれほど綺麗だと思っていたのに、今は少しうるさく感じた。だって、カガミの声が聞こえない。
「いや、オレの身体は、ウィルスに侵されているんだ」
「……え?」
 聞いたこともない話だった。突拍子もない話だった。だから意味を解するのに時間がかかった。ああ、花火の音がうるさい。
「オレは、何十年も前に遅効性のウィルスを植え付けられたんだ」
 困惑するレイカへ、カガミが言葉を続ける。
「そのウィルスによって、オレの身体は蝕まれ続けている」
「……どうなるの。蝕まれたら、カガミはどうなるの」
「死ぬ」
 たった二文字。
 なのに理解できなくて、したくないと頭が拒絶して、でもどこか冷静な自分が、ああこれでお盆に縁のある人が出来てしまうのか、なんて冷徹なことを考えた。
「詳しい余命はわからないが……恐らく二、三年だとオレは思っている」
 頭の中が真っ白だ。
 二、三年。長いのか短いのかすらわからない。
「レイカを支えると……誓っておきながら、すまない」
 謝るなんて、ずるい。
「……すまない」
 しかも二回も。
 何も言えないじゃないか。
 これじゃあ、何も。
 ただぽろぽろと零れてくる涙を、拭うこともできずに立ち尽くした。
 立ち尽くすレイカを、カガミがぎゅっと抱きしめる。
 唇に、カガミの唇が重ねられた。
 ああ、あんなにロマンチックだと、憧れだと思っていたシチュエーションでのキスなのに。
 どうして、こんなに辛くて苦しいの。
 止まらない涙で乱された呼吸に喘ぎながら、レイカはカガミを抱きしめた。
 ただ、抱きしめ合うことしか、できなかった。