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【ザナドゥ魔戦記】ロンウェルの嵐

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【ザナドゥ魔戦記】ロンウェルの嵐

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第6章 居  城

 早朝、奪還部隊が人目を避けてロンウェルに侵入をはたしたころ。ロノウェの城ではロノウェの副官ヨミが、執務室で次々と訪れる魔族軍兵からの報告を受けていた。
 ただし、執務机に向かっているのは本郷 翔(ほんごう・かける)である。もともとバルバトスの秘書として役職を得た彼だったが、アガデでヨミの目にとまり、そのままロンウェルへと連れて来られたのだ。
 ヨミとバルバトスの間でどういった交渉が行われたのかは分からない。だが迎えや帰還を促す手紙が届かないところをみると、彼の配属替えはスムーズに決まったのだろう。彼は今、ロノウェ側のコントラクターだった。
(まぁ、どちらの側でもすることは同じですしね)
 未処理箱に入った裁決前の書類の束を見て、納得する。
 領地から定期的に届くそれらに目を通し、ロノウェの判断を仰ぐ必要があるものか、ヨミでいいか、自分で勝手に処理していいものか分類し、指示を受ければそれが滞りなく進むよう手配する。数日それを繰り返したあと、ヨミはほとんどの判断を翔に任せていた。信頼を得たというのかもしれないが、翔は仕事が増加して大忙しだ。使者を出し、職人に手配し、領地からの訴えの真偽を把握するため必要であれば兵を偵察に出す。その合間には執事長として女中頭や執事たちに指示を出し、城内のことに目を配る。
 仕事は常に山積しており、日々休む暇もないほどだったが、同時に翔はほっとしてもいた。
 なんというか……ここは「健全」なのだ。人間への憎悪と敵意に固まったバルバトスが治めるメイシュロットやバルバトス軍とはあきらかに違う。ロノウェの、規律を重んじる教育と不正を良しとしない精神が末端まで行き届いている。ロンウェルの街にも何度か出てみたが、彼らが角や牙を持つ魔族であるという以外、人間の街との違いを見出せなかった。
 商売人は汗を流して働き、女性たちは家の心配を屈託なく話し、子どもたちは歓声の声を上げて走り回る。争いがないわけではないが、殴り合いのケンカなど、人間の世界でも日常茶飯事だ。人間である翔にも、にこやかに応対してくれる。
 最初は彼をうさんくさがり、遠巻きにしていた城のメイドたちも、日に日に信頼を寄せ、彼の指示を仰ぐようにまでなってきている。
 自分が必要とされていると実感できることが、翔にこの地への愛着を徐々に生み出していた。
 この地の魔族なら、あるいは、人と魔族の妥協点を探り、共存への道を見つけられるかもしれない。――アガデでのことを思えば軍兵には人間蔑視が根強いかもしれないが、彼らの尊敬するロノウェやヨミを説得して変えることができれば、あるいはそれも変えていくことができるだろう。
 少なくとも、絶望的で己の無力さを噛み締めるしかなかったメイシュロットと違い、ロンウェルにはまだ可能性がある。
 報告を終えて出て行く歩哨の言葉をひと通り書き取り終えた翔は、ざっと流し読み、確認して、報告書の山の一番上に積む。そうして、部屋の中ほどでプリムローズ・アレックス(ぷりむろーず・あれっくす)にまるで人形のように膝抱きにされているヨミへと目を向けた。
 ここへ連れてきてくれたヨミへの感謝の念が湧き起こる。椅子を引いて立ち上がり、膝をついて目線を合わせた。
「ヨミ様、お疲れではありませんか? 何か飲み物をお持ちしましょうか。疲れをとるのに最適の、熱くて甘いミルクティーなどどうでしょう?」
「ほしいのです」
 うなずき、次いで部屋の中のほかの者たちを見回す。
「皆さんはいかがでしょう?」
「そうねー、私ももらおっかな。大ちゃんはどうする?」
 プリムローズの呼びかけに、窓から外を覗いていた毒島 大佐(ぶすじま・たいさ)が振り返った。組んだ腕には包帯が巻かれている。
「ん? ああ……じゃあ同じのを。ただし砂糖抜きで」
「アルテミシアはー?」
「いらない」
 黄金の銃を磨く手をとめず、アルテミシア・ワームウッド(あるてみしあ・わーむうっど)は愛想のない声でぼそっとつぶやいた。
「やぁねぇ。アガデから戻って、ずっとあの調子なんだから。そろそろ思い切ればいいのに。ねー? ヨミちゃんっ」
 と、膝の上のヨミを見る。
 ヨミは、式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)からもらった自分とそっくりの等身大ヨミちゃん人形を腕に抱いて、アルテミシアを見上げていた。
「何なのです?」
 茶色のくせっ毛から覗く、まんまるの黒い目。そのきょとんとなった表情も愛らしい。
 たまらず、アルテミシアはぎゅーっと抱きしめた。
「うあー、もふもふーっ。ヨミちゃんってほんと、かわいーっ」
 すっかり人形扱いだ。外見3歳児とはいえ、本年齢は軽く数百歳を超えているのだが。
「ああっヨミ様っ」
 ちょっとあわてる翔。
 しかしヨミはこういうことに慣れていた。彼の世話係りたちはしょっちゅう彼をハグしてかわいがってくれるし、ロノウェも彼が望めばいつだって抱きしめてくれる。自分の周りにいる女性はそういうものと、ヨミは考えていた。
「ヨミちゃんだいすきー」
「……ぷふっ。ありがとうなのですー」
 しっぽぱたぱた。
 プリムローズもヨミも、どちらも笑っているのを見て、翔は伸ばしていた手を下ろす。
「ヨミ様、これをお持ちいただけませんか」
「何です? これは」
 翔が差し出した物を見る。それは、細い銀鎖についたオーバル型の緑石だった。
「ロンウェルへ招いてくださった、お礼の品です。お守りのようなものです。ぜひ身につけていてください」
 禁猟区のかかったそれを、さっとヨミの首にかけて、翔は退室した。
(ついでに待機室を覗いて、兵に余裕があるようでしたらもう少し城内と庭園の見回りを強化させておきましょうか。もしもということもありますからね。
 ああ、それと、明日はメイドたちに言ってロノウェ様のお部屋のカーテンをクリーニングに出させないと。ヨミ様の分はまた後日にするとして……南館の傷んだタペストリーの修復の手配がどうなっているかも確認しないくては……)
 厨房へ続く暗い廊下を進むうち、翔の思考は次第に城内への差配にそれていった。




 一体、なぜこんなことになってしまったのか。
 執務室に面した廊下の窓に額を押しつけ、庭園を見下ろしながら、九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)はぼんやりと考えた。
 ザナドゥの侵攻が始まってからの出来事を、つれづれに振り返ってみる。
 パートナーの悪魔シン・クーリッジ(しん・くーりっじ)が、思い詰めた表情で「ダチを裏切りたくない、ザナドゥに戻る」と告げた日。
 家族がバラバラになるのがいやで、彼とともにザナドゥ側につくと決めたこと。
 南カナンで2人の魔神と相対したとき。
 そして東カナン、アガデの都におけるジェノサイドの夜……。
「……っ……」
 今もまだ、思い出そうとするだけで、激しい胸の痛みに襲われる。
 アガデ炎上のあの夜。
 ジェライザには記憶がなかった。
 最後に覚えているのは、一面燃え上がった中、魔族から逃げ惑う人々の姿。そして地に額をすりつけ、自らの死を願ったこと。
 医師として人の命を助ける身でありながらこのような事態を招いた自分など、虫けらにも劣る存在だと……この世に生きる価値などないと、心底から思った。八つ裂きにされて、うす汚れた路地にでも転がって死んでいくのがふさわしい。
 だが閉じていた目を開いたとき、見えたのは、シンだった。
『シン……』
『ロゼ……ロゼ! ロゼ、ロゼっ!!』
 今にも取り乱しそうな顔で彼女を見下ろし、揺さぶっていた。
 シンの言葉を借りると、彼女は「狂って」いたらしい。
 ジェライザから預かった家族を安全な場所へ送り届け、戻ってきたとき。ジェライザは笑いながら足元の倒れた騎士に向かってカーマインを撃っていたという。幸いにも弾は当たっておらず、すべて地面に命中していたそうだが。
 人に向かって銃を乱射したというのもにわかには信じがたかったが、シンがそんな嘘をつくはずがないから真実なのだろう。
 結局、あんなことをさせたバルバトスの元へは戻ることもできず、こうして流されるまま、気がつけばロンウェルでロノウェの城に身を寄せている。
 自分を「からっぽ」と評したロノウェ。
 あのときは信じなかったが、今の自分はまさにその通りだ。
 魔族という嵐に翻弄され、誇りも、品位も、何もかも失った。
 今はただ、がらんどうで、風が吹き抜けているだけ……。
「なぜ、こんなことに……」
 望んだのは、こんなことではなかった。
 どんなときも家族が一緒であること。
 それを望むのは、そんなに悪いこと? こんな思いをしなければならないほど、だいそれた願いなのか?
「ロゼ……」
 ためらいがちに名を呼ぶシンの声が背後でした。
 シンになさけない姿は見せられない。
「どうした?」
 背を正し、笑顔をつくろって振り返る。
 だがそこにいるシンの、すべてを悟って気まずそうな目を見た瞬間、ジェライザの中で何かがガラスのようにもろく砕けた。
「ロゼ」
「見るな、シン」
 そんな、同情の目で。私を見るな。これ以上、みじめにさせないでくれ。
 両手で隠し、再び背を向けようとするジェライザの肩をシンが握り止めた。
「ロゼ、ごめん。何もかも、オレのせいだ。ダチと戦いたくないと言ったばっかりに……おまえをこんなに追い詰めるつもりはなかったんだ」
 アガデで見たジェライザの姿はショックなんてものじゃなかった。
 オレを「家族」と言ってくれるジェライザ。あのまま、二度と彼女が元に戻らなかったらと思うと、いまだに震えがくる。
「見るなと言うなら見ない。だからそのままで聞いてくれ。
 オレがおまえをここに連れてきた。ロノウェ様はもの言いはきついし、融通がきかなくて厳しい方だけど、不当には扱わない。少なくとも、バルバトス様より話が通じると思う」
「だが、私たちはバルバトス軍所属で……」
「大丈夫だ。前例がないわけじゃない。ヨミ様がバルバトス様に交渉して、ロノウェ軍に配属替えになったヤツがいるんだ」
「しかし……」
 ジェライザは不安だった。南カナンでバルバトスに釘をさされているのだ。もし自分が裏切れば、罰を受けるのはシンだと。
「平気さ。オレたちはべつに魂を取られてないし。バルバトス様のそばに近づかなきゃいいだけの話だ」
 そういう単純な問題なのだろうか? 怪訝がるジェライザを励ますように、シンは肩を掴む手に力を込める。
「とにかく、今はこんな状態だから無理だろうけど、ロノウェ様が戻ったら一度落ち着いて話し合うといいと思う。なんならヨミ様でもいい。約束してくれ」
 もうあんなロゼは見たくない。今度また同じようなことが起きたら……元に戻るという保証はどこにもないのだ。
 ジェライザは振り返り、シンと視線を合わせ、涙のにじみが残る目でかすかに笑んだ。
「ありがとう……シン」


 

「まったく、ティアには困ったものだ」
 一夜明け、何事もないか、アナトの部屋に確認しに行った帰り道。高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)は周囲に人目がないのをいいことに、そう吐露した。
 ザナドゥへ降りてもう大分経つというのに、いまだに腑抜けたままだ。こうして降りた以上、どうにもならないのだから、さっさと気持ちを切り替えればいいものを、いつまでもうだうだと。
 大体、一緒に来いと言ったわけじゃない。ザナドゥや魔族が嫌いなのは知っているから残れと言ったのに、ついて来たがったのは自分ではないか。なのに何かと、ひとを非難するような、訴えるような目で見て、ぐじぐじと言いよどんで……。
 今もそうだ。気にかけて様子を見に行った彼を、ちらちらと下から盗み見るようにして
「……いえ、べつに……。あの、シュウ…………あ……ううん、何でもないの……」
 彼について戻りたそうな、まるで捨てられた子犬のような目で去って行く彼を見つめていた。
 ロンウェルに来てからずっと、いつも彼女はそんな目で彼を見ていた。魔族と積極的にかかわろうとする彼を責め、地上へ戻ると言い出すことを期待し、今の自分のみじめさを無言で訴える目。
 彼が彼女の望んでいた――勝手に妄想して作り上げていた「玄秀」と違ったからといって、何だというのか。
 彼女にはそれなりの好意を持っていたが、それでも限度というものはあった。常に理想を高く持ち、それに向かって努力する姿勢は立派とは思うが、反面自分の理想と価値観しか認められないあの視野の狭さにはいいかげん辟易させられる。そろそろ忍耐も尽きそうだった。
「これで、あのまま役に立たないというのであれば、いっそ――」
 見切りをつけるか? そんなことを思案しつつ、階段に出たとき。
 踊り場の窓から、何者かが飛び込むかすかな音がした。
「……おや。見つかってしまいましたか」
 ふわりと風にふくらむカーテンの下、床に着地した姿勢のまま階下の玄秀と向き合って、六鶯 鼎(ろくおう・かなめ)はつぶやいた。独り言だったのだが、意外にも声が響いて玄秀の耳まで届く。
「あなたは?」
「んー?」
 さて、獣も鳥も裏切った蝙蝠としては、ここでどう答えるべきか?
「もしや、バルバトスの手の者!?」
 ためらいから察した玄秀の手がかまえをとる。それを、鼎は手を振って退けた。
「違います。私は味方です。たしかに魂は取られてますけどね、これはいわゆる名誉の負傷というもので、命令で操られたりはしてませんよ」
 もちろん忠誠だって誓ってはいない。
「では、なぜここにいるんです? あなたはロノウェ側のコントラクターでもないはずです。そうやって窓から侵入したのを見ても、それはあきらか」
「最近宗旨替えしたんです」
 鼎はあっさり肩をすくめて見せる。
「あちらの魔神より、こちらの方が良さそうですから。お疑いなら、えーと、ヨミちゃんでしたっけ? そちらの元へ連れて行って、命令を受けてもかまいません。そうすれば決して裏切らないと分かるでしょう?」
 それは本意か、それとも何かのたくらみか。
 懸念し、あくまでかまえを解かない玄秀を見て、鼎は嘆息をつく。
「ではもうひとつお知らせしましょうか。
 先ほど庭を通ってくるときに、バルバトス側のコントラクターが東の――」
 言い終わる前に。
 激しい爆発音と何か固い物が崩れる振動が伝わってきて、床を激しく揺さぶった。
「……おや」
 遅かったか。