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あの頃の君の物語

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あの頃の君の物語
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傭兵『グランギニョル』〜グレン・アディール〜

 冷たい雨がしとしと降る。
 その雨は敗残兵たちの心をより冷たくしていった。
「……おい、あれ、見ろよ」
 腕に包帯を巻いた傭兵の一人が、あごで一人の子供を示す。
「あれか……」
 物のように、あれと言われる少年。
 しかし、傭兵たちの言葉には冷たさだけでなく、微量に違う感情がこもっていた。
「また生きて帰ったんだな」
「腹も肩も心臓の近くも斬られて、なお、生き残ったらしいぜ」
「ずいぶん耐久性のいい捨て駒じゃねえか。まぁ『グランギニョル』にとっちゃ、いいリサイクル品だぜ」
 彼らは傭兵『グランギニョル』の隊員だった。
 『グランギニョル』の隊員数は常に十人前後だが、彼らは身寄りのない戦災孤児を拾い、戦闘技術を叩き込んで戦力としていた。
 もちろん戦力といっても急ごしらえの子供兵など本当の意味での戦力にはならない。
 戦災孤児たちは捨て石として使われるために拾われているのだ。
 どうせ元々死んでいた命だ、親元に行かせてやるなら善行だろうと傭兵たちは良心の呵責などみじんもなかった。
 そんな子供への哀れみだの良心の呵責だのは、戦場では弾丸一つの価値もない物なのだから。

 
 彼らの笑いはその少年グレン・アディール(ぐれん・あでぃーる)の耳にも入っていた。
 しかし、グレンは何も言わなかった。
 そもそもそういう時に何か言うものなのかさえ、グレンにはわからなかった。
 グレンは幼い頃から戦場にいた。
 その前の記憶はほとんど無い。
 ただ、焼け焦げた街の中に自分がいたことだけが脳裏に焼き付いていて、その後は戦闘技術を叩き込まれるだけの生活だった。
 その生活に疑問を持つことすら無く、グレンは生きていた。
「だから……なんだ」
 グレンの口からそんな言葉が漏れる。
 捨て石として戦場にいるから何なのか。
 生き残って帰ったからといって何なのか。
 生も死もグレンにとって何の意味もない。
「やあ、無事に帰ってきたみたいですね、グレン」
 グレンの後ろから柔らかい声がかかった。
 戦場に似つかわしくないその声の持ち主は、外見も戦場に似つかわしくなかった。
 穏和な表情を浮かべた男の方に振り返り、グレンは抑揚のない声でその男の名を呼んだ。
「……ボルド」
 グレンにボルドと呼ばれた人物は二十代後半の男で、腕には衛生兵を示す腕章が付いていた。
 ボルドはグレンを見て微笑んだが、二の腕の傷に気付くと表情を歪めた。
「グレン、その二の腕のところ、ちゃんと治療したのですか?」
 血の滲んだ包帯が巻かれた二の腕を、ボルドが心配そうに見つめる。
 しかし、その二の腕の持ち主であるグレンは他人事どころかそこらに転がる鉄くずでも見るような目で、自分の二の腕を見た。
「……問題ない。くっついては……いる」
「くっついてはいる、ではないですよ。こちらに来てください。ちゃんと治療しなおします」
 ボルドはグレンの手を引き、医療品のあるテントに連れていった。
 柔和な性格のボルドだが、怪我や病気となると有無を言わさなかった。
 グレンはされるままにボルドに治療され、真新しい包帯を巻かれた。
「こんな新しい包帯……どうしたんだ?」
「買ったんですよ」
 事も無げに言うボルドに、グレンはほんの少しだけ眉を寄せる。
「…………自分の金、無駄に……使うなよ」
 先進国の街中の病院ならともかく、こんな紛争の激しい明日をも知れない地域で新しい包帯など使われることはない。
 古い包帯を洗って使われるなら上等。
 死んだ者の服を裂いて作った物でもまだいい方で、そもそも使い捨ての駒に治療をしてやるなど無駄と思うのが当然の世界だ。
「無駄じゃないですよ。せっかく戦いで生き残ってきたのに、感染症にかかって死んでしまったら、意味がないでしょう。そうならないように出来るだけのことがしたいのです」
 ボルドはそう言うと、小さく笑った。
「でも、私のことを気遣ってくださるなんて、グレンはいい子ですね」
「…………は?」
 意味の分からないことを言われて、グレンはどう答えていいか分からなかった。
 そのグレンにボルドは濡れた布を渡した。
「埃で汚れた顔、拭いておいたほうがいいですよ。せっかく端正な顔してるのにもったいないです」
「…………」
 顔になんて意味があるのかと思ったが、グレンは黙って顔を拭いた。
 後でこれを返そうと思いながら、グレンはボルドを見送った。


 仮の睡眠場所を与えられたグレンはそこで眠りについた。
 グレンにとって眠りとは安息ではなく、戦いと戦いの合間の作業の一つでしかない。
 それでも体を休めるため、グレンは瞳を閉じた。


「誰か……………誰…………か」


 声が、する。
 眠るグレンの頭の中に直接響くように、あるいは遠い空の上から聞こえるかのように。
 その声は聞こえてくる場所も声質も良く分からなかったが、グレンの元に届いているような気がした。
「どうか……聞こえる……なら、どう……か……」
 何を願っているのだろう。
 何を求めているのだろう。
 だが、その言葉を明瞭に聞き取ることすら出来ないまま、グレンは朝を迎えた。


「誰かの呼ぶ声ですか。ふむぅ……」
 ボルドはグレンの話を聞き、小さく唸った。
 グレンは気軽に人と口を利くようなタイプではない。
 常に無言で、人を近づけない雰囲気があり、どんな戦場に行っても誰とも馴れ合わなかった。
 しかし、ボルドとの関係は少し違った。
 それはボルドが他の大人と違ったからだ。
 この少し頼りなさげな男は、その外見を裏切り、強い心で荒んだ戦場に染まらなかった。
 グレンのような戦災孤児を使い捨ての駒として扱う他の傭兵とは違い、ボルドは子供の面倒見が良く、大切に接してくれた。
 子供は人の好意に敏感だ。
 親の愛すら覚えていない子供たちはボルドの優しさを愛した。
 グレンも最初はボルドに心を開かなかったが、ボルドが死んだ子供を見て本当の涙を流すのを見た時から、少しずつ話をするようになった。
 そして、ボルドはグレンにある物を与えた。
 それは、名前。
 戦場に2、3回出れば死ぬだろうと思われていたグレンは名前を呼ばれることもなく暮らしていた。
 自分の元の名前は覚えてないし、おい、とか、そこの傷だらけの坊主とか呼ばれれば大体自分だと分かるので問題ないと思っていた。
 でも、ボルドはグレンに名前を与えた。
 それにどれほどの意味があるのか当時のグレンには分からなかった。
「なんですかね。就寝中にだけ聞こえる声……うう〜ん……」
「……多分、空耳だ」
 考え込むボルドを見て、グレンはそう自分で結論づけた。
 しかし、ボルドは真面目な顔で答えた。
「本当に……声がしたのかも知れませんよ」
「……?」
 グレンはボルドの言葉の意味が分からず、視線でその意味を問うた。
 ボルドは自分の両手を組みながら静かに語った。
「私も詳しいことは知らないのですが、この地には古い伝承のある遺跡があるらしいですよ」
「古い伝承?」
「民族紛争で民俗学的な資料はほとんど失われてしまったので、調べようがありませんが……私が子供の頃に聞いた話では、古代の超文明に関わる物があるとか」
「超文明……ね」
 胡散臭い話だと思ったが、それよりもグレンには気になることがあった。
「子供の頃に聞いたって……」
「ああ、私の故郷はここから近いんです」
 ボルドは小さく笑い、自分のことを語った。
「まあ、故郷と言ってももうありません。私の故郷は元は三つの民族が仲良く暮らしていたのですが、些細な諍いをキッカケに民族紛争が起きてしまい、内戦になって、今や紛争地域の一つになってしまいましたから……」
 そんな地域はこの地球には山のようにあるんですけどね、とボルドは付け加えた。
 山のようにどころか、グレンはそんな土地しか知らない生活をしていた。
「ここの戦闘が落ち着いたら、私の故郷に足を運びませんか? グレンに話したいこともありますし……」
 グレンに特に拒否する気持ちはなかった。
 何かをしろと言われればするし、何かをされるならばそれを黙って受け入れる。
 グレンはそんな子供だった。
「……ああ」
 そう答えたグレンに、ボルドは優しい笑顔をほころばせ、グレンの黒い髪をぽんぽんと軽く撫でた。
「それではその時を楽しみに」


 戦場に、まさか、はない。
 でも、1日前の自分に話してもこんな光景は信じないだろうと思った。
 2m以上の大男が『グランギニョル』の屈強な傭兵たちを千切っては投げ……物言わぬものにしていっていたのだ。
「き、貴様はド…………」
 一人の傭兵がその名を口にしようとした時、その口は永遠に塞がれた。
「…………」
 グレンは何をすればいいのか分からなかった。
 その大男は敵と呼ぶにはあらゆる意味で大きすぎた。
 もはや自然災害と呼んでいいレベルだと思った。
 男の振り回した物がグレンにも飛んできた。
 グレンはそれに当たり……そのまま倒れ込んだ。


 グレンが次に気がつくと、頭に包帯が巻かれていた。
 綺麗な新しい包帯が。
「ああ……良かった、グレン」
 かすんだ視界の先にはボルドの姿があった。
「……ボルド?」
「良かった、最期にあなたに会えて」
 最期という言葉に、グレンの意識が急激にハッキリとした。
 そして、下半身が何かに轢かれたようなボルドがそこにはいた。
「どう……した……」
「あ、昨日の大男が来た時に混乱した傭兵がいて……その傭兵が逃げようとして走らせたトラックに轢かれてしまいまして」
「なんで、そんな状況で俺の治療なんて……」
「自分がどんな状態であろうと、仲間を助けるのが衛生兵ですよ」
 弱々しい笑みでボルドは言い、続けて小さく笑った。
「それに、息子に……と望んだグレンを置いていけるわけ……ないじゃないですか……」
 その言葉にグレンは驚いてボルドを見た。
 目がかすんでいるのか、ボルドの瞳の光がうつろになっている。
「こういう時って…………何を言い残すのがいいのですか……ね。……困ったことに、何も思い……つか…………」
 その言葉と共にボルドはグレンの上に倒れ込んだ。
 グレンは声にならない悲鳴を上げた。
 今までどれだけの数の死に直面しても、グレンは眉一つ動かさなかった。
 自分の死に直面してもグレンはこれほどの衝撃を受けなかったかも知れない。
 動くことすら出来ないまま、グレンは夜を迎えた。


「誰か……誰かいませんか……」
 暗い闇の中、声が聞こえた。
「私の声が聞こえるなら…どうか…応えて…」
 昨日とは違うハッキリとした声。
 グレンは気付くと、掘っていた。
 爪が割れても血が流れても掘っていた。
 グレンが掘ったためか、何かの力によって浮上したのか分からないが、気付くと美しい銀色の髪の少女がそこにいた。
 グレンはその少女が何なのか、なぜここに現れたのかも分からなかった。
 ただ、少女を見ると同時にグレンの張り詰めた意識が途切れ……グレンはその場に倒れた。
 少女は自分を呼び覚ました男の子を抱きかかえ、そばらにある死体を見て……こう思った。
「この子を……助けないと……」
 身体も目も口も動かなかった自分が、半壊して機能停止状態だった自分がこうして動けるようになったのはきっとこの子のおかげ。
 少女は気を失ったグレンのそばにいようと決めた。

 その後、少女はグレンに名前を付けてもらう。
 ソニア・アディール(そにあ・あでぃーる)と。
 かつて自分が名前を与えられたように、グレンはソニアに名前を与えた。
 そして、グレンはドージェ・カイラス(どーじぇ・かいらす)なる人物に『グランギニョル』を壊滅させられたのを知る。その状況の詳細を知るのはずっと後のこと。そして、ドージェに特別な感情を抱くのもさらに後のこと。
 その時のグレンにはすべてがいっぱいいっぱいで。
 自分だけが生存者であるということと、気付いたらソニアがそばにいたという事実しか残らなかった。
 
 グレンはソニアをパートナーにパラミタに渡り、李 ナタ(り・なた)レンカ・ブルーロータス(れんか・ぶるーろーたす)という更なるパートナーを得て、教導団で暮らしていくことになるが……それもまた後のお話。