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あの頃の君の物語

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あの頃の君の物語
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想いが重なるほんの一瞬〜五月葉 終夏と日下部 社〜

「それでは優勝はこの子がいいかな」
「そうだな。顔も可愛いし、年齢も若い」
「天才美少女ヴァイオリニスト。こういう方がマスコミ受けもいいからなあ」
「はっはっは、まぁ、実力で言ったら、この男の子が一番だったんだけどね」
「しかし、18歳の顔が普通の眼鏡の男なんて優勝させても写真映えしないし、話題にならないしなぁ」
 審査員たちは苦い顔で笑い合う。
 すると、審査員の一人である五月葉グランツが、肩に掛かった銀色の髪をはらいながら、苦言を呈した。
「そんな審査基準だからヨーロッパのクラシック界はどんどん衰退していくんだ。それもわからないのかね?」
 グランツの言葉に審査員たちはシンとする。
 彼の言葉を分からぬわけではないが、コンクールにはスポンサーもいて、音楽は興業であり、ある程度のエンターテイメント性は必要だ。
「まぁ、このあたりは折り合いを考えて……」
 しかし、グランツの意見は正論であるため、他の審査員も強くは反対できず、彼の意見を織り込んだ形で審査が進んでいった。


「お父さん」
 仕事を終えたグランツに声がかかった。
 グランツが振り返ると、そこには娘の五月葉 終夏(さつきば・おりが)の姿があった。
「ああ、終夏」
「審査員お疲れさま。お母さんがご飯を食べに行こうって」
「そうだな。みんなにも挨拶したし、そうしよう」
 グランツと終夏は母が先に行っている店に向かった。
 その途中で終夏は父にこう告げた。
「お父さん、私、コンクールに出ようと思って」
「コンクール?」
「先生がね、次のパガニーニ記念コンクールに出てみないかって」
「……ふむ」
 終夏も小さい頃は父のグランツからヴァイオリンの指導を受けていたが、幼稚園を過ぎると、グランツの友人であるヴァイオリン指導者に習うようになった。
 ドイツのムジークホフシューレで教えるグランツの友人は終夏の才能を認め、熱心に指導をしてくれた。
 よく褒めてくれるその先生と終夏の相性は良く、終夏の能力はどんどんと伸びていた。
「それも……いいだろう」
 少し考えた後、グランツは眼鏡を押し上げながら、そう答えた。
 その途端、終夏の表情がぱあっと綻んだ。
「ありがとう、お父さん!」
 それからコンクールまでの間、終夏は父に喜んでもらおうと、一生懸命レッスンに打ち込んだ。


 コンクールの日。
 終夏は緊張をバネにして、見事にパガニーニを弾ききった。
 見事なフィンガリングと洗練された弓さばきで、素晴らしい旋律を奏でた終夏に惜しみない拍手が送られた。
 終夏もうれしそうに笑顔で答えた。

 満足のいく演奏だった終夏は上機嫌で飲み物を買いに行ったが……その途中で迷った。
「どうしよう、このホール初めてだから……」
 なんとか席の方に戻ろうと終夏は歩いたが、逆に進んでしまったらしく、どんどん奥に入ってしまった。
「誰かに聞けば……あっ」
 人の話し声がすると思い、終夏はそちらに向かった。
 しかし、その話し声が複数なのに気付き、声をかけるのは悪いかなと思って、一度立ち止まった。
「…………がいいだろう」
「そうだな」
 大人たちの声だと気付き、終夏は聞こうかどうしようか悩んだ。
 何より扉を開けるというのは勇気がいる。
 すると、迷う終夏の耳にこんな話が聞こえてきた。
「やはり優勝は五月葉終夏だな」
「代々音楽家を輩出してきた家の子、現役ヴァイオリニストである五月葉グランツの娘。これ以上の話題性はないだろう」
「普通の子っぽくはあるが、なかなかに可愛いしな」
「いや、名のある家の子供だからこそ、変にツンとした美人じゃない方が親しみが出ていいだろう」
 優勝と言われた時は終夏の胸が弾んだが、続いて出た言葉は彼女の家柄や外見などの話ばかりで、終夏はショックを受けた。
 方向も分からないのに、終夏はその場を走り去った。
「……ま、何よりも今回のコンクールではあの子の実力が一番だ」
「テクニックといい、表現力といい、申し分ない」
「ああ、24のカプリッチョはよく審査で使われる曲だが、だからこそ、あの子の能力の素晴らしさが分かるね」
 審査員の演奏への賞賛の声は、走り去った終夏の耳には届かなかった。


 コンクールで優勝した終夏だったが、その日から、ヴァイオリンを弾かなくなった。
 心配した母はグランツに相談したが……。
「音楽をやっていれば壁にぶつかることはよくある。コンクール後などは一気に気が抜けて楽器に触れたくない時もあるだろうから、放っておいてやった方がいい」
 そうグランツは答えて、母親に構わないように言ったが、気にならないわけではなかった。
 終夏が優勝しても暗い笑顔なのを見て、グランツは審査員の一人だった友人に事情を聞き、実力が認められたのはもちろんだが終夏がグランツの子供であることも選考に配慮されたと聞いて、それをどこかで終夏が知ってしまったのではとグランツは危惧した。
 しかし、グランツの口からただ「私の娘だったからだけでなく、実力も認められたんだよ」と言っても終夏は納得しないだろう。
 音楽家は必ずどこかで壁にぶつかる。その精神的負担で、耳が聞こえなくなったり、指が動かなくなる人もよくいる。
 これは自分で越えないといけないものだとグランツは思っていた。


 終夏はしばらくヴァイオリンのケースを開けなかった。
 弓を手にしても「誰も自分の音楽なんて聞いてくれないんじゃないか」という気持ちに駆られたからだ。
 ヴァイオリンケースを見えないところに置き、本を開いた。
 それは日本の妖怪に関する本だった。母の故国である日本の伝承に興味を持ったのだ。
 しかし、頭の中でいろいろ考えているせいか、本の内容が全然頭に入らない。
 終夏が本を閉じようか悩んでいると、その耳にヴァイオリンの音色が聞こえてきた。
「あれ、お父さん、練習室のドアを閉め忘れたのかな?」
 そう思って終夏はドアを閉めに行こうとして、足を止めた。
 父のヴァイオリンをもう少し聞きたいと思ったからだ。
 最近、自分の練習ばかりで、父のヴァイオリンを聞く機会がなかった。
(この音に耳を傾けてみよう……)
 終夏は部屋のベッドに戻って、その音楽を聴いた。


 その頃、日下部 社(くさかべ・やしろ)は神社である自分の家で、叔父から術式を習っていた。
「そうそう、後少しで……ああっ、そこで気を抜いちゃダメだって」
 出来かけた術が消えてしまい、社の叔父は落胆の溜息をついた。
「あ〜あ……まったく」
「はは、まあ、いいじゃないか」
 様子を見に来た社の父が明るい笑いを見せた。
「いいじゃないかって……。兄さん、社は本家の息子なんだよ。そろそろ本腰入れて力を発揮できるようにしてもらわないと……」
「力の発現は子供によってバラツキも多い。無理に急いでも仕方ないしな。さ、うちのが飯を作ってる。食おう食おう」
 社の父に促され、叔父も社も夕食に向かった。


 社の家は代々特殊な力を授かってきた家系で、社はその本家の長男だった。
 社の父は幼児の頃から強い力を持ち、周りの大人が驚くほどに早くから力を発揮していた。
 ところが、社はほとんど力が発現しない。
 叔父や従兄弟などはそれを責めることがあったが、父や母はゆっくりと社の成長を見守っていた。
 その優しさはありがたかったものの、その分、いつまでも力が出ないことを申し訳なくも感じていた。
「あ〜あ、力かぁ」
 社は学校の屋上に転がり、溜息をついた。
 横を向くと、女の子のオバケが見える。
 どこか違うところから来たのか、社の学校ではない制服を着ていた。
「見えるのは、見えるんだけどなあ……」
 どうにかしてあげるという能力は社にはない。
 力が発現すれば出来るのかも知れないが……。
「やぁ、少年。君にはあの子が見えるのかい?」
 社の上から声がかかった。社が上を向いてみると、そこには社より年上の、高校生らしい人物がいた。
「あんたは……」
「俺は……あー、俺の名前は長いからいいや。ユウって呼んでくれ。ちょっと待ってくれな」
 ユウは社にそう断ると、女の子のオバケに近づき、何かを唱えた。
 それと共に女の子は消えていった。
「向こうで元気でな〜」
 空に向かってユウが手を振る。
 ポカンとして見ていた社にユウは笑いかけた。
「やっぱり見えてるんだ。でも、なんで送ってやらなかったんだ?」
「そこまでの力はないんだ。あんたは……陰陽師の家系とかそんな家か?」
 普通の学生にこんなこと言ったら、マンガの読み過ぎと思われるだろうが、お互い能力持ちであることが分かっているので、普通に会話が成立する。
「いや、俺は全然そういうんじゃないんだ。ただ、なぜか、俺とうちの妹は異常なほどにそんな能力があってな」
「……そっか」
 自分のようにそういう家系に生まれても全然能力がないのに、まったく関係ない家の子がすごい能力を持つこともある。
 遺伝学上で考えてもあり得ることなのに、社は少し落ち込んだ。
「ところで、少年。これから君の家に新たな命が生まれるのに、帰らなくていいのか?」
「えっ」
「うちの妹が言ってたぞ。今日、お兄が会う人の家に新しい命が生まれるって。早く帰って妹に会って来いよ」
 社は心底驚いた。
 初めて会ったユウが社の母の妊娠を知っているはずがないし、お腹の中の子が女の子だと知ってるはずもない。
 しかし、それを問う前に今日生まれると聞いて、社は慌てて立ち上がった。
「行ってくる! えと、あんたとはまた会えるかな?」
「おう、きっとまた会うと思うぜ。それじゃな、少年」
 ユウに見送られ、社は急いで家に帰った。


「ふぎゃー」
 社が家に入った途端、小さな泣き声が聞こえてきた。
 もしかして、と社は焦りながら靴を脱ぎ、家に入る。
「おう、社。お前も抱くか?」
 泣き声のする部屋に入ると、すでに産湯に入り終えた小さな妹が、父親に抱かれていた。
 おくるみに包まれた妹を渡され、社は恐る恐る抱く。
「わぁ……」
 小さな手をぎゅっと結んだ、柔らかくて温かい本当にまだ小さな妹。
「……かわいいなあ」
 社の口からそんな言葉が漏れる。
「ベッド用意してあるから、そこに寝かせてやれ」
 父に言われて、社はそっと妹をベッドに置いた。
 すると…………。
「ふぎゃーーーー!!」
 人から離れた不安のせいか、赤ちゃんは大声で泣き出した。
 そして、それと共に、部屋中のものがすべて飛び上がった。
「えっ!?」
 大人2人でやっと動かせるような壺も浮き上がり、その場にいた者たちは全員驚愕した。
「社、抱いてやれ」
 父に言われるままに、社が妹を抱っこすると、妹は泣き止み、飛び上がっていたものも何事もなかったように元の位置に戻った。
「……今のは」
「恐ろしい力だわ」
 出産の手伝いに来ていた叔母や様子を見に来ていた大叔父たちが驚きの表情を顔に張り付かせていた。
 そして、その驚きはやがて大きな力への期待に変わっていく。


「何してるんだ、少年?」
 社が遅い時間まで学校にいると、ユウが声をかけてきた。
「…………ああ、あんたか」
「なんだ、暗いなー。ほら、そういう時はコレ」
「……なんだこれ?」
「えっちぃビデオ」
「はあ!?」
 慌てる社を見て、ユウは明るく笑った。
「ウソウソ。大阪で人気がある芸人のDVDさ。気分が落ちてる時にはオススメだぜ」
「そっか……」
「それで、一体何を落ち込んでる?」
 隣に座ったユウに、社はぽつぽつと話を始めた。
 社の妹は日下部 千尋(くさかべ・ちひろ)と名付けられた。
 生まれてすぐから強大な力が発現した千尋の話は、すぐに親戚中に伝わり、期待した親戚たちが顔を見がてら、千尋の元を訪れた。
 人が来て、家族以外の人が抱くと、千尋は泣いてしまうのだが、その泣き声で物が飛んだり、人が浮いたり、鳥が集まってきたり、色々な現象が起きるので、親戚たちはそれを喜んで、褒め称えた。
 最初は妹可愛さで気にならなかった社だが、時間が経つにつれて、自分が疎外されてるような不安感と、千尋の力の大きさに劣等感を感じていた。
 段々と帰る時間が遅くなり、社は千尋と接する時間が減っていた。
「……そっか」
 ユウは社の話を黙って聞き、日が落ちていく空を見ながら、社に言った。
「なあ、なんで兄貴って先に生まれてくるか、分かるか?」
「なんで……って?」
「分からないか。兄貴はな、後から生まれてくる弟妹を護るために、先に生まれてくるんだ」
「え?」
 社はポカンとしながら、言葉を返す。
「いや、でも、あれほど強い力を持つ千尋を、俺が護るって……」
「少年の妹、まだ歩けないんだろ?」
「そりゃ生まれたばかりだし」
「まだ話せないんだろ」
「そりゃ生まれたばかり……」
 そこまで答えて社は何かに気付き、黙った。
 すると、ユウは小さく笑い、社の背を押した。
「お前は妹を護れるくらい立派な男にならないと駄目だな。何なら世界の一つでも護ってみるくらいの度量を持って生きるのが男ってもんだ」
 ユウはよいしょっと座り直し、自分の話を始めた。
「うちもな、妹の方が才能があるんだ。でも、うちは社の家みたいにそういう才能のある人が周りにいないし、俺が守ってあげないといけない。だから……もう、しばらく社に会えないかも知れない」
「会えない?」
「引っ越すんだ。妹の能力に気付いた奴が最近、家を伺っている。妹はまだ小さいから、目の届かないところに逃がさないと」
「それじゃ、ユウも今の学校の友達と別れ別れになっちゃうだろ? 寂しくないのかよ」
「寂しくないと言えばウソになるけどな。でも、友達は離れても友達だし、新しい友達は新しい土地でも出来る。でも、妹の兄貴は世界で俺一人だから」
「世界で俺……一人……」
 その言葉が社の心に染み渡った。
「さて、それじゃ、俺は行くぜ。またどこかで会おうぜ、社! それから、お前の可能性……信じてみろよ!」
 ユウはその言葉を残し、社の前から鮮やかに消えた。


 社が家に戻ると、玄関の物までが空中を舞っていた。
「な、何があったの?」
 靴を放り出すように家の中に走り込むと、千尋が大泣きしていた。
「ああ、社。母親がいないせいか、千尋が泣き止まなくて……」
 困った様子の父親から、社はそっと千尋を受け取った。
「ふみゃ……」
 すると、千尋は泣き止み、空中を舞っていた物は、みんな何事もなかったかのように元の位置に戻った。
「おお……」
 父親は感心したように社に言った。
「お兄ちゃんのことは良く分かるんだな」
 その言葉に、社は千尋を抱きしめ、笑顔を浮かべた。
「当たり前だよ。俺は千尋の世界でたった一人の兄貴なんだから」


 一方、コンクールの一件で落ち込んでいた五月葉 終夏(さつきば・おりが)はドイツから日本に引っ越しすることになった。
 祖母の実家である長野に行くのだ。
 しかし、久しぶりの日本ということで、母が立ち寄る場所が多く、終夏は母が懐かしい人と長話をするのを待つ間、一人で外をぶらつきに行ったりした。
「これは……神社?」
 日本の伝承の本で、こういう鳥居を見たことがある。
 赤い鳥居というデザインは、ドイツ暮らしをしていた終夏には珍しいものだった。
「……清涼な風景だな。こんな木々の下でヴァイオリンを……」
 そう思いかけて、終夏は視線を落とした。
「もう……私は……」
「どうしたん、つまらなそうな顔して」
 その声に終夏が振り返ると、日下部 社(くさかべ・やしろ)がいた。
 社は光を受けてキラキラ輝く薄茶の髪の終夏を見て、見たこともない綺麗な女の子がいる……と思ったのだが、終夏が暗い顔をしているのを見て、声をかけたのだ。
「そんな顔してないで。もっと笑顔なら楽しくなるぜ♪」
 ユウから教わった言葉を真似て、社はにかっと笑う。
 しかし、終夏は笑ってはくれなかった。
「……そんな気に、なれない」
 無気力な表情を残して、終夏は去っていった。
 社は追おうとしたが、家の中から父親が「おーい、社。千尋が泣いてるぞ」と声をかけてきて、家に戻らざる得なくなった。
 この時、名前も聞かなかった相手と、2人は遠くない未来に再会することになる。


 終夏が戻ると、母親は話を終えていて、ちょうど帰るところだった。
 3人は日本で住む予定の家に行き、一段落したところで、終夏はグランツに尋ねてみた。
「ドイツにいた頃、なんで練習室のドアちゃんと閉めなかったの?」
 終夏の問いに、グランツはこう答えた。
「私は言葉をうまく操れる方ではない。しかし、音楽とは言葉よりも雄弁に想いを語るものだからな」
「……うん」
 終夏は久しぶりの微笑みを浮かべて、父に答えた。
 
 それから幾月か時が経ち。
 終夏は父からヴァイオリン・ゼーレを譲り受けて、それを手にパラミタへと旅だった。
 父は新たな土地で終夏が音楽をすることに反対しなかった。
 そして……終夏はパラミタで新しい出会いと経験をすることになる。