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そんな、一日。

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そんな、一日。

リアクション



21


 フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)の家で新年会が行われた際、賓客として呼んだアルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)が「あの時のお返しに」と家に招待してくれたのは、見事に晴れ渡った日のことだった。
「ここですね」
 前もって教わっていた住所と今いる場所が同じであることを確認し、フレンディスは表札を見た。流暢な字で、シルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)のファミリーネームが綴られている。これも、聞いていた話の通り。
 呼び鈴を押すと、玄関先からアルクラントが顔を覗かせた。こんにちは、とフレンディスは頭を下げる。
 その隙に、忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)が飛び出していった。豆柴の姿から獣人化に代わり、指を彼の鼻先へと突きつける。
「やいへたれベレー帽! 来てやりましたよ!」
 鷹揚なポチの助の態度をフレンディスが諌めるより早く、ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)が彼の頭を叩いた。
「痛っ! 暴力を振るうなんて最低ですよ、このエロ吸血鬼!」
「招かれといてあの態度はなんだ、あの態度は」
「むっ……」
「お招き頂き有難う御座います、だろ」
「……むぐぐ」
 ポチの助が唸る。ベルクは腕を組みポチの助を見下ろし、ほら言えとばかりに顎でしゃくっていた。
(マスター、その態度もどうかと思います)
 フレンディスの心配をよそに、ふたりのやり取りを見たアルクラントは楽しそうに笑った。
「固い挨拶なんていいよ。それより、遠いところをありがとう。ゆっくりしていってくれ」


 フレンディスが手土産にとくれた和菓子とアルクラントの故郷、ソコクラントのクッキーを皿に盛り、沸かしたお湯でお茶を淹れる。
 居間で待つ三人のところへ向かう途中、そういえばこの人数で家に集まるのは初めてだな、と思った。コミュニティの面々がこの家を訪ねる機会は少なくなかったが、いつも母屋ではなく離れに集まっていた。
 たまにはこちらに招いてみようか。そういうのも、新鮮でいいかもしれない。
 廊下を歩きながら企画を立てていると、居間の方からかしましい声が聞こえてきた。シルフィアと完全魔動人形 ペトラ(ぱーふぇくとえれめんとらべじゃー・ぺとら)のものだ。フレンディスの控えめな笑い声も聞こえる。
「盛り上がってるみたいだね」
 戸を開け、声をかけると真っ先にペトラがこちらを見た。次いで、シルフィアが人懐っこく笑う。
「遅いよ〜」
「お茶を淹れていたからね」
「えっ嘘。言ってくれたら私やったのに……!」
「お菓子を用意するついでにね。たまには私が淹れたお茶でもいいだろ?」
 膝をつき、お茶とお菓子をテーブルに置く。手伝おうとしたシルフィアの指先にアルクラントの指先が触れて、気恥ずかしさに似た感情が湧き上がった。言葉もなしに見つめ合い、ふっと笑う。
「もしかしてふたりって」
 そんな様子を見て、いち早くベルクが関係の変化を察した。そういえば、フレンディスとベルクにはまだ言っていなかったのだっけ。再びシルフィアと顔を見合わせて、ベルクはこくりと頷いた。
「今更ながら、ちゃんと、ね」
「やっとか」
「そんなに長かったかな」
 苦笑し、シルフィアに尋ねる。彼女は肩を竦めていた。つまりそういうことらしい。
「恋人同士……! おめでとうございます!」
 フレンディスの祝福に、色々な気持ちが混ざり合う。幸せだとか、嬉しいだとか、恥ずかしいとか照れるとか。
「とはいえ、恋人同士とはっきりしたところでこれまでと何か変わったところがあるか、って言われるとそんなに思い当たらないんだけどね」
 ベルクが気付いたように、まったくのゼロというわけではないけれど。
 不意に、ペトラがすっくと立ち上がった。ポチの助に近付いて、彼の袖を引く。
「ポチさん」
「? どうしたのですか、ペトラちゃん」
「ちょっと、僕の部屋まで一緒に来てくれないかな?」
 きょとんとするポチの助が是非を口にする前に、ペトラはアルクラントをじっと見た。真っ直ぐ、アルクラントも見つめ返す。
「マスター。お昼ができるまで、ポチさんとお話してきてもいいかな」
「もちろん。まだ時間もあるしね、できたら呼ぶから好きにしておいで」
 答えを聞いてすぐ、ペトラは頷いて部屋を出て行った。慌ててポチの助が追いかけて行く。急ぎ足のふたりに、フレンディスが転ばないようにね、と声をかけたが応えたかどうか。
「それにしてもふたり、仲いいんだね。お部屋で内緒話なんて」
 シルフィアが、無邪気に笑う。ああ、とアルクラントは頷いた。
 ペトラには、同年代の友人が少ない。アルクラント然りシルフィア然り、周りは年上ばかりである。
 きっと、大人には言いづらいこともあるだろうと思う。感性が違い、近しく感じられないことも多いだろう。その点ポチの助は、おそらくペトラと同年代だし、彼女のためにという想いもあるように見受けられる。
「ポチの奴、ペトラに少なからず好意抱いてるかもしれねぇな」
 図らずしもベルクが同じ意見を言った。アルクラントよりもポチの助を見ているベルクの意見だ、信憑性は高いだろう。
 ポチの助が、ペトラの心に踏み込んでくれたら。
 彼女の隠している部分を、そっと開いてくれたら。
 人任せでかっこ悪いかもしれないが、アルクラントはそう思う。
(そろそろ、暑くなるしな)
 ペトラの黒いフードでは、熱がこもってひどく蒸すだろう。
 あの子がこれ以上、苦しまなければいい。
 フードなんて、かぶらないでいられるようになれば。
「フレイおまえ何やってんだ……」
 考え込んでしまったアルクラントの耳に、ベルクの呆れたような声が飛び込んできた。見ると、フレンディスが忍びよろしく壁抜けをしようとしているではないか。本当に、何をやっているのだろう。
「その……ポチの助とペトラちゃんのことが心配で」
「だーかーら、おまえは過保護だって言うんだよ。ほっとけ、なんのためにペトラが自分の部屋にこもったんだよ」
「うう、確かにそうですよね。配慮が足りませんでした、申し訳御座いません……」
「まあまあ」
 心配する気持ちもわからなくない。アルクラントはやんわりと間に入りつつ、「ひとまず、昼食時まで待とう。私は食事の準備をしてくるよ」立ち上がり、戸に手をかけた。


 アルクラントが去った後の居間で。
「アル君は変わりないって言ったけど」
 ぽそり、シルフィアは呟いた。
「私は、変わったと思うんだ」
 派手な変化ではないから、今までと変わらないと言えばそうかもしれない。だけどシルフィアにとってはもう少し、大きな意味を持っていた。
「わかります」
 頷いたのはフレンディスだった。思わず、「わかる!?」と詰め寄ってしまう。
「はい。お二方の間に流れる空気は、確かに以前から暖かなものでした。けれど、今は……なんていうのでしょう、さらに近くなったというか……」
「やっぱり?」
 幸せボケして思い込んでいるわけではなかった。安堵して息を吐く。
「うん。なんかね、前より一段と、アル君に近付けた気がするんだ」
 彼は気付いているのかどうか、わからないけれど
「家族、みたいだったな」
 ベルクがぼそりと呟いた。家族。そう、見えているのだろうか。もしもそうなら、これ以上ない幸せだ。頬が、緩む。
 幸せからふっと我に返ってベルクを見ると、彼はフレンディスを見ていた。何か色々と思うところがあるような表情をしている。フレンディスは、そんなベルクの様子には気付かない。そしてベルクは小さく息を吐いた。フレンディスにもう少し積極性があれば、なんて思っているのだろうか。ふい、と視線を逸らして遠い目で窓の外を見ている。
 そのまた一拍後に、フレンディスがベルクを見た。こっちを見てと言うような、どこか熱っぽい目で。
 おや、と思う。これは、この反応は。
(もしかして、そう遠くない日にこのふたりも)
 なんて思ってしまうのは、邪推だろうか。


 時を同じくして、ペトラの部屋。
 逃げるように居間を去ったペトラを追いかけ、ふたりきりとなったそこでポチの助は立ち尽くしていた。部屋の中央には、同じようにじっと黙って立つペトラがいる。
「ペトラちゃん……?」
 普段と違う彼女の様子に、ポチの助は不安になった。どうして、そんなに辛そうなの? どうして、そんなに苦しそうなの?
 呼びかけに、ペトラが振り返った。フードから覗く口元は笑っている。だけどやはり、ポチの助にはそれが無理矢理作ったものに見えた。
「驚かせちゃってごめんね」
 明るいペトラの声。これも、作っているのだろうか。そんなこと、しないで欲しいと思う。少しでも辛いことを、僕の前でしないでと。
「ポチさんだけに聞いて欲しくってさ」
「いいでしょう。僕は超優秀なハイテク忍犬です。話すことで損になるようなことはありません。保障します」
 胸を張って言うと、ペトラは笑った。今度は、先ほどよりいくらかいつもの笑い方に近かった気がする。
「あのさ。ポチさんは、ご主人さんたちふたりを見て、どう思う?」
「どう……?」
 思い返して考える。
 ベルクのことは、あまり好きではない。だって、ポチの助の方がフレンディスと長い時間を共にしたのに、あとから来た彼はあっさりと彼女に一番近い位置を確保してしまって。
 どれだけ仲良くしていても、ベルクが来ればフレンディスはそちらを見てしまう。それは大層、
「ムカつきますね」
 ポチの助の回答に、そっか、とペトラは呟く。諦念混じりの、哀しい声だった。
「僕は、マスターとシルフィアを見ていると、なんだかもやっとするんだ。いやなわけじゃないんだけど、苦しい、ような」
 胸の辺りを押さえて、搾り出すように言葉を紡ぐ。
 適切な言葉が何かわからずに、ポチの助はただただペトラの声を聞いた。彼女は自分で自分を抱くようにしているから、手を繋いであげることさえできない。
「あとね。なんだか怖くなるんだよ。自分が自分じゃなくなっちゃうような……」
「ペトラちゃんは、ペトラちゃんです。今こうして僕と話しているきみは、間違いなくペトラちゃんなのです」
 ペトラの抱く感情は、ポチの助のそれときっと違う。だから、完璧に理解して分かち合うことはできない。
 けれど、理解しようとすることはできる。苦しいとき、哀しいとき、こうして傍にいることはできる。
 ポチの助は、ペトラに向けて手を伸ばす。疑問符を浮かべながらも、ペトラはポチの助の手を取った。冷たくて、なんだか哀しくなった。体温を分けるように、ぎゅっと握る。
「もし、ペトラちゃんがペトラちゃんじゃなくなるっていうなら、僕がいつものペトラちゃんに戻してあげます。こんな役目、ハイテク忍犬の僕にしかできませんからね、仕方なく」
「いつもの、僕?」
「はい。僕は、ペトラちゃんのことを知っています。だから、ペトラちゃんが変だとわかります。なので、おかしいなって思ったらこうしてお話しましょう」
 きみが、いつも通りのきみになれるまで、一緒にいるから。
「ひとりでぐるぐるしてしまうのは、あまりよくないと思います」
 それこそ、『違う誰か』になってしまうんじゃないか。
 だから、自分でよければ。
「ペトラちゃんの、傍にいますから」
 どうか、ひとりで抱え込まないでほしい。
「ポチさん。……ありがとう」
 握り返したペトラの手は先ほどより随分と暖かく、声も笑顔もポチの助の好きな彼女のそれに近くなっていて安堵した。
 どういたしまして、と頷いて手を離す。
「ねえ、ポチさん」
「なんですか?」
「僕の目を……見てくれないかな」
 ペトラの手は、いつの間にかフードにかかっていた。
「フード越しじゃなくて、直接」
 まだ一度も見たことのない、彼女の目。
 見ても、いいのだろうか。
 自分が見ることで、ペトラの何かが変わるだろうか。
 彼女にとって良い変化をもたらすのなら、喜んでポチの助は力になろう。
「いいですよ」
 躊躇わずに答えると、ペトラははにかむような笑みを浮かべた。フードにかけていた手を離す。
「見なくていいんですか」
「今は、いいや」
 もう大丈夫だから。呟くペトラはの声には力があって、言葉を素直に信じることができた。
「そうですか」
「うん。ごめんね、変なこと言っちゃって。
 ……でも、勇気が出たよ。ありがと、ポチさん」
「いえ」
 友人として、当然なのです。そう言おうと思ったのに、どうしてか上手く言えなかった。首を傾げる。
「行こ? もうすぐご飯もできると思うし」
 差し伸べられた手を取って、ペトラと一緒に居間に戻る。ひとつの誓いを胸に刻みながら。
(もしまた、ペトラちゃんが辛い気持ちを抱いてしまったら)
 その時も、今日みたいにずっと傍にいて、言葉を交わして、笑顔を取り戻させると。
 一番いいのは、彼女がこれ以上苦しまなくて済むことだけど。
(僕にできることなら、なんだってしますから)
 願わくば、ひとりで泣く夜が訪れませんように。