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春待月・早緑月

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リアクション

 香菜はつきたてのもちの入ったもち箱を胸の前で抱えるように持って、女子寮の調理室へ運んでいく。
 そこではルシア・ミュー・アルテミス(るしあ・みゅーあるてみす)がもちの味付け用のきなこやあんこ、黒豆等、いろいろ準備をしているはずだった。しかし廊下を歩いていると、ルシア1人のはずなのに話し声が聞こえてくる。
「これでどうかな? もう火を止めていい?」
「いや、もーちょい煮詰めてな。ぜんざい作るならこんなもんだろうが、今回作るのはもちんなか入れるあんこだからな。丸めて玉ができるくらい、水気は飛ばさんといかん」
 どこかで聞き覚えのある男の声――紫月 唯斗(しづき・ゆいと)だ、とすぐピンときた。
「ふーん」
「あー、あと、甘めのやつが好きなら今のうちにもうちょい砂糖足しとけな?」
「え? もう十分甘い気がするけど」
「いや、この甘さだと控えめってとこだ。熱いからそう感じてるだけで、冷めりゃそんなでもねぇ。塩入れて冷ましたあとじゃあ味を調えることはできなくなるからな」
「そうなんだ。
 詳しいんだね、唯斗さん。お料理得意なの?」
「あー、まあ、食える程度にはな」
 先までと同じ調子の答え方で、謙遜なのか事実なのかは分からなかったが、ルシアが感心しているのは間違いなさそうだった。
「それより、そんなガチャガチャかき混ぜないで、もっとゆっくりじっくり混ぜるんだ。こんな感じ、解るか?」
 ごそごそと動く気配がする。
 おそらくルシアの後ろに回って、彼女がお玉を持っている手に手を添えている。
「うん。ありがとう。
 あ。今香菜たちとどこか行こうかって話してるんだけど、よかったらそのとき何か作って持ってきてくれる?」
「えっ。
 それ、誘ってくれてんの?」
 思ってもいなかったルシアからの提案に、唯斗の声がはね上がった。
「うんっ。唯斗さんも一緒に行こうよ! きっと楽しいよ!」
 廊下で聞き耳を立てている香菜には分かった。天真爛漫なルシアらしく、きっといつもの、曇りのない満面の笑顔を浮かべて唯斗を見上げているのだろう。目に浮かぶようだ。
「ルシア……」
 妙に熱のこもった低い声で唯斗が名をつぶやくのが聞こえた。
 その瞬間、香菜はガラリと戸を開けた。
「はいはい、みんな誘って一緒に行きましょうね!」
 ――チッ、と小さく舌打ちのような音が聞こえた気がしたが、香菜は気にしない。
「香菜ちゃんっ」
「お邪魔して悪いけど、こっちを手伝ってくれるかしら。冷める前にやってしまいたいのよ」
「うん」
 ルシアはパッとお玉を放してその場を離れ、いそいそ香菜の元へ行くと片栗粉を振ったもろぶたのなかへ一緒にもちを移した。
「味付け用の準備はできた?」
「えーと。お砂糖入りのきなこでしょ。磯部用のおしょうゆとノリと……あと、あんこがもう少しでできるとこ」
「それだけ? あなた、あそこにいる彼氏とイチャイチャして、手を休めてたんじゃないでしょうね?」
「香菜ちゃん、なんてこと言うの! 唯斗さんは彼氏じゃないよ、私の忍者さんなの!」
「いや、彼氏ってそういう意味じゃ――」
「ねっ? 唯斗さんっ」
 同意を求めるようにルシアは唯斗を振り返ったが、唯斗は反対側に置いてあった深鍋を持ち上げるため彼女たちに背中を向けていて、その様子からは2人の会話が聞こえていたのかも分からなかった。
 もちろん唯斗は聞いていた。そしてルシアの発言に、なんとも言えない微妙な表情を浮かべていたのだが、2人がそれを知ることはないだろう。とはいえ香菜は少し推測ができていたのか、視線をはずし、ふっと息をついていたが。
「豆もち用の黒豆を作っておいた。それと、みたらし用のタレだ」
 唯斗は蒸し終えた黒豆の入ったボゥルとタレの入った鍋、そして串を持って2人のいるテーブルへ行く。
 香菜に任されたとはりきっていたルシアの姿に、あくまでルシアが自分で作ることが大事、との考えから脇からのサポートに徹してきた唯斗だったが、手持ち無沙汰というか、つい手が動いてというか。気がついたら必死にあんこを煮詰めているルシアの後ろで砂糖じょうゆを煮詰めたりしていたのだった。
「わぁ! 唯斗さん、いつの間に! すごーい」
 ルシアは素直に賞賛の声を上げ、両手のふさがった唯斗のためにイスを引く。唯斗は手に持っていた物をテーブルの上に置くと、礼を言って座った。
「あんこはもう少し冷めてからだ。次のもちだな」
「あんたよりよっぽど役に立ちそうね」
「もうっ、香菜ちゃんたらっ」
「丸めるのは手伝えないからな。自分でやるんだぞ?」
「うん、がんばる!」
 3人は両手に粉をまぶし、さっそくつきたてのもちを丸めにかかる。
 そう宣言はしながらも、やっぱり唯斗はもちをちぎるときのやり方やら、しわの伸ばし方のコツやらを教えたりして、結構ルシアの世話を焼いていたのだった。



 やがてひととおりもちつきが終わって。杵と臼の片付けが終わったキロスやさゆみ、アルクラントたちが調理室へとやって来た。そのころにはアデリーヌやシルフィアも加わってのもちの味付けが終了しており、さまざまなもち料理を前に、さっそくくっつけあったテーブルを囲んでの食事会へと移る。
 あれこれと会話が盛り上がっているなか、アデリーヌはふと磯辺焼きを食べていた手を止めた。
「さゆみ、これを」
 きなこもちを食べていたさゆみの手をそっと包んで、ある物を握らせる。さゆみは目を瞠った。
「これ……あなたのおみくじじゃない」
「私たちは2人で1人なのです。ですからこれも、2人で1つなのですわ」
 アデリーヌはやわらかな笑みを浮かべると、何事もなかったようにまた箸を動かし始める。
 そして反対側ではシルフィアが鍋から取ってきたお雑煮をアルクラントに差し出していた。
「おつかれさま。おいしいおもちをありがとう。
 アルくん、楽しかった?」
「ああ」
 受け取ろうとしたアルクラントは、直後走った痛みに一瞬眉を寄せる。シルフィアはそれを見逃さなかった。
「どうかしたの? けがでもした?」
「いや、なんでもない。もちつきは普段使わない筋肉を使うらしい。明日は筋肉痛かもしれないな。
 でも、うん。楽しかったよ。すごく楽しかった」
「よかった。アルくんが楽しそうにしてるのが見えて、ワタシも幸せ」
「シルフィア」
 シルフィアはほかほかと湯気をたてるお雑煮をひと口食べて、ふうっと息を吐く。
「おいしい。
 こういうの、いいわね。楽しくて、笑ってて。みんなで集まっておいしい物食べるの。
 ワタシね、今年もみんなで仲良く過ごせますように、ってお願いしたの。そうしたらきっと、みんな幸せね?」
 にっこり笑うシルフィアがいつになくかわいくて。アルクラントは、どうして今、2人だけじゃないんだろう、と思った。もし2人だけなら、抱きしめることができるのに。
「アルくん?」
「あ、ううん、なんでも……」こほ、と空咳をして、上擦っていた声を整える。「私も同じ気持ちだ。きみとこうしていることができて、とても幸せだ」
 そっと見えないテーブルの下でシルフィアの手を握る。シルフィアはほんのりほおを赤らめたが、きっとほかの人たちは温かな物を食べて、体がぬくもったせいだと思ってくれるだろう。
「ワタシも幸せで、アルくんも幸せ。それって、すてきね?」
「ああ、すてきだ」
 2人は目を合わせ、ふふっと同時に笑った。