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魂の研究者・序章~それぞれの岐路~

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魂の研究者・序章~それぞれの岐路~

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 第33章 対面

 作戦の初手は、清掃サービスと称して室内から凶器になりそうなものを運び出す。というものだった。
 清掃業者らしいつなぎを着たルカルカとダリルが部屋の前に立って呼び鈴を押す。他の3人が陰に隠れて見守る中で、ドアが開いて女性が出てくる。髪が邪魔なのか、彼女は長い黒髪をポニーテールにしていた。いかにも、部屋で寛いでいたという雰囲気だ。
「はい……あら、誰?」
「マンションの管理会社からの依頼で清掃に参りました。入室してもよろしいですか?」
「ええ……でも、いつもの業者さんと違うのね」
 何かあったのかしら? と言いながら、リンは2人を中に入れた。
「呼び鈴まであるなんて、本当にマンションみたいですね」
「そういう病院を選んだからな。うちの場合は、病気……いや、記憶喪失を自覚した時点でその理由を探ろうとして、暴れてしまうからな。病院だとなるべくバレない、そっと見守るスタイルの場所を探したんだ。勿論、ここの患者全員がマンションと認識しているわけじゃないが……」
 小声で言う望に、覚も小声で返す。15分程して、ルカルカ達が出てきた。布の張られた小さなワゴンを押して戻ってくる。
「結構あったな。目についたものは全部持ってきたと思うが」
 そう言ってダリルが見せたのは鋏3本、カッター2本、カミソリ10本、包丁4本の計19本だった。
「「「…………」」」
 待機していた3人は何となく無言になった。どこの家にも常備されているもので数も特別多くない筈なのだが、これが全て自分に飛んでくる様を想像すると覚は慄かずにはいられなかった。今まで殺意を抱かれたことがなかったから問題無かったが、いざ相手を殺そうと思ったらこれらを一気に飛ばしてくる事も可能なのだ。
 その殺意がこれから向けられると思うと、計り知れない恐ろしさを感じた。

 ベルフラマントを手に持ったルカルカは、精神安定剤を混ぜたお菓子を覚に渡した。
「まず、これをリンに食べさせて。それから話をしましょう。私達は隠れてるわ」
「よ、よろしくな。2人も来てくれ。友人として紹介しよう。ただ、リンはひどく嫉妬深いから気をつけてくれ。ちなみに、記憶を失う前からそうだ。ノーンちゃんは大丈夫だと思うが……」
「分かりました。ところで……足が震えているようですが?」
「あ、ああ、ちょ、ちょっと支えてくれないか。やっぱり、どうにも恐くてな。これからどうなるのかと考えると……」
 リンの部屋の前まで望に支えられながら移動し、そこで自力で立つと呼び鈴を押す。まだ足ががくがくしている為にドアに手をついていると、当然の理としてドアが開き、バランスを崩しかけた。
「はい……あら?」
 先程とほぼ同じ口調でそう言ったリンは、咄嗟に彼を支えると笑顔を浮かべる。
「どうしたの? サトリ、連絡も無しに。すごく嬉しいけど……」
「あ、ああ。何だか無消にリンに会いたくなってな」
 彼女の顔を見た瞬間、覚の心から恐怖が消えていった。その代わりに、本来の目的を忘れる程に妻への愛しさが込み上げてくる。彼女をこの病院に預けて自宅を売り払った当時は本当にほっとしたし、愛しさより逃げたいという感情が圧倒的に勝っていたのだが――
 こうして自らの気持ちを改めて確認すると、嫌いにはなっていなかったのだと安心する。
 嘘のつもりだった挨拶の言葉が、自分の本心だったのだと思えてしまうくらいに。実際、リンに会いたいというのも本心だったのかもしれないが。
(……彼女になら殺されてもいいじゃないか)
 自然とそう思ってしまったところで、リンは彼の背後に注目した。表情が、すっと冷たくなる。
「ところで、その娘達は? 随分と若い子達ね?」
 夢から覚めたかのように、覚は我に返った。再び恐怖に囚われかけた心のままに、望とノーンを紹介する。未来から来た少女の話では、自分達は『ピノの死を伝えに行って、そこでリンに殺された』ということだった。実際に何の話を聞いて彼女が凶行に及んだかまでは分からない。恐らく、ピノの話を聞いた結果なのだろうが、今日はそれ以外も警戒しておいた方がいいだろう。
「この子達はただの友人だよ。偶然、そこで会ってね。愛する妻に会いに行くと言ったら、会ってみたいというので連れて来たんだ」
 よくもまあこうぺらぺらと嘘が出てくるものだと思うが、命には代えられない、と自らを納得させる。
「そう、お友達なの……よろしくね。ところで、何で膝が震えてるの?」
「え? あ、ああ、空港からここまで歩いたから疲れたんだよ。そうだ、土産を持ってきたんだ。これを食いながら話さないか?」

 室内にも病院然とした雰囲気は無く、一通りの家具が揃えられている。お茶淹れるわね、と普通に言われたので慌てて自分が淹れると申し入れ、安全であろう紅茶と(精神安定剤入りの)お菓子を前に、4人はダイニングテーブルを囲った。覚のなるべく近くには、ドアが閉まる直前に室内に入ったルカルカが、リンの近くには、同じくダリルが潜んだ。気配が薄れるといっても、完全に消えるわけではない。リンの視界に入らない死角を選んで潜んだルカルカは、彼女を中心に霊刀『布都斯魂』から作れる球状結界を張った。彼女が何か凶器になりえるものを引き寄せようとしても、半径1mの結界に阻まれてそれは叶わないだろう。サトリを殺させない為だけではない。凶器を手に出来なければ、自害にも走れないだろうという考えの上でのことだった。
(……このお菓子は、むしろ俺に必要だったかもしれないな……)
 精神安定の作用があると知っているからだろうか。何となく、余計な力が抜けていくような気がする。
「何年も会いに来なくて、すまなかったな」
「振られたかと思っていたわ」
 土産を口にしながらにこにこと言うリンに対し、覚は言葉に詰まる。逃げ続けていたこの数年間は、実質、彼女を振っていたようなものだ。笑顔の裏に底知れない闇を感じた覚は、急いで話題を変更した。
「仕事が忙しかったんだ。君を忘れたことはなかったよ」
 我ながら浮気男の言い訳のようである。それから、沖縄での仕事の話や会わなかった間に何をしていたかなど、薬が効いてくるであろう時間までを雑談で繋げる。頃合を見て、覚は言った。
「そういえば、前にパラミタに行ったんだってな」
「ええ。シグに誘われてね、ラスくんに会いに行ったのよ」
「……。シグもな……親切なんだろうけど、やり方が荒いんだよなあ……」
 リンの明るい顔を前にして、覚はつい溜息を吐いた。この病院の費用や生活費を払う関係でシグとは定期的に連絡を取っているが、彼は自分にも毎度のように「家族で一緒に暮らすべきだ」と言っていた。顔を合わせていないと戻るものも戻らない、と。フランスで暮らしていた頃に隣に住んでいた彼とは、もう20年来の付き合いになる。もう1人の家族のような存在で、彼がパラミタに渡ってからもかなり世話になっている。本気で心配してくれているのは分かるのだが――
「サトリの弟もそうだけど、あなたの家系って本当に顔が似てるわよね。女の子を連れてたから……つい嫉妬しちゃったわ。彼、弟さんよりあなたによく似てるんだもの」
「……当たり前だ。ラスは俺の子供だからな」
「え……?」
 息子に嫉妬するなよ、と思いながら半ば意図的に本題に入る。リンの笑顔が、ぴきっ、と音が聞こえてきそうな程に引きつった。怒りのオーラが立ち上ると同時に、覚の背後の窓1枚に皹が入る。ルカルカとダリルは少し緊張するが、それを察したのか予感したのか覚は椅子の下から大丈夫だと軽く合図した。
「もしかして、浮気してたの……? 誰? 誰の……」
「そうじゃない。あいつは俺とお前の間に出来た子供だ。……つまり、お前の子供だよ」
 記憶を失った頃に何度も同じ事を説明したが、それはもう完全に忘れているようだった。
(いや、いつもそうだったか……)
 初めて聞いたというような反応をしていたリンは、それを聞いて怒りを消し、きょとんとした表情を見せる。
「……何だ。なにか勘違いしてるのね。私達には子供は1人しかいないじゃない」
「そうだ。1人しかいない。……今はな」
「? 今は……?」
 純粋に意味が解らないらしく、小動物のような可愛らしい瞳(覚基準)で覚を見ながらリンは紅茶を口に含む。その彼女に、自身でも言葉にしにくい一言を、恐らく、穏やかなお茶会が終了してしまうであろう一言を彼は告げた。
「そうだ、ピノは死んだからな」
「……!」
 リンの目が見開かれる。また、窓に新しく皹が入った。安定剤の影響か『死』という直截的過ぎる言葉を突きつけられたからか、彼女はそれ以上の暴走はせずに全身を震わせた。
「何……言ってるの?」
「ピノは、10歳の時に病気で死んだ。1年入院した後にな。お前も、ピノの最期の顔を見ただろう。葬儀にまで出たのに、覚えてないのか?」
 瞬間、腕をがくがくと震わせていたリンはまだ液体が多く残ったカップを覚に投げつけた。黙れ、という意思の込められたカップは球状結界に阻まれて破砕し、咄嗟に手で顔を庇っていた覚はテーブルに落ちる陶器の欠片とそれらを水浸しにしていく液体を見つめる。
「……知らない……そんなこと……私は知らない……私の、私の大切な……あの子は、あの子は生きて……」
「死んだんだ。もう、この世にはいない」
「そんなわけないじゃない……ピノは生きてるわ。生きて、私の所に帰ってくるわ。今は、今は学校に行ってて……それで……出鱈目言わないでよ! いくらあなたでも許さないわ!」
 部屋の窓が――否、食器棚から花瓶まで、ガラスというガラスが一斉に砕けて空中で一瞬静止する。
「「……!」」
 隠れていたルカルカ達が床を蹴るのと同時、凶器と化した破片達は座る覚に襲い掛かった。
「う……わっ!」
 両腕で身を防御しながら椅子を蹴倒した覚は、腕や顔、体のあちこちに鋭い痛みが走るのを感じた。蹲って強く目を瞑り、体中に破片が刺さって血を噴き出させる自分を想像する。
 ――ダメだ。未来はそう簡単には変えられないんだ。
 限界まで膨れ上がった恐怖に、諦念が混じる。何かの創作物だったろうか、読んだことがある。未来を変えようと何度試みても、一度定められた運命は変わらずに強制力の強い修正によって命を奪われていく少女の話。
 それと同じだ。やっぱり俺は、ここで死ぬんだ。
 旅行に行くと言って家を出てきた。自分が帰ると信じて疑わない母の待つ家に、意識を持って戻ることはもう無い。ラスも恐らく助からないだろう。たとえパラミタに居たとしても、何らかの修正力が働いて近々死ぬことになる。
 ……望とノーンの悲鳴が聞こえない。
 流石だな。一欠片も漏れなく俺に一直線か。
「…………?」
 それだけの事を数秒の内に考えた覚は、新たな痛みに襲われない事に今更気付いて顔を上げた。腕を包んでいた衣服には幾つもの裂け目があり、傷から溢れ出た血が繊維を赤く染めている。腕程ではないが背中も似たようなものだろう。頬にも、熱さと痛みがある。自覚するだけ、時が経つだけ、痛みは激しくなっていく。
 だが、それだけだ。自分は、想像したような姿にはなっていない。破片まみれになって床の血だまりに倒れている――ということはない。
 彼は、骨格が明瞭に分かる、巨大な翼によって護られていた。
(……ああ……これが……)
 ――ロイヤルドラゴン
 人1人が乗れる程度の大きさのドラゴンが、人の――ルカルカの姿に戻っていく。
「やっぱり、リンの力にPキャンセラーは効かなかったかー……」
「何……? 今の……」
 唇をわななかせ、リンは声を絞り出した。呆然とした彼女を、ダリルが後ろから拘束している。突然姿を現した2人に、彼女は怒りと混乱の混じった叫び声を上げた。
「何なのよ! どこから入ってきたの!? 今の……今の竜は……! それに、一瞬、真っ暗に……!」
 叫ぶ度に、室内の調度品や家具が大きさ問わず2人を襲う。それを悉く防いでいく2人に、リンは驚愕を露わにした。ちなみに、真っ暗というのは常闇の帳の効果である。
「どうしました!? 一体何が……というかまたですか!?」
 廊下をばたばたと走ってくる音がして、ネームプレートをつけた数人が部屋に飛び込んできた。恐らく、医師や看護師だろう。
「危ないから、外へ出ていてください」
「入ってきちゃだめだよー!」
「し、しかし、そこに怪我人が……!」
「大丈夫ですから、まだ元気ですから、一応」
 望とノーンが、医師達を廊下にぎゅうぎゅうと押し出す。小康状態となった室内で、ルカルカはリンに話しかけた。
「落ち着いて、リン」
「気安く呼ばないでよ! 誰なのよあなた達!」
「……リン」
 ダリルが、覚に視線で問い掛けてくる。作戦は、事前に聞いている。眠らせるかという意味だと察した覚は、静かに首を振ってから彼女に言った。挑発しようとしている自覚はあるのに、更なる死地に自分を追い込もうとしているのに、不思議と恐怖は沸かなかった。
「……ピノは、学校に行ってるって言ったよな。それなら、毎日帰って来る筈だよな? 今日も、これから帰って来るのか? 来ないだろう。それとも、全寮制の学校にでも行ってるのか? だとしたら、連絡して来ないのは何故だ? 電話とか手紙とか、メールだって出来るよな。記録が残ってるなら見せてくれ。本当に娘とやりとりしているなら、俺も見たい」
「! あ、あるわよ。だって……だって……」
 ダリルの腕を振りほどいたリンは、滅茶苦茶になった部屋に這い蹲り、ガラスの欠片で身を切るのも気にせずに散乱した書類を縋るように確認し始めた。目が、泳いでいる。書類を1つ確認する度に、彼女の焦りは増大していく。机から落ちたパソコンに駆け寄るが電源はつかず、ポケットから携帯を出して操作する度に、その瞳孔が開いていく。
「……そんな……そんなわけ……」
「リン……」
 錯乱する彼女に、覚は立ち上がり近付いていった。危険などは二の次、という気持ちだった。
「認めてくれ。自分の記憶を。ピノを看取った時のことを、葬った時の記憶から、目を逸らさないでくれ。本当は、本当はお前は、全部……」
「……殺してやる……」
 光ったように見えた彼女の目が、覚を捉える。恨みに満ちた瞳に射抜かれて、覚は動けなくなった。体の痛み以上の心の痛みで思考が停止した瞬間、人の力を超えた瞬発力でリンは彼の首に両手を掛けた。
「がっ……!」
「殺してやる! 殺してやる! ピノは、ピノは生きてるのよ! 必ず会いに……!」
 首に万感の力が込められ、呼吸が出来ない。骨が折れないのが奇跡な程の力を感じ、傷の痛みと計り知れない苦痛に苛まれながら、覚は意識を――
 その時、ふいにリンの手の力が緩んだ。霞む視界の中、呆けた表情の彼女が目に入る。何が起きたのかは分からなかった。ルカルカがリンに何かを語りかけているのをぼんやりと認識しながら、覚は意識を失った。

 ――リンの脳裏に、10年以上前の――湖畔での記憶が甦った。そう、それは確かに記憶だった。まだ小さなピノと、小学生の少年と覚と4人で、夏に行った湖の思い出。『夏への扉』を使われたことに気付く術を持たぬまま、彼女は記憶をリフレインする。
 優しい思い出を思い起こさせ、「怒りと暴走」を「悲しみと沈静」に方向転換させるのがルカルカの作戦だった。突然浮かび上がってきた記憶に呆然とするリンの心に、彼女は1人の娘として訴える。
「リン、あなたの娘は死んだ。でも、娘は母親の幸せを、兄の、父の幸せを願ってるわ。こんな、心がバラバラになっている今を望んではいない」
「兄……? 兄って……」
 リンの目が、そこで初めてまともにルカルカを捉えた。ザミエルが部屋に走りこんできたのはその時だった。ザミエルは、リンの口に林檎に似た果物を突っ込んだ。
「!? ……あ……あ……」
 それを飲み込むと同時、リンは頭を抱えてしゃがみこんだ。不安定な感情に呼応するように、倒れた家具類ががたがたと揺れる。
「あああああ! ……あ……」
 再び暴走しかけた彼女に、ダリルは急いでヒプノシスをかけた。
 眠りに落ちる彼女の心を襲っていたのは、膨大ともいえる『真実』の記憶だった。