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思い出のサマー

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思い出のサマー
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●さざ波に寄せて

 午後になってエオリアが、運んで来たのは夏の風物詩、まん丸でよく冷えた緑の玉だ。
 ビーチボール? いいえ、スイカ!
「すいか割りなんていかがでしょう? 定番すぎて逆に新鮮ですよ」
「いいわね! やろうやろう!」
 ぱっと飛んで来たのはリリアであった。
「リリアはそういうの好きそうだね。ああ、僕は割ったあとのをいただくよ」
 タオルを首にかけつつ、メシエもゆっくりと歩いてくる。彼と並んで、
「すいか割り? それはどういう……」
 エセルが不思議そうな顔をしていたが、簡単に説明を受けて理解したらしい。
「なるほど。面白そうだね」
 いつのまにか早足になって、エセルはリリアに追いついていた。
「負けないわよ〜」
 リリアがきらっと目を光らせる。
 その一言が、エセルの対抗心に火をつけたらしい。
「なるほど勝負というわけか。ここは公平に同じ棒で勝負だ。騎士としてこの勝負、負けられない」
 エセルは言うなり、目隠しの布をリリアに手渡したのである。
「レディーファーストだ。先に挑戦するといい。一振りして外せば交替。この要領でやろう」
「あら、そちらは初心者、私が後攻でいいわよ」
 と、リリアは布を押し戻す。
「遠慮は無用だ」
「そちらこそ」
 騎士同士、まだ開始前だというのに、すでに二人は目から火花が飛ぶほどにヒートアップしていた。
 メシエは「またはじまった」と言わんばかりの顔でこれを静観していたが、エオリアには多少、落ち着かないものがあった。
 ――えっ、『騎士』っておっしゃいましたか?
 エセル(エオリアにとってはエースだが)の発言が気になったのである。
 だがそれは表に出さず、
「どちらが割っても良いですけど、上手に割って下さいね」
 とエオリアは棒を水平にして片膝をつき、剣を差し出す従者のようにして捧げ持った。
「それでは僕が勝手に決めさせていただきます。先行はエースということで」
「ああそれなら……了承した」
 エセルはこれまた、騎士がそうするように、棒を片手で無造作に取ったのだった。
「期待していますよ。腕に覚えがあるから簡単ですよね?」
 エオリアはにこりと微笑んでいた。


***********************


 夕暮れ。
 手に手を取り合い、波打ち際をザカコとアーデルハイトは歩いている。
 特に何か目的があるわけではない。散歩だ。しいて言えば、会話を交わしながら歩くことが目的といえようか。
 遊泳客はあらかた帰って、波音がふたりの空間を満たしている。
「今日はありがとうございます」
 ザカコは言った。
「こうして一緒にいられるだけで、本当に幸せですよ」
「そうじゃの」
 アーデルハイトは握った手に、軽く力を込めた。
「愛しています、アーデルさん」
 ふっとアーデルハイトが眼線を足元に向けるのがわかった。
「……その言葉にはまだ、答えるべき言葉を持たぬ。いましばらく、待ってはくれまいか」
 ザカコは静かに息を吸って、告げた。
「待ちます」
「頼む。それまでは……これで……」
 続く一言を彼女は言わなかった。
 ただ無言で背伸びして、ザカコの頬に触れるようなキスをしただけである。


***********************


 やがて陽が落ちた。
 一面星空の海岸は、いまだ昼の火照りを残している。それでも熱は、波が寄せて返すうちにだんだんと、薄墨を混ぜるようにして和らいでいく。
 黒と灰色の境界、すなわち波打ち際の砂を、さく、さくと踏み、想詠 夢悠(おもなが・ゆめちか)雅羅・サンダース三世(まさら・さんだーすざさーど)は並んで歩いていた。
 すこし遅れて、想詠 瑠兎子(おもなが・るうね)アルセーネ・竹取(あるせーね・たけとり)が続いている。
 他に人の姿は見えない。月影さやかな夏の夜空を、彼らだけで独占している格好だ。
 ところが会話が、いまひとつ弾まないのだ。
「夜なら紫外線で肌を傷つけないし気温も下がってる。過ごしやすい時間帯だし……」
 夢悠の口調はどことなく、説明的で硬いものになっている。
 星空を観に行こう、と雅羅を誘ったのは夢悠だった。あまり意識させないよう瑠兎子の同行を申し出、アルセーネも誘っている。
 といってもこのシチュエーション、そしてこれまでの経緯……意識するなというほうが無理だろう。
 ためにか、雅羅も今夜は言葉少なげだった。
 ぽつりぽつりと当たり障りのないことを話して、しばらく黙々と歩く。
 それの繰り返し、瑠兎子が運転するエアカーから降りてずっと、こんな調子が続いていた。
 雅羅、つまらないのかな――夢悠は少し、不安になった。
 でも――考え直す。
 ――でも、迷わず来てくれたんだから、少なくとも嫌じゃない、ってことだよね。
 だったら、状況を変えるのは自分の責任だ。夢悠だっていつまでも、消極的ではいられない。
「花火、しない?」
 夢悠は笑みを浮かべた。
「いいわね」
 すると雅羅も笑顔を返す。
 事前に準備してきて良かった。今日の夢悠は準備万端、トラブルを避けるため救急箱も用意しているし、数日前にこの場所の下見もしっかりと行っている。
 これを聞いて、
「花火!?」
 よしきた、と瑠兎子はすぐに応じた。
 数分もする頃には、瑠兎子の陽気な声と、鼻孔をくすぐる火薬のほのかな香りが星空の下に満ちている。
「きゃっほー!」
 実は結構これを楽しみにしていたので、瑠兎子は花火を手にするや童心に返っている。赤と青の手持ち花火を左右の手に持って、砂を蹴立てて浜辺をバチバチ、さーっと走り抜けた。
「ちょっとちょっと、走ったら危ないよ!」
 夢悠は目を細めずにはおれない。光の尾が残像となって、目にチカチカする軌跡を引いていた。
「いいじゃない。私も、花火になると結構血が騒ぐっていうか、ワクワクするタイプ」
 雅羅も瑠兎子に刺激されたか、花火を手にして新体操のリボンのように、くるくる回して声を上げた。
「余計な光がないからすっごく綺麗! 夢悠もやろうよ!」
「よし、そういうことなら」
 自然に夢悠も笑い出していた。光の輪を描き、光で絵を描く。
「では私も失礼して……」
 と一言断って、アルセーネが筒状の花火に点火した。「きゃあ」なんて言って導線から離れたアルセーネの背後で、シュバッと音を上げ打ち上げ花火が空に舞った。
 小型の打ち上げなので勢いとしてはそれなりのものだ。けれどそれでも、間近で見ると迫力はある。ポンと音を上げ花火が四散すると、黄色と青の炎が空に花咲いた。
 アルセーネは振り向き瑠兎子も足を止め、夢悠と雅羅は寄り添うようにして、誰からということもなく手を叩いた。
 そこからは変わり種花火がつづいた。光を巻き上げて転がるもの、大きな音を立てて四散するもの、その中には、地味で仕方がないが妙にやりたくなる蛇花火もあったりしていちいち盛り上がる。いつの間にか、夢悠が感じていた沈殿した雰囲気は消え去っていた。
 最後はやはりこれで締めたい。四人は膝を屈め輪になって、線香花火を楽しんだ。
 ちりちりとか細い火花をあげて、光の玉は小さく燃え続ける。
「これ、やりだすと凝視しちゃうのよね」
 雅羅がそんなことを言いながら赤い火を見つめているが、夢悠は違った。
 手元の花火を見ないで、ずっと雅羅の横顔を見ていた。
 彼女の長い睫毛、整った目元、愛らしい唇……。
 このとき夢悠の周囲から時間は消え、雅羅以外のすべても消え去った。
「火、消えてるよ?」
 雅羅に指摘されてようやく、夢悠は我に返った。
「あ、ごめん……綺麗だったからつい……」
 何が? なんて訊き返すほど雅羅も子どもではない。
 ほのかに頬を染め、雅羅は目を伏せたのだった。

 花火を消化したのち、皆でレジャーシートに寝そべって、波の音を聞きながら星空を味わった。
「あれがカシオペア座、そっちは北斗七星で……」
 夢悠はひとつひとつ、丁寧に皆に説明していく。
 さそり座、夏の大三角、肉眼で見えるものは指さして、望遠鏡を渡して詳しく観察させる。
 夢のようなひとときだ。
 永劫の星空からすればちっぽけなものかもしれないけれど、忘れられないひとときではないか。
 ロマンティックなムードには無粋かもしれないが、
「トイレ」
 と言って瑠兎子が立ち上がったのは、かれこれ三十分もしてからだったろうか。
「女一人じゃ不安だから……」
 目配せするようにして、瑠兎子はアルセーネに視線を向けた。
「そうですわね。付き添いますわ」
 アルセーネはむしろ、視線を向けられるより前に身を起こしている。
「ちょっと遠いのよね〜、それだけがこのビーチの欠点」
 瑠兎子は独り言のように言うが、それは明らかに、『時間を作ってあげる』という合図だろう。
「道々、お話ししながら行きましょう」
 得たリとばかりにアルセーネは応じる。どうやらふたりの間には、往路あたりで事前に示し合わせがあったと見える。
 アルセーネと瑠兎子が姿を消すと、夢悠は空を見つめたまま話し始めた。
「星ってさ、大勢の人が同時に見つめてるんだよね。皆がその星を綺麗だって思ってる」
 うん、と雅羅は短く応じた。
「綺麗な星をつかみたくても、本当につかんだら、他の人からは見えなくなる。そんな変なこと、ずっと前から考えてた……」
 夢悠は、理解していた。
 そのときが、きたということを。
 胸が高鳴る。
 心臓が破れてしまうのではないかというほどに、高鳴る。
 それでも言わなければならない。
 ここで言わなければならない。
 雅羅だって、わかっているのだろう。彼女はただ静かに、彼の言葉を待っていた。
「でも最近思ったんだ」
 夢悠は身を起こした。
 雅羅も身を起こしていた。
「星は他の星と一緒に輝くものなんだって。夜空を彩って、素敵な星座も作る」
 砂の上に敷いたシートの上で、夢悠は見つめた。
 星を。
 ただしくは、雅羅の大きな瞳に映りこんでいる星を。
「オレは、雅羅の隣でいつまでも輝く星でいたい。愛してる。愛してるよ」
 夢悠は雅羅の右手を握った。
 雅羅は、拒まなかった。
 しかし握り返すことはなく、左手で、優しく、彼の手の甲を打った。
「ごめんなさい」
 声を上げることなく、それでもしっかりと、雅羅は夢悠の目を見つめ返している。
「夢悠はいつだって私に真摯だった。ずっとずっと、真剣でいてくれた。それは理解してる。感謝もしてる。だから夢悠はとてもとても大切な人、いつだってそうだったし……ワガママを言わせてもらえば、これからも変わらないでいてほしいと思う」
 でも、と一呼吸置いて、雅羅は言ったのである。
「ごめんね。だけど、夢悠の恋人になることはできない……私、百万言をついやしても謝りきれない……」
 雅羅は手を放すと、みずからの顔を両手で覆っていた。
 そして静かに、肩を震わせて嗚咽を漏らした。
「オレ……オレこそ、ごめん!」
 断られたことより雅羅が泣き出したことがショックで、夢悠は身を乗り出した。
「ごめん! 雅羅の気持ちはわかったから……これは友達として……やっていることだから……」
 雅羅はそれ以上言葉をついやさず、ただうなずいた。
 そして夢悠は彼女の肩を、抱いたのである。
 
 こうして夢悠の夏は、終わった。