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あの日あの時、あの場面で

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あの日あの時、あの場面で
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その傷の理由



 
「……失礼しました」

 思わず抱きしめてしまってから数秒。
 同じく抱き返してきた腕の感触に、我に返った叶 白竜(よう・ぱいろん)がぱっと腕を離してしまったのに、クローディス・ルレンシア(くろーでぃす・るれんしあ)は少し笑って「残念」と呟いた。
 その意味を計りあぐねつつも、お詫びのつもりか別の意味でか、白竜は口を開いた。
「よろしければーー……」


 そんな顛末の後。
 海中都市ポセイドンが、龍と共に水底へと沈んで行ったのを見届け、互いにそれぞれの後始末を済ませ、迎えた夜。クローディスを伴って、白竜たちはとあるバーを訪れていた。同行する世 羅儀(せい・らぎ)は何で二人っきりで行かないかな、とやきもきする反面、こういう場所に誘うようになっただけ「進歩だ」と喜びながら、二人とは少し離れた席から様子を眺めつつ、羅儀は小さく息をついた。
(白竜は慎重になっているんだろうな)
 クローディスの周りの人達は、彼女をとても大切にしている。友人、或いは家族のように。その中に入り込む資格があのるかと、躊躇いに似たものが、


 カウンターしかない薄暗く小さな店内は、使い込まれた古い木で纏められ、装飾らしき装飾のないシンプルな内装をしており、灯りも音も控えめで、面白味のなさがかえって心地よい、そんな店だった。
 元々口数の多くない白竜がそこに収まると、更に沈黙しがちになった。が、その間に流れる静けさは、案外に会話のなくとも気にならない穏やかさで、ぽつぽつと漏れるような会話の傍ら、何のかんのと二人のグラスは何杯目かを迎えていた。
 そんな中。女性にしては強い酒を好むクローディスが、戯れるようにグラスの氷を揺らすのに、ふと、白竜はその手を眺めた。普段は手袋をしていることが多く、特に左腕はいつもサポーターなりに隠されていた記憶がある。そう考えると友人から聞いたーー腕や足の一部が機械化されている、という可能性がふと脳裏を過ぎる。そういえば、そんなこともまだ知らないのか、と思っていると、気付けばクローディスが軽い笑いを浮かべて首を傾げていた。
「これ”が気になるのか?」
「! いえ、すみません」
 その言葉で、自分が不躾な眼差しを送っていたことに気付いて、白竜が視線を外そうとするのに「良くできてるだろう、特別製だ」とクローディスは気にした風もなく笑って、サポーターを外して見せた。
「この左腕も両足も、幼い頃になくしてな。あいつと契約したのもその頃だ」
 懐かしむように言って、クローディスはぱっと見では殆ど判らないつなぎ目をそっと撫でる。あいつ、というのはクローディスのパートナーのツライッツ・ディクス(つらいっつ・でぃくす)のことだろう。
「色々と我が儘言って作ってもらってるからな……一応予備もあるが、使わずに済んで何よりだ」
 それが、遺跡で氷の結界に閉じこめられた際に言っていた”最終手段”のことだと思い当たると「使わずに済んで幸いです」と白竜は小さく嘆息した。
「大体何故……そんな物騒な機能がついているんですか」
「あー……ツライッツにも言われたなあ。何でそんな機能つけたがるのかって」
 はは、と酒気の入ってやや赤みの差した顔が笑う。
「一つは、まあ、その、趣味だ。どうせならただの腕じゃあない方がかっこいいじゃないか」
 そう言う目がきらきらと輝く様子は子供のようである。
「もう一つは、生きるためだ」
 返答は期待していなかったのか、その視線を落とすとクローディスはぐっと左手を握りしめた。
「命あっての物種だからな。どうせ命がけになるなら、何も出来ずに終わりたくない。生きるために賭けたいと、そう、思うからだ」
 その姿を眩しげに目を細める白竜に、ふ、とクローディスは表情を和らげる。
「そうやって生き延びたから、こうして君とも会えたのだしな」
「そう……ですね」
 頷いて、それは思わず口から漏れていた。
「私もあの時生き延びたから……今があるのか……」
 独り言のような言葉に、クローディスが首を傾げるのに「昔のことです」と応じた白竜は誤魔化そうとしかけた言葉を酒と流して、息を吐き出すように「パラミタを訪れる、前のことです」と口を開いた。

 数年前、本国。
 軍属だった白竜は、テロリストを匿っている村があるという情報に、その村へ援助を行う団体に混じって潜入することになった。特に白竜は、その地域出身の風習で入れる龍の入れ墨が背中にあり、適任とされて部隊に編入されたのである。
 調査を進めていくと、その村全体がテロリストと関わりがあるわけではないようだった。あくまでごく一部の村民が、連絡役や荷物の中継を請け負っているだけで、良くある経路の一つのようだった。大したことはない。捜査の手を入れれば、すぐにでも潰せるポイントのひとつ。そう、思っていた。
 だが、そんなある日。
 突然、白竜たちの潜入部隊はテロリスト達に捕らえられたのだ。何が起こったのか判らないまま、仲間達は次々に殺されていった。その直後のことだ。村は軍によって激しい襲撃を受け、白竜は瀕死の状態で軍に収容されたのだった。
 その後リハビリを重ね、部隊に復帰した白竜だったが、釈然としない思いは、瘡蓋のように残った。何故、潜入部隊の存在がテロリストに漏れたのか。一人残らず捕らえられたところから考えるに、相当詳細な情報がテロリスト側に漏れていたのは間違いない。
 これは後から知ったことだが、その時別働隊がテロリストの重要な拠点を発見していたらしい。一気に潰すためには、注目をほかに引きつけておく必要があった。例えば、潜入部隊のいるその村のような。
 理解は出来る。けれどその時抱いたものを、消せるかと言えばはっきりと口には出来ない。今でも時々痛む背中の火傷痕、時々出血することもあるそれが、言葉の代わりに全てを語っているようにも思う。
 後、同じように軍の都合で犠牲になった男を知った時、再びその感覚を思い出すことになるのは、この時の白竜はまだ知らぬことだ。

(……珍しい)
 そんな白竜の話を離れたところで聞いていた羅儀は、契約する前の出来事のために、殆ど初めて聞く話に内心で呟いた。おぼろげな記憶の中で、自分もその作戦に何か関与していたような気がするが、思い出せない。
 白竜は口数の少ない男だ。特に自分の事はあまり語りたがらない。たまに脱ぎ捨てられたシャツに血が滲んでいるのを見かける。時折魘されていることもだ。その理由をようやく納得し、同時に、きっと酒が入っているからだけでは無いだろう、離そうと思ったその心境の変化に、羅儀は目を細めた。
 そんな羅儀の視線には気付かず、白竜はグラスの残りを煽るように喉へ流して、息を吐き出し、残る氷に映る、歪んだ自分の顔を眺めた。
 痛みに目を覚まし、血が出ている背中を鏡で見ると、赤黒い火傷の中で龍がのたうち回っているように見える。苦しげに見えるのは、自分の中の何かがそう見せているのだろうか。語る内にもチリチリと背中に何かが疼きそうになるのに眉を寄せ、隣で耳を傾けている存在を思い出してそれが苦笑に変わると「だから」と言葉を切った。
「背中を見ても、驚かないでください……」
 言い終えてから、クローディスの手元のグラスの水滴に、思いの外長く話していたことに気付いて、白竜は目を瞬いた。何だかつまらない話をしてしまった、と意識が過去から引き戻されると不意に、自分の発言の違う解釈に思い至る。
(というか、「背中を見せる」機会があるとでも……)
 途端、妙に落ち着かなくなって、白竜は軽く俯いて頬をかいた。指先に感じる熱で、そこが赤くなっているのが判る。
「すみません、酔いました」
 そんな横顔を見て、クローディスは少し笑って「うん、いや」と妙に曖昧に返事をすると、視線をグラスへと落として氷をからりと鳴らした。
「私も、そこかしこ、傷だのなんだのあるからな、それこそ……」
 言い掛けて止めた言葉の先は、先程の白竜の言葉と意味合いは同じだろう。
 その顔もまた赤みが差していたのは、酒のせいだけではなさそうだった。


 それから暫く細々と飲み、クローディスを送り届けた後。
「まぁ、知っといてもらった方がいいよね」
 にやにやと笑う羅儀に、それが先程の背中の件のことだと悟って白竜は軽く眉を寄せたが、怒っているわけではないのは判っているので、羅儀もにやにやとした笑みのまま、暫くからかっていたが、不意に。
「……いいな」
 と羅儀はぽつりと呟いた。
「…………オレも幸せになりたい」
 酒が滑らせたのか、別の理由からかは判らないが、普段は人当たりも良く明るい羅儀の本音なのだろう。
 白竜はそんな羅儀の頭をくしゃりと軽く撫でると、そろって帰路へついたのだった。