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別れの曲

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別れの曲
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【笑顔】


 空京――ざわめく繁華街の往来を、アリー・アル・アトラシュ(ありー・あるあとらしゅ)はキョロキョロと落ち着き無く視線を彷徨わせる。あれも見たい、これも見たい、全ての情報を自分の中に入れようとするような少年期独特の貪欲さに、狩生 乱世(かりゅう・らんぜ)は(あたいもこうだったか?)と、自らの過去を振り返っていた。

 アリーは過去、故郷のシリアで内戦に巻き込まれ、妹を失った。
 そして戦禍を止めようと、自分のような悲劇を繰り返すまいという思いを、悪しき組織に利用され肉体を作り替えられた。

(こんなあたいだから、一度は離れようと思ったんだけどな……) 
 アリーは自分のような所謂『やくざ』な人生を送るべきでは無い。『ちゃんとした大人』の下で生活するのが彼の為だ。
 そう考えた乱世は、アリーを救出した後、一度児童養護施設に預けていたのだ。

 しかし、彼女の考えを反転させる出来事が起こった。
 先日彼女が身を投じた大きな戦い。
 その中で乱世は再確認したのだ。
(何かを守るため、未来を切り開くため、運命に立ち向かうために戦いたいという気持ちは、あいつもあたいも一緒なんだ、ってな)
 一度テロに巻き込まれた経験から、アリーも子供ながらに乱世と同じように考えているのだと言う。
「施設の先生達は優しい人たちだったし、故郷よりは遥かに安全な場所だったけど……」
 そう前置きして、少年は人生の師たる大人――乱世を見上げる。
「その時やはり僕は、大切な人たちを守るために戦いたいと思ったんだ」


 こうして彼女達の新生活はスタートしたのである。
 そしてまずは買い物からだと、空京へやってきているのだ。 
 同行したのは、乱世のもう一人のパートナーグレアム・ギャラガー(ぐれあむ・ぎゃらがー)だ。彼が自らこう言った場所に出向くのは、パートナーとして付き合いの長い乱世の目から見ても珍しい事である。
 常ならば繁華街に出たとしても、目的地はネットカフェ。精々で電気店のコンピュータのコーナー、という彼である。
「古すぎてネット配信もされないような曲が欲しい。中古のCDやアナログレコードを見たい」と口から飛び出した時には、乱世も驚き、言葉の中にグレアムの小さな変化を見つけて密かに微笑んだ。

 グレアムもまた、乱世やアリーのように過酷な過去を持つ一人だ。
 ある組織の被験体として、感情を抑制されて『作られた』彼は、喜怒哀楽の感情すら『データ』としてしか認識出来なかった。
 ところが近頃は、想定外の事件と、そしてなによりパートナーたる乱世の怒りや悲しみや義侠心と言った激情を受け取る事で、彼の中にも変化が訪れ始めている。
 何より変わったのは、この音楽への興味だろう。
(時には人を熱狂させ、時に人を癒す。何故こんなにも、連続する波動の羅列が、人に劇的な変化をもたらすのか)
 手に取ったレコードのジャケットを見つめ、グレアムは考え込んでいた。
 耳の奥に響く音楽、乱世とアリー、買い物客ら周囲の人々の笑顔――。グレアムにとって数値でしかなかったものが、今は確実に色を持って彼を揺らす。
 彼は未だ、自分に訪れた『精神的な変容』を上手に噛み砕けていないのだ。


 レコード店を出て、往来へ戻る。その頃には高かった日も傾き始めていた。
 それぞれに一日の終わりを感じながら、乱世は大事なパートナー達を見つめていた。
「2人とも楽しいか?」
 乱世のふとした質問に、グレアムは少し視線を落とした。代わりに口を開いたアリーは笑顔だが、日が落ちて来た所為だろうか、褐色の肌にどこか陰りが見えるように見える。
「楽しいよ。
 ……だけど時々思う。
 故郷では今も死んでいく人が大勢いるのに、僕だけがこんな風に幸せを謳歌して良いのかと」
 アリーの言葉をきっかけに、グレアムは小さく、呟くように言った。
「こんな時、どんな顔をしていいのかも分からないんだ……」
 人の声、BGM――繁華街を包む営みの音は消えないのに、三人の間には沈黙があった。
 それを裂いたのは、乱世のからっとした笑顔だ。
「こういう時はな、笑えばいいんだよ。
 お前らなら、あたいのような肉食系女子の不敵なニヤリ顔じゃなくて、もっといい笑顔が出来ると思うぜ?」
 トンッと胸を叩いてそう断言する彼女に、グレアムとアリーはきょとんと見つめ、何度か瞬きする。そうしている間に、乱世の笑顔は柔らかいものへと変わっていた。
「特にアリー、お前の故郷で死んでいった奴らは、きっとお前のような子供たちに『幸せになってほしくて』戦って逝ったんだ。
 だからお前が幸せになることが、奴らにとって一番の恩返しなんじゃないのか?」
 彼女の問いかけはアリーの中にすとんと落ちる。
 感嘆の溜め息を零して、アリーは乱世へ笑顔を魅せた。
「今度はきっと僕が、みんなを幸せにする番なんだ。
 人体改造という非人道的な方法ではなく、契約者としての『絆』の力で」
 見て聞いたものをどんどん受け入れて行く、少年の素直さと柔軟さに、乱世とグレアムは顔を見合わせもう一度アリーを見た。
「やめろよ照れ臭い」
 そう言って空を扇ぐ乱世の頬は、夕日に赤く染まっている。

 もうすぐ幸せな家路の時間だった。