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faraway / so close

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●琳 鳳明、ユージーン・リュシュトマ
 
 話はさかのぼるが、リュシュトマが入院したとき、最初にその病室を訪れたのは琳 鳳明(りん・ほうめい)だった。
 このとき彼女は、敬礼して病室に入っている。
 ……敬礼はもう必要ないのだが、反射的に行っていた。
「琳鳳明、教導団を退団しましたが今日から毎日お見舞いに来ます! 嫌と言ってももう上官命令を聞く必要はないので、よろしくお願いしますねっ」
 リュシュトマは彼女の顔を見て、しばし黙ってまばたきをしていたが、やがて、
「そうか」
 とだけ言った。
 喜ぶ様子は見せない。
 否定もしない。
 ただ、小さくうなずいただけだった。
 だけど鳳明は知っている。これが、リュシュトマができうる最大限の歓迎なのだと。
 だから正直、悪い気はしなかった。

 鳳明は自分の言葉を守った。
 本当に、毎日リュシュトマのもとに通ったのである。
 秋空がきれいな晴れの日はもちろん、
 逆に、空がねずみ色に澱んだ日も、
 あるいは冷たい雨の日も。
 欠かすことなく、少佐(彼は決して退役しなかった。現在も『休暇中』である)の病室に顔を見せた。
 なぜなのか……理由は、色々とある。
 後悔もそのひとつだ。
 ――あのとき。
 あのとき、つまり、クランジΜに少佐が拉致されたとき、
 ――私はその場にいあわせながら何もできなかった。
 悔しかった。それ以外に表現できる言葉はない。
 ただただ、悔しかった。
 だから、リュシュトマが癌に犯され余命幾ばくもないと聞いてからは、地球への帰郷を延期して毎日通っている。自己満足的な行動かもしれない。そのことには自覚がある。
 だが、それで気が晴れるかといえば、むしろ逆だ。
 通うほどに少佐の容態は悪化していた。それも急速に、隠しようもなく衰えていった。
 徐々に命の灯が弱まっていくというよりは、一日ごとに前日の半分になっていくかのような迅さといえようか。
 でも鳳明は、自身がまのあたりにしていることに動揺しない。そればかりか日課として、決まった時間に訪れ、短く滞在しては立ち去ることを繰り返した。
 実際、見舞いといってもすることはそれほどない。
 花瓶の花を換えたり、果物を剥いたり(といっても彼が食べてくれたことはないが)……といった単純な作業だけだ。
 ときおり金鋭峰団長や、かつての同僚ユマ・ユウヅキ(ゆま・ゆうづき)夫婦ら見舞客と顔を合わせることはある。だが状況が状況だけに、彼らと明るい会話を交わすことはなかった。
 会話といえば、鳳明が病室にいる間も、リュシュトマとの会話はあまりない。
 大体が彼女の独り言状態だ。
 いつもリュシュトマは口を挟まず、黙って鳳明の言葉を聞いている。実際に聞いているのかどうかすら定かではないが、彼女が口を閉ざすとたまに、先を促すような目をした。
 とはいえ会話にもならず一方的に話すだけであっても、鳳明はそれほど不快に感じたりはしなかった。
 ユージーン・リュシュトマがそういう人物だということはずっと前から知っている。そういうこところが、祖父に似ているようにも思う。
 ――私に父親はいないけど、もしいたらこんな感じだったのかな。
 なんとなく、そんなことも考えた。

 その日はよく晴れた。
 快晴だ。朝からずっと、雲のひとつも見なかった。
 特筆すべきは天気のことだけではない。
「今日は早いな」
 実に珍しいことだが、リュシュトマのほうから言葉をかけてきたのだった。
 彼も体調がよさそうだ。ここ二日ほどはずっと伏せっていたのに、今は半身を起こしている。顔色もいいように見える。ちょっと奇跡的なことかもしれない――これは、毎日通っている鳳明にだけわかることだ。
「ええ、そうですね。普段より少し早くなったのは、気分がよくて足取りが軽かったからかもしれません」
「それはいいことだ」
 一瞬、鳳明は自分の耳を疑ってしまった。
 リュシュトマと会話が成立するなんて……! まさか彼は回復しつつあるのだろうか。だとしたら本当に奇跡だ。
 このとき覚えた軽い興奮のせいだろうか、鳳明は、普段なら言わないような言葉を口にしていた。
「……思えば、軍隊って不思議なところですよね」
 リュシュトマの反応を待たず続ける。
「同じ部隊でも全員他人、しかし命を預け合う者同士という世界ですもの。特異だけど、強い信頼関係があります。ある意味家族並かそれ以上です」
 かすかに躊躇したが、今言わずしていつ言う――という心の声が聞こえたような気がしてさらに述べる。
「私は、少佐から地獄のような戦場で生き残る術を教わりました。……その……覚えておいでではないと思いますが、二年前の元旦、手合わせしたとき初めて『悪くない』とお褒めの言葉をいただいたときは内心雀躍したものです……」
 ――言っちゃった……!
 顔が熱くなる。勢いに任せて口にしたが、これはずっと胸に秘していた気持ちだ。
 言わないほうが良かった、のかもしれない。
 でも、言ってすっきりしたという気もする。
 ――なんだろう、この、矛盾した気持ちは。
 リュシュトマ少佐という人物についても、相反するものを感じる。
 冷たい鉄の壁の向こうにいるような、絶望的に遠い気持ちと、
 父親のように感じる、驚くほど近しい気持ち。
 中間はない。あまりに遠いか、あまりに近いか。
 そのどちらかが正しいというわけではなく、実際にはその両方が入り交じっているのだろう。
 退団して軍から離れて、寂しささえ感じることも今の鳳明にはあった。
 ふと思った。
 ――少佐はどうだろう?
 彼は家族を失ったと言っていた。しかし教導団には、それに相当するかもしれない人たちがいたはずだ。
 今、そこから離れて、少佐でも寂しいと感じるのだろうか。
「鳳明」
「はい?」
 急に声をかけられ、はっとして鳳明は顔を上げた。
 同時に彼女の腕は、稲妻が走ったように即反射している。
 パシッ。
 音にすれば短いその一音。
 だがそこには際どい、紙一重の攻防があった。
 リュシュトマが手刀を作り身を投げ出すようにして鳳明の喉を突きに来たのだ。相手が凡人であれば死にかねない勢いで。
 だが軌道が逸れた。
 少佐の肘は下方から突き上げられていた。
 鳳明による無意識的な動きによって。
 同時に彼女は少佐の体を抱きとめた。ベッドから半分以上落ちかけていたから。
 ひどく、軽い体だった。
 中が空洞になった枯れ木を抱いているような感触だった。
「今のは……私の全力だ。病で衰えたものではない。ずっと今日まで気を溜め続け、二年前の勢いにまで高めたものだ」
「はい……!」
「貴官は、私を超えた」
「…………はい……ッ!」
 胸が詰まった。
 鳳明はぐっと奥歯を噛みしめ、涙も言葉もこらえた。
 違う。
 二年前の少佐なら、もっと……。
 それに私は団員じゃない、『貴官』は間違いです。
 もう、少佐は、
 少佐の体は、
 もう、
 でも少佐、
 あなたは、
 はじめて私を、『鳳明』と呼びましたね。
 もしかしたらあなたが一番言いたかった言葉は、
 超えた、とか、二年前の勢い、とか、そんなことじゃなくて……?
 ――だめだ。
 鳳明は意識を振り払った。
 あえて感情を押し殺し、むしろきっぱりと彼に告げた。
「少佐、私は最期までここにいます。
 教え子として、部下として、仲間として……そして家族として。
 それが、今私にできる唯一の恩返しだって思うから」
 リュシュトマは精も根も尽き果てたのか、ただゆっくりと、されど大きく、うなずいた。
 ベッドに戻した少佐の体は、魂の抜け殻のようになってはいたが、表情は穏やかだった。
 目を閉じて微笑しているようにも見えた。

 その晩、リュシュトマ少佐は容態が急変した。
 何度か断続的に意識は戻ったもののついには昏睡状態に陥り、翌朝未明、息を引き取った。

 故人の遺志により、葬儀は行われなかった。




 ――『faraway / so close』了


担当マスターより

▼担当マスター

桂木京介

▼マスターコメント

 マスターの桂木京介です。

 本当にプライベートな内容となりましたが、ご参加および心のこもったアクションをありがとうございました!
 最初、これ人が集まるのか心配だったのですが、無事枠も埋まりまして……ええと、まさか抽選になるとは思っておりませんでした。落選した方々、本当にお詫び申し上げます……。

 いよいよ次が、最終シナリオですね。
 なんだか寂しい気がしますが、最後は笑顔で締めくくりたいと思っております。
 それでは、次は『終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 』でお目にかかりましょう!

 桂木京介でした。


―履歴―
 2014年10月13日:初稿