波羅蜜多実業高等学校へ

葦原明倫館

校長室

空京大学へ

終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア

リアクション公開中!

終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア
終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア

リアクション


●写真の思い出

 その最中にあってはそんなことは夢にも思わなくても、何年か経ってから回想すれば、大抵の出来事は次の一言に制約されるものではないか。
 その一言とは、『色々』。
 もちろんそんな単純なものではないかもしれないが、この便利な言葉は人間が、現在を懸命に生きるために身につけた知恵なのかもしれない。
 色々あったけれど、クロス・クロノス(くろす・くろのす)が夫と結婚してもうじき六年になる。
 クロスたちは結婚当時からの家に今も住んでいるが、それなりの期間住んでいることもあり物が増えてきたのと、月下 香(つきのした・こう)が成長してきたのとで、今住んでいる家では少々手狭になってきた。
 なので、次の春には引っ越す予定だ。
 というわけでこのごろは、少しづつではあるが、生活に支障がないものを、時間を見つけてはダンボールに詰める作業をするようになっている。
 引越の片付けには、いくつかの山があることはご存じの通りだ。
 書籍、記念品、このあたりは大きな山だが、数日前よりクロスは、またひとつの山に直面していた。
 写真関係の整理、である。
 書籍のように重量があるわけではないが、これがどうしても時間がかかってしまう作業だということは、引越の経験がある人であれば皆わかってくれるだろう。
 言うなればそれは、思い出の罠。
 ただし甘い罠だ。
 懐かしい写真や撮ったことすら忘れていたような意外な一枚がたくさん出てきて、見つけるたびに作業は寄り道に入り、過去の記憶が蘇ってしまう。捨てるべきものであっても捨てられず、ついつい見入ってしまったり、関連の写真までめくってしまったり……と、内容的には充実していても、作業的にはなかなか進めないのがこの罠の特徴である。
そういうわけでクロスは数日かけたものの、ほとんど写真整理を進められず、本日は一念発起して、学校が休みである香に手伝いを願って分担で作業をしていた。
「今日こそは終えるからね」
 と宣言してしばらく、黙々と作業を進めていた彼女だったが、あまりにも香が静かなのでふと見てみると、案の定というかなんというか、香の手は止まっていた。
「こーう、なに見てるの?」
「表紙のデザイン的に結婚式の時のアルバム?」
 元気に返事をしたかと思えばまた熱心に、香は白いアルバムに視線を落とした。
 分厚いアルバムだ。豪華な装丁もなされている。開いてみる。
 その中には、六年前の記憶が詰まっていた。日々の生活の忙しさに、つい、忘れかけていた記憶。
 ――結婚式かぁ……。
 列席者はパートナーたちと友人たちのみのささやかな規模だったが、とても幸せな時間で、笑顔がたえない式だった。
 そういえば、と笑ってしまう。
 あの日、自分のことよりもベールガールをお願いした香の準備に比重を置いてしまって、クロスは当日の控室で香に、
「まま! きょうのしゅやくはままでしょ! じぶんのことはじぶんでするからままもじぶんのことにしゅうちゅうして!」
 と怒られたのだった。
 今となってはいい思い出だ。口元がほころぶ。
「なつかしいなあ。……大好きな二人がやっと一緒になってくれたとてもうれしいアルバムを見つけちゃったら、見たくなるのは仕方ないと思うの」
 恍惚とした目で言う香に導かれるように、いままで『色々』というフォルダに入れて圧縮していたクロスの記憶が、一気に解凍されどっと溢れだした。
 それが伝わったのか、香が訊いてくる。
「私たちと二人のお友達が出席者? ええと、出席者って言い方であってるよね?」
「そうよ」
「おじいちゃんたち曰く、少な目な人数での式だったらしいけど、ママたちが嬉しそうにずっと笑ってたからそんなの問題じゃないと思うわ」
「ありがとう。私たちも、あまり大々的なものは苦手だったからね。それに、仕事関係の人に無理言って来てもらわなくても、自分たちのことをよく知っている人だけに祝ってもらえれば充分だと思って」
 香はウンウンとうなずいて、今度はウェディングケーキの写真を指した。
「これ、『新郎新婦のはじめての共同作業です』って言われてナイフを入れるやつだよね?」
「ふふ、そうね。まあ実際は、式の招待状を出したり段取りしたり……っていうのがすでに共同作業なんだけどね」
「えー? でも、結婚式で『新郎新婦』になるんだから、やっぱりケーキを切るのが『新郎新婦』最初の『共同作業』になるんじゃない?」
「これは一本取られたわ。そうそう、たしかにその通りね」
「この写真のおじいちゃん、どうしてこんなこわばった顔をしているの?」
「それはね、スピーチを任されて緊張しているからよ」
「どうして緊張しているの?」
「うーん、それはやっぱり、失敗しちゃダメだって、思ってるからかもね。実際は少々とちったところでいいんだけどね……スピーチは気持ちが一番大事なんだから」
「こっちのおじいちゃんの写真は、ずいぶんだらしなくなっているね」
「あはは、それはスピーチが終わって、ほっとしたあまり急に酔いが回ったからかも……」
 といった感じで話は尽きないのだが、このときふと、香は思いついたことがあるらしくちょこんと正座した。
「あの、ママ。聞いてみたいことがあったと思い出したんだけど」
「なあに?」
「アルバム見て思ったけど、うちって写真多い?」
 そうね、とクロスはうなずいた。デジタル時代はさらに進んでおり、最近では印刷した写真を目にする機会は少ない。その風潮からすれば、クロスの家にはあるアルバムの多さはちょっと異例だ。
「写真の枚数はたしかに多いかな?」
 どうして、という顔をする香に優しく伝える。
「現像した写真が多いのには理由があってね、データだと形がないでしょ? 記憶がないからなのかはわからないけど、どうしても形のあるもので手元に思い出を置きたくてね」
 そう言ってクロスは、ある一枚を愛おしげに眺めた。
 これも結婚式で撮影したものだ。新郎新婦を中心に、すべての出席者と撮った大判の写真。
 たとえ記憶がまた失われても、
 この身が滅びようとも、
 写真はずっと、覚えていてくれる。
 残しておいてくれる。
 クロス・クロノスが生きた日々を。