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砂上楼閣 第一部(第1回/全4回)

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砂上楼閣 第一部(第1回/全4回)
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第一章 陽の差さぬ街


 強風に晒されし岩石は無数の砂となり、シャンバラ大荒野を覆い尽くす。荒涼たる原野は、平凡であってもたくさんの小さな幸せに満ちた日常を求める人々を拒絶する。自然との闘いに疲れ果てた人々は、一人また一人と離れていき、街の残骸だけが荒野に佇む。
 そんな廃墟と化した街に、その酒場はあった。
 酒場と言っても、扉は壊れ、壁は崩れ落ち、かろうじて雨露をしのげるだけの代物だ。今や床に落ちた酒瓶の破片だけが、かつては仕事終わりの一杯を楽しむ男達で賑わっていたであろう過去の残像を写しているだけだ。
 そんな人気の途絶えた場所に足を運ぶ物好きは早々いないはずだが、酒場の中には小さな灯りが灯っていた。
「詳細は理解した。シャンバラの民の解放…それが貴殿の目的か」
 レオンハルト・ルーヴェンドルフ(れおんはると・るーべんどるふ)は、相手の真意を探ろうとするかの如くサングラスで隠された目を細めると、向かい合わせに座っていた男の顔を静かに見つめた。
 すべてを見通すかのような鋭い視線。気の弱い者であるならば、すぐに顔をそむけるだけの強さがそこにはあった。
 しかし、レオンハルトの視線の先にいた男は動じなかった。それどころか見事に剃り上げられた月代をつるりと撫でると、豪快に笑い飛ばしてみせる。
「別にそんなご大層なものじゃないさ。なぁに、この地で名を少々上げたいだけだ」
 男の名は織田 信長(おだ・のぶなが)。大虚けと称されながらも、その卓越した知謀と大胆な政策で戦国時代史に名を残した偉人だ。
 恐らくは、信長の英霊ではなく分霊だろうが。盗賊風情と侮るには、あまりにも大物過ぎる。
 変装のためにかけきたサングラスが有り難い。色の濃い硝子が心の動きをすべて隠してくれるから。現にレオンハルトに同行してきたシルヴァ・アンスウェラー(しるば・あんすうぇらー)と剣の花嫁であるルイン・ティルナノーグ(るいん・てぃるなのーぐ)は、信長に圧倒されたかの如く言葉を失っている。
 レオンハルト達の動揺を知ってか知らずか。それまで我観ぜずとばかりに酒を煽っていた南 鮪(みなみ・まぐろ)が口を挟んでくる。
「この髭のオッサンはやり手だぜ。頼って損はないと思うぜえ?」
 茶々を入れる鮪をレオンハルトは故意に無視した。波羅実の小物が、英霊信長と契約を結んだことは驚きだが、彼はあくまでも信長の尻馬に乗っているだけだと判断したからだ。それよりも今は信長から聞き出さなくてはならないことが山ほどある。
「英霊となったとはいえ、信長公、あなたも元々は地球人だ。何故、地球人排斥運動に身を投じる?」
「儂は地球人よりも波羅実多人に好意的。それが答えでは不満かね?」
 信長の答えも表情も、飄々としていて掴み所がない。思わず小さく舌打ちをしたレオンハルトを、信長は顎髭を引っ張りながら興味深げに見物している。
「気に入らなければこの場を立ち去れば良い。好きにしてくれてかまわんよ」
 しかし、レオンハルトとて「はい、そうですね」と帰るわけにはいかなかった。現在、信長の手勢は十人程度のようだが、真意が分からぬまま放置するわけにはいかないのは揺るぎない事実。何せ相手は天下統一目前で散った戦国武将なのだ。相手にとって不足はない。
「…協力させていただこう」
 レオンハルトは密かに唾を飲み込むと、信長に告げた。


   ***   ***   ***


 薔薇の学舎の一角に、ジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)の後宮と呼ばれる白亜の建物があった。砂漠の国の様式を取り入れた建物は、砂塵が吹き込まぬよう高い壁で囲まれており、窓が小さいのが特長だ。煉瓦造りの建物が多いタシガンの景観の中では異質な存在だが、薄暗く陰密な雰囲気漂う屋内は、意外にもタシガンの風土とは合致していた。霧深きタシガンでは、年間を通して太陽を拝める日はほとんどない。そのため、常に気温は低く、夏でも長袖でいられるほどだ。気密性の高い建造物ならば、朝夕の寒暖差が少なく快適に過ごすことができた。
 ジェイダスは昼間だというのに蝋燭の炎が揺れる薄暗い後宮で、美少年の近侍に囲ま.れながら遅い朝食を取っているところだった。
 近侍の少年にパラミタ特産の甘い果物にヨーグルトをかけたデザートを口に運ばせながら、ジェイダスは側に控えたディヤーブ・マフムード(でぃやーぶ・まふむーど)に話しかけた。
「そろそろルドルフも空京に到着する頃かな?」
 ジェイダスの言葉を受けディヤーブは、柱時計を見やり無言で頷く。
「雪之丞が先に空京入りをしていると知ったら、ルドルフは驚くだろうな」
 表向きタシガン空港を警備することになっていた中村 雪之丞(なかむら・ゆきのじょう)を急遽、空京の警備に回したのはジェイダスの判断だった。
 薔薇の学舎の生徒だけでは万全の警備体制を敷けないことはは初めから分かっていた。そこで空京が手薄だという情報を流すことで、不審者を一網打尽にしようと考えたのだ。その代わりタシガンの警備が手薄になるが、むしろそれに乗じてくる者の存在をジェイダスは期待している。
 そもそもイスラエル政府は何故、未だ情勢が安定しているとは言えないタシガンに、パレスチナ人の受け入れを求めようとするのか。厄介払いであることは間違いないが、イスラエル政府が取り急ぎ排除しようと思っているのは、パレスチナ人ではなく外務大臣ハイサム・ウスマーン・ガーリブなのではないかと、ジェイダスは考えている。
 現在のイスラエル政府は、パレスチナ問題を平和的に解決しようとする時代の潮流に逆らうかの如く強硬派の人間が大多数をしめる。対して今回、タシガンへの来訪が決まったハイサム外務大臣は数少ない穏健派として知られていた。
 しかし一見、学者のように見えるハイサム外務大臣だが、穏やかな外見とは裏腹に知略に富んだ勇猛果敢な戦士であることをジェイダスは知っていた。世界各国の首脳陣からの信頼も厚いため、敵対陣営に属する者達にとっては目の上のたんこぶ以外の何者でもない。パラミタ滞在中に死んでくれれば御の字というところか。
 対してハイサム外務大臣も、今回の訪問でパレスチナ問題が解決するとは思っていないだろう。恐らく彼が欲しているのはただ一つ、命を賭けてパラミタへ赴きパレスチナ問題の解決のために尽力したという「事実」だけだ。そうジェイダスは踏んでいる。
「つくづく厄介なことを持ち込んでくれる…」
 ジェイダスにすれば嘆息せずにはいられない状況だが、ただ手を拱いているわけにもいかない。故郷を愛し守ろうとする人間がいれば、故郷を欲し得ようとする人間がいる。異なる文化を拒絶する者がいれば、大いなる野心を胸に新天地へと足を踏み入れる者もいる。イスラエル人とパレスチナ人の関係も、パラミタ人と地球人の関係も、元を辿れば同じようなものなのだ。
 この複雑に絡みきった糸をほぐすにはどうしたら良い? バッサリと断ち切ってしまえば話は早いが、それではつまらなさすぎる。
「まぁ、できることからやってみようか。ディヤーブ、お前もよろしく頼むよ」
 寡黙な忠臣はまたもや無言で一礼すると、ジェイダスの前を辞した。彼には彼のやるべきことがあるのである。