校長室
精霊と人間の歩む道~イナテミスの精霊祭~
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精霊祭に湧くイナテミスの街。 その賑やかな様子を背後に、峰谷 恵(みねたに・けい)が門の上からエリュシオンの方角を見つめていた。 (エリュシオン……鏖殺寺院の裏で手を引き、シャンバラを混乱に陥れた挙句、東シャンバラに介入して実質的な支配者に君臨……ボクだってそんなの認められない……認めたくない) これまでの経緯を振り返り、侵略者同然の振る舞いを見せるエリュシオンに恵が反感を抱く。 (……だけど、実際アムリアナ女王はエリュシオンに人質同然に保護されてる。西シャンバラだって、エリュシオンを許容できないという理由だけで無茶をしているようにしか見えない) しかし、状況がただ反発しているだけではいけないということに行き当たると、恵の中に沸き起こっていた反感が少しずつ抑え込まれていく。それはかつて、自らが母親に受けた虐待の進行を抑えるため、母親への恐怖、憎しみの感情を抑え込んだ状況に通ずるものがあった。 (……いつか、エリュシオンとは戦う。今は、エリュシオンの魔道を学び力を蓄える時……そのためならボクは、親エリュシオンの立場を取る) イルミンスールの親エリュシオン思考が本物であるとエリュシオンが知れば、自らの持つ優れた魔法技術を提供する可能性がある。その技術がイルミンスール全体に行き渡ったところで反旗を翻せば、少なくとも今戦うより絶望的な戦いにならずに済む。 「……正しいか間違ってるかどうかより、ボクが納得がいくかどうかを優先してる。ひどい契約相手だと思ったら見限ってくれて良いよ」 一通り思考を終えた恵が、背後に控えていたエーファ・フトゥヌシエル(えーふぁ・ふとぅぬしえる)とグライス著 始まりの一を克す試行(ぐらいすちょ・あんちでみうるごすとらいある)に振り返らずに言葉だけかける。 「何があろうと、何からもケイを守る。そのために私は契約しました。たとえ誰であろうと、神様にだって変えさせません」 エーファがはっきりとした言葉で、恵を支え守るためにこれからも付き合うと誓う。 (……ただ、この決断が、もしかしたら将来私たちがこの街を巻き込むことになるかもしれませんね) 振り返ったエーファの視線に映る、賑やかなイナテミスの街並み。少なくとも今は、国と国との争いにこの街は無縁であるように思われた。 「……そうだね。それは、あるかもしれないね」 エーファの心の内を見透かすように、恵が呟いて自嘲の笑みを浮かべる。 「……我が内に記された知識を把握するには、まだ先は長い。神如きに恐れをなしても困る」 恵の悩み、エーファの決意を見届け、グライスが立ち止まる者の背中を押すように言葉を紡ぐ。 自らが動かなければ、自らが得るものはない。 だからといって闇雲に動いても、得られるものはない。 「うーん……今日もいい天気です。まさに絶好のお祭日和ですね」 公会堂の上、今は陽の光が差し込むそこで、浅葱 翡翠(あさぎ・ひすい)が真下に広がる賑やかな街の様子を眺めながら、力を抜いた格好で思考を廻していく。 (私の性格は敏感で暢気、几帳面で従順、そして義務感が強い、とあった。 己の活力は内面に在り、人に尽くして人を喜ばせる事に人生の意義を見出す、と。 このタイプが誰かの親になった時は、親の責任を生涯果たそうとし、子の為に自身の欲求を抑えて保護する。 このタイプの子どもは親の手間を取らせぬ様一人で遊び、総じて勤勉で模範的な子どもであろうとする。 又、子も大人も頑固である事が多い、か……) パートナーが嵌ってる性格診断、翡翠はその時見た本の内容を思い返していく。 (……なるほど、確かに当ってる。 でも、このタイプの欠点は確か、『自身の本来の行動を無理やり抑え付け易い』だった) そこまで思い至り、翡翠は自分自身に問いかけるように言葉を発する。 「私は、無理してるのかな。 『誰かの為』を言い訳に、したい事を押し殺してるのかな」 答えは、返ってこない。答えを返してくれるのは、他ならぬ自分自身であるから。 (……私がしたい事って何だろう? 最近欲張り過ぎて、私の出来る事を見失ってる気がする) 何かをしなくちゃいけないことが分かっていても、自分自身への理解の欠如、もしくは周囲への理解の欠如――他にも、望まない事態の介入など、原因は多々考えられる――から、結局何をしたらいいのか分からなくなることは、往々にしてある。いつでも自分が、周りが単純ならやることも悩まないだろうが、社会はそう出来ていない。 (もしかしたら、こうして一人で考えるのがいけないのかな?) そう思った翡翠は、自嘲気味に顔を歪める。いったい今の自分は、どれほどひどい顔をしているのだろうか。 (……ふぅ、パートナーを置いてきて良かったです。こんなネガティブな姿は見せられませんしね) そして翡翠は、もうしばらくの間、せめて普通の顔を向けられるようにと、頭を巡らせ続けていたのであった。 自分は何をしたいのか。 何のために行動することが、『正しい』のか。 サラを誘い、イナテミス中央部を緋桜 ケイ(ひおう・けい)と永久ノ キズナ(とわの・きずな)とが見回りを行う。……だが、今度ばかりはパラミタを司る神様――そんな存在がいるかどうかは別として――も自重したのか、街は賑やかであり平和そのものであった。 「騎馬戦は惜しかったな。あそこで相討ちにならなければ、もっと戦果を重ねられただろうに」 「ああ、そうだな。だが、相手も十二星華となれば、むしろ一方的に負けなかっただけよかったのかもしれんぞ」 となると必然、世間話が多くなる。というわけでサラとケイは、海には行っていなかったキズナにも分かるようにしつつ、その時の騎馬戦のことなどを語り合う。 「にしても、サラも結構ノリノリだったよな。ケイオースが驚いてたぜ」 「あ、あれはセイランが……いや、他者のせいにするのはよくないな。実際、あの戦いは楽しかった。立場を超えてただ純粋に勝負を行える、それはきっと幸せなことなのだろうな」 あの時見たもの、聞いたものを懐かしむような表情を見せたサラが、すっ、と表情を消してケイに呟く。 「ケイ、キズナ。ここからは私の独り言と思って聞いてくれ。 ……私は、今回の精霊指定都市成立は正しかったのかと、疑問に思っていた」 そしてサラは、精霊指定都市成立の裏にある思惑、エリュシオンの精霊のこと、彼らとの対立の可能性が精霊指定都市成立に向かわせたことなどを二人に語っていく。 「自らの生き残りのために人間を利用する……無論そんなことはないと思っても、ではどうなのかと尋ねられると答えに窮する。何のために行動することが正しいのか……恥ずかしい話だが、私は分からずにいた」 言ったサラが、次の瞬間微笑を浮かべる。彼女が見たものは、人間と精霊とが仲良く手を取り合い、音楽に合わせて踊る様。 「だが、私はこの街の決断に触れて気付いた。自分の判断は、行動は、決して間違っていないと。正しいとは思わない、しかし間違っているとは決して思わない。……そうだと分かれば、後は行動を起こすだけだ」 そこまで言い終えたサラが、並ぶ屋台に視線を向けて、独り言は終わりとばかりにケイに問いかける。 「海でもそうだったが、こうして食べ物を売り歩く光景は珍しく映る。そして、不思議とどれも美味なのだ」 「俺だって同じことを思うぜ。どうして家で作るものと同じなのに、出店の物は美味く感じるんだろう、ってさ。……そういやあ、精霊って食べ物を食べるのか?」 「人間と同じように食べる必要がないだけであって、人間と同じように食べることは出来る。カヤノなどはしょっちゅうリンネとモップスの料理をいただいているようだが、おそらくそれは、人間と同じように食べることの楽しみを知ったからだろうな」 「なるほど、確かに、独りで食べる食事ほど味気ないものはないもんな。……よし、じゃあみんなで何か食べようぜ。……あれなんかどうだ?」 言ってケイが指したのは、生地にクリームやフルーツ、トッピングを挟んだクレープを売る出店。 「ふむ、これがクレープというものか……見たことはあるが、食べたことはないな」 「私は、見るのも食べるのも初めてだ」 店の前にやって来たサラとキズナが、サンプルに興味の視線を向ける。 「女の子に人気の一品なんだぜ。サラも女の子だし、きっと気に入ると思うぞ」 「……ケイに女の子、と言われると何だ、その……恥ずかしいな」 そんなやり取りがありつつ、サラとキズナ、そしてケイが注文を終え、支払いを終えたケイが二人の分を手渡す。 「こっちはキズナの分、で、こっちがサラの分だな」 「奢ってもらって済まないな。では、いただいてみようか」 「ええ」 三人が一斉に、目の前のクレープに口を付ける。様子を窺うケイの前で、サラとキズナの表情が綻ぶ。 「ほう、これは美味」 「ああ、何だろう……不思議と満たされる感じだ」 「そっか、良かった。……っと、サラ、ここにクリームがついてるぜ」 ケイが手を伸ばして、サラの口元に付いたクリームを掬い取る。 「済まないな」 礼を言って再びクレープに口を付けるサラを見遣って、はたとケイが気付く。 (何気なく取っちまったけど、もしかしてこれって……間接キス!?) 「? ケイ、顔が紅いがどうした?」 「え? あ、いや、何でもない、何でもないぞ!」 結局、クリームを制服の裾で拭いて、誤魔化し笑いを浮かべるケイであった。 「そうだ、言いそびれてしまっていたが……。 ケイ、あなたが何を思って所属を変えたのかは、私には分からないし、尋ねようとも思わない。あなたがするべきことと思っての行動であろうと思う。 だが、あなたが何であれ、私の友であることに変わりはない。無論、再び所属を同じくした時には、歓迎を以て受け入れたいと思う」 独り言のように言って、サラがクレープを完食した。 たとえ正しくなくとも、間違っていないのなら。 後は、行動するのみ。 「ミーミル……もし、もしもですよ。 もしミーミルが、好きな人達や大切なものを悪く言われたら……どうしますか?」 クレープを美味しそうに頬張っていたミーミル・ワルプルギス(みーみる・わるぷるぎす)へ、ソア・ウェンボリス(そあ・うぇんぼりす)が自分でも嫌な質問だと理解しつつ、尋ねる。しばらく目を瞬きさせていたミーミルが、口元に持っていたクレープを下げて、言葉を発する。 「えっと……ソアお姉ちゃんの思ってることと全然違うことを言っちゃうかもしれないんですけど…… 私は、嫌だな、って思います。 大好きなお母さん、大好きな魔法学校の皆さん、大好きなイルミンスール……全部、私を好きでいてくれて、私にたくさんのことを教えてくれて、私を育ててくれました。 だから、もし誰かから一方的に傷つけられたり、悪いことを言われたりしたら……私は嫌だ、って思います。 私は……守りたいです」 「うん……そうだよね。ごめんね、嫌な思いにさせる質問しちゃって。ちょっとね、これからイルミンスールがどうなっていくんだろうって、不安に思っちゃったから」 呟いてソアが、帝国の人たちが抱くイルミンスールの印象を聞かされて、大好きな学校を、生徒みんなの母親だと思っているイルミンスールを悪く言われて、悲しいと思ったことなどを口にする。 「お母さんも、ユグドラシルさんや他の世界樹さんに良くないこと言われてるみたいで、しょっちゅう怒ってるんです。心配です……」 ミーミルの口から、アーデルハイトが口にしていたこと――ミーミル自身は理解していない、ユグドラシルを始め他国の世界樹との関係など――が紡がれる。 「ふむふむ……やっぱアレだな! 帝国の連中は気に入らんということだな!」 背後で二人の話を聞いていた雪国 ベア(ゆきぐに・べあ)が、腕を組んで頷きながら答える。 「ベ、ベア、ここでそんなこと口にしたらダメですよっ」 「構わねぇよ、大ババ様も外交上と内心は別に思ってんだろ。ご主人もいざとなったら、イルミンスールの魔法が帝国よりも凄いってとこを見せてやればいいだけだぜ!」 「……どうすればいいんですか?」 首をかしげるソアに、ベアが胸を張って言い放つ。 「すなわち……帝国の魔法を学び『メイガス』になるのではなく、みんなの夢と希望を守る『魔法少女』になるんだ!」 「え、えぇーー!?」 あまりに突飛な内容にソアが驚きの声を上げる横で、ミーミルが納得といった表情を見せる。 「私も魔法少女です。皆さんを守れるでしょうか?」 「おう! ミーミルならきっと出来るぜ!」 「……はい!」 ベアが親指をぐっ、と立てて自信ありげに言い放つ。おそらく根拠はないだろうその言葉に、ミーミルの表情が綻んだ。 「……ありがとうございます、ミーミル」 「? ソアお姉ちゃん、どうしました?」 「何でもないですよ。さ、もう少しお祭りを見て回りましょう」 笑みを浮かべて、ソアがミーミルの手を引っ張っていく。 (ミーミル、あなたはきっと何があっても、イルミンスールを守ろうとするのでしょうね……) それが、私のしたいことだから――。